合わせ鏡の怪
「ええっと、確かこうすればいいんだっけ?」
深夜2時45分、僕は1人暗い部屋の中で、鏡を2つ合わせる。辺りには、どこか妻のいた面影がある。
「これで、いいのか?」
これで、妻が戻ってくるなら―
15時間前、汚い机の上で昼飯を食べながらいつものように、自分に降りかかる罪悪感から逃げるようにネットサーフィンをしていた時のことだ。
「人を、蘇らせる方法…?」
なぜだろう。今自分は最も欲しいものが手に入るというのに、恐怖で体が震える。
頭ではわかっている。死んだ人間は蘇らない。でも。それでも。一か八かで頼ってみることにした。
僕は、自分を洗脳するように書いてあったことを声に出して読んだ。
「"準備"
深夜3時までに、鏡を2つ、どんな大きさでも良いので合わせ鏡の状態にしておく。鏡と鏡の間は10〜15cmにしておく。鏡は2つとも同じ大きさ、同じ形が良い。」
「"儀式"
上記の状態になっているのを確認し、深夜3時になるまで待つ。深夜3時になったら、鏡の前に立ち、蘇らせたい人の名前を呼ぶ。この際、その人のフルネームと共にいた記憶が必要となる。そして、この行為は3時1分になる前に終わらせないといけない。」
そのサイトにはこれしか書いていなかった。
本当にこれで妻は生き返るのか?そもそもこれはやってもいいのか?
もうそんなことはどうでもいい。その時は、そんなことしか考えていなかった。
そして、今。
準備は完了した。あとは3時になるのを待つのみだ。たかが15分程度のはずなのに、すごく長く感じる。
10。もうすぐだ。
9。あと少しで、妻に会える。
8。
7。
6。
5。
4。
3。あぁ。あと数秒が待ち遠しい。
2。
1。ついにこの時が来た。
僕は合わせ鏡の前に立ち、妻の名前を叫んだ。
「安藤しおりを、蘇らせてくれ!」
すると突然、鏡が紫色に光り、耳鳴りがして、ひどい眩暈が襲いかかってきた。
なんだ?何か間違えてしまったのか?
さまざまなことが頭の中を巡りだす。
妻と初めて会った日のこと。妻との初めてのデートの日のこと。妻との短い新婚生活の日々。
妻が死んだ日―。
あの日、妻は、癌で入院していた。末期の癌で、いつ死んでもおかしくない状態だった。
その日の夕方に、妻は「ごめんね、私の分まで生きて。」と言って眠るように死んでしまった。
結婚してまだ1年も経っていなかった。
まだまだたくさん思い出を作って、幸せな家庭を築きたかった。妻にまた、会えるなら、なんでもやってやる。
「お前の望みを叶えてやろう。」
突然、頭の中で重っ苦しい声が響くと同時に、現実に引き戻された。
「だが、願いを叶えるには代償がいる。」
成功したようで一安心、まだきなさそうだ。
代償、か。今の僕は、妻が蘇るならたとえ何を失ってもいい。たとえ、命だとしても。
「と、いうと?」
恐る恐る聞いてみた。
「ずばり、世界中の人の記憶からお前に関する記憶が消える、だ。」
「それって、また会える、ということか?」
返事は返ってこなかった。
「代償を受け入れるか?」
僕は迷わず答えた。
「もちろん。」
頭の中が真っ白になる。
あの出来事があってからもう何ヶ月経っただろう。僕はまだ妻には会えていない。というか、会っていない。
妻にとって、僕はもう夫ではない。
妻には、いい夫を見つけて、幸せになって欲しい。
そんなことを思いながら、新しく就職した仕事場に出勤する。
家を出て、少し歩いていた時だ。突然、耳慣れた声で話しかけられた。
「あの、このお店ってどうやって行くんですか?この近くだと思うんですけど、私、方向音痴で道わからなくて。」
心臓の鼓動が早くなる。妻だ。確実に。
「こ、この道を右に曲がって、突き当たりまでまっすぐ行って左に曲がったところにあると思いますよ。」
「あ、そうなんですね!ありがとうございました!」
妻はそう言って立ち去って行ったのだった。