遊行僧[2]
賀津と藤四郎が佐和山を発った、そのほぼ同じ頃。
信濃の山道に、一人の遊行僧が姿を現した。
年の頃は四十に届くかどうか。背丈も体つきも、街道を行き交う旅の僧と大差はない。だが、近づけば誰もが一度は息を呑むだろう。顔の半分を覆うほどの大きな火傷痕が皮膚を歪ませ、右の眼窩は白濁し、すでに光を映していない。その異様さを隠すように、僧は疵痕を布で覆い、網代笠を深く被っていた。視線は常に伏せられ、表情を読むことはできない。
上田を発ち、保福寺峠を越え、ようやく松本平へと入る。険しかった山道は次第になだらかさを取り戻し、視界が開けると、眼下には広々とした盆地が横たわっていた。田畑の向こうに人家が点在し、城下町の息遣いが微かに伝わってくる。遊行僧はその景色を一瞥しただけで、岡田宿の外れにある小さな茶店に足を止め、無言のまま腰を下ろした。
「お待ちしておりました、玄舜坊様」
背後から声。だが、振り向く必要はなかった。玄舜坊と呼ばれた遊行僧は、そこに誰が座っているかをすでに知っている。
「……眸海か」
どちらも口元はほとんど動かしていない。それでも言葉は確かに相手へ届いている。長年の訓練によって身につけた、盗み聞きされぬための話法だった。
「松本では与吉と名乗っております」
「そうか。して、松本はどうじゃ」
玄舜坊の声は低く、感情の起伏を一切感じさせない。眸海は茶を啜るふりをしながら、視線だけで周囲を確かめた。
「真田様が町割りを広げられまして……周辺から人足が大勢流れ込んでおります。玄舜坊様がお越しになっても、さほど目立つことはないかと」
人が増えるということは、視線が分散するということでもある。玄舜坊はその言外の意味を噛みしめるように、わずかに頷いた。
「……片眼狩りはどうだ?」
一瞬、眸海の指が止まった。
「今のところは大丈夫でございます。ただ……いずれは高札が立つかと」
「いずれ、か……」
その一言に、玄舜坊の胸の奥で何かが微かに軋んだ。追われる身であることは、今に始まった話ではない。それでも、時が迫っていることを突きつけられると、無意識に肩に力が入る。
「まずはお身体をお休めください。この道を下れば松本宿でございます。その入口から川沿いの小道に入りますと、『荒屋』という旅籠がございまして、すでに部屋を手配してあります。与吉の客とおっしゃっていただければ、話は通ります。二、三日はごゆるりとお過ごしください」
「……わかった」
それ以上の言葉は要らなかった。玄舜坊は静かに立ち上がる。衣擦れの音すら立てず、まるで最初からそこにいなかったかのように身を翻した。
再び山道へと歩み出しながら、玄舜坊は深く被った笠の内で、失われた右眼の奥に残る痛みを噛み殺した。
松本──人が集まり、噂が渦巻く場所。そこは身を隠すには都合がいいが、同時に過去が追いついてくるかもしれない危険な土地でもある。
それでも彼は、歩みを止めなかった。
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