鉄砲天狗[1]
加納宿は、美濃を横断する東山道十七宿の中でも、ひときわ賑わいを見せる宿場だ。
北に目をやれば、稲葉山が屹立し、その裾には岐阜の町が広がっている。美濃平野の中心に位置するこの地は、古くから人と物とが絶え間なく行き交う要衝であり、往来の喧騒が途切れることはない。
旅人の足音、商人の呼び声、荷を下ろす牛馬の嘶き──それらが折り重なり、町は生き物のように脈打っている。
そしてその地勢は、常に権力者の目を引いてきた。
戦国時代は、斎藤道三と織田信長の父、信秀がこの地を巡って刃を交え、やがて信長が岐阜の主となると、楽市楽座のもとで町は空前の隆盛を迎える。商いは縛りを解かれ、人々は集い、岐阜は美濃随一の繁華の地となった。
いま岐阜を治めているのは、信長の孫、織田秀信である。
だが、この町が最後に戦火に晒されたのは、まだ記憶に生々しい関ヶ原の年だった。
東軍による美濃攻略の前哨戦として、岐阜城は三万五千もの軍勢に包囲され、わずか一日で落城する。炎は城郭を舐め尽くし、堅牢を誇った構えのほとんどは焼け落ち、今や岐阜城は廃城として山上に影を落とすのみとなっていた。
もともと稲葉山の山頂に築かれた岐阜城は、防御には優れていたが、政を行うには不便な地である。
この戦を機に、秀信の居城は加納宿の南に築かれた加納城へと移された。
もちろん岐阜城攻略の折、焼かれたのは城だけではない。
大軍の移動の妨げとなる家屋は次々と焼き払われ、町は炎と混乱に包まれた。多くの人々が住まいを失い、行き場をなくしたまま、ただ焼け跡に立ち尽くした。
いま、加納城を中心として復興は進みつつある。
新たな屋敷、商家、旅籠が建ち並び、それが加納宿の繁栄をさらに押し上げていた。
だが、町の隅々に目を凝らせば、まだ戦の爪痕は消えていない。焼け焦げた柱を残した家、空地のまま残された区画、そして何より、人々の表情に刻まれた影。
賑わいの裏で、誰もが何かを失っている。
加納宿は、栄華と傷痕とを同時に抱え込みながら、今日も旅人を迎え入れていた。
*
又兵衛と六左は、宿場の外れに建つ「鮎屋」という小さな宿に入った。
街道筋の大きな旅籠から少し外れただけで、喧騒は幾分か和らぐ。
建物はこぢんまりとしているが、戸口からは炊き物の匂いが漂い、生活の温もりが感じられた。威勢のよい女将と、その娘が二人きりで切り盛りしている宿らしい。
「お侍さん、ごめんなさい。こんな小さな部屋しかなくて……」
二人を案内した娘は、畳敷きの部屋に入るなり、申し訳なさそうに頭を下げた。
名をおてんという。年の頃は十四、五。まだ幼さの残る顔立ちだが、立ち居振る舞いには無駄がなく、働き慣れている様子がうかがえる。女将の背を追うように、早く一人前になろうとしているのだろう。
「別に構わんよ」
又兵衛は穏やかに応じ、部屋を見回した。狭いながらも掃除は行き届き、畳も新しい。
「それにしても、随分と賑わってるな。加納宿は、いつもこんなに騒がしいのか?」
「いえ……普段は、もう少し静かなんですけど」
おてんは少し声を落として答えた。
「最近、加納の殿様が新しくお雇いを集めていらっしゃって……それで、いろんな人が来ているんです」
又兵衛は小さく頷いた。
織田秀信。
関ヶ原の戦いの後、旧領である岐阜十三万石に、尾張丹羽五万石が加増され、十八万石の大名となった人物だ。岐阜中納言と称され、豊臣の一門として特別な扱いを受けている。
本来なら西軍に加担した見返りとして、美濃、尾張二ヶ国の加増が約されていた。だが岐阜城を一日で失い、戦局に不利をもたらしたことで、その話は反故となり、加増は五万石に留まった。
それでも秀信は不満を口にしなかった。
生来の貴人らしく、欲得に薄く、与えられた待遇を素直に受け入れたのである。
そして増えた所領を治めるため、新たに家臣を募っている。
その噂を聞きつけ、浪人や腕自慢が集まり、加納宿はいま、かつてない人の波に揉まれていた。
「俺らぁ二人だけだしさ」
六左が、軽い調子で口を挟む。
「酒と女をあてがってくれりゃ、それで文句はねぇんだ。なあ、兄ぃ」
しかし、おてんは困ったように眉を下げ、再び頭を下げた。
「申し訳ないんですけど……お座敷に上がれるお姉さん方は、もう出払ってしまっていて……」
「えぇ~」
「でも、お酒の方はあります。一升だけですけど」
「なんだい、そりゃあ~。せっかく一日歩いてきたってのによぉ」
「申し訳ございません……」
「六左よ」
又兵衛が、諭すように言った。
「この子を責めても仕方あるまい」
「……そりゃあ、そうだけどさぁ……」
六左は期待を外された子供のように肩を落としたが、矛先を向ける相手が違うことはわかっている。不承不承といった様子で、畳に腰を下ろした。
やがて運ばれてきたのは、粗末な肴と、一升のどぶろくだけ。
だが、又兵衛にとっては、それで十分だった。
杯を傾けながら、喧騒から少し離れたこの小さな宿で、久方ぶりに──ただの旅人として夜を過ごせる。
その事実が、思いのほか心を軽くしていた。
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