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綺麗な部屋

作者: 中林宙昊

私の部屋ははっきり言って綺麗ではない。

何故なら、朝起きれば「掃除しろ」、昼飯を食えば「掃除しろ」、夜寝る前には「掃除しろ」と家族に口うるさく言われているからで、自覚以前に嫌でも自分の部屋が汚いと思うだろう。


あんまりうるさいと仕方がなく掃除をすることがある。

そういった時に困るのが、どこまで掃除すればいいのかという所だ。

というのもチリひとつ残さず整頓し、床は醤油をかけておわんを持ち食べてもいいくらいには磨く、非の打ち所がないほどの徹底的な掃除をすれば文句も言えなかろうが、はっきり言ってそれは面倒だ。


ならばとするのは当然、手抜きである。


結局の所最後に有無を言わすのは個人の主観であるので、私の部屋を見た相手が納得できる範囲内で最低限の掃除を心がけておくのだ。

例えば、服なんかではクロゼットの中に入ってしまえば外からわからないのでぐちゃぐちゃにしまったりなど、抜ける手は全て抜く掃除をする。

ちなみに世間ではそれをガサツと言うらしい。


個人の主観で綺麗であるかどうか決められるのはイマイチ納得していない。 そしてこの問題は何も掃除に限った話ではないと思う。


ついこの間、事故物件の話を聞いた。

事故物件というのは、過去に居住者が自殺をしただとか凄惨な事件があっただとかのいわゆるいわくつき物件のことなのだが、その裏技なる話を聞いたのだ。



それは、事故物件に三ヶ月住むといわくが取れるらしい。


と言っても実際に幽霊がいなくなるとかそういったことではなく、書面上からいわくつきの烙印が消えるという事だ。


つまり、 実際に事故物件であっても、気が付かずに住んでいることがあるかもしれない。


もしかしたら、世の中には事故物件しか存在しないのかもしれない。


人間が誕生してから数万年、さまざまな命が、さまざまな場所で、さまざまな時間に失われていっている。

それで言えば今呼吸しているこの場所ですら、数え切れない程おびただしい数の霊魂がびっしりといるのかもしれない。


果たして我々は、自信を持って自分の部屋が綺麗だと本当に言えるのだろうか。


話が飛躍しすぎてしまった。


とりもなおさず私が言いたかったのは、主観性に決まった事ですらひとつの概念でしかなく、様々な形で物事は存在している、つまり、 俺の部屋は綺麗だしお前らが口出ししてくるなマジで本当に ということである。

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