鉄砲天狗[2]
「──まるで、祭りのようだな」
二階の角部屋。
又兵衛は手すりに肘を預け、宿場町の喧噪に耳を傾けながら、ぽつりと呟いた。
提灯の明かりが夕闇に揺れ、人の声と下駄の音が波のように寄せては返す。行き交う旅人、荷を担ぐ商人、酒に浮かれた者たち──戦の影を押し流すかのような賑わいだった。
「まったく、ふざけた話だぜ」
背後で、六左が不満げに鼻を鳴らす。
「これだけ人が集まってんのに、こっちにゃおこぼれ一つ回ってきやしねえ。酒もたった一升きりだ」
盃を干す音が、乾いた。
おてんが持って来てくれた一升瓶は、すでに底が見え始めている。
「お侍さん……もう、お休みですか?」
控えめな声に、又兵衛は振り返った。
「なんだ、おてん坊か。まだ寝とらんぞ」
返事と同時に、襖がすっと音もなく開く。
廊下にちょこんと座っていたのは、酒瓶を抱えたおてんだった。行灯の灯りが頬に影を落とし、どこか遠慮がちな表情を作っている。
「どうしたんだ?」
「はい……女将が。申し訳ないからって。これ、一本だけですけど」
「おっ、そいつぁ、ありがてぇ」
六左の顔が途端にほころぶ。酒瓶を受け取ると、待ちきれぬ様子で封を切った。
「すまんな、おてん坊。女将さんにまで気を遣わせちまって」
「いいんです。又兵衛さんは私の亡くなった父に似てるって……だから母が、特別にって」
「おいおい、さすが兄ぃ。どこ行っても女にモテる」
「置きゃあがれ。軽口ばっかり叩きやがって」
叱りつけながらも、又兵衛の声はどこか柔らかい。
さほど酔ってはいない。それでも、持ち込まれた酒と、娘ほどの年の少女の屈託のない笑顔が、二人の心の緊張をゆるりと解いていく。
浪人としてさすらう日々の中、こうした何気ないやり取りこそが、知らずに溜め込んだ澱を洗い流してくれるのかもしれない。
「又兵衛さんたちも、加納のお殿様にお仕えするために来たんですか?」
「いや、俺たちは江戸へ行く途中さ。なあ、兄ぃ」
「そうだ。江戸は今、ここ以上に賑わってるらしいからな」
「へぇ……江戸……」
おてんは、その名を舌の上で転がすように繰り返した。
徳川家康が討ち死にし、嫡男秀忠が囚われたことで、徳川の世は終わった。
関東の地は空白となり、いまや豊臣の名のもと、天下普請が進められている。
大名も職人も武辺者も集い、諍いと混沌の只中で、新たな都が形を成しつつある──そんな話を、六左は大坂で聞きつけたのだ。
だからこそ、この旅が始まった。
「みんな江戸に行っちゃうから……こっちは人手が足りなくて」
おてんはそう言って、唇をきゅっと結んだ。恨みがましさの奥に、羨望が滲む。
「人手って、この町にそんなに要るのか?」
「前の戦で……焼け残った家も多いですし。裏のお屋敷なんて、今にも崩れそうなのに、壊すこともできなくて……」
鮎屋自体は戦火を免れた。
だが裏手の商家は焼かれ、荒らされ、家主は行方知れず。
傾いた蔵と母屋が、今も不気味な沈黙のまま放置されている。再利用できそうな木材はあっても、解体には人と金が要る。その余裕が、この町にはまだない。
「そりゃ災難だが……仕方ねぇな。江戸が落ち着きゃ、人も戻ってくるだろうよ」
「ええ……でも、裏の蔵だけでもどうにかしたくて。風が強い日は、すごく軋むんです。いつ、ウチに倒れてくるかと思うと……」
「そうか……」
又兵衛は一瞬、視線を伏せた。
「手助けしてやりたいのは山々だが、この通り──素寒貧の貧乏侍でな」
からりと笑ってみせる。
その笑いにつられ、おてんも思わず口元を押さえた。
戦の爪痕は、確かにまだ町にも、人の心にも残っている。
だが、こうして灯の下で交わされる笑みが、少しずつそれを薄めていく──そんな予感が、静かに胸に広がっていた。
「……すいません。なんだか、湿っぽい話をしちゃって。もっと違う話をしましょう」
おてんはそう言って、はにかむように笑った。行灯の灯りが揺れ、その影が襖に淡く踊る。
「そうだな。こういう夜は、明るい話の方がいい」
「明るいかどうかは分からないんですけど……」
一瞬、言葉を選ぶように視線を落とし、それからおてんは声を潜めた。
「飛騨の山奥に、天狗様がいるって話、聞いたことありますか?」
「天狗? そんなもの、この世におらん」
即座に又兵衛が切り捨てる。
隣で六左も小さく鼻を鳴らした。
戦場をくぐり抜けてきた二人にとって、天狗だの怪物だのは、恐怖を誤魔化すために生まれた作り話に過ぎない。人を殺すのはいつだって人であり、命を奪うのは槍と弾丸だ──それを嫌というほど知っている。
「でも、その天狗様、ちょっと変わってるんです」
「変わってる?」
「鉄砲天狗って呼ばれてるんですよ」
「鉄砲天狗?」
六左は思わず顔をしかめ、酒臭い息を吐いた。
読んでくださり、本当にありがとうございます!
この作品を「続きが気になる」と思っていただけたら、
ぜひブックマークとポイント評価をお願いしますm(_ _)m
応援が増えるほどヤル気が爆上がりします……!
感想も一言でもくれたら即返信+X(旧Twitter)で感謝ポストします!
次回もよろしくお願いします!




