3.分かり合える
それからは、馬を思うままに走らせながら、彼女との他愛ない会話を楽しんだ。
その中で、聖女はとても制限された暮らしをしていると初めて知った。
なぜ知らなかったかというと、教会は非常に閉鎖的で秘密主義だからだ。
王宮と教会、この国を動かす二大勢力でありながら、互いの領域は完全に隔離されていて交わることがない、それがこの国のあり方。
王宮は主に外交と軍務を、教会は信仰と福祉を管轄していて、それぞれのトップである王と教皇のどちらが上とは決められていない。
それで今までは良かったのだが、近年状況が変わってきて、上手く行かないことが増えてきた。
魔物の増殖や、南の帝国からの侵略、聖女の引き継ぎの失敗。
それらの難題を踏まえて、交わらない二つを繋げよう、という取り組みの代表格が俺たちの結婚な訳だ。
それは、多少なりとも上手く行っていると言えるだろう。
トップに近しい俺とエレシアが、それぞれ相手のことを知って、理解し始めたのだから。
「エレシアは、聖女になる前はどんな暮らしをしていたんだ?」
純粋な興味から、そんなことを聞いてみる。
「そうですわね、わたくしは街の帽子職人の娘でした。両親と弟と、仲良く暮らしておりましたよ」
「家族はどんな人なんだ?」
「父さんは、静かな人で、とっても器用なんです。帽子だけじゃなくて、わたくしの服やお人形なんかも作ってくれました。母さんは、料理が得意で美味しいご飯や甘いおやつをいつも作ってくれていたんです」
そう語る彼女の瞳は澄み切っていて、ここでは無い遠くを眺めているよう。
「弟のカールはわたくしより5つ年下で、いつも『おねえ!』って呼んで付いてきていました。
……懐かしいですねぇ」
彼女の言葉は教会で教えられた通りの丁寧なものなのに、家族のことを語る間だけは昔の話し方が入り込んでくる。
彼女の元々の姿を垣間見れたような気持ちになって、『聖女』ではないただの彼女は非常に魅力的だと思えた。
「最近は、会っていないのか?」
「ええ。導きを受けて聖女になってからは、ほとんど教会から出ない日々を送っておりましたし……わたくしは、世界を愛する聖女ですから」
ぎゅっ、と眉根を寄せて拳を握る。
「……わたくしは、世界を愛する聖女ですから、そのように、たった一人に執着したりはしないのです。わたくし自身が特別なのですから、わたくしにとって特別な人はいてはならないのです」
呪文のようにそう語る彼女はとても苦しげで、思わずそんなことはない、と言いそうになった。
しかし、教会側にどのような思惑があるのかが分からない。
先々代聖女が力を失った原因も秘匿されたままだから、迂闊なことは言えないのだ。
「……エレシアは、聖女だからな。ただ、特別な聖女を誰よりも大切にしたい男がここに居ることだけ、知っていて欲しい」
「……ありがとう、ございます」
ずるい言い方しか出来ない俺を許して欲しいとは言えない。
ただ、必ず真実を調べあげて、彼女が不要な枷に縛られることはないようにしなければ、と決意した。
この国に聖女は必要だ。
それでも、聖女が世界を愛せなくなっては意味がない。
俺が見る限り、彼女が世界を愛せなくなる日は近いのでは、とすら思う。
これだけ朗らかに笑える子が、『氷の聖女』と呼ばれるような状況まで、追い込まれてしまっているのだから。
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それから少しばかり馬を走らせて、落ち込んでしまったエレシアの機嫌をなおしてもらってから。
エレシアを連れて白亜の教会へ戻ると、鬼気迫る形相の神官達に出迎えられた。
「聖女様ッ! いかが致しましたでしょうかッ!」
一番前の紫瞳の神官に至っては、頭の血管が切れるんじゃあないかと思うほど。
「婚約者と少し出掛けていただけよ」
「ですが、聖女様のお身体に万一のことがあってはなりません! 今後このようなことは控えて頂きますッ!」
「……そう」
エレシアは大人しく言われるがままだが、俺は違う。
「俺の婚約者だ。俺の好きにさせてもらう」
「そのようなことはなりませんッ! 聖女様は世界でたったおひとりの、特別なお方なのですから!」
コイツ、叫ばず会話出来ないのか?
軍仕込みの蔑称が飛び出そうになる程度にはイラつく。
だが、今はまだ王宮と教会が近づき始めたばかり。
俺ひとりが突っ走る訳にはいかない。
こくり、小さく頷いてみせるエレシアの眼差しは、先程までとは比べ物にならないほど暗く澱んでいて、『氷』の異名がぴったりな無表情に戻ってしまっている
「では、また。エレシア、愛しているよ」
彼女の姿は、揃いの紺衣装の神官たちに隠されて見えなくとも、俺の言葉だけはまっすぐ彼女に届いただろう。
神官たちの多くは俺とトラブルを起こすつもりは無いらしく、エレシアを奥へ連れて行くだけで俺に何か言ってはこない。
ただ、紫の瞳の神官だけは剣呑な目つきでこちらを睨みつけてくる。
「今後、このようなことはお控えいただきますよう」
「このようなこと、とは?」
俺とて王宮勤めなのだから、議論や腹の探り合いなどお手の物だ。相手が仕掛けて来たのなら、と多分に嫌味を込めた微笑で迎え撃ってやると、相手は見るからに激昂した。
「誘拐紛いの方法で聖女様を連れ出し、危険な場所へ行くことですッ」
「誘拐では無いな。彼女が自分から俺に付いてきてくれたのだから。それに、危険な場所と言うが、俺たちがどこへ行ったのか知っているのか?」
言ったのはたったそれだけのことなのに、神官はみるみる勢いを無くした。
「……ですが、聖女さまは特別なお方ですので、安全を第一にするべきです」
反論出来たのはそれだけ。俺は軍の人間だから、本職の連中ほど口は上手くない。そんな俺に言い負かされるようでは王宮の次官などを相手にしたらコテンパンにやられてしまいそうだな。
「安全を第一に、という言い分は充分に分かる。だからこそ、副将軍である俺が一緒に行ったのだし、行先だって王宮の狩野原だ。まあ、俺の家の裏庭のようなものだな。まさかそこが危険だとは言わないだろう?」
「……ですがッ」
なおもまだ反論したそうだったが、威嚇を込めた俺のひと睨みで大人しくなった。
「彼女が、どれだけの負担を強いられているかが分からないのか? 帰って来た時の笑顔を見ただろう。その後、急に氷のような無表情に変わってしまうところも。
それで、本当に聖女を大切にしていると言えるのか?」
じっと見詰めていると、アメシストの瞳が不安に揺れ始めた。
「……聖女様は、我々よりも、貴方の方が良いと……?」
「そうは言わなかったぞ。だが、教会の人が俺のようだったらいいのに、とは言っていたな」
「……なるほど。心に留めさせていただきます。では」
そう言って紺色の裾を翻し去ってゆく彼が残した、妙に澄んだ瞳が印象的だった。