1.氷の聖女
「あなたを愛することはありません。お好きな方を作って、ご自分で幸せに生きていただければと思います」
俺の婚約者となり、いずれは妻になる女性との初対面で、はっきりとそう宣言された。
彼女の名はエレシア。この国にたった一人しかいない貴重な存在『聖女』で、世界の全てを癒す存在と言われている。
彼女の張る結界のおかげで国は魔物から守られているし、重要人物が怪我や病気になれば直接治癒することもできる。
まさに『人間を愛する女神』が遣わせた存在だと誰もが納得するような女性が聖女なのだ。
しかし、今代の聖女エレシアは少し違った。
もちろん能力は持っているし、その力の強さは既に先代を上回るとも言われている。
ただ、人々からの支持は先代ほど高くない。
その理由は、彼女が『氷の聖女』と呼ばれていることからも分かる通り、ぴくりとも表情を動かさないから。
民衆を守る聖女らしい穏やかな笑みを湛えていた先代の印象が強い市民は、今代聖女にあまり親しみが持てていない様子。
それに、彼女の見た目も『氷』の印象を強くしている。
まっすぐに流れる銀髪に、透き通ったアイスブルーの瞳。とても美しく儚げで、綺麗ではあるのだけれど綺麗すぎて近寄り難い。その上、聖女だけが着られる白と銀の服は彼女に非常に似合っているが、冷たい印象を後押ししてしまっているように思う。
その結果、『氷の聖女』の異名は親しみではなく恐れ多さが含まれた名前として市井に流れてしまっているのだ。
「……どういうつもりだろうか?」
思わず、俺はそう言ってしまった。
彼女がどれだけ『氷』と呼ばれる無表情でも、夫となる俺には素を見せて良いはずだから。
「裏などありません、言葉のままです。ご自分で愛する方を見つけてください」
「……話が見えないのだが、君には既に愛する相手が居るのだろうか?」
俺は思わずそう聞いた。
既に想い人が居るから、お互い不干渉で行こうと、そういう事なのかと思って。
「……いえ、わたくしは世界を愛する聖女ですので」
だが、返ってきたのはまるでそう答えるのが義務だとでもいうような硬い声音での返事。
「世界を愛しているから、俺のことは愛せない、と?」
「ええ。……では」
これ以上話すことはない、と言うかのようにそのまま立ち去る。
俺は、心の中で「これは大変だな」と思うしか出来なかった。
ちなみに、俺はラーシュ・トスタント。この国の第二王子だ。そうとは見えない程軽い雰囲気かもしれないが。
普段は副将軍職に就いており、有事の際には直接出陣することになる立場。
第二王子ということはつまり兄がいて、兄は王太子となって父王の跡を継ぐことが決まっている。
兄も俺も、父から受け継いだ燃える紅毛とサファイア色の瞳を持っていて、この髪は戦場ではよく目立つ。
ではなぜ国を代表する聖女と王が結婚しないかというと、単にもう結婚しているからだ。
兄は23歳で正妃は国内有力貴族の姫。
聖女が能力を発現したころには既に婚約していたしお互い相思相愛の仲だ。
俺はというと、もう21になるというのに婚約者が居ない。王族としては有り得ないが、それは婚約者である姫がいた隣国で政変が起きて、彼女は今や市井の人だから。俺の結婚も直前で白紙に戻った。
聖女が覚醒したころはまだ隣国の政変前だったから彼女の夫選びには苦労していたみたいだが、偶然俺が空いた。ラッキー、と言わんばかりに結婚を決められた、という訳だ。
いわゆる政略結婚だが、俺としては妻となる人を大切にするつもりだった。
しかし、彼女はそうではない様子だ。ただ、それは何となく『言わされている』のでは無いかと感じるほどに凝り固まった答え方だった。
「……教会に、何があるのだろう」
誰も居ないのを良いことに、思わずそう呟いてしまった。
彼女の能力が発現したのは12歳と聞いている。
今17のはずだから5年程を教会で過ごしたはずだが、その間に一体何があったのだろうか。
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「で、どうだった?」
問うた相手は俺の側近で右腕のアステット・デクーニャ。
男爵家四男と身分はあまり高くないが、何でもそつなくこなす器用な奴で、重宝している。公私共に仲が良く、アス、と気軽に呼ぶことも多いほど。
「教会内部で洗脳のようなことが起こっていますね。特に、聖女の役目についてはかなり厳しく教え込んでいる様子です。ただ、それは教会としては当然の事かとも思いますが」
だからこんな、明らかに公私混同な案件まで調べてくれる。
「そうか。やはり、聖女不在となることに怯えているな」
先々代から先代への聖女引き継ぎには、失敗している。その間は結界を護る者が居なくなり、騎士たちが力技で国を護るしかなくなった。
もちろん魔物による被害は甚大になり、国土は荒廃した。
先代聖女が現れて、彼女の代でかなり復興したが、教会への信仰は以前程では無くなった。
だから、前の暗黒の時代に戻ってしまわないよう、教会は常に気を張っているのだ。
「そうですね。先代が力を失う前に聖女を見つけようと躍起になってもいましたし」
聖女の力は、年とともに減っていく。それ以外にも、先々代のように突然失うこともあるが。
「聖女の力はこの国の要だ。教会でなくても、維持しようと必死なのは分かるさ」
教会は信仰を集める為にも日頃から頑張っている、というだけで、王宮も他人事ではない。
聖女の力が失われたら、自分たちが矢面に立って国を魔物から守らなければならないのだから。
「とはいえ、エレシアがどういう境遇なのかは聞いてみないことには何とも言えんな。
調査ありがとう。あとは本人に聞いてみる」
「助けになったようで何よりです」
ニタリと意味深に笑ったアイザックは、俺とエレシアを見守ることが楽しいのだと言う。
人の趣味はそれぞれだが、あまり言いふらすと人望に関わるぞ、という話をしたのはついこの間。
たった数日で報告書に纏めあげて来るのだから彼の腕は確かなものだ。
「やあ、エレシア。ご機嫌いかがかな?」
「ええ」
身体が大きくごついので怖がられるだろうと、精一杯茶化して言ってみたがあまり効果は無さそうだ。
「ひとつ聞きたいのだが、君は遊ぶとしたら屋外と屋内、どちらが好きだ?」
「そのような事を聞いてどうされるのですか?」
「可愛い婚約者の好みを知りたいと思うのは当然ではないか」
「いえ、わたくしは世界を愛する聖女ですので、そのようなお気遣いは不要です」
「俺がしたいから聞いているんだ」
「わたくしは、世界を愛しているので」
何を言ってもその返事しか来ない。ならば。
「それは、もちろん分かっている。俺の婚約者は世界で一番素敵な聖女さまだからな。
エレシアはそのまま世界を愛してくれていたら良い。俺は勝手に君を愛するだけだから」
はっ、と驚いたように目を見張るエレシア。
アイスブルーの瞳がとても綺麗だ。
「それは、どういうことですか?」
「言葉のままさ。君は聖女だから世界を愛していて、俺は君の婚約者だから君を愛している。
何か問題があるか?」
正直なところ、出会ったばかりの彼女を深く愛しているか、と問われたら微妙なところだと思う。
ただ、今大切なのはそこではない。
彼女にいかにこちらを向いてもらうか、それだけ。
「問題ない、ように思いますが……。わたくしは、聖女の力を失う訳にはいかないのです」
「ちなみに、教会ではどうしたら聖女の力が失われると教えられた?」
「世界を愛する気持ちが無くなった時、と」
「では、頑張って世界を愛して欲しい。それとは別に、俺とも遊んでくれたら嬉しいが」
「……ほんとうに、よろしいのですか?」
彼女の冷たい瞳が、ほんの少し喜色を帯びる。
「もちろん」
「では、わたくしは、外で遊びたいです。ずっとそうしたかったから」
「それは良かった。俺も休暇を過ごすならもっぱら外ばかりでな。職業柄というのもあるが、やはり外の方が気が晴れる」
「そうですわね。楽しみです」
そう言う彼女の唇は、ほんの少しだけ弧を描いていて。
この子は『氷』ではなく、ただの女の子なのではないかと、そう感じた。
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