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Last rewrite  作者: 蒼了一


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遊行僧[4]

「……玄舜坊様が、いない?」


 町外れ、女鳥羽川に近い旅籠「荒屋」。


 眸海が岡田宿で玄舜坊と別れてから、丸一日が経っていた。胸の奥に、言いようのない嫌な予感が渦を巻いている。


「坊さんなら、今朝までいたよ。湯漬けをさっと食って、『寺に挨拶に行く』って出ていっちまった」


 恰幅のよい女将は、帳場を離れぬまま忙しなく答えた。その声音に、特別な出来事だった様子はない。


 眸海は借りていた部屋を確かめた。畳には乱れもなく、荷はすべて消えている。逃げた──そう判断するには十分だった。


 だが、「寺に挨拶」という言葉を、眸海は一文字たりとも信じなかった。


 玄舜坊が寺へ行くと言ったなら、それは神社のことだ。それも人目につかぬ、朽ち果てた社。身を潜めるには、これ以上ない場所である。


(どこへお隠れ遊ばしたか……)


 眸海は脳裏で松本近辺の地形をなぞり、自然といくつかの候補を絞り込んだ。


 その日の夕暮れ。


 赤く沈みゆく空の下、眸海は目当ての廃神社に忍び込んだ。苔むした石段を踏みしめ、崩れかけた拝殿の奥を覗く。


 そこに、玄舜坊はいた。


 梁の影に身を横たえ、まるで獣のように気配を殺している。


「こちらにおわしましたか、玄舜坊様。探しましたぞ」


「……眸海か。来るのが遅かったな」


「食い物の手配をしておりましたでな。ご容赦を」


「うむ」


 玄舜坊は、差し出された握り飯を受け取ると、躊躇なくかぶりついた。隠遁の僧の所作ではない。だが、今さらそれを気にする者はいない。


「それにしても玄舜坊様、なぜ荒屋を出られたのです? 何か不都合でも?」


 玄舜坊は、咀嚼を終えてから短く答えた。


「……高札が出ていた」


 その一言で、眸海の背筋に冷たいものが走る。


 高札。


 そこに記されるのは、布令──「壮齢にして、左目のみの隻眼の男を捕縛せよ」。


 乱暴極まりない内容だが、理由は一つしかない。


 伊達政宗。


 かつて陸奥大崎五十八万五千石を領した大大名。幼少の天然痘により右目を失い、隻眼となった男。関ヶ原では東軍に与し、上杉景勝を牽制したその責を問われ、戦後、石高を十五万石にまで削られた。


 家名は残った。だが、当主の座は奪われた。


 跡を継いだのは、秀吉のもとで育ち、石田三成とも昵懇の中にあった庶長子、秀宗。政宗が培ってきた独立自尊の気風を、削ぎ落とすための人事である。


 さらに政宗自身には、髪を落とし、高野山で得度せよとの命が下った。


 まだ三十四。野心を捨てるには、あまりにも若すぎた。


 だから政宗は逃げた。


 伊達家の宿将、片倉景綱の助力を得て、逃亡の途につく際、政宗は自らの右顔を焼いた。赤々と燃える薪を押し当て、右目が見えぬ理由を「作る」ために。


 その結果、顔の半分は見るも無惨に焼け爛れた。だが、誰もこの遊行僧が、大崎少将伊達政宗だとは思わない。


 それこそが、彼の狙いだった。


 政宗の目的は呂宋。


 戦に敗れ、日本を追われた武士たちが集う南海の地で兵を糾合し、捲土重来を果たす──伊達政宗らしい、途方もなく大きな野望である。


 成算は薄い。それでも、そうする以外に生きる道はなかった。


 眸海は、その政宗に付き従うため選ばれた。黒脛巾組(くろはばきぐみ)随一の使い手として。


 政宗の逃亡は瞬く間に知れ渡り、捜索が始まった。しかし、戦後処理で混乱する世情の中、成果は上がらない。そこで編み出されたのが「片眼狩り」──隻眼の男を片端から捕らえ、面通しをさせるという乱暴な策だった。


 京、大坂、江戸から始まり、布令は地方へと広がる。


 松本ではまだと踏んでいたが──玄舜坊は、昨夜それを見つけてしまったのだ。


「……それは、一大事でございますな」


「布令は旅籠に真っ先に回るからな。こうして身を隠した」


「となれば……富山湊への道を、急がねばなりませぬ」


「そうだな。ここに長居はできん」


 玄舜坊──政宗の目的地は富山湊。


 そこから呂宋行きの船が出るという情報を掴み、信濃まで足を延ばしてきた。松本から安房峠を越え、神岡を抜ければ、越中までは遠くない。


 だが、そのためにはまず、この松本を生きて抜けねばならない。


 布令が出たからといって、即座に捜索が始まるわけではない。真田家が体勢を整えるまで、まだ数日は猶予がある。


 だが、その猶予は、同時に命の刻限でもあった。


 玄舜坊と眸海は拝殿の奥で頭を寄せ、夜が白むまで、逃走の算段を練り続けた。


 その間、外では風が枯れ葉を転がす音だけが、絶え間なく響いていた。

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