大黒天[1]
本作は、「小説家になろう」にて公開中の『Last resort』の続編です。物語を十分にお楽しみいただくため、事前に前作『Last resort』をご一読されることを強くおすすめいたします。
『Last resort』https://ncode.syosetu.com/n8356lk/
工藤拓真が二〇一一年に帰還して、三年が過ぎた。
身元不明の記憶喪失者として申請していた就籍許可が下りたのは一年前のこと。今は京都の片隅に小さな部屋を借り、静かに暮らしている。
朝、決まった時間に目を覚まし、台所に立って簡単な朝食を用意する。湯気の立つ味噌汁の匂い、フライパンに油が広がる音。すべてが当たり前で、だからこそ確かなものだ。
この世界に来てすべてを失った彼にとって、ここで過ごす時間だけは、誰にも侵されない、自分だけの領域だった。
とはいえ、彼が世界から切り離されているわけではない。
朝食を終え、食器を流しに運んでいると、テーブルの上に置かれたスマートフォンが軽やかな着信音を鳴らす。静寂の中に落ちた一滴の水のように、その音はやけに大きく響いた。
「はい、工藤です」
『おはようございます。朝早くにすいません。明星社の代田です』
東京にある出版社の編集部員だ。聞き慣れた声に、拓真は小さく息を吐いた。
「どうも、お世話になってます」
『先日メールでもお送りしたんですが、今度出す本の企画監修をお願いしている件でして……』
「あ、はい。大丈夫ですよ。予定に入っていますから」
『ありがとうございます。それでですね、編集長が一度、工藤先生と直接お話ししたいと申しておりまして、ぜひお食事でもと……もしこちらへ来られるご予定などがありましたら、ご検討いただけませんか?』
「東京、ですよね……」
言葉を返しながら、拓真は壁に掛けたカレンダーへと視線を移した。月単位の簡素なものだが、空白だらけだったはずの紙面には、いつの間にか小さな文字が点々と並んでいる。
「……来月の十二日に東京へ行く予定です。その日の夜でしたら」
『あ、そうですか。それではぜひお願いいたします。それで、今回の企画なんですが──』
通話はしばらく続き、具体的な話を詰めたところでようやく終わった。
スマートフォンをテーブルに置き、拓真はカップを手に取る。中身はすっかり冷めきったコーヒーだったが、そのまま口に含む。苦味が舌に残り、遅れて現実感が胸に沈んでいく。
「東京……か」
呟きは誰に聞かせるでもなく、静かな部屋に溶けた。
この世界の日本では、首都は京都に置かれている。
もっとも、それは名目上の話に近い。国会と行政府が集められてはいるものの、街に満ちる空気は驚くほど落ち着き、いわゆる「首都」の喧噪は希薄だ。千年の都は今も変わらず、権威を抱え込みながらも、あくまで抑制された呼吸を続けている。
真に膨張を続けた都市は、大阪である。
商業の中心として磨かれ続けたこの街には、巨大企業の本社ビルが林立し、昼夜を問わず人と金と情報が流れ込む。欲望が可視化された街──拓真には、そんな言葉がしっくり来た。
そして東京。
徳川家康が基礎を築いた都市計画は、その後の豊臣政権に引き継がれ、江戸は直轄地として徹底的に整備された。百年に及ぶ開発の過程で、全国各地から人々が集い、街はゆっくりと、しかし確実に膨れ上がっていった。その結果生まれたのが、世界有数の大都市、東京である。
大阪が経済の心臓部だとすれば、東京は文化の脳髄だった。
芸術、学術、娯楽、思想──あらゆる潮流がここで混ざり合い、やがて全国へと発信されていく。かつては京や大坂の名を仰ぎ見ていた都市が、今ではその両者を凌ぐ存在感を放っている。
人口は一千万人を超え、日本最大の都市であることに変わりはない。
だが、拓真の記憶にある「東京都」とは、決定的に違っていた。人と人とがぶつかり合うような混沌は影を潜め、街路は整い、空気は清潔で、秩序が隅々まで行き渡っている。巨大でありながら、どこか理性的な都市──それが、この世界の東京だった。
この三都市の関係性は、よくアメリカに例えられる。
京都はワシントンD.C.、大阪はニューヨーク、そして東京はロサンゼルス。
その比喩を思い浮かべるたび、拓真は微かな違和感を覚える。確かに似ている。だが同時に、この世界は、彼がかつて知っていたどことも違う場所なのだ、と。
*
拓真は仕事の関係で、月に一度か二度は東京を訪れている。
考えてみれば、縁もゆかりもない世界へ放り込まれた身にしては、ずいぶんと慌ただしい生活だ。新幹線の窓を流れていく整然とした街並みを眺めるたび、ここにいる自分のすべてが、どこか他人事のように思える。
救出された直後、病室の天井を見上げながら、拓真は記憶喪失を訴えた。
身元照会が行われたが、結果は決まっている。名前も戸籍も、過去の痕跡すら、どこにも存在しない。脳の損傷を疑われ、精密検査が繰り返されたが、医学的な異常は何一つ見つからなかった。
原因不明──その四文字が、彼の存在そのものを宙吊りにした。
退院後は支援団体の世話になり、半年ほど東京郊外の施設で暮らす。
規則正しい生活の中で、高卒資格の認定を取得し、この世界の歴史や常識を一から学び直す。教科書をめくる指先の感触が、少しずつ現実感を取り戻させてくれた。
その一方で、拓真は龍仙寺衆について調べ続けていた。調査の延長線上で知り合ったのが、佐和山歴史資料館の村上主任だ。
この世界において、龍仙寺衆は紛れもなく人気コンテンツだった。
一五九八年、突如として現れた工藤広真によって組織され、一六〇〇年の関ヶ原の戦いで西軍を勝利へ導いた伝説の集団。その戦いで広真は討ち死にし、龍仙寺衆は泰平の世をもたらした象徴として、半ば神話の域にまで押し上げられた。
拓真自身としては、正直、居心地が悪い。
映画、ドラマ、小説、マンガ──あらゆるメディアで龍仙寺衆は描かれ、そのたびに工藤広真役には「今いちばん勢いのあるイケメン俳優」がキャスティングされるのが、お約束になっていたからだ。
「俺……こんなカッコいいヤツだと思われてんの……?」
最近公開された映画を観たときは、文字どおり顎が外れそうになった。
さらに追い打ちをかけるように、とあるゲームで工藤広真が女性キャラクターとして登場しているのを知り、拓真は思わず天を仰いだ。
歴史がどれほど変わろうと、日本人のこういうトコロだけは変わらないらしい。その事実に、妙なところで感心してしまう自分がいる。
ともあれ、世間の龍仙寺衆への関心は衰える気配がない。
高い知名度とは裏腹に、その実態がほとんど解明されていないからだ。関ヶ原の戦いまで隠密活動を徹底していたこと、そして戦後間もなく龍仙寺が火災で全焼してしまったこと。この二つが、決定的な資料不足を招いている。
その結果、現在に至っても、龍仙寺が実際に存在した場所すら特定できていない。
そんな謎に満ちた状況の只中へ工藤広真──工藤拓真、その本人が、時を越えて現れてしまったのである。
拓真が最初に打った手は、研究論文の発表だった。
国立歴史研究所が一般から公募している研究論文にエントリーし、結果は──表彰。控えめに言っても、出来過ぎた成果だった。
テーマは、長らく謎とされてきた龍仙寺衆に関する一つの仮説。
だがそれは、仮説という名を借りた「正解」に近いものだった。もっとも、用いたのはあくまで現存する一次史料のみ。後世の伝承や推測には踏み込まず、エビデンスが明確に取れる範囲に論点を絞っている。それでも、専門の研究者でさえ見落としてきた史料同士の関連性がいくつも示され、審査員の目を引いた。
発表の知らせを受け取ったとき、拓真はしばらく画面を見つめたまま動けなかった。
胸に込み上げてきたのは喜びよりも、静かな確信だった。
──通じた。こちらの世界でも、理屈は裏切らない。
工藤拓真という名は、瞬く間に業界へ広がっていった。
なぜ彼がそこまで踏み込んだのか。その理由は、本人にとってはきわめて現実的だ。龍仙寺衆の研究者として認知されれば、一般には公開されない資料や、限られた研究者しか触れられない領域へと手が届くようになる。知的好奇心などという生易しいものではない。必要なのは「資格」だった。
そしてその効果は、期待以上にあった。
研究者としての存在感は急速に高まり、学会や研究会の名前が自然と彼のもとへ集まるようになる。そして同時に、別の色を帯びた視線も向けられるようになった。
記憶喪失という来歴。
龍仙寺衆に異様なまでに詳しい知識。
あまりに出来過ぎた偶然は、人の想像力を刺激する。
好事家の間では、囁き声が広がり始めていた。
──工藤拓真は、龍仙寺衆の創設者、工藤内匠頭広真の生まれ変わりではないか?
「まあ、本人ですってより、生まれ変わりの方がよっぽど説得力あるか……」
オカルトめいた噂に、拓真は苦笑するしかなかった。
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