第二章 君と一緒に迷路の中(1)
翌日は、星廻学園の入学式だった。
が、ソラは入学式にも出ず、高等部の学園内を呑気に歩いていた。
様々な船の部品が組み合わさって出来ている学園の中は、ちょっとした迷路のようになっていた。上下左右に扉がある場所もあり、上を開ければカフェテラス、下を開ければ実験室、右を開ければエンジンルーム、左を開ければトイレという、摩訶不思議な構造になっていた。
こりゃ教室に行くだけでも一苦労だわ、とソラは思った。でも、迷路みたいで面白い。学校に来たらまず迷路で遊べるなんて、愉快よねえ。
呑気なことを考えながら次の扉を開けると、そこは講堂になっていた。全体は大きなシャボン玉みたいな作りだ。一人がけの椅子がたくさんフワフワ浮いていて、生徒達がおとなしく座っいる。そして、やはりフワフワ浮いた壇上の先生を見上げていた。
これから新入生の皆さんは・・・なんて先生が言っているところを見ると、これは自分がすっぽかした星廻の入学式のようだと、ソラは思った。生徒達の制服はまだ新しくパリッとしている。濃い緑のブレザーに、下は同色のプリーツスカートか、スラックス。胸元には、星廻の校章バッジが誇らし気に輝いていた。
宇宙工学におけるスペシャリストを養成するために生まれた星廻学園の入試の難しさは、太陽系では一、二を争う。なんだかみんな、かしこそうだわー、と、講堂の入り口でふわふわ浮きながら、ソラは思った。
ーーっていうか、あたしよりは、間違いなく賢いわね。あたし、勉強なんて、全然出来ないもん。特に理系は壊滅的。昔、ママがどうにかして、あたしを星廻に入れようと躍起になった時期があったんだけど、無駄な努力だったわよね。それでもあきらめきれずに、星系経済を学べる大学にあたしを入れたけど、肝心の本人は入学式も出ない有様だったし。それに引き換え、みんな、真面目な顔で先生のお話を聞いていること。ママもあたしに、こうなって欲しかったんだな。まあ、無理だけど。あはははは。
頭の中で笑ってから、ソラは、それにしても、と首を傾げた。
ーーそれにしても、みんな、真面目そう・・・ではあるけれど。どうにも覇気がないわねぇ。星廻に入るには、遊ぶ時間もないほど勉強したんだろうに(それくらいじゃないと合格出来ませんよって、ママが鬼みたいな顔で言ってたもん)。合格出来て嬉しくないのかな。さあ、新しい生活を始めるぞっていう、ワクワクした雰囲気は、微塵もないのね。
ソラは、生徒達の間を歩き出した。白いTシャツに、デニムのミニスカート。足元は赤のスニーカー・・・というラフな格好のソラは、講堂では相当浮いているはずだが、生徒達は興味のないことには視線も送らないといった感じで、無表情に壇上の先生を見ている。おそろしくお行儀が良く、ヒソヒソと噂話をすることもない。ソラは肩をすくめた。
ーー新入生は、十五歳前後が多いって聞いたけど。みんな、フレッシュっていうより、枯れてるって形容詞が似合うわね。
司会の先生が、閉会の挨拶を始めた。じゃあ、あたしも出るかと思った時、ソラは、新入生の中にミューゼルを見つけた。ぶかぶかの制服に身を包んだミューゼルは、その枯れた新入生の中、ひどい仏頂面をして、ふわふわと揺れる椅子に座っていた。
「あ! おーい、ミューゼル!」
知り合い(←だと、一方的に思っている)に会えた嬉しさで、ソラは大きく手を振った。
「やっほー、おはよー! 制服似合うじゃーん! それ着てると、森の妖精じゃなく、学生に見えるよぉー!」
「森の妖精って・・・お前なあ!」
ミューゼルは怒りで真っ赤になった。さすがに、周りの生徒達が、二人を見た。
ーーも・・・りの、ようせいって、なんだあ?
ソラは、浮かれた足取りでミューゼルに近づいた。無邪気に彼の肩を叩くと、
「ねえ、今日は、午前中で終わりなんでしょ? 一緒に、ゾイア君のとこでランチしない? サンドイッチ、作ってくれるって言ってたよ。おじいちゃんの作る卵のサンドイッチ、絶品なんだ〜」
「お前、何言ってるんだ」
「なに? それとも先約ある? 新しい友達とランチ? だったら、その子も連れておいでよ」
「友達なんか、いるかっ!」
ミューゼルは、語気荒く、ソラの手を振り払った。
「いいか、今後一切、俺に話しかけるな。迷惑だっ!!」
「無理だよ。同じ学園にいるんだもん。絶対、顔合わせるって。あなた、頭良いんだから、それくらい分かるでしょーに」
「だから、顔を合わせても話しかけるな!」
「なんで?」
ソラがきょとんとして聞き返した時、
「なんで、は、こっちのセリフです、理事長・・・」
背後に忍び寄った男の声に、ソラはぎょっとして振り返った。
「なんでこのタイミングで、現れるんですか。入学式をすっぽかした挙句に、入学式の邪魔までして、あなた、本当に理事長ですか」
「あの・・・あなた、だれ?」
「お初にお目にかかります。私は、理事長秘書、ユキハラ・マナブです」
二十代なかば、紺色のスーツを着た青年が答えた。
「えーと、つまり、ママの秘書?」
「残念ながら、今は、あなたの秘書です」
「あ、そっか。理事長は、あたしか」
「ええ。ですから、この一週間、何度もあなたに、ハロー・ボールを送らせて頂きました。平面では失礼だと思って、わざわざ立体のものを。しかも自費で。私の一週間の食費がそれで消えました。なのにどうして、新理事長は、返事の一つもくれなかったんでしょうねえ」
紺色のスーツを着た青年は、恨みがましい表情でソラを見た。
ソラは、左腕の時計に目をやった。確かに、ここから、空色のボールがポンポン出てくるとは思っていたのだ。そうか、あれは、この青年が送ってくれた、ハロー・ボールだったのか。平面でも、立体でも、その人の姿と声を、好きな場所に映し出して使える、最近人気のメッセージ・ツールである。
「ごめん、ごめん。どうせ学園からのお知らせかだと思うと、割るのも面倒でさ。今、割るね」
「ちょっと、今、割ってどうする・・・!」
ソラがぽんと時計を叩くと、空色のボールが次々と溢れ出し、講堂の中でくるくる回った。そして一斉に割れると、中から青年ーーユキヒラ・マナブが現れた。しかも一人ではない。たくさんのユキヒラが、講堂の中で直立不動の姿勢で立っていた。
「・・・え?」
生徒も先生も、あっけにとられた。そんな中、ボールから現れたユキヒラ達は、緊張しまくった顔で、勢いよくお辞儀をした。そして、
「お初にお目にかかります! 理事長秘書ユキハラ・マナブです! どうぞよろしくお願い致します!!!!!」
大音量で叫んだ。
緊張しているのか、声が完全にうわずっている。そのあまりに必死な響きに、一人の生徒が思わず噴き出した。
一人が笑うと、もう一人が笑い、その横の生徒がつられて笑い、先生達まで苦笑いして、講堂は急に和やかな雰囲気になった。
「・・・あー、はい、よろしく、ユキヒラ君」
ソラが呟くと、ボールから現れた青年達は消えた。代わりに、現実のユキハラが、憤怒の表情で、ソラの前に立っていた。
「あなたって人は・・・僕をおちょくっているんですか」
「そんなつもりはないんだけど・・・怒ってる、みたいね?」
「怒ってますとも」
ユキハラは、ソラの腕をがっしり掴んだ。
「一昨日の理事会には現れない。昨日行われた父兄との話し合いにも出席しない。挙句に今日の入学式にも姿を見せない。新理事長は何を考えているんだって、あちこちから責められたのは僕ですよ。会ったこともないあなたのために、僕がもう何回頭を下げたと思ってるんです。皆さんに言われた嫌味の数々、お望みでしたら、あとで全部お聞かせします」
「いやあ・・・それはちょっと遠慮したいなあ」
「遠慮なんてなさらずに。でも、今は、会議です。この後行われる新年度最初の会議には、何があっても、参加してもらいますっ!」
「ええー、あたし、会議なんて出たことないよ」
「出るんです! あなた、この学園の理事長でしょう!」
「好きでなったわけじゃないんだって」
「知ってます! でも、欠席なんて、ぜったい、ゆるしませんっ!!」
なんだか、ママみたいに口うるさいのが現れちゃった――と、ユキハラにひきずられながら、ソラは溜息をついた。
☆
「あ・・・なたが、新しい理事長、です、か」
ユキハラに連れられ、会議室に現れたソラを前に。
星廻の先生達は驚いた表情を隠さなかった。
「随分お若いし・・・その、らしくない――いや、イメージと違う、というか」
「あー、ママみたいな人が来ると思ってました? あたし、父親似なんですよー」
「いや・・・お顔はよく似ていらっしゃいますが、雰囲気が・・・あの、あまりに違って」
のほほんとした顔で笑うソラに何と言ったらいいのか分からなくて、先生達は黙ってしまった。
とりあえず・・・入学式をすっぽかす理事長なんて聞いたことないし。
Tシャツに、ミニスカートで会議に出る理事長も、見たことない・・・んだよなあ。
新しい理事長は、前理事長がいつも背筋を伸ばして座っていた、浮遊型のチェアに、足をぶらぶらさせて座っている。理事長というよりは、ただのその辺のおねーちゃん、といった風情だ。
ーーこの人が新しい理事長だなんて。だ・・・だいじょうぶかな、うちの学園。
「では、えー、理事長がいらしたところで、今年のスケジュールを確認します」
それでも、学園長が気を取り直して、会議を始めた。
「まず4月は、回線工学の初期レベルテストを行います。5月は、新規惑星開発に関するテスト、近距離専用船のエンジン構造に関するテストの二つ。六月は前半に太陽系運行表の組み方を学び、後半は一般教養も含めた総合テスト第1回目を行います。7月には、宇宙工学1の中級レベルテストを予定しているので、ゾイア教授にもご協力を願い、試験問題の作成を・・・」
「え、ちょっと、待って」
ソラは、驚いて手を上げた。
「な・・・なんでしょう、理事長」
「まさかと思うけど。この学園って、毎月テストがあるの?」
「あります、けど。今挙げたのは必修のメインのテストで、他にも選択科目別に毎日テストを行いますが・・・」
「毎日、テスト!? それじゃ、生徒はいつ遊ぶの? スポーツ大会は? 遠足は? 学園祭は? 研修旅行は? クリスマスパーティに、ハロウィンに、ダンスパーティーは?」
「理事長。ここは、星廻学園ですよっ!」
後ろに控えていたユキハラが、焦って耳打ちした。
「宇宙工学のスペシャリストを養成するための学園です。遊んでいる暇なんてありますか!」
「ないなら、作ろうよ〜。あたし、遊びの計画を立てるの、得意だよ」
「そんな計画いりません!」
「だって、ゾイア君が、あたしは、遊び方を教える人だって」
「あなたの知り合いの意見なんか今は関係ない・・・え? 今、ゾイア君って、言いました、か?」
「うん。ゾイア君が言うにはね、ミューゼルは、あたしに人生の遊び方を教わった方がいいんだって」
「まさか、あなた・・・ゾイア教授と、ミューゼル・エルノリアのこと、言ってます?」
「そうだけど」
頷くソラを見て、ユキヒラと先生達は、ざわついた。
ゾイア教授、が? 星廻学園回線光学部統括部長であり、星廻研究所全体の統括責任者、前理事が最も信頼していた、あのゾイア教授が。この訳のわからない小娘に、生徒に遊び方を教えてやれと言った、だって? しかもその生徒って、なんで今更、星廻の高等部に入ったのかさっぱり謎の、ミューゼル・エルノリア!?
「あの・・・ゾイア教授と理事長の関係は、どのような」
「そうだねーー仲良しだよ。あとは、秘密」
まさか、二人に血の繋がりがあるとも思えず尋ねた先生に、ソラはふふっと笑って答えた。
尋ねた先生は、思わずドキッとして、胸を押さえた。
だって、その笑みは、それまでの能天気なイメージとはまるで違うーー謎めいた、甘い薫りの笑みだった。ぼんやりしていたらあっという間に騙されてしまいそうな、だけどちょっと騙されたくなるような・・・そんな笑み。
けれど次の瞬間、ソラはいつものソラに戻って、
「というわけで、みんなで遊ぼう! まずは今月、そうだなあ、クラスメートとの親睦を深めるために、お茶会でもしようか」
「何バカなことを言ってるんですか。第一、星廻には、決まったクラスなんてありません。選択科目が細かく分かれていますから、自分に必要な授業を自分で選ぶシステムです。全員が集まるのは入学式と卒業式くらいです。その入学式も、どこかの誰かさんが、台無しにしましたけどねっ!」
ユキヒラが、頭の血管がちぎれそうな声を出した。ソラは不満そうに、
「ええー? それじゃ、クラス対抗の球技大会が出来ないじゃない」
「だから、球技大会なんてありませんってば」
「そんなの、つまんなーい。天下の大イベント、学園祭だって、クラスでやるから楽しいんだよぉ」
「だーかーら。そもそも学園祭なんてものが、星廻にはないんです」
「分かった。じゃあ、まず、クラスを作ろう!」
「・・・はい?」
「学年ごとにクラスを作って、すべての行事をクラスで取り組むの。となると、担任がいるね。あー、じゃあ、あたし、ミューゼルのいるクラスの担任になる。あの子、面白そうだもん」
けらけらと笑うソラを前に、ユキヒラと先生達は絶句した。
な・・・にを言ってるんだ、このおねーちゃんは?
冗談だと思うけど。
ゾイア教授のことがなければ、冗談だと思いたいけど。
五十代の学園長が、恐る恐る手を挙げた。
「それは・・・その、ゾイア教授のご協力も見越した上でのご判断・・・なのでしょうか?」
「ゾイア君の? あぁ、うん、声をかければ、喜んで一緒に遊んでくれると思うよ」
「あ・・・遊ぶ?」
「いい加減にして下さい、理事長!」
皆が圧倒され始めた中、ユキヒラだけが果敢に立ち上がった。
「星廻における理事長の権限は、絶対なんです。あなたがすると決めてしまえば、どんなバカバカしい提案だって、誰の許可も取らずに実行出来るんです。軽々しい発言は控えて下さい」
「なーんだ、そうなんだ。じゃあ、勝手に決めちゃおっと」
「ちょ、ちょっと、待って」
「はい、ではこれから、星廻は、すべての行事をクラスで取り組みます。さあ、みんなで、力を合わせて、頑張ろう〜!」
ソラが、高らかに宣言すると、左手の時計から、華々しいファンファーレが流れた。
ついで、色とりどりのハロー・ボールが無数に溢れ、楽しげに弾んだ。
「かしこまりました! 夢木理事長の提案を、学園中にお届けします!」
ボールは会議室から廊下へ、廊下から教室へ、学園中に無数にばらまかれ・・・。
「夢木ソラ理事長の新提案、『全ての行事をクラスで行う』が承認されました。学園は直ちに、この提案を実行して下さい。クラス割り、各月の行事の設定が、現在の星廻における最重要事項です。本日より星廻学園の教育理念は、『みんなで力を合わせて、がんばろ〜』です。過去の教育理念は早急に削除して下さい」
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「これはまた・・・派手にやらかしたなあ」
シュロス・ロゼまで届いたハロー・ボールを、銀のスプーンで割ったゾイア教授は、クスクスと笑った。
「予想以上だねえ。これからが楽しみだ。期待してるよ、夢木ソラ」