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殿! 山に向かう道は前途多難でございます!

 鬼角おづぬがクラースを発見したのは、梓森あずさもりの西の端にもう少しでたどり着こうとした辺りだった。

 随分と傷だらけ泥だらけだったので、どうやらケニッヒが言う「森に守られている」という言葉は嘘ではないにしても誇張ではあったのだろう。


「おう、無事か『あずねもん』」

「お、オドゥン殿! あずねもん?」

わらしみてぇなやつ、ってことじゃ。ま、死んどらんならええわ」


 言いながら鬼角は、来る途中で叩き伏せた羽族はあぴいの羽毛を払い落とした。臭くてあまり好きではないのだ。

 羽族はあぴいは鬼角の顔を覚えていられるほどの知能はないが、同族の羽毛を身に着けた者を襲うことはないという不思議な習性がある。

 同族を狩るほどの実力者だから近寄ってはいけないと思うのか、あるいは羽そのものを見て同族だと思っているのかは鬼角も知らない。

 ともあれ、梓森で活動するのに楽なので、鬼角は森に入るとまず最初に襲いかかってきた羽族はあぴいの羽をむしることにしている。

 クラースはまったくの無傷でここに現れた鬼角の様子には構わず、まずは自分の状況を訴えてきた。


「それはひどくないかいオドゥン殿! この森のハーピーはいったいどうなっているんだ!? 森の仲間たちが助けてくれたから何とか無事だけど、私は散々に追い立てられたんだぞ!」

「そりゃまあ、あいつらの根城がこの森じゃねえからじゃろ」

「えっ」

「あいつらの巣はここから南西の岩山じゃし。餌場としてここを縄張りにしとるみたいじゃな。おつむも良うないけん、わしらがどんだけ脅してもしばらくしたら戻って来よる。まあ、生きとるだけ良かったと思うとけ。わたぁ突っつかれてたら首だけ持ち帰ることになっとったんじゃからな」

「何だいその言い方」

「帰ったら馬夢ばむ殿と霧名ぎりな殿、城戸きど殿に感謝せえよ。本来なら貴様きさンのことは見捨てとった」


 バムンジーが大瀬戸出口入道の孫娘でなければ。ケニッヒやキドが角亀藩の者たちと積極的にかかわろうとしていなければ。おそらく鬼角もこの場にはいなかったはずだ。


「見捨てた!?」

「そうなるのう。いくら待っても誰も来やせん。ここでこのまま野垂れて死ぬか、羽族はあぴいどもの餌になるか、誰も来なくて先に進んで殺されるかのいずれかじゃ。馬夢ばむ殿が一緒に来とらんで助かったわ」

「何故だ!? この辺りで待っていれば誰か通るはずだろう、ここから連れ戻すよりは山へ連れていくと判断したんだ! 何故私が見捨てられなくてはならないんだ!?」

羽族はあぴいどもの相手は面倒だからよ。わし以外は北西の大欠原おおかきばらを通って蜥蜴頭りざあどの縄張りを通らせてもらうことになっとる」


 ばっさりと言い切られて、クラースが絶句する。

 鬼角はひとまず言いたいことは言い終えたので、クラースの目立った傷に軽く手当を施した。腰に提げていた道具袋から膏薬とさらしを取り出し、塗りつけて巻きつける。


「よし、これで少しは痛みも治まるじゃろ。ついてぃ」

「うっく……」


 鬼角が客扱いを明確に止めたのを察したか、クラースは苦い顔で立ち上がった。

 ちらりとその様子を見てから、鬼角は西に向かって歩き出す。


「え、そっちは」

「水鏡山に行きてぇんじゃろが。仕方ねぇから死なない程度に面倒は見てやる。諦めて戻るってんなら一人で戻れ。ここまで一人で来られたなら、帰りも一人で帰れるじゃろ?」

「そ、そんな」

「どっちも嫌ならあとは好きにせぇ。わしは水鏡山で條武郎じょうぶろうと合流せないけん。あずねもんにこれ以上手ぇかける気はねえよ」


 鬼角はそれだけ告げると、返答は聞かずに進み始めた。クラースはしばらく逡巡していたが、鬼角が本気だと察したのか何も言わずに後ろについてくるのだった。


***


 大欠原は角亀藩の周囲で唯一、そこで武勲を上げた者や死んだ者の名がついた土地ではない。

 死に過ぎたからだ。

 かつて、大欠原は猪頭おおくの巨大な縄張りだった。猪頭おおくは極めて旺盛な繁殖力を持っており、角亀藩がこの地に飛ばされた時には北西と南が猪頭おおくの版図だった。あるいは角亀藩のあった場所も元は彼らの縄張りだったのかもしれない。

 角亀藩はこの地に来てからおよそ五十年近く、北西と南の猪頭おおく犬頭こぼると小鬼ごぶりんへの対応に追われた。

 大欠原と呼ばれた地で猪頭おおくとの一大決戦に及んだのは、四方を敵に囲まれている状態をどうにか打破したかったからと伝わる。

 猪頭おおくの群れと戦い、その頭目らしき者を討った時には、角亀藩の被害はそれほどではなかった。このまま連中を平原から追い払おうと、追撃にかかった直後。

 横合いから、見たこともない種族が襲い掛かってきたのだ。

 今でこそ蜥蜴頭りざあどと呼ばれている化生もんすたあは、角亀藩の者も猪頭おおくも構わず殺し、その死体を運び去った。

 どうにか藩に逃げ戻った角亀藩の生き残りたちは、その平原をいつからか大欠原と呼ぶようになる。

 そして、大きく数を減らした北の猪頭おおくは細々と平原の一部で命脈を繋ぐことしか出来なくなり、猪頭おおくという緩衝材を失った角亀藩は、北西に今度は蜥蜴頭りざあどという難敵を抱える羽目になったのだった。


***


 鉄之進を大将とした一団は、大欠原を抜けて巨大な河の近くを水鏡山に向かって進んでいた。

 そんな鉄之進の顔色は極めて悪い。ちらちらと隣で不機嫌を隠しもしない副将に気を遣っているのは明らかだった。


「あ、あのう巽さま」

「なんじゃあ、鉄」

「や、やっぱり巽さまが大将になられた方が良かったのではごじゃりませんか」

「……ああ、気を遣わせてしもうたなぁ。わしゃ、鉄が大将であることが気にいらんわけじゃねえんよ」

「は、はあ」

「ったく、なしてあげな『小荷物』を連れにゃならんのか」


 ぶちぶちと洸次郎が不満を漏らしているのは、連れている一行の中にケニッヒとバムンジーがいるからだ。

 鬼角が飛び出してすぐ、洸次郎は義堂に事情の説明をした。ケニッヒとバムンジーも同行させたのは、クラースの保護者としてのことだ。

 事情を聞いた義堂は、何とも楽しそうに二人に提案したのだ。


――それは心配じゃろう。馬夢ばむ殿も霧名ぎりな殿も同道なさるとよろしい。何、洸次郎よ。この際じゃからお前もついて行くがええ。たまには藩の外に出るのもよかろうよ。


「殿も殿じゃ。あれはきっとその方が面白そうだと思ってのことに違いねえわ。若は殿のああいうところばっかり似てしもうたんやな」


 洸次郎の愚痴は止まらない。

 バムンジーとケニッヒの相手は、出発してからずっと條武郎の担当だ。先ほども、通ってきた大欠原の名前の由来などを説明していて和やかなものだ。

 二人の顔色が良ければ良いほど、洸次郎の不機嫌も増していくものだから始末が悪い。

 と、そんな一行に向かって走ってくる姿があった。

 蜥蜴頭りざあどではない。それよりももっと毛むくじゃらで、大柄な四本足の獣だ。


「なんぞ向かってきよるのう」

「あれは!」

「おお、前に一度だけ見たことがあるわ」

「群れや河からはぐれた子供の蜥蜴頭りざあどを狙うのだそうでごじゃいます。あれを一人で倒せると群れから勇者と呼ばれるのだとか」

「それも連中から聞いたんか?」

「はい。餌となる肉を譲れば、実に気のいい連中でごじゃいました」

「便利じゃのう。若が重用するわけじゃわ」

「そんな、巽さまほどではごじゃいませぬ!」


 洸次郎は鉄之進をその場に立ち止まらせると、一人だけ歩を進めて背中に担いでいた金砕棒を抜いた。

 鬼角と同世代の若衆の中では、巽洸次郎は鬼角の次に腕が立つと角亀藩の誰もが認めている。

 洸次郎の母である八重は、鬼角の乳母であった女性だ。洸次郎は敬愛する乳兄弟と同じものを食べ、同じ時を過ごし、同じだけの鍛錬をしたという自負がある。

 鬼角に次ぐ者であるのは自分でなければならない。

 故に。


「済まんのう。わしの八つ当たりに付き合うてもらうで」


 洸次郎は若衆だけでなく、角亀藩すべての者の中で鬼角に次ぐ者になることを常に己に課しているのだった。


***


 梓森を抜ければ、すぐに水鏡山に着くというわけではない。


貴様きさンが一人で森を抜けていたら、こいつらの餌になっとったわけじゃな」

「な、な」


 水鏡山と梓森の間に広がる荒野。

 そこには真っ黒な体毛のいぬが無数に棲みついていた。

 狗のような形をしているが、狗と断言していいのかは鬼角にも判断がつかない。まず大きさが人より大きいし、彼の知る限り狗というやつは口から火など吐かない。


「あれぁ火吐狗はいやはうんどというんじゃったか? 北の蜥蜴頭りざあどどもとは縄張りの境目辺りで互いを獲物にしとるようじゃが」

「ファイアハウンドだって? あれが?」


 クラースが首をぶんぶんと振った。

 何やら怯えた様子で荒野を見ている。最初からこれくらい警戒を見せていれば可愛げもあるんだが。いや、ないか。


「ファイアハウンドはもっと小さいし、あんな真っ黒じゃない! あれはもっと別のものだ!」

「ほぉか」


 鬼角はクラースの様子に構わず歩き出す。出来るだけ條武郎たちと早く合流したいので、少しばかり北寄りに進路を取って。

 と、クラースが慌てて鬼角に駆け寄ってきた。後ろから服を引いてくる。


「な、何考えてるんだ! あんな化け物どもがうようよしているんだぞ!?」

「なんぞ? 帰りたければ帰ればええじゃろ。引っ張んな、伸びるじゃろが」

「そうじゃなくて! 死にたいのか!?」


 ひどく慌てたその様子に、何を言いたいのかようやく理解した鬼角はゆっくりと首を横に振った。


「あいつらのう」

「何だよ!?」

「火ぃ吹くくせに、斬っても肉は焦げとらんのよ。いざ食ってみても筋ばってるばかりで食えたもんじゃねえけん、好んで狩りに来ることもないんじゃが」

「は、はぁっ!?」

「ほれ、あそこの見てみぃ」


 素っ頓狂な声を上げるクラースに、鬼角が指差した先。

 鬼角に向けて威嚇の唸り声を上げる仔狗を、親狗らしき大きな狗が押さえつけているところだった。縄張りに無遠慮に侵入する鬼角に怒りを見せる仔狗とは対照的に、親狗のこちらを見る目が明らかに怯えを含んでいる。


「こいつらは梓森の羽族はあぴいどもと違って賢くてのう。わしの顔を覚えとるようじゃわ。ま、通るだけなら襲っちゃくるめえ」

「あんた、こいつらに何したんだ?」


 見回せば、明らかに大人の個体ほど鬼角に対して強い怯えを示していた。

 当然と言えば当然のそんな疑問に、鬼角は特に隠すほどのことでもなかったので軽く返す。


「んぉ? 食いモンが足りなかった時にの、ちょいと大きな奴を仕留めて試しに食うてみただけじゃよ。こいつら群れよるで、ついでに何匹かちょいちょいとな」

「正気かよ、あんた」

「そうじゃのう。あんまり里の連中も美味いとは言わんかったけん、もうやらんよ。怯えとる連中はたぶん、そん時にちょいくら痛めつけたやつじゃろな」

「そういう意味じゃない!」

「ほぉか」


 言うべきことは言ったので、鬼角は再び足を進め始めた。

 視線が集中しているせいか、クラースはおっかなびっくりついてくるが、そのせいか少しずつ距離が開いてくる。


「ついてくるなら、あんまり離れんほうがええと思うぞ。わしには襲い掛かってこないじゃろうが、貴様きさンのことは別に怖がってはおらんわけで」

「っ! そういうことは早く言ってくれよ!」


 慌てて駆けてきたクラースが後ろから服を掴んできたので、鬼角は少し強めにその手を払った。


「じゃから掴むな。伸びる」


***


「……ふう。おし、進むとすっか」


 黒い獣の頭部を地面と混ぜ込んだ洸次郎が、後ろに待たせていた仲間たちに声をかける。

 ほぼ同時に、洸次郎の全身を強い充実感が満たした。

 体の中が変わっていく感覚。みちみち、ばきぼきと成長の音が耳に心地よい。


「おぉふ。れべるが上がったわ」

「お、おめでとうごじゃいます! 巽さま!」

「あんがとさん」


 腕を回せばぱきぽきと、首を回せばぐきぐきと。

 高揚する気分に任せて体を動かし、上機嫌に鉄之進に礼を言う。


「いや、素晴らしい腕前ですね。お見事でした」

「すげぇな。というか、何なんだこいつ」

「どぉも」


 だがそれも、ケニッヒとバムンジーが声をかけてくるまでのことだった。

 一気に機嫌が急降下したのが二人にも分かったようで、言葉を続けられずに口ごもる。

 それで何やら察したらしい條武郎が、横から洸次郎に問いかけてくる。


「ところで洸次郎殿、この獣は一体。前に何かで見たような気もしますが」

「そやね。若が二年前の冬に狩ってみえたアレ。ええと、火吐狗はいやはうんどやなかか? ここからじゃと南の荒れ地に住んどることになるかの」

「ああ、そうでした! 筋張っててあまり美味くもありませんでしたが、食い物が足りない時でしたので重宝しましたね」

「次はもうちょい美味いモンを狩ってくるて仰られてのう! そんなこと別に気になさらんでええのに」


 條武郎の言葉に、洸次郎の気分も一瞬持ち直しかけたのだが。


「ファイアハウンド? これが?」

「いや、そんな馬鹿な。こんなに禍々しい姿をしているはずが」


 続くバムンジーとケニッヒの呟きに、一気に吹き飛んだ。


「この辺りじゃあコレを火吐狗はいやはうんどと呼んどるんじゃ。なんぞ文句あるんか、あぁ!?」

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