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殿! 山に棲む悪鬼でござる!

 水鏡山に角亀藩の者が立ち入ったのは、今までに二度だけだとされる。

 一度目は周辺地域の化生もんすたあどもの生息状況調査のために、五代当主である鬼宮きのみや玄生くろうの弟であった水鏡みかがみが立ち入った時のことだ。少数の供の者とともに向かった水鏡は帰らず、年若い供の一人が傷だらけになりながらも帰りついたことで、水鏡山に住む悪鬼の存在が明らかになった。

 二度目は水鏡の遺品を回収すべく、大欠原おおかきばらから向かった武士団だ。蜥蜴頭りざあどが攻めてきた直後に、蜥蜴頭りざあどの縄張りを通って水鏡山に向かったのだ。

 『戦利品』として持ち去られた食料品を取り返しにこられたと思った蜥蜴頭りざあどたちは縄張りにこもって抗戦の構えを見せた。武士団は攻めあぐねた風を装って、ほぼ無傷で水鏡山に到達したという。

 水鏡やその供の者が持っていた刀や槍は無惨に折れ砕けた形で見つかったが、遺体や彼らを殺したとされる悪鬼の姿は最後まで見つからなかった。

 水鏡が討ち果たされたところは生き延びた者も見た訳ではなかったために、水鏡公は何とか逃げおおせたのではないかという噂話も少しの間だけささやかれた。

 水鏡山に向かった武士団が持ち帰った、珍しい色の石。霊鋼と呼ばれたその鉱石で作られた短刀は、当主一族の家宝として角亀城に保管されている。


***


 鬼角おづぬが水鏡山の麓に辿り着いた時には、まだ彼の感覚でも條武郎たちの気配は感じ取れなかった。

 クラースは荒野を抜けてくる間に随分と大人しくなった。

 何しろ、少しでも距離が離れるたびに、火吐狗はいやはうんどが攻め気を見せるのだ。鬼角は足を速めもしないが緩めもしない。クラースは疲れても足がもつれても不満を漏らしても悲鳴を上げても鬼角の歩く速度は変わらない。

 近くの火吐狗はいやはうんどが唸るたびに、クラースはふらふらになりながら鬼角の傍へ駆ける。そんなやり取りが続いたのだ。精魂尽き果てたとしても不思議はない。


「よし、休憩は終わりじゃ」

「ええっ!?」

「條武郎たちの気配がまだせんからの、北の方に向かった方が合流もはやかろ」


 手頃な石に座り込んで、ぜえぜえと息をついていたクラースだったが、鬼角の言葉に思わず顔を上げた。

 その表情に絶望の色が濃いのは、鬼角が言い出したら聞かないと分かってきたからだろうか。

 鬼角は口元を緩めて、クラースに頷いてみせた。


「まあ、随分としんどそうじゃし、ここで待っとってもええよ」

「え!」

火吐狗はいやはうんどどもも山の麓までは来ないみたいじゃからの。わしが迎えに向かっとる間、ここで休んでおくのもええじゃろ」

「そ、それは助かるよ」

「ん。じゃあ行ってくるけぇ、ちゃあんと生き残っとくんじゃぞ」

「あ、ああ。ありがとう」


 立ち上がる余力も残ってなさそうなクラースを置いて歩き出す。

 クラースも安心したように息をついたが、鬼角の言葉に何やら気になったことがあったようで、姿勢はそのままに声をかけてきた。


「……生き残る?」

「おう。火吐狗はいやはうんどは山の麓には寄り付かんが、ということはつまり、連中は山に近づきたくないんじゃ」

「近づきたくない」


 疲れのせいか、ぼんやりとした口調で繰り返すクラース。

 鬼角は振り返って口角を上げてみせた。


「山にいる連中が怖ぇんじゃろうなぁ。取り敢えず気ぃつけえよ、わしも見たことはねえけん、どんなんか教えてやることもでけん」

「え、そんな」

「あんまり麓から離れると火吐狗はいやはうんどが来てまうじゃろうし、上手い事やるんじゃぜ」

「い、一緒に行くよ」

「ん、休んどいてええて」

「体は休まっても気持ちが休まらない」


 悲愴感さえ漂わせて、クラースが立ち上がる。


「まあ、ここに棲んどる連中はわしらのことを知らんはずじゃから、わしらを見かけたら襲ってくるじゃろうけど」

「……もうやだこの土地」


***


「やっぱり若や。はえぇわ」


 洸次郎が人影を見つけて声を上げた。

 火吐狗はいやはうんどの一件から殆ど一言の会話もなかった一行が、洸次郎の見つけた人影の方に目を凝らす。

 見えた人影は豆粒程度の大きさだったが、バムンジーもケニッヒも見えないとは口にしなかった。


「若をこれ以上待たせちゃいけん! 急ぐぞ鉄! 條武郎!」


 返事を待たずに駆け出す洸次郎。鉄之進がすぐさまそれに続き、條武郎はちらりとバムンジーとケニッヒに視線を向けてから走り出した。

 徐々に大きくなる人影。鬼角と、そのそばでぐったりと座り込んでいるクラースの姿がはっきりと確認できる。


「クラース!」


 横を並走するバムンジーが声を上げた。

 ケニッヒは最後尾で、化生もんすたあが近づいてこないか確認している。

 條武郎は二人の速度に合わせながら、何かがあったら二人を鬼角の方に走らせようと決めていた。鬼角ならばきっとどうにかしてくれるという信頼がある。


「若!」


 洸次郎が喜びの声を上げ、鬼角に走り寄るのと。


「こンたぁけ! 客人を放って何しとるか!」


 鬼角が拳骨をその頭に振り下ろすのが、條武郎の目にはっきりと映った。


***


 頭を押さえてうずくまっている洸次郎と、真っ青な顔の鉄之進。

 鬼角は溜息をついて、ようやく追いついてきたバムンジーとケニッヒに頭を下げた。


「洸次郎が何やら無礼を働いたようで、面目ねえ」

「いや、そんな」

「あたしたちも多分悪かったんだよ。あんたのことを煩わせるなんてさ」

「客人をもてなすのに煩わしいもなにもねえさ。洸次郎!」

「は、はい!」

「客人になんて顔させてるんだこンたぁけ!」

「で、でも若! こいつら、南の荒れ地に住んでる化生もんすたあ火吐狗はいやはうんどじゃねえって言うんじゃ!」


 唇を尖らせて抗弁する洸次郎の脳天に、拳骨をもうひとつ。

 そういう問題ではない。


「そこの『あずねもん』も同じこと言うとったな。ちうことは、出口入道殿の言うとった『はいやはうんど』とわしらが火吐狗はいやはうんどと呼んじょるもんは違うんじゃろ」

「うう」

「んで、馬夢ばむ殿。アレは本当はなんて名前なんじゃ?」

「いや、あたしもあんなの初めて見たし。ケニッヒは知ってる?」

「私も初めて見た。クラースも知っていたならオドゥン殿に教えているか」

「教える暇なんてなかった。オドゥンはこっちの話なんて最初から最後まで何も聞いちゃくれなかったんだ」


 クラースの声は暗い。バムンジーとケニッヒがいるにも関わらず、嬉しそうな様子がまったくない。

 山沿いを歩き続けたのがトドメになったようで、極度の疲労で動けないらしい。


「聞いとったぞ。答える必要がなかっただけで」

「ひでぇ」

「んで、アレの名前は知っとるんか?」

「……いや、知らない」

「ほれみぃ」


 鬼角は溜息をつくと、少し離れて様子を見ていた條武郎の方に視線を向けた。

 遠征隊の者たちは、出来るだけ洸次郎と客人の確執に関わらないようにしていたらしい。少しくらいは自己主張してもいいと思うが、それはそれで仕方ない。


「條武郎。山を登る間だけでも、こンあずねもんを荷車に乗せてやれ」

「あ、はい」

「済まんな、お前ら。荷物が増えてまうが、置いていくわけにもいけん」

「若は甘いんじゃ」


 小声でつぶやく洸次郎。

 いい加減に頑ななその様子に、鬼角は彼を一喝した。


「出口入道殿が角亀藩に来られねば、條右衛門殿の一族を残してくだされなければ、わしらのご先祖は辰太の親父や辰太たちに散々に食い殺されておった。わしらもお前も、生まれてくることも出来んかったんじゃ。その御恩をご血縁の馬夢ばむ殿たちにお返しすることの何が不満かっ!」

「わ、若がやらんでもええことじゃ!」

「藩の御恩ぞ。わしだけじゃのうて、藩に生きておる誰もが感謝を示さないけんのじゃ! 貴様きさンもそうじゃ洸次郎、了見違いも大概にせえよ!」


 鬼角の怒号が、空気を揺らす。

 睨みつけられた洸次郎が、視線をこちらに向けられずに俯いた。


「お前らも心得とけ。ええな」

「し、しかと心いたしまする!」


 視線を洸次郎から鉄之進たちの方に向けると、誰もが自然と平伏したのだった。


***


 水鏡山には樹木が少なく、それほど山肌も険峻でもないので進むのに苦労は少なかった。

 山を構成する岩が極めて硬く、木が根を深く張れないことが原因であるようだ。

 完全に整備されているわけではないようだが、誰かが通るためと思われる道らしきものがあることから、何者かが棲みついているのは間違いない。


「若、警戒せずに進んで大丈夫なのでごじゃいましょうか」

「構わんて。連中の討伐が目的なわけでなし、寄ってこんのなら放っておきゃええ」


 鬼角は自分たちを遠巻きにしている気配に語りかけるように、鉄之進の問いに答えた。

 鉄之進はその言葉に納得しつつも気にはなるようで、周囲を見回しながら進んでいる。

 三台ある台車のひとつは洸次郎が牽いており、その表情はひどく平静だ。鬼角の言葉を自分なりに受け入れたのか、態度だけでも言われたとおりにしようとしているのかは分からないが、それでもいいと鬼角は思っている。


「そういえば、水鏡みかがみ様はどの辺りに眠っておられるのでしょうか」


 と、そんなことを條武郎が呟いた。水鏡公の伝説は、角亀藩の武士もののふたちにとってはある種の憧れであり、條武郎たち鍛冶方にとっては身を慎む教訓でもある。

 と、周囲の空気がざわざわと揺れ始めた。


「ミカガミ。知ッテイルゾ、覚エテイルゾ」


 何とも底冷えするような声だった。

 猪頭おおくどものように、人とも会話が通じる種類の化生もんすたあであるらしい。あるいは、元々は狼頭らいかんのような異族なるのおまだったか。


「ミカガミ。我ラノ山ニ踏ミ入ッタ者」

「昔ノ者。我ラノ父ノ母ノ父ノ頃ノ者」

「貴様ラ、ソノ子孫カ」


 声とともに無数の気配がざわざわと近づいてくる。既に囲まれている。

 含まれているのは敵意と、そしてこちらを嫌うような気配。


「なんじゃ。水鏡公の子孫だとしたら何かあるんか」

「殺ス。殺シテ食ラウ」

「御馳走。柔ラカイ肉ダ」

「りざあどハ硬イ。がるむハ毛ガ多イ」

「そうかい。ええ加減、姿を見せぇ」


 鬼角が言うのと、周囲の景色が歪んで声の主たちが姿を見せたのはほぼ同時のことだった。

 巨大な獣面人身の化生もんすたあだ。上背だけで鬼角よりも頭三つ分は大きいだろうか。小柄な鉄之進と比べてしまえば倍ほどあると言っても過言ではない巨体。

 その全てが岩を削り出したとみられる巨大な棍棒を手にしている。なるほど、あんなものと打ち合えば当時の刀では折れてもおかしくはない。


「なんだあれ」

「見たこともないぞ、あんな頭の形のオーガ!? そんな、こんなに多く」

「ほぉか、霧名ぎりな殿たちは見たことねぇんか。じゃあ、珍しくわしらの方が知っとる名じゃのう」

「若、わしらはどないしよか」

「洸次郎と條武郎は皆を護れ。鉄、お前は客人と一緒に護られとれ」

「承知」


 洸次郎と條武郎は、鬼角の指示に一瞬のためらいもなく頷いた。それぞれが得物を抜き、仲間たちをそれぞれ背にかばう。

 鬼角はその輪から外れ、最も体格の良い個体に向けて歩き出す。


牛頭鬼ごずき馬頭鬼めずきか。水鏡様もさぞや驚かれたことじゃろうな」


 水鏡が逃がしたという供の者は、牛頭鬼と馬頭鬼をその名では呼んでいなかったはずだ。元の世界に伝わっていた鬼のことまでは学んでいなかったか。

 あるいは、その名が伝わることでこの地を地獄と思い込む者が出ないように隠したのか。


「それにしてもさすがは水鏡様よ。現世うつしよで地獄の悪鬼どもと一戦したとなりゃあ、死出の旅路はひとつも怖いことがねぇ」


 鬼角は満面に喜色を浮かべて、大きな牛頭鬼を抜き打ちに斬りつけた。

 慌てる様子もなく、棍棒を叩きつけて迎撃を図る牛頭鬼。しかし、片手とはいえ鬼角の一撃である。牛頭鬼の一撃程度で跳ね返されるはずもなく、棍棒を半ばまで断ち斬ってみせたが、しかし切っ先が牛頭鬼の体に届くことはなかった。


「へえ、化生もんすたあに刀を止められたのは久々じゃの」


 一方で、牛頭鬼は自分の一撃が止められた挙句、相手の一撃で得物が使い物にならなくなった形だ。表情に人でもわかるほどの戦慄を浮かべ、大きく吼える。


「コノ男、危険! 囲ンデ殺セ!」


 洸次郎たちを囲んでいたうちの半分ほどが、持ち場を離れて鬼角を囲んでくる。その全てが牛頭鬼なのは、つまりこの大きな牛頭鬼が片方の種族の頭目であることを明らかにしたということだった。


「わしを囲んで殺すと言うにゃあ、ちくと数が足りんのじゃねえかのう」


 鬼角は背後から振り下ろされた棍棒を、見もせずに片手で受け止めて小さく笑った。


「わしを殺したけりゃ、少なくともこの十倍は連れてこないといけんぜ」


***


 洸次郎は鬼角の言葉に全て納得したわけではなかったが、少なくとも鬼角が藩の御恩としてバムンジーの血族に抱いている感謝は洸次郎にも心から共感できることではあった。

 相変わらずその恩返しについては鬼角がするべきことではないと頑なに思っているものの、ならばこそ自分が率先してやれば鬼角の手を煩わせることもなくなる。

 洸次郎は馬頭鬼の現れたこの場所が、非常によい機会だと発奮していた。


「條武郎! やつらの持っとる棒は、何で出来とるのかのう」

「さて、冦万十あだまんとではなさそうですが。鉄之進殿、私と洸次郎殿の間合いからは離れないように」

「あ、ありがとうごじゃいます!」


 背に遠征隊の仲間たちをかばいながら、洸次郎と條武郎は機を図る。鬼角が見立てた通り、馬頭鬼と単独で勝負になりそうなのは洸次郎と條武郎だけだ。遠征隊の仲間たちも十分に腕が立つが、鬼角よりも大柄な悪鬼の相手をさせるのは酷というものだ。


「ギャム鋼だ」

馬夢ばむ殿?」

「あの特徴的なまだら模様、ギャム鋼の工法を使っているぜ。硬すぎて加工が難しいけど、棍棒なら関係ねえってわけか。なるほど、賢いぜ」

「ご存知なのですね!」


 と、バムンジーが馬頭鬼たちの持つ棍棒をじっと見つけて、そう結論づける。

 條武郎が驚いた声を上げると、バムンジーは照れたように頬を赤らめた。


「あたしも協力したいと思ってよ。鉱石の目利きは任せな」

「んで、わしらの得物とどっちが丈夫じゃ」

「考えるまでもなく、アダマントの方が強えよ。あんたらは有難みもなく使っているがよ、この高地の外じゃ伝説の鉱石なんだぞ」

「成程、それが分かれば十分じゃ、恩に着るで!」

「なっ⁉」


 さらりと礼を言う洸次郎に、目を円くするバムンジー。


「分かっとるな、條武郎」

「もちろんです、洸次郎殿」


 既に洸次郎にも條武郎にも迷いはなかった。

 それぞれが刀を構え、馬頭鬼に向けて歩き出す。


「若にならって、ど頭叩き割っちゃるわ!」

「若のなさるように、得物ごと真っ二つです!」


 馬頭鬼の群れが、ぶるると喉を鳴らして一歩退いた。


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