誑惑[3]
「確かに……和尚の言われる通り、胡乱な話ではありますな」
源次郎は慎重に言葉を選んだ。
「しかし、それがなぜ、近江宰相様のご容赦につながるのですか?」
玄舜坊は源次郎から視線を外し、崩れかけた社殿の梁の向こう、遠い空を見やった。その顔には、どこか懐旧とも諦観ともつかぬ色が浮かんでいる。
「拙僧はな……工藤内匠頭様は、討たれたのではなく、逐電したのだと思うておる」
「……逐電」
源次郎は、その言葉を噛みしめた。
突飛ではある。だが、完全に否定することも出来ない。
「理由はわからぬ。だが、近江宰相の武を支える龍仙寺衆──それを作り上げたお方が忽然と姿を消したのだ。石田家では、必死になって足取りを追っておるであろう」
「それは……そうでしょうが。しかし、その話が一体……」
玄舜坊は、ゆっくりと源次郎に視線を戻した。
「わからぬか?」
「……」
「若が工藤内匠頭様を、近江宰相様に引き合わせれば──兄者の身が救われるやも知れぬ、という話じゃ」
「なっ……!?」
あまりにも唐突で、あまりにも大きな賭け。
源次郎は言葉を失った。理屈としては理解できる。だが現実味がなさすぎる。仮定に仮定を重ねた、雲を掴むような話だ。
──なのに。
玄舜坊の語り口には、妙な重みがあった。
ただの与太話では終わらせられぬ、何かがある。
「何を馬鹿な!」
鋭く声を上げたのは佐助だった。呆れと怒りが入り混じった声音で、玄舜坊を睨みつける。
「そんなことが出来れば、誰も苦労せんわ! 生きておるかどうかも知れぬ、どこにいるのか、顔も知らぬ者を宰相様に引き合わせよなどと……!」
もっともな怒りだった。
工藤内匠頭の名は天下に知れ渡っているが、その顔を知る者はほとんどいない。隠密の中の隠密──探せと言われて探せる相手ではない。
だが、玄舜坊は動じなかった。
「世間では今、工藤内匠頭様は飛騨に隠れておるという噂が流れておる」
「あっ……」
思わず声を漏らした佐助は、すぐに口を噤んだ。
忍びとして諜報に携わっているだけに、その噂は知っていた。
「……だが、それだけでは見つけられぬ! 誰も顔を知らぬのだからな!」
「そこが、若の運の良いところじゃ」
玄舜坊は、楽しげに目を細めた。
「これも御仏か、天神様のお導きか……」
「和尚……一体、何を言っておられるのだ」
玄舜坊は、そこで初めて、はっきりとした笑みを浮かべた。
それは、乞食坊主の笑みではない。
「拙僧はな……昔、龍仙寺衆じゃったのよ」
「えっ!?」
源次郎と佐助の声が、重なって響いた。
目の前のこの薄汚れた坊主が、天下最強の集団の一員──。
社殿に、重い沈黙が落ちた。
「もっとも──戦の前にな、朋輩とつまらぬ諍いを起こしてしもうて……」
玄舜坊は肩をすくめるように言うと、不敵な笑みを浮かべた。その指が、右の頬を覆っていた布に掛かる。
「挙げ句の果てに、相手を殺してしもうた」
そう言って、布を一気に捲り上げた。
露わになったのは、人の皮膚とは思えぬほど歪に焼けただれた右顔だった。赤黒く縮れた肉、引き攣れた口元。社殿の薄暗がりの中でも、それは否応なく目に焼き付く。
「……っ!」
源次郎は思わず息を呑み、佐助もまた言葉を失った。
「其奴と争ったときに焼けた薪を押し当てられてな。こんな顔にされてもうた」
玄舜坊は淡々と語りながら、どこか自嘲めいた笑みを浮かべる。
「まあ、これも因果というやつじゃ。以来、拙僧は俗を捨て、仏の道に身を置いておる」
もちろん、それはすべて作り話だ。
玄舜坊──伊達政宗が、その場で即座にでっち上げた、出来のいい虚構である。
謀略と裏切りが渦巻く世界を生き抜いてきた政宗にとって、この程度の嘘は呼吸と変わらぬ。源次郎が神仏に縋るその一瞬の隙を見逃さず、もっともらしい過去を組み立ててみせただけだ。
「そ、それは……誠にござるか、和尚!」
源次郎の声は震えていた。恐怖ではない。衝撃と、わずかな畏れが入り混じった震えだ。
「己の顔を焼かれた不覚を晒してまで、嘘をつく道理があるまい」
「……で、あれば」
源次郎は喉を鳴らし、言葉を選ぶ。
「和尚は、工藤内匠頭様をご存じなのだな」
「おお、よおく知っておる」
玄舜坊はうなずいた。
「龍仙寺でな。同じ釜の飯を食い、同じ修羅場を潜ってきた仲じゃ」
その瞬間、源次郎の全身に電流が走ったかのように、びくりと身が震えた。
天下最強と謳われた龍仙寺衆。
そして、その創り手──工藤内匠頭。
その男を知る者が、今、目の前にいる。
佐助はなおも疑念を拭いきれぬ様子だったが、話の筋は不思議と通っている。もしこれが真であれば、工藤内匠頭を見つけ出すことは、もはや夢物語ではない。
「それでは……」
源次郎は息を整えながら言った。
「和尚と共に飛騨へ行けば、工藤内匠頭様を見つけ出せるということか……」
「約束は出来ん」
玄舜坊は肩をすくめる。
「だが、本物かどうかの見分けくらいは、一目で付く」
「……!」
源次郎の目に、確かな光が宿った。
「で、では……ぜひ、ぜひとも!」
彼は一歩踏み出し、深々と頭を下げた。
「俺と共に飛騨へ行ってくださらぬか! 和尚がおれば、工藤内匠頭様にまみえることが出来るやも知れぬ!」
それを聞いて、真っ先に声を上げたのは佐助だった。
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