殿! 角亀藩は屈強でござる!
バムンジーがようやく泣き止んだ頃に、ケニッヒが息を切らせて鬼角たちの所に姿を見せた。
鬼角が慣れない様子でバムンジーを落ち着かせようとあたふたするのを、周囲は随分と微笑ましいものを見る様子で眺めていた。
「恨むぞ、貴様ンら」
「若が飛び降りるからいけんのですよ」
「……次はもうせん」
呆れた様子で言い切る女性に、鬼角は拗ねたように唇を突き出してみせた。
だがそれ以上抗弁することもなく、集まっている武士たちに状況確認を始める。
「狼頭どもの数は」
「いつもとそう変わりませんなぁ。こちらもいつも通りでござる」
「おう。今日は客人も二人来とるけぇ、わしもちょいと気張るとするわ」
「おや、よろしいので?」
「父上からは特に手ぇ抜けとも言われとらんしな。それに、のう」
鬼角はにい、と口角を上げた。
殺意を吐き出したわけではないが、周囲の緊張感が張り詰める。
「望月ごときで我を忘れてここを襲う、ちうことはじゃ。連中は心の底じゃ角亀藩を恐れとらんてことじゃろ」
「そ、そうですな」
「わしゃ、仲良うするのは好きじゃが舐められるのは好かん」
そうじゃろ、と笑いかけると、周囲の者がごくりと喉を鳴らした。
「まあ、それにの」
鬼角は森の中から漂い始めた狂気じみた殺気の方に目を遣る。
空では月の色が濃くなってきている。月の光に正気を喪失しはじめたのだろう。
そんな狼頭の殺気を濃く塗りつぶすように。鬼角は闘気を解き放った。
「たまさかにゃあ本気出さんと、鈍るわ」
「各々がた! 若がご出陣じゃ! 不手際は見せられまいぞ!」
あちらこちらで、歓声が上がる。
鬼角もその歓声に、更なる大音声で答えた。
「いよぉし、弓持てぇ! 狼頭どもとひと戦じゃ!」
***
狼頭――ライカンの祖は異族である。数多種族と血を結び、子をなし、互いの特徴を残すことが出来る種族を異族と呼ぶが、彼らは信仰する調和神イスンの加護によってその言葉や文化を交流させることが出来た。
事実、人里には狼頭の種族である異族セリアンが繁栄している。ライカンはイスンの加護からも外れ、言葉の交流もできなくなりモンスターの一種として人里を追われたものである。
満月に我を忘れるほどに興奮する、獣の本能が捨てられなかった為である。セリアンも満月の夜には軽い興奮状態になるという特徴があるが、ライカンのそれは興奮などという生易しいものではなかった。
まさしく、我を無くすのだ。満月の夜にはその本能の赴くまま血と争いを求め、人や家畜を襲う。
いつしか彼らは、モンスターとして野を駆ける生活を送ることとなった。双子月が揃って満ちた晩に人里を襲うため、ほとんどの地域で討伐対象とされて徐々にその生息圏を狭めている。
彼らを嫌うのは何よりも祖を同じくするセリアンだ。ライカンが存在することで自分たちも嫌悪の対象にされることの多かったセリアンは、自分たちの理性と誠実を証明し続ける必要があった。
現在ではセリアンとライカンは似て非なる種族として周知されており、セリアンをライカンと呼ぶことは一等の侮辱表現として罪に問われる法も存在する。
***
煌々と二つの月が森を照らす。
角亀藩が『蘇我大森』と呼ぶこの森は、角亀藩の東側を囲むように広がっている。
この森を通って狼頭が角亀藩を襲うようになったのは、角亀藩がこの地に来てから百年ほどが過ぎたころだと伝わっている。
そのことから、狼頭たちもその頃にどこかの地から流れてきたものと思われるが、どうやら彼らは普段は蘇我大森のさらに東にある大平原を縄張りとして安定した生活を手にしているらしく、二つの月が望月となる夜以外には角亀藩に干渉してくることはない。
同時に、どうやら望月の夜に襲ってくる狼頭は群れの全部ではないらしく、どれほどの損害を与えても次の時には同程度の数で襲ってくるのだ。
「弓放てえ!」
「おう!」
この三百年余。東西南北に住まう化生から次々に襲われる生活を続けてきた角亀藩の藩士たちは、『他者の魂を材料に理外の成長を果たす現象』ことれべるあっぷを繰り返すこととなった。
弱い者は傷つき倒れ、男女を問わず一定以上の強さを持つ者が生き残る生活。
結果として生き延びてきた角亀藩の八千名は、幼い者であってもまた一端の武士である。
鋼交じりの強弓を引き、矢柄まで鉄で作った矢を放つ。叫び声のような音を上げて、無数の矢が樹上に潜む狼頭を射抜いていく。
「与八が当てたぞ!」
「やはり与八は当代一じゃ!」
与八こと上野暢為が放った矢は、ひときわ体の大きい狼頭の眉間を見事に突き通していた。
狼頭はどれほど我を忘れても、狩りに使う頭は非常に賢い。およそ半数が樹の上にて獲物を待ち、地上を駆ける半数と争っている間に頭上から落下して痛撃を与えるのだ。
猿の体と、狼の連携。森の中で群れをなす狼頭と戦うのは無謀とされた。
普通ならば、である。
「くっ……!」
「お客人、無理はいけんよ。なあに、心配いらん。樹の上の狼頭を落としたらしっかり働いてもらうけん」
ハイランダーのケニッヒが、貸し与えられた鉄弓を引くが矢はほとんど飛ばずに地面に落ちた。
彼に声をかけた鬼角よりも更に若いであろう角亀藩の少年は、ケニッヒが引いたものより小ぶりとは言え鉄弓を平然と引いているのだ。
侮ってのものでないと分かるだけに、ケニッヒは言い返すこともできない。
しかし、陣地と森にはかなりの距離がある。しかも樹上を狙うとなってはケニッヒが持ち込んできた弓では射程も威力もまったく足りないのだ。
「若ぁ!」
どっと歓声が上がった。見ると、鬼角が自分の背丈ほどもある大弓を次々と射っていたのだ。
与八ほどの巧さはないらしく、樹上の狼頭を一矢で仕留められてはいないようだが、その矢の勢いはかすっただけで地面に叩き落としてみせている。
「あらかた落としたかのう。刀抜けぇ!」
「応!」
鬼角の叫びに、皆が弓を置く。
刀を抜く者、金砕棒を持ち出す者、短めの槍をかつぐ者。それぞれが次に備えて動き出している。
「バム。君はどうする?」
「どうするって。ケニッヒ、あんたは?」
「そりゃあ、手伝うさ。弓はともかく、剣くらいは」
「あたしも行くよ」
ケニッヒは借りた刀をなんとか抜いた。バムンジーは槍だ。
二人はこの時点で、何となく角亀藩の者たちの特異性に気づき始めていた。
「子供に戻った気分だよ、バム」
「奇遇だな、あたしもだ」
「重いんだ、このカットゥーナ」
「ああ。爺さんの頃からそうなのかな」
接近戦では幅広の大剣を振り回すケニッヒが、刀の重さに愚痴をこぼす。
そしてバムンジーはバムンジーで、森を見て先ほどの決意が挫けるのを自覚する。
「あんな数と、ここの連中は戦っているのか!?」
呟くバムンジーの語尾が震えた。
月光に反射する、無数の眼光。
どれ程の数が森の中に潜んでいるのか。
そしてこちらには、それを笑い飛ばす鬼角がいるのだ。
「よおし、わしより多く首を落とした者にゃあ、秘蔵の酒を振る舞ってやるぞ!」
「若! 射落とした分も含んでくれぇ!」
「与八か! ええじゃろう、槍も名人だとわしに見せぇ!」
「応さぁ!」
先陣切って森に突っ込む鬼角と、それに続く武士たち。
そしてそれよりも少ない数の若者たちが、陣地に残っている。先ほど声をかけてくれた少年や、鬼角よりも年上に見える青年もいる。
「君たちはどうするんだ?」
「おれ達は、若たちを避けて入ってこようとする狼頭どもを討つんじゃ」
「わしらはまだまだ弱っちくて、森に入って戦うのは許されとらんで」
若者たちと森とを交互に見て、ケニッヒとバムンジーは困った顔をした。
「私たちはどうすれば」
「わしらと一緒にここで待つのがええよ。若に頼まれとる」
「え?」
「お客人は黒猪頭から逃げとったんじゃろ? それなら森に入るのは危ないって」
「オドゥン殿が」
既に森の中に入り込んでしまい、鬼角の姿がどこにあるかも分からない。
バムンジーの口から、思わずこんな問いが漏れた。
「オドゥンは、あの中でどれくらい強いんだ?」
「若かい? そりゃあ、言うまでもねえよ」
聞こえていたらしい若者たちが、満面の笑みで断言した。
「いっとう強えわ。角亀藩の中だけじゃねえぞ、世の中でいっとうな」
***
陀羅喇高地の化生は、その外に住む同族よりも遥かに強い。
出口入道と呼ばれたどわあふの言葉を思い出しつつ、鬼角はずんずんと森の中を進む。
「シャアッ!」
時折背後から飛び掛かってくる狼頭を、振り向きもせずに突き殺す。
切っ先で喉を突かれた狼頭の死体が、鬼角の背後にいくつも放置されている。
無用に言葉を上げることはせず、鬼角は油断なく視線を巡らせながら歩く。
「ジャッ!」
どうやら撃ち落としきれなかったらしい、樹上の狼頭が降ってくる。
一足だけ下がって、間合いを外された間抜けな獲物をゆっくりと観察する。
着地して、その勢いを借りて突っ込んできたその脳天に、渾身の振り下ろしを見舞う。
ズン、と地面が揺れた。
「キシャーッ!」
「グルガァッ!」
その瞬間を見計らったか、木々の間、左右の茂みから勢いよく飛び出してくる二頭。
鬼角は一旦刀を手離すと、牙を剥くその顔面に向けて両手を無造作に伸ばした。
「フゴッ」
「ガカッ」
上顎を握り潰されて狼頭が奇妙な声を上げる。
鬼角がそのまま虫を叩くように両手を振り抜けば、名状しがたい音を立てて、二頭の頭蓋が粉砕された。
「そろそろ出てくる頃合じゃと思うとったわ」
刀を拾い、鬼角はようやく口を開いた。
周囲では同じく森に突入した武士たちが、狼頭どもを当たり前のように次々と仕留めている。
鬼角は数狙いではなく、奥まったところにいるであろう大物を狙って進んでいたのだ。
『クルルルウ……』
銀色の毛並の、巨大な狼だった。
年経た狼頭は、いつしか人の姿を捨てて獣の姿に戻るという。
出口入道――バムンジーの祖父であるディグジー・オーセットが保護されてから帰るまでに残していった、化生どもの正しい名前と伝承の数々。
ディグジー自身も見たことがないものも多かったようだが、少なくともそのうちの一つが正しいことはここに証明されたようだ。
「大将首と見た」
刀についた脂を服の袖で拭い、構える。
狼も逃げるつもりはないのか、兇気に染まった目でこちらを見てくる。
鬼角が踏み込むのと、狼の巨体が跳ね上がるのはほぼ同時だった。
『クァッ!』
眉間を割られた狼は、多量の血をまき散らしながらそれでも動きを止めなかった。
大木の幹から幹へ飛び移り、徐々に加速していく。鬼角の周囲を縦横無尽に跳ね回る。
全力で逃げを打てば、あるいは逃げ切れるかもしれない。しかし、狼は鬼角に挑むと決めたようだった。
狼は声を上げなかった。音もなく幹を蹴り、その爪と牙で鬼角の命を掻き切ろうと飛び込んでくる。
鬼角は狼に視線を向けることもせず。
「討ち取った」
無造作に、そして無慈悲に。
狼の首を刎ねたのだった。
***
体内で命が膨れ上がる感覚。
いつものことだが、れべるが上昇すると強い高揚感を伴う。
変容が終わったのを確認して、小さく息をつく。満足感。
「うし、こんなもんじゃろ」
二桁の狼頭と、大型の狼を一頭。
十分な戦果だと満足し、鬼角は刀を鞘に納めた。首を失った狼の骸を背負い、切り離した首を抱える。
斬り捨てた残りについては後に回すことにして、鬼角は元来た道を戻り始める。
「若!」
ちょうど手槍で狼頭を突き殺した一人が、鬼角に気づいて嬉しそうな声を上げた。
「おう、怪我はねえか」
「ねえですよ! その狼は若が?」
「今日の大将首じゃ」
「はぁ、すげぇ!」
二人の会話を聞いて、周りに居た者たちが近づいてくる。誰も返り血に汚れてはいるが、怪我をした様子はない。
「他のはどうしたんです?」
「ん、そこらに落ちとるじゃろ。手が足らんから置いとる」
「いつものことじゃけど、日が昇ってからが大変ですな」
その言葉は、鬼角の倒した狼頭のことだけではない。
首は埋めて弔うが、首を払った後の体を片付けるのが憂鬱な作業なのだ。
そのまま腐るに任せると疫病の原因になってしまう。このまま日が昇れば、森のあちこちに倒れている首無しの狼頭が見つかることだろう。
「数が数だけにな」
「集めて焼くことを考えると」
騒がしい声はほとんど聞こえなくなっている。大方討ち果たしたようだ。
先ほどまでは嬉々として戦っていた角亀藩の面々だが、落ち着いてくると後の面倒に意識が向いて愚痴が出てきたらしい。
そんな仲間たちを見ていた鬼角は、ふと片付けの方法を思いついて笑みを浮かべた。
「別に焼く必要はなかろ」
「え?」
「鉄之進の手柄よ。大欠原向こうの蜥蜴頭共にくれてやればええ」
「ああ、連中そう言えば猪頭も食うんでしたな」
「狼頭は毛むくじゃらじゃから、嫌がるかもしれませんぜ」
「猪頭も負けずに毛だらけじゃし、心配いらんと思うぞ」
鬼角の提案にわいわいと騒ぎ出す一同。自分たちの意見をぶつけ合っているが、実際どうなるかは蜥蜴頭の反応を見ないと分からない。
森の中から殺気が感じ取れなくなったのを確認して、鬼角は今日最後の大声を張り上げた。
「よし、勝鬨を上げい!」