第四話 市井調査
あくる日。
鈴明は珍しく市井を歩いていた。
──奏明と共に。
勿論、奏明は髪を黒く染め、民衆に溶け込めるような服装をしている。
だが。
(全っっっ然、溶け込めてませんけどー!!)
変装したところで、溢れ出る気品と整った顔立ちは隠せていない。
街を行き交う人々がちらちらと奏明を見るのを横目に、鈴明はハラハラしながら隣を歩く。
「どうした? 鈴明」
「えっ、あ、いえ……じゃない、ううん、なんでもないよ、兄上」
「そうか。あ、あちらで茶を頂こう」
奏明は気分良く出店へと向かう。
そんな奏明を目で追いながら、鈴明はどうしてこうなったかを思い返していた。
遡ること一刻前。
朝、いつものように皇貴妃のところへ向かおうとした鈴明だったが、朱花宮の入り口のところで官吏に呼び止められた。
その官吏は李白という男で、表向きはただの武官だが実際は奏明の右腕として暗躍している。鈴明は皇貴妃のところで奏明とお茶している最中、何度か顔を合わせたことがあった。
「鈴明、陛下が今日は自分のところへ来るように、と仰せだ」
「え? ですが、皇貴妃様の護衛は……」
「本日は別の者がついている。着いてこい、こちらだ」
鈴明は訳がわからないが、とにかく李白ならば嘘を吐かないだろうと大人しく着いて行った。
そうして着いた先が、奏明が暮らす黒楓宮。
その中の一室に案内された鈴明は、奏明を待つ間不安に駆られていた。
(なんだろう……私なにか粗相を? でも昨日も普通の1日だったし……)
そう思いながら待機していると、目の前の戸が開いた。
「おはよう、鈴明。朝に会うのは不思議な感じだな」
「お、おはようございま──す!?」
鈴明は吃驚して目を見開く。
目の前にいるのは確かに奏明だ。しかし、髪が黒い。服装も市井の人々のようだ。だが、目はいつもの綺麗な碧眼だし、顔もそのままだ。
「い、一体どうされたのです? そのお髪といい、服装といい……」
「はは、なに。ちょっとした変装だ。鈴明、市井に共に行こう」
「え!?」
驚く鈴明に向かって、奏明はニコニコとしながら言った。
「今日は市井を調査しに行く」
そんなことを思い返してるうちに、奏明は2人分のお茶を買っていた。
「ほら、鈴明。あそこに座って飲もう」
「う、うん。ありがとう」
2人は道端の石に腰掛ける。
市井にいる最中は、兄妹という設定になっている為敬語も禁止だ。鈴明はこんな美形な兄と普通の妹の兄妹なんている? と疑問に思っているが、鈴明もなかなかの美人なので美形兄妹で罷り通る。
「ねぇ、兄上、今日はなにを調べるの?」
「そうだな。物価と市民の様子、あとは──」
「きゃー、泥棒よ! 誰か、誰かー!」
女性の叫び声がした方に顔を向けると、猛スピードでこちらの方へ走ってくる男が見えた。その手には女性のものらしき巾着袋がある。
鈴明はすぐに戦闘態勢に入った──のだが。
「鈴明、下がっていろ」
「えっ?」
奏明が一歩前に出ると、次の瞬間、男が宙を舞った。
ドサッという音を立てて地に伏す泥棒。
なんと奏明は、一瞬のうちに男を背負い投げしたらしい。
「ふぅ、まだ泥棒がいたとは……。私の力もまだまだだな」
そう言って泥棒から巾着を取り上げ、追いかけてきた女性へと手渡す。
「怪我はありませんか」
女性はあまりに整った顔立ちの男性に話しかけられ、ぽーっとしながら巾着を受け取る。
「あ……ありがとうございます……」
「いや。では」
奏明はそう言って鈴明の方へ向かってくる。
鈴明も、あまりに格好良い姿を見せられて内心ドキドキであった。
「? 鈴明、顔が赤い。熱でもあるのか?」
そう言って奏明は鈴明のおでこと自身のおでこをコツンと当てる。
「〜@&¥!」
鈴明はあまりの顔の近さと、金木犀のような落ち着く香りに、卒倒しそうになった。
ふらりと後ろに倒れかかった時、奏明は鈴明の背中に手を回して支える。
「おっと。大丈夫か? そこの宿屋で少し休ませてもらおう」
「あ……いえぇ!?」
奏明は鈴明を軽々と持ち上げる。
俗に言うお姫様抱っこだ。
「お、下ろしてください! 私は大丈夫──」
「敬語」
「っ、大丈夫だから、下ろして」
「本当に大丈夫か?」
「う、うん!」
奏明は鈴明をじっと見つめた後、ゆっくりと地面へ下ろす。
地に足ついた鈴明は、ホッと息を吐く。
そして心配そうに見つめる奏明を見て、冗談めいた風に言う。
「もう、私子供じゃないんだから、熱くらい自分で分かるよ!」
「そう……か、そうだな。鈴明は立派な女性だったな、すまない」
奏明はハッとした顔をし、思う。
(鈴明をいつまでもあの小さい子供のように扱っていたが……抱き止めた時、不覚にもドキリとしてしまった。気をつけなければ)
奏明がそんなことを考えているとは露知らず、鈴明は必死に赤くなっているであろう顔を鎮めていた。
この時、奇しくも2人の思考は一致していた。
(どうせ叶わぬ恋だから)
(朕の妃など嫌だろう)
((好きになってなどいけない──))
その後、2人の間には少し気まずい空気が流れたが、色んな出店に入り、皇貴妃へのお土産を買ったりなど、まるで兄妹というより恋人同士のような時間を過ごした。
帰る頃にはすっかり暗くなり、星が綺麗に瞬いていた。
「鈴明、今日はありがとう。おかげで良い1日であった」
「こちらこそ、色々とありがとうございました。楽しい市井調査でしたね」
「調査……? あ、ああ。そうであったな」
鈴明との時間が楽しすぎて、市井の調査という名目であったことをすっかり忘れていた奏明は、焦りながら頷く。
「その……また、市井の調査に付き合ってくれるだろうか?」
「はい、私で良ければ!」
即答した鈴明を見て、奏明は安心した。
「そうか。ではまた誘おう。では……と、その前に」
シャランッと音をさせながら、鈴明の髪に簪が挿される。
「え?」
「これはお礼だ。貰ってくれると嬉しい」
「えっ、でも……」
「気に食わなかったか?」
「いいえ! そんなことはありません」
「そうか。なら……受け取ってくれ」
「あ……ありがとう、ございます」
「ああ。では、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
奏明と別れた鈴明は、部屋に戻るなりすぐに鏡を見た。髪に挿さるは藤の花の簪。
「……綺麗」
男性から簪を貰ったことのない鈴明は知らなかったが、男性が女性に簪を贈る意味は『あなたを守ります』。
鈴明は夜が更けるまで簪を眺めては今日のことを思い出すのであった。