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Last rewrite  作者: 蒼了一


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遊行僧[3]

 松本の地に大きな足跡を残したのは、かつての領主、石川数正であった。山に抱かれた小城に過ぎなかった深志城を大改築し、城下町の骨格を整えたのは彼である。その志は、数正の死後も嫡男、石川康長に受け継がれ、ついには五層六階の天守を戴く堂々たる城郭が完成した。白壁と黒漆の塗られた下見板で覆われた天守は松本平のどこからでも望むことができ、領主の威勢を誇示する象徴となった。


 しかし、時代は容赦なく人を選別する。関ヶ原の戦いにおいて康長は徳川秀忠に従い、真田昌幸と刃を交えた。その敗北の代償は大きく、戦後、康長は領地を没収され、松本の地は新たな主を迎えることとなる。真田昌幸──かつてこの城の主を敵として見据えた男が、今やその主人であった。


 昌幸は松本城を眺めて満足するだけの男ではない。信濃でも屈指の平地を誇る松本平を、一大穀倉地へと変えるべく、大規模な新田開発に着手した。用水が引かれ、荒地が田へと変わり、城下町は計画的に拡張されていく。仕事を求めて周辺から人足や職人、流人が流れ込み、松本はかつてないほどの活気に満ちていた。土の匂い、木槌の音、人々のざわめき──城下には「生きている国」の鼓動があった。


 その賑わいから隔てられた、松本城本丸御殿の一室。昌幸は座したまま、息子の源次郎信繁を鋭い眼で見据えていた。


「源次郎、また刑部殿に文を送ったそうじゃな」


 低く抑えた声に、探りと苛立ちが滲む。


「左様でございますが、何か問題でもございますか?」


 信繁は一歩も引かぬ口調で答えた。若さゆえの率直さが、そのまま言葉に乗っている。


「どうせまた源三郎のことじゃろう。いくら継父(おやじ)殿とはいえ、甘えすぎじゃ。源三郎のことは、もう諦めよ」


 昌幸の言葉は、情を断ち切る刃のようだった。


 刑部殿とは関ヶ原で三成と共に戦った盟友、大谷刑部少輔吉継のことであり、信繁はその娘を正室に迎えている。


「父上、それはあまりにも酷うございます。兄上は真田家のために江戸方に付いたのですぞ。勝った方が敗けた方を救う──そう約束したではございませぬか」


「暮らしに不自由なきよう、仕送りは充分にしておる」


 淡々とした返答に、信繁の胸が軋む。


「死んでおらぬと言うても、虜の身では、生きておらぬのと同じではございませぬか」


「これ以上はどうにもならぬわい。お主も、いい加減分別をつけよ!」


 昌幸の一喝が室内に響いた。信繁は唇を噛み、悔しさを顔に滲ませたまま黙り込む。だが、父はそれ以上の言葉を許さなかった。話はここまでだ──そう言外に告げる態度だった。


 関ヶ原前夜、昌幸は家康と敵対するにあたり、一つの保険を打っていた。嫡男、源三郎信幸を徳川方につける──それは、父としても、家の長としても、苦渋の選択である。親子が敵味方に分かれれば、どちらが勝っても真田の名は残る。そして、勝者は敗者を救う。それが、父子の間で交わされた約束であった。


 今、源三郎は近江朽木谷の寒村で、家族とともに暮らしている。だが、その実態は自由とは程遠い。領主たる石田三成の厳重な監視のもと、事実上の幽閉であった。


 命があるだけでよい──そう割り切れるのが昌幸である。生き残ることこそが、次の一手を生むと知っているからだ。


 しかし信繁は違った。兄が生きているなら、救い出す道があるはずだと信じている。


 城下に満ちる人々の熱気とは裏腹に、真田父子の間には、埋めがたい温度差が静かに横たわっていた。 


 *


「まったく不甲斐ない! 我らが上げた手柄に比べれば、兄上の免罪なぞ微々たるものであろうに!」


 吐き捨てるような言葉とともに、信繁は歩調を早め、城の馬場へと向かった。苛立ちは胸の奥で燻り続け、言葉にせねば押さえきれなかった。


 信繁が言う通り、真田が挙げた数々の功績と比べれば、長兄、信幸の免罪など、政の天秤にかけるにはあまりにも軽い。


 真田家ではすでに信幸を廃嫡し、信繁が跡を継ぐことが定まっている。信幸は勤勉で実直ではあるが、天下の趨勢を覆すほどの知略や野心を持つ男ではない。豊臣政権から見れば、人畜無害──そう評しても差し支えないはずだ。


 それでも、信幸はいまだに解かれぬ。


 原因は明白だった。兄ではない。父、真田昌幸である。


 かつて徳川家康がそうであったように、今は石田三成が昌幸を警戒している。世間では「表裏比興」と呼ばれる男。裏と表を自在に使い分ける老獪な食わせ者──その評価は決して誇張ではない。ゆえに、三成は昌幸そのものを縛る手綱として、長男の身柄を押さえている。


 昌幸自身も、その意図を見抜いていた。だからこそ、今は呼吸を合わせるように大人しく振る舞っている。おそらく、自分が世を去れば、信幸の真田家復帰も叶うだろう。


 だが、その遠回りな算段を、若い信繁はまだ飲み込めずにいた。


 父はその性分を嫌ってはいない。むしろ、真っ直ぐで情に厚いところを愛おしく思っている節すらある。ただ同時に、それが無駄な足掻きであることも、誰よりよく知っていた。


「若、またまた大殿と揉めましたな」


 気配もなく、信繁の背後に小柄な男が現れた。影のように寄り添うその姿を見て、信繁はわずかに肩の力を抜く。


「佐助か……なに、いつものことよ」


「大殿は今や国造りに大わらわゆえ、伊豆守様のことは、いったん脇に置いておられるのでしょう」


「軒猿風情に、何がわかる……」


 そう言い返しながらも、信繁の声にはどこか棘が足りなかった。自分でも分かっているのだ。佐助の言葉が、的を射ていることを。


「それよりも若、またおでかけですか?」


「寺社へ参る。こうなれば、神仏にお願いするしかあるまい」


「しかし、この辺りの寺社は、あらかた回られたのでは?」


「城の東、女鳥羽川の近くに、まだ行ったことのない社があるそうじゃ。そこへ行く」


「……はあ、左様ですか」


 実のところ、信繁に残された手立ては、もはやそれくらいしかなかった。松本にある神社仏閣を巡り、祈りを捧げ、兄の無事と帰還を願う。理屈では届かぬ願いを、せめて天に託したかった。


 信繁は馬に跨がり、城門を抜ける。若武者の背は真っ直ぐだが、その内にはどうにもならぬ現実への焦りが渦巻いていた。


 お守り役である佐助は、その後ろ姿を見失わぬよう、黙って馬を進める。


 若の願いが天に届くかどうか──それを口にする者はいなかった。

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