殿! 目当ての石でございまする!
牛頭鬼が鬼角に明らかな恐怖を見せたのは、二体目の牛頭鬼が角を掴まれて引きずり倒された挙句、眉間を拳で叩き割られた時だった。
それまでに棍棒が何度か叩きつけられたというのに、鬼角の体にはまったく痛痒を与えられていないことも一因だろう。
明らかに生物として自分より上位の者が現れたことを理解した牛頭鬼たちだが、それがかつて倒した者の子孫だとはどうしても納得できないようだった。
「武器ガ無クテモ強イ! ナゼダ!」
「ミカガミトハ違ウ! ヤツハ武器ガナクナッテ弱クナッタノニ!」
「貴様ンらに水鏡様のことが伝わっているとはな」
「ミカガミハ武器ガナクナッタカラ、父ノ母ノ父ガ生キタママ食ッタ!」
「少シズツ千切リナガラ食ッタ! 柔ラカクテ美味カッタト聞イタ!」
「オ前硬イ! 子孫トハ嘘ダ!」
口々に騒ぎ立てる牛頭鬼たち。その言葉によって水鏡の最期がどう伝わっているかは理解できた。
鬼角は静かに、しかし明確にその主張を否定する。
「わしらは水鏡様の末裔よ。貴様ンらがこの山で悠々と生きとる間に、何度も何度も死ぬような思いをしながらご先祖たちは鍛え続けてきた。わしらが貴様ンらより強いのはその結果じゃ」
「嘘ダ、嘘ダ!」
「ったく。死にたくねえならこの場から今すぐ失せぇ。わしらはこの山に鉱石を取りにきただけじゃからな」
その言葉に、牛頭鬼たちはぴくりと体を震わせた。馬頭鬼の群れの方に目をやり、視線をあちらこちらにさまよわせる。
大柄な牛頭鬼が天を仰いで咆哮を上げた。
「ゴゥッゴゥッゴゥッ!」
「ブルルヒャァァァァン!」
馬頭鬼の一体が同様に咆哮を上げると、ふたつの群れは慌ただしく鬼角たちから距離を取る。
鬼角が視線を巡らせると、洸次郎たちの方にも被害はないようだった。
「おう、お前ら無事か」
「若?」
「死にたくねえなら失せろって言うただけよ。少しは知恵が回るようじゃの」
いまだにこちらへの警戒があるのか、少しずついなくなっていく牛頭鬼と馬頭鬼。
鬼角は構わずに先に進むことにした。二種類の鬼の遠吠えがあちらこちらから遠く聞こえてくる。
顔色を悪くした鉄之進が、鬼角の方に駆け寄ってきた。
「若、あのう」
「なんじゃ、鉄之進。あの遠吠えのことなら心配いらんぞ」
「え」
鬼角はゆっくりと口角を上げた。眉間に皺が寄ってしまっているから、何とも獰猛な笑みになってしまっていることだろう。鉄之進がこちらの顔を見て萎縮してしまった。
だが、意を決してこちらに伝えようとしてくれる。
「若、あの連中は」
「そうか、鉄之進。お前は奴らの遠吠えが言葉で聞こえるか。本当に便利じゃ」
「は、奴らは今――」
「心配せんでええ。あの鬼どもが何を言っておるかは分からんが、何を言いたいのかは分かっとるよ。ああいう小知恵が回る連中が考えそうなこともな」
そう、分かっているのだ。
何しろこちらに向けて放たれる殺意の類は、先ほどからまったく減ってはいないのだから。
***
角亀藩に残っている記録では、二回目の遠征隊の者が霊鋼の鉱石を拾ったのは山の中腹あたりとなっている。
條武郎が立ち止まったのは、乱暴に山肌が掘られている辺りに差し掛かった時だった。
「これは、ぎゃむ鋼とやらを掘った痕でしょうか」
「ああ。この色合い、間違いないだろうね。ん、こいつは……」
掘り痕を見て、バムンジーが頷く。
そして、散乱する破片の中に同じように散乱する、無数の骨を見つけたのだ。
「この頭骨、ゴブリンだ。そうか、採掘をさせられていたのか」
「この数を見ると一体や二体じゃないな。ずいぶんと多い」
バムンジーとケニッヒが、手際よく骨の状態からここであったことを確認する。
紫色の骨は、その生物が異族ではなく化生であることを示しているのだとか。
「こりゃ綺麗な石じゃな。っとと、随分と重いのう」
と、同じように辺りを見ていた鬼角が、地面に落ちていた石を拾った。
光さえ吸い込まれるようだった闇色の石が、鬼角が拾った途端にその色を変える。
「おお? 何じゃこれ」
最初は蒼、次いで黄色、紫を経て緑。
鬼角の掌の上であれこれと色を変えていた石は、最後には赤く染まって変化を止めた。
「色を変える鉱石!? 驚いた、本当にあったんだね」
「馬夢殿、とするとこいつが」
「ああ。鉱石の王、グラナチウムさ。自ら所有者を選ぶとされ、持ち主の資質に応じてその色を変える。『貪る鋼』とも言われ、触れた他の金属を食って増えるとか増えないとか」
「そりゃまるで生きとるようじゃな」
「そうだね。でもその量だとまるで足りないな」
「ええ」
鬼角が欲しがっているのは刀で、すぐに見つかったとはいえその量は掌に乗るほどだ。
掘るか、他にも落ちている石を探すか。條武郎は答えを出せなくて、鬼角の方を見た。
だが、鬼角まったく悩む様子を見せなかった。
「他の金属を食って増えるんじゃったら、話は早えわ。藩に戻って鋼を食わせてやりゃええ」
「え」
「いや、オドゥン。それはあくまであたしが聞いた伝説だってだけで、本当かどうかは分からないぜ」
「そうなんか?」
「ああ。大体、本当に他の金属を食うというなら、なんでそこに落ちていたグラナチウムは辺りの鉱石を食ってないんだよ?」
「好みの鉄と違うとかじゃねえんかな」
ありうる。
バムンジーと條武郎は鬼角の発言に顔を見合わせてしまった。
「そうだとしてもだ。もう少し掘っておいた方が安心だろ?」
「ううん、そうじゃなあ。藩にあるんが好みの鉄とは限らんからのう。面倒をかけてすまん、條武郎」
「いえ、若が謝られることではありません! 私と父が決めたことですから」
頭を下げてくる鬼角を、條武郎は慌てて遮った。材質選びは自分の我侭だ。むしろその為に人を動かしたのは自分と父の條義斎なのだ。詫びるならば自分たちであるはずだ。
「そうか? それにしても、ここを探すのはちぃと骨が折れるわな」
辺りを見回して渋面を作った鬼角は、握っていた闇捺生を目線の高さに合わせ、石に語り掛ける。
「のう、貴様ンの好みの鉄は何なんじゃ?」
「いや、若。口があるわけじゃないんやから」
堪らず、洸次郎が突っ込んだ。
「駄目かのう?」
「せめてこう、金属を当ててやらんと」
「それもそうじゃな。どれ」
洸次郎の発言にも突っ込みどころがあったが、今度は誰も指摘しなかった。
鬼角は大真面目に頷くと、金属の品を探す。
「んじゃちょっくら荷車の車輪をじゃな――」
「いけんて! 誰が引いて帰ると思うとんの!」
「む。ほいたら洸次郎、ちょいとお前の鉢金を――」
「嫌じゃって! わし、若みたいに頭が鉢金より硬くねえんじゃから!」
「我侭な奴っちゃ。しゃあねえ、自前で済ますかぁ」
「え、オドゥンの頭ってそのヘッドギアより硬いの?」
バムンジーの戦慄に満ちた突っ込みは、残念ながら誰からの反応も得られなかった。
鬼角は腰に差していた刀を抜くと、その峰を闇捺生に押し当てる。
「若!? 武士の魂をなんじゃと思うとるの!?」
「うっせえのう洸次郎、あれもダメ、これもダメと。どうじゃ? こいつなら食うか?」
洸次郎の小言に反応した瞬間、鬼角の側頭部に矢が衝突した――
***
角亀城、城主の間。
義堂と義秀が、難しい顔で向かい合っていた。
「……では父上、やはりお聞き入れいただけませんか」
「くどいぞ、義秀。これで何度目だと思うとるか」
「何度でもお願いは致しますよ。藩の為に言っているのですから」
義堂は義秀から視線を外して、深く溜息をついた。
ここしばらく、鬼角が役目で近くにいない時を見計らって義秀は何度も義堂に直訴を繰り返していたのだ。
義堂も相手が義秀であるから穏便に済ませようとしているが、他の者だったら僭越として斬り捨てていたかもしれない。
「次期当主のことについては、既に決めたことじゃ。今更覆すつもりはねえ」
「その決定が明らかに間違っているから申し上げておるのです!」
「あのなぁ、義秀」
義秀はまっすぐに義堂を見つめてている。取り乱すこともなく、冷静に。
その言葉が一時の感情によるものではないと理解して、義堂は頭を掻いた。
「お願いでございます、父上。次期当主のこと、どうか考え直しください。角亀藩のためになりませぬ」
「角亀藩のためではないわ」
「えっ」
苦い顔で、しかし義堂は今一度繰り返す。
「何度も言うが、既に決めたことじゃ。角亀藩の当主は義秀、そなたに譲る」
「何故です!? 私では器が足りませぬ! 次は鬼角であるべきです!」
「お前は、本当にそう思うのか」
義堂は、思わず問い返していた。
その反問に自信をみなぎらせて頷く長男に、苛立ちすら覚えて。
「もちろんです! 鬼角は今でも天下無双、しかもまだまだ先がございます! あの才能はきっと角亀藩をより良く導くに違いないと!」
「義秀よ。鬼角が、あの鬼角がじゃ。この角亀藩程度の器に納まると、お前は本当にそう思っておるのか」
「!?」
義堂の言葉に、義秀は大きく目を見開いて、そしてそれ以上の言葉を続けることができなかった。
***
「若!」
「若っ!?」
「若ぁ、油断しすぎでっせ」
條武郎と鉄之進が悲鳴を、洸次郎が呆れたような声を上げるが、鬼角はそんなことに構っていられなかった。
「洸次郎、見てみい! ちょぴっとじゃが峰が欠けとる! こいつ、冦万十鋼なら食うみたいじゃぞ!」
「あ、ほんまじゃ! すっげぇ!」
洸次郎も興奮の声を上げる。
ひとしきり闇捺生に刀を齧らせたところで、鬼角はようやく採掘跡の上に目をやった。
「なんじゃ、今ので終わりか貴様ンら」
飛んできた矢は、鬼角の側頭部に激突して落下した。
頭を貫くことも、揺らすことすらできずに、だ。
「え、ちょっ。本当に鉄より硬いわけ!?」
先端が潰れた矢を拾い上げて、バムンジーが化け物でも見るような目で見てくる。何とも不本意だった。
「ふむ。ちっと痒いな、毒でも塗っとるかの」
闇捺生を懐にしまい、欠けた刀を慎重に鞘に納める。こりこりと矢が当たったところを掻くと、その痒みもすぐに消えた。
「仲間を連れて、矢に毒を塗る程度の知恵はあるんか。じゃが」
先ほどよりも更に大きく、体毛が真っ白に染まった牛頭鬼と馬頭鬼がこちらを見下ろしている。弓を持っているのは馬頭鬼の方だ。
「やっぱり、ちぃと物足りんなあ」
見える範囲には、先ほどよりも遥かに多い牛頭鬼と馬頭鬼の群れ。数えれば本当に十倍の数を連れてきたのかもしれない。が。
「馬夢殿、ちょいと拝借」
「え? あ」
「ほいっと」
鬼角はバムンジーから先端の潰れた矢を――もちろん間違ってもバムンジーの体に先が触れないように気をつけて――受け取ると、こちらを見下ろしている群れの方に投げつけた。
風を切る音を立てて、先端の潰れた矢が弓を持った白毛の馬頭鬼の腕に突き立つ。
「ブルルヒャアアアア!?」
悲鳴を上げて、慌てた馬頭鬼が矢を引き抜く。
が、それはどうやら手遅れのようだった。
「ブギュウウウ……」
口から桃色の泡を噴き出しながら、馬頭鬼が転げ落ちてくる。
採掘跡のすぐ前に倒れたその体が、びくりびくりと痙攣していた。
「随分と強い毒じゃな。当たるとあぶねえ、條武郎」
「はっ」
「目当てのモンは手に入った。ぎゃむ鋼とやらは必要か?」
「いえ、要りませぬ。荷車ですね?」
「おう。鉄之進や馬夢殿たちの矢除けに使え。護りは任せる」
「直ちに」
「洸次郎、真悟、伎丸。お前たちは自由にやれ。矢には当たるんじゃねえぞ」
「御意!」
鬼角は指示を出し終えると、刀を鞘ごと引き抜いて地面に置いた。
闇捺生に食わせると決めた以上、この悪鬼共の血で汚す気にはなれない。
「ああ、あと」
歩き出す前に、言い忘れていたことがあったことに気づいてもう一度振り返る。
動き出していた洸次郎たちだが、聞いてはいるらしい。それぞれが得物を手にして、早く言えと急かしている。
「わしにも近づかんようにな」
みしりと、握り締めた拳が音を立てた。
「若、程々にしてや。あの辺りが崩れたりすると客人たちはお陀仏やぜ」
「おう。気ぃつけるわ」
「刀は使わんの? 伎丸は槍やし、借りてもええんと違う?」
「わ、若にお使いいただけるなら、ぜひとも!」
「ああ、要らんいらん。殴り疲れたら適当に連中の棒でも使うわ」
洸次郎たちの申し出を断りながら、鬼角は先ほど馬頭鬼が転がり落ちてきた斜面のところまで歩を進める。
視線はひときわ目立つ白毛の牛頭鬼に固定しつつ、足で痙攣を続けている馬頭鬼の頸を踏み折り。
「貴様ンらは角亀藩を舐めた。わしゃあ化生どもに舐められるのは好かんのでな」
鬼角はようやくここで抑えていた感情を露わにした。
額に青筋が浮かび、全身に憤怒と殺意が行き渡る。
「今度は一匹たりとも逃がしてやらん。覚悟せぇよ!」




