49.許容量
私は慌てて声を上げる。
「ちょっと待ってください! 私はヴァルの恋人で、その、あ、愛し合ってるんですよ?!」
まださすがに、人前で『愛し合ってる」というのは照れがある。
顔が火照ってしょうがない。
ヴァルも不機嫌そうな顔でロニーさんに告げる。
「兄上、譲れるものと、譲れないものがあります。
アイリスがどちらかなど、言うまでもないでしょう?」
ロニーさんは余裕の笑みで告げる。
「それを選ぶのはアイリスだ。
お前たちが婚姻するとしても、聖王国をなんとかしてからだろう?
ならばそれまでに、アイリスの心を私に向かせればいい」
ディートリヒさんが深いため息をついた。
「……ロニー、いい加減にしなさい。
それはお前の悪い癖だ」
悪い癖? どういうこと?
ベルタさんが苦笑しながら、私に向かって告げる。
「ロニーは昔から、ヴァルのものをよく欲しがるのよ。
だから今回も、ヴァルの恋人を欲しくなっただけでしょう。
気にしなくて良いわよ」
だけどロニーさんが声を上げた。
「それは違う! 私のこの心は本物です!
変な誤解はやめて頂きたい!」
ちょっと怖いくらいの剣幕で、ロニーさんが叫んでいた。
私が思わず首をすくめていると、アドレンガーさんが笑い出した。
「ははは! 兄弟で一人の女を取り合うか!
中々に波乱の人生を歩んでいるな、アイリス」
「笑い事じゃないですよ?!」
ロニーさんを止めてよ、アドレンガーさん!
アドレンガーさんが笑いやみ、ロニーさんを見た。
「――まぁ、落とせると思うならやってみるがいいさ。
そして身の程を知ると良い。自分の器ってものをな」
……? どういう意味だろう?
ロニーさんは顔をしかめ、席を立った。
「気分が優れないので失礼する」
そのまま足早にサロンを出て行ってしまった。
私はぽかーんと口を開けて、ロニーさんを見送っていた。
「……なんだったの?」
ヴァルが小さく息をついた。
「母上が言ったとおりだ。
兄上は俺のものをよく欲しがる。
俺も、譲れるものは譲ってきた。
だがアイリスはそうじゃない。絶対に譲るものか」
「私だって! 『はいどーぞ』なんて言われたら、聖女パワーで『ぐーぱん』をお見舞いするぞ?!」
ぐーぱんだぞぐーぱん! 本気だからな?!
アドレンガーさんがクスクスと笑っていた。
「まぁ、今のお前たちなら心配あるまい。
ヴァルの兄という話だが、人の器が小さい男だな。
――おっと失敬、両親の前で言う台詞でもなかったな」
ディートリヒさんが苦笑を浮かべた。
「いえ、お恥ずかしい話ですが、ベルガー伯爵のおっしゃる通りでしょう。
あの子があのままなら、この家はヴァルに継がせるつもりです。
魔法学院で成長して帰ってくることを期待していましたが、あの子は変わりませんね」
……え、お兄さんなのに、家を継がせないの?!
そんなにだめな人なの?!
驚いている私の手を、ベルタさんが握った。
「あなたは何も気にしないで。
大切な戦いの前ですもの。
ゆっくりと心を休めてちょうだい」
「はい……」
その後の夕食も、ロニーさんは姿を見せなかった。
私はどことなく気まずい気分で食事を済ませた後、アドレンガーさんを呼び止めた。
「ちょっといいですか?」
アドレンガーさんが私に微笑んだ。
「なんだ? 愛の告白か?」
「違います! ……ちょっと聞きたいことがあって」
アドレンガーさんは私を見つめた後、頷いた。
「いいだろう、サロンにでも行こうか」
****
ロニーは一人、部屋で食後のワインを口にしていた。
ヴァルデマールと違い、ロニーは酒が強かった。
見た目もヴァルデマールより優れている自負があったし、能力においても勝っている自負がある。
所作も貴族として恥ずかしくないものを身につけていたし、交友関係も広い。
彼に使えない魔法も、魔法学院で習得してきた。
だというに、両親がヴァルデマールを見る目には、期待が込められていた――家を継ぐ者への期待が。
ヴァルデマールの周囲には、なぜか人が集まった。媚びもへつらいもせず、己を貫いたまま様々なものを手に入れてきた弟だ。
ロニーは怒りのままにワイングラスを壁に叩き付けた。
ゆっくりと赤く汚れていく壁紙を見つめながら、そこに一人の少女の姿を重ねていた。
****
私はアドレンガーさんに、ロニーさんとどう付き合ったら良いのかを相談していた。
「ああいう人に会ったことがないから、どうしたらいいのかわからないんです」
それまで黙って紅茶を飲んで話を聞いていたアドレンガーさんが、私に告げる。
「ああいう手合いは、嫉妬心が極端に強く、自己中心的だ。
『付き合おう』などと思うと振り回されて、お前が疲れ果てるだろう。
突き放すぐらいでちょうど良いと思っておけ」
突き放しちゃうの? ヴァルのお兄さんなのに?
私が困惑していると、アドレンガーさんが優しい口調で告げてくる。
「人間には許容量というものがある――つまり、限界があるんだ。
お前はその限られた容量を、優先順位を付けて割り当てていかなきゃならん。
お前がパンクをすれば、お前が不幸になる。
お前が不幸になれば、お前を愛する者も不幸になる。
自分の手のひらに載せられる分量というものを、きちんと見定めろ」
許容量……見定める……。
アドレンガーさんが続ける。
「自己中心的な人間に付き合うと、その許容量を大きく食われる。
お前がヴァルよりもロニーを優先した人生を送りたいと思うなら、正面から向き合ってやれ。
そうではないと思うなら、奴とは距離をとるんだ。
それが許容量をコントロールする生き方であり、お前の幸せを考えた生き方だ」
「……ヴァルのお兄さんでも、距離をとらないといけないんですか?」
アドレンガーさんが頷いた。
「あの男があのままである限り、そうした方が良い。
あいつは他人を傷つけてもなんとも思わない男だ。
たとえこの家の中であっても、奴に対して油断をするなよ」
そんなに言われるほど、ロニーさんは悪い人なのかな?
私がうつむいて考えていると、アドレンガーさんが立ち上がった。
私の肩を優しく叩いて「あとは自分で考えてみろ」と告げ、サロンを去って行った。
****
夜になり、ベッドに入ってもなんだか眠れなかった。
アドレンガーさんが言ってたことは、頭では理解ができる。
だけど心がもやもやとして、納得してくれなかった。
家族の中に、距離をとらなきゃいけない人が居る――そんな家が、本当に幸せなのかな。
なんだかそれは間違ってる気がする。
だけど多分、私はロニーさんに向き合う許容量なんて持ってない。
私のほとんどは今、ヴァルと聖女の責任で占められてる。
そこにヴァルより大きな人が割り込む余地なんてないだろう。
ふぅ、とため息をついた。
「そんな人に言い寄られて、どうしろってのよ」
ぼんやり考え込んでいると、コツンと窓が音を鳴らした。
……風に飛ばされた石でも当たったかな?
しばらくして、ガチャっと窓の鍵が開く音がして、窓が開け放たれた――なんで勝手に?!
驚いて飛び起きるとそこには――爽やかに微笑むロニーさんが居た。




