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殿! そのどわあふはもんすたあではございませぬ!

 ナズアレス大陸には、人族の手が届かない秘境が数多く存在する。

 そのひとつ、ダララッツ高地は人々より魔王領と呼ばれていた。

 獣面人身の異族やモンスターが住まい、その倫理は人族のものとは大きく異なる。当然意志の疎通など不可能で、何度か領土拡大を目指した遠征軍が侵攻したこともあったというが、一人として戻ってくることはなかったらしい。

 そんな場所だから、本当に魔王が実在するのかどうかも定かではない。巨大なブラックドラゴンや、個体が発見されるだけで軍隊が組織されるグレイスキンオーガが棲んでいるのは確実なのだが、不思議なことに彼らはダララッツ高地を出ようとはしない。人智を超えた統率力を持った何者かが従えているのだと、大陸に住む者たちは固く信じていた。

 実在も定かならぬ魔王の治める土地。誰が呼んだか『魔王領』は、現在ダララッツ高地のほぼ公式な通称だ。高地と名がついてはいるが極めて広く、ひとつの国ほどの大きさもある。

 いくつかの軍事国家がその広さに色気を出しては国力を無駄に損ない、最近では存在すら地図から抹消されていたこの高地が、にわかに注目を浴びたのは『住んでいる人族がいる』という噂が最近になって起きたからだ。

 ダララッツ高地は広く、多様な異族が縄張りを主張している。それぞれがそれぞれの倫理観で動くため、異族同士の衝突も絶えないという。その隙間を縫うように動けば、生還するのも不可能ではないという。

 実際、奥地までは入れなくても行って帰ってきた者はいる。軍隊という規模では戻れなくても、個人であれば戻る術があるのは皮肉と言えるだろうか。


「――そしてそこに住むという人族の存在。異族は総じて人族よりもレベルごとの身体能力上昇が大きい。我々はこの謎に迫るべく、魔王領に――」

「そんなことはいいから魔法の一発でも余計に放て馬鹿!」

「両方できてこその一流だと思うんだ、僕ぁ」


 吟遊詩人でもあるエルフのクラースがメモを片手に器用に魔法を放つ。背後にはブラッドオークの群れ。赤というよりは黒に近い肌の色は、血のようなと呼ばれるに相応しい外観だ。揺れる馬車の中では文字もぶれそうなものだが、その辺りを気にしている余裕はない。

 こちらを追いかけてくるのは、どうやら自分たちが彼らの縄張りに侵入してしまったかららしい。オークを語るときには必ずついて回る、女性を攫うという性質も持ち合わせているから性質が悪い。


「バムンジー! 馬を急がせろ! このままじゃ追いつかれる!」

「うるっさい! こんな悪路じゃこれ以上速くなんてならないんだよ!」

「そんなことを言ってもだな! もし追いつかれたら一番ひどい目にあうのは君なんだぞ!?」

「あいつらドワーフの娘にまで欲情すんのかよ!?」


 うげえ、と舌を出しながらも馬に鞭打つ回数を増やすドワーフのバムンジー。

 彼らのリーダーを務める、ハイランダーのケニッヒは弓を引き絞り、大きめのブラッドオークに向けて矢を放つ。

 特に上半身の膂力に優れたハイランダーの弓は、エルフのそれと比べて正確性で劣り威力で優る。本当は隣の変わり者の吟遊詩人にも弓を射ってもらいたいものなのだが、このエルフは頑なに魔法しか使おうとしない。両手で持つものは竪琴以外は嫌なのだそうだ。命が懸かっている場面でもその主張を変えないあたり、筋金入りだ。


「ねえ、バム! あれ!」

「……人!?」

「おお、人だ! この魔境に本当に人が居た!」


 馬車に乗っている最後の一人――ハーフトールのキドが最初に気付いて声を上げた。道などない草原のど真ん中で馬車を走らせられるのは、彼の魔法の効果によるところが大きい。今も草や石に車輪や馬の足を取られないよう、魔法の維持に集中していたのだ。先ほどまでいた森の中ではクラースがメモを片手に同じ役割を負っていたので、草原に出てからバムンジーのストレスは随分と軽くなっている。

 後ろを気にしつつ馬車を走らせていたバムンジーも、キドの言葉に目を見開く。

 草原の真ん中に、ぽつんと人が立っていた。噂は本当だったか。緊迫した現状にも関わらず喜ぶクラースのことは無視だ。

 そちらに向けて馬車を走らせる。彼が何者であれ、危険を伝えなくてはならない。


「おおい、そこの! オークの群れが来ているんだ! 早く逃げろ!」

「お?」


 厳しい目でこちらを見ていたその男は、バムンジーの言葉に驚いた様子だった。

 こりこりと頭を掻いて、しかし逃げる様子はない。


「何してるんだ! あの群れが見えないのか!?」

「なんじゃ、貴様きさンらその猪頭おおくを引き連れて来たんじゃねえのか」


 どうやら事情を理解したらしく、何やらぼやいているようだが、バムンジー達の耳には届かない。

 馬車を止めるわけにもいかず、その脇を走り抜ける。ケニッヒとクラースが驚きの声を上げた。


「バムンジー!?」

「分かってるよ! 突っ込むから手伝え!」


 ここが草原だったのが幸いした。馬の速度を極力落とさずに大きく回って、男を回収する。

 ブラッドオークの群れが彼を見逃す筈はないが、急げば急いだだけ彼の命が助かる可能性も高まる。

 あるいは、本当に彼がこの辺りに住んでいるのであれば、あれだけの群れから無事に逃れられる手段を持っているのかもしれない。

 ようやくのことで馬車を反転させたところで、バムンジーは異変に気付いた。

 ブラッドオークたちが追いかけてきていないのだ。

 引き離したのかと思うのと同時に、群れが先ほどの男に殺到したのかと思って背筋を凍らせる。


「しまった! ……って、あれっ?」


 視線を先ほどの男の方にやったところで、バムンジーは改めて驚愕に目を見開いた。

 ブラッドオークたちは立ち止まっていた。男を取り囲むようにしているが、それぞれの得物を構えている様子はない。もしかすると男とブラッドオーク達の間には、何らかの平和的な取り決めがあるのかもしれないと思いつく。

 スピードを落として、近づいていく。

 少しずつ距離が縮まっていくと、彼らの様子がそれなりに分かってくる。

 先頭のオークたちは、腰を抜かしているようだ。棒立ちになっているように見えたのも、どうやら後ずさりをしようとしているらしい。

 後ろのオークたちは既に背を向けて逃げ出している。


「一体何が」

「怯えているようだね、あの男性に。あれだけの群れが一人を恐れるなんて!」


 横から口をはさんできたのはクラースだ。相変わらずメモを片手に、目を輝かせて男の様子を見ている。


「とにかく。気をつけて近づくんだ、バムンジー」

「ああ」


 警戒をみせたのはケニッヒだ。バムンジーも強く頷いて更に馬車のスピードを落とすのだった。


***


 鬼角おづぬが騒がしい気配を感じたのは、子ども達の鍛錬に付き合っていた時だった。

 自分たちに向けられたものでなくとも、殺意や殺気が動いていることを察知できなければ、角亀藩では一人前と扱ってもらえない。鬼角の気配察知の範囲は、角亀藩の中でも最も広い。


「昼からは西の畑を手伝う予定だったんじゃがなあ」

「どうしたの、鬼角さま」

「均吾ヶきんごがはらの辺りで騒ぎが起きとる。ちぃと見にいくけん、洸次郎に伝えといてくれ」

「分かったぁ」


 総武総農令。角亀藩二代である鬼宮きのみや四元しげん公が唱えた、角亀藩の基本方針である。

 すべての民が藩の領地を護る武士であり、すべての民が藩の食を支える農民であるとする方針だ。

 周辺から日を置かずに現れる化生もんすたあとの闘争が続き、三百年。

 彼らはこの日常に適応していた。


***


 角亀藩の民はその土地を奪おうとする異族と戦い続け、その中で多くの者が傷つき、死んだ。

 角亀藩の外にある地名は、これまでの戦いにちなんだ名前が多い。

 均吾ヶ原もそれで、初めて化生もんすたあとの闘いに及んだ男の名前と伝わっている。

 城に戻って辰吾郎に乗るほどの距離でもないと、鬼角はふらりと均吾ヶ原にやってきた。

 戦支度もしていないので、腰に大小を差しただけだ。着流しのままふらりと藩領の外に出るなど、鬼角でなければ怒鳴りつけられるところだ。


「この臭い、黒猪頭くろおおくどもか。この辺りに現れるとは奇妙じゃな」


 縄張り意識の強い異族や化生もんすたあたちは、基本的に他の種族の縄張りに進出することはない。

 数が増えた時には縄張りを広げようとすることもあるが、その際に生じる他の種族との争いで数を減らし、結局縄張りを広げられないことがほとんどだ。

 一方で、水場から長時間離れられないために縄張りを広げようとはしないが、他の種族の縄張りに入り込んで餌として狩ろうとする蜥蜴頭りざあどのような種族もいる。


「来たか。……なんじゃありゃ」


 黒猪頭くろおおくは、何かを追いかけているようだ。先頭を走っているのは馬と、それに繋がれた箱のようなもの。


小鬼ごぶりんどもが黒猪頭くろおおくを引き連れて来とるんか。小賢しいことをしやがる」


 鬼角の目は、馬を必死に走らせる小さな人物を捉えていた。

 あちらもこちらに気づいたらしく、進路を寄せてくる。


「おおい、そこの! オークの群れが来ているんだ! 早く逃げろ!」

「お?」


 抜きざま斬りつけようかと右手を伸ばしたところで、かけられた声に目を円くする。

 随分と焦ったような口調で、よく見ると顔も必死の形相だ。


「何してるんだ! あの群れが見えないのか!?」

「なんじゃ、貴様きさンらその猪頭おおくを引き連れて来たんじゃねえのか」


 どうやら追われているらしい。

 黒猪頭くろおおくと言えば猪頭おおくの中でも肉が硬い連中だ。角亀藩の手練れも相手するのが面倒だとぼやくから、少人数で相手をしたくないのも道理だろう。

 横を通り過ぎていった四人組については後で考えることにして、鬼角は駆けてくる黒猪頭くろおおくどもの相手を優先することにした。


「おう、黒猪頭くろおおくども。ここより先は角亀藩かっきはんぞ」

「カッキハン!?」


 特に声を張るでもなく、告げる。

 何やら憤怒の形相で向かってきていた黒猪頭くろおおくの先頭が、その言葉にひどく強烈に反応した。

 その悲鳴が生み出した反応はさらに強烈だった。

 黒猪頭くろおおくたちが一斉に足を止め――ようとして、先頭が勢いを止められなかった後ろに押されて倒れ込む。

 その一人が顔を上げて、こちらを見た。


「おう、うちの九代様に追い立てられた青目はまだ存命か?」

「ヒ、ヒィィッ!?」


 角亀藩九代、鬼宮きのみや伊呂波いろは。女性の身で角亀藩の藩主となった人物で、黒猪頭くろおおくに攫われた女子供を救うために単身その縄張りに踏み入り、黒猪頭くろおおくたちを散々に追い散らしたという逸話がある。

 鬼角にとっては曾祖母にあたる女性で、五年前に大往生を遂げるまで随分と可愛がってもらったものだ。


「カッキハン、俺タチ、敵対、シナイ」


 黒猪頭くろおおくのひとりが怯えた声を上げた。後ろでは既に逃散を始めているから、その言葉に嘘はないのだろう。


「カッキハン、俺タチ、馬車、追ッテタダケ」

「馬車? ああ、あれか」


 ちらりと後ろを見ると、何やら旋回してこちらに戻ってこようとしている。

 特に約定を結んでいるわけでもないが、角亀藩も基本的には他の縄張りを自分から侵すつもりはないので平和に済むならそれでいい。

 というより、敵対しているわけでもないのに怯えている連中を斬るのは気が咎めた。


「何か盗まれたンか?」

「エ?」

「それとも誰かが殺されたか? 随分と頑張っていたじゃあねえか」

「イヤ、ソノ。雌、イタノデ……」

「何じゃ、まだ懲りてねえんか?」


 じろりと睨みつけると、首を振りながら後ずさりする。


「カッキハン、手、ダサナイ! 族長、キメタ! 俺タチ、守ル!」

「そうか。あそこの連中はうちの客だ。諦めるか?」

「分カッタ! 諦メル! 帰ル! 殺サナイデ!」

「おう。わしの気が変わらないうちにとっとと帰れ」


 しっしっ、と手を振ると、涙目の黒猪頭くろおおくは震える足で立ち上がって鬼角に背を向けた。

 ふらふらと走っていくのを見送ってから、鬼角は馬車の方に注意を向けた。

 ゆっくりと近づいてきた馬車が、鬼角のすぐそばで止まる。


「わあ。やっぱり人だぁ」


 背の小さい二人がこちらを見ている。声を上げたのは馬を操っていない方だ。

 二人とも見た目は幼く見えるが、猪頭おおくどもに追われるような場所を進んでいるのだ、見た通りの子どもというわけではないのだろう。

 鬼角はその姿をまじまじと見て、何となく得心する。


小鬼ごぶりんの変わり種かなんかか……?」

「モンスターじゃねえわっ! 失礼な!」

「あ、そっちは女子おなごだったんか」

「何だとてめえこの野郎!」


 耳に刺さるほどの怒鳴り声を上げる少女に、鬼角は何となく角亀藩に住むとある人物を思い浮かべたのだった。

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