6.二人の旅路
私の前に、背中を向けてしゃがみ込んだヴァルの背中があった。
「どうした? ほら、遠慮せずに乗っかれ」
私は高鳴る胸を押さえながら、そっとヴァルの背中に身体を預けた。
私のお尻を、ヴァルが持つ剣が持ち上げる。
……直接触らないように、してくれてるのかな。
そのままヴァルは腰を上げて、私を軽々と背負いあげた。
私は――首に抱き着きたかったけど、身体をくっつけるのが恥ずかしくて、ヴァルの肩に両手を置いた。
「どうした? もっときちんと抱き着いておけ。
転げ落ちたらお前が大怪我をする。
恥ずかしがってる場合じゃない」
うぅ……そんなことを言われたら、断れないじゃないか……。
私は目をつぶって、自分の身体をヴァルの背中にくっつけて、両腕でヴァルの首にしがみついた。
――心臓、止まらないかな?! って、止まったら私が死んじゃうか! でもこのままじゃ、私の心臓の音、ヴァルにばればれなんだけど?!
余りの恥ずかしさで、私はヴァルの首の後ろに顔を押し付けていた。
ヴァルの明るい声が聞こえる。
「気にするな! 俺も気にはしない!
お前は初めて父親以外の男に身体を預けて、緊張しているだけだ!
それよりもしっかり掴まってろ! お前がバランスを崩すと、二人そろって転落だ!」
……楽しそうな声だなぁ。なんでだろう?
私は小柄だから軽いと思うけど、二人分の荷物の重さがある。
鍛えてたって、下り道は大変なはずなのに。
ヴァルは私を大事そうにしっかりと抱えながら、山道を慎重に下っていった。
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ヴァルデマールは自分の鼓動がアイリスに伝わらないか、ひやひやしながら山道を下っていた。
心を寄せる相手が、自分に恋愛感情を抱いている。なんと恵まれた状況だろう。
そんな少女が自分の背中に張り付いている。彼女の早鐘が伝わってきて、嬉しさが喉からこみあげて叫びだしそうだった。
だがアイリスはどうやら初恋らしい。
自分の心に訪れる、恋愛感情という衝動に心が翻弄されて、自分を見失っているようだった。
ヴァルは真っ直ぐアイリスを見つめ、見守るつもりで居た。
自分が思いを伝えるのは、アイリスが自分を取り戻してからで構わない。
ヴァルデマールが好意を伝えれば、今以上に彼女は心が翻弄されるだろう。
今はただ、彼女の心が成長するのを待つことにしていた。
背中に預かる、この世界で一番大切な存在を守るように、ヴァルデマールは一歩一歩、踏みしめながら山道を下った。
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ヴァルが告げる。
「もうここからは緩やかな傾斜だ。
自分で歩いて行けるか?」
私はおずおずと「うん、大丈夫だと思う」と応えた。
ヴァルがしゃがみ込み、私はようやく、早鐘を撃つ心臓をヴァルの身体から離すことが出来た。
「少し休憩しよう。俺も喉がカラカラだ」
石に腰を下ろして水を飲むヴァルの真似をして、私も少し離れたところに腰を下ろした。
緊張で喉が渇き切っていた。水を半分くらい飲んで、やっと一息をついていた。
――ああもう! なんて心臓に悪い!
私は火照った顔にも水を浴びせたかったけど、旅で水は貴重品だ。
ぐっと我慢して、赤い顔を隠すようにうつむいていた。
ヴァルが「さぁ、行くか!」と告げたので、私も頷いて立ち上がった。
二人で再び歩いて行く。
ヴァルの背中を、私が追いかける。
……あの広い背中に、さっきまで背負われてたのか。
筋肉質で、がっしりとしたヴァルの背中の感触を思い出し、一人で顔を赤くしていた。
不意に、ヴァルが「止まれ」と鋭く私に告げた。
私は足を止め、眉をひそめてヴァルに尋ねる。
「どうしたの?」
「お前、ここを動くなよ」
そう言って、ヴァルは荷物を下ろし、剣を抜いていた。
――剣?!
ヴァルが大きく声を上げる。
「それでも隠れてるつもりか! 三下共! 姿を現せ!」
その声に応えるように、あちこちの木陰から人相の悪い男性たちが、気持ちの悪い笑みを浮かべながら出てきた。
ヴァルがふぅ、と小さく息をついた。
「野盗が八人か。まぁなんとかなるだろう」
軽く言ってるけど、体格のいい大人が八人だよ?! 大丈夫なの?!
野盗の一人が、何がおかしいのか、ニヤニヤとしながら告げる。
「おやおや? お姫様の前で格好つけるつもりか? 坊主一人で、この人数を相手にできるとでも?」
お姫様? って、誰の事? そんな人、ここには居ないけど。
ヴァルが不敵な笑みを返した。
「殺気も隠せない雑魚が八人。どうとでもなるさ」
野盗たちが顔をしかめ、不機嫌そうに腰の剣を抜いた。
直後、ヴァルがあっというまに野盗の一人と距離を詰め、身体を縦に切り裂いていた。
驚く野盗たちに、次々とヴァルの剣が振るわれて行く。
なんとかヴァルの一撃を受け止める野盗も居たみたいだけど、二撃、三撃と繰り返すうちに、やっぱり切り倒されていった。
ヴァル、凄い強いんだな……
感心している私に向かって、ヴァルから一番遠い野盗が駆け寄ってきた。
その顔は必死の形相で、たぶん私を人質にして、ヴァルの動きを止めるつもりだ――そこまで考えが至った時、私の身体が勝手に動いていた。
野盗が叫ぶ。
「女! 大人しくしろ!」
「おとといきやがれぇ!」
私を捕まえようとした野盗の手をかいくぐり、私のぐーぱんが下から野盗の顎を捉えていた。
殴られた野盗は空高く跳ね飛ばされ、付近の木よりも高く打ち上げられた。
そのまま哀れな野盗は、地面に落下して鈍い音をあたりに響かせた――どうやら、石の上に落ちたらしい。
あー、びっくりした!
私が息を整えていると、ヴァルが野盗の状態を確認してから、私の下に戻ってきた。
「あれは駄目だな。助からん」
そっか、ちょっと可哀想なことをしちゃったけど、盗賊に情けをかけてると、こっちの身が危ないからなぁ。
ヴァルは剣から血を払って鞘に納め、荷物を背負い直した。
「お前、やっぱりとんでもない力があるんだな」
私は小首を傾げた。
「なんでだろうね? 普通に力を込めても、あんなことにはならないはずなんだけど」
私の全力がいつもあんな馬鹿力だったら、生活に困ること請け合いだ。
でも普段はあんな力が出ることもないみたいだった。
これは、何か特別な力なのかなぁ?
私が小首を傾げていると、ヴァルがフッと笑った。
「エウティミア様が、それは『聖女の力』だと言っていた。
おそらく、お前はまだそれをつかいこなせていないのだろう。
だが陛下の時も、今も、お前の身に危険が及ぶと発揮されるように思う」
あー、危ないときには、とっさに聖女の力が出ちゃうってことか。
私が納得して感心していると、ヴァルが私に「行くぞ。もう山を抜ける」と告げて歩き出した。
私はまた、その背中を追いかけるように歩いて行った。
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夕闇が迫る頃、私たちは村に辿り着いていた。
ヴァルが「今日はここで一晩過ごす」と告げた。
私は小首を傾げた。
「どこで過ごすの? 宿屋なんて、ないでしょ?」
「民宿がある。そこに夫婦として一部屋を借りる」
そっか、また夫婦なのか。
私は気恥ずかしくて、赤くなってうつむいていた。
「フッ、そんなに緊張するな。夫婦として宿泊するのは、二度目だろう?」
いや、そりゃそうなんだけどさ。
私はヴァルの背中を追って、民宿に向かっていった。
民宿の奥さんは、とても気さくな人だった。
「あらまぁ、久しぶりの旅人ね! 食事はもう間に合わないけど、お酒で良ければ出せるわよ?」
ヴァルは少し考えてから頷いた。
「では少しだけ、酒を頂こう」
奥さんは喜んで食卓に招いてくれた。
ダイニングにはテーブルが二つあって、民宿の主人と奥さんが大きいテーブルで、私たちが小さいテーブルに着いた。
民宿の主人がヴァルに告げる。
「随分と若い夫婦だな。どこまでいくんだ?」
「モーゼンベルクだ。あそこに故郷がある」
「あ~それなら気を付けときな。最近、ここいらには野盗がうろついてるらしい。
八人組で、手強いそうだ。もし出会ったら、大人しく荷物を渡した方が良い」
八人組……それってもしかして……
「ねぇヴァル? それってさっきの人たち?」
ヴァルが不敵な笑みで頷いた。
「たぶんな――おい親父、八人組の野盗なら、さっき切り捨てておいた。
そいつらのことなら、もう心配はいらん」
民宿の主人と奥さんは、目を見開いてヴァルを見つめていた。
「……嘘だろ。あんたみたいな子供が? 何人もの旅人が襲われて、命を落としてるんだぞ?」
「ま、これでも剣術には自信があるんでな」
民宿の主人はとっても喜んで、おごりだと言ってヴァルにお酒を注いでいた。
ヴァルも渋々、そのお酒を受けて飲んでるみたいだった。
私は旅の保存食を食べながら、水を飲んで様子を眺めていた。
食事が終わる頃、ヴァルがふらりと立ち上がった。
「俺たちはもう寝る。酒、ごちそうさん」
部屋にふらふらと歩いて行くヴァルの肩を、私は慌てて支えた。
「ヴァル! 危ないよ! 大丈夫?!」
「あー、俺は酒に弱くてな。だがもう、あとは寝るだけだ。問題ない」
いや、足元がおぼついてないんだけど……。
私は部屋までヴァルを運んで、壁際に腰を下ろすのを手伝った。
すでに半分寝ているヴァルに毛布をかぶせ、ようやく私は一息ついていた。
「ふぅ。世話が焼ける人だなぁ」
私も寝不足で、もうフラフラだ。そのまますぐにベッドに入り、すとんと意識を手放した。
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翌朝、朝日で目を覚ました私の前に、ヴァルの顔があった。
……なにごと?
頭が理解を拒絶するけど、目の前至近距離にヴァルの顔があった。
――同じベッド?!
その朝、絶叫が村に木霊したという。




