第一章 森の妖精と、薔薇の城(3)
「ああ、ミューゼル、いいところに来た。紹介しよう、この学園の新しい理事長、ソラ、夢木ソラだよ。前理事長のお嬢さんだ」
「・・・」
にこやかな教授とは逆に、ミューゼルと呼ばれた少年は、憮然とした表情を浮かべて、ソラを見た。
「ゾイア教授、俺には理事長なんて関係ないーー」
「関係あるさ、君が通う学園の理事長だよ」
「だから俺は、学園なんて行かない」
「あのー、ちょっと、割り込んでいい?」
ソラが、口を挟んだ。
「つまり、あなたーーミューゼルって言ったっけーーあなたは、ホログラムでもなければ、アンドロイドでもない、ってこと?」
「あんた、何言ってんだ?」
「いやー、あんまり綺麗な顔してるから、どっちかに違いないって、思い込んじゃった。だって、緑の森が似合う美少年なんて、なかなかいないよ。泣き顔まで綺麗で、びっくりちゃった」
「・・・・!」
ミューゼルは、真っ赤になって、ソラを睨みつけた。ソラはまったく意に介さず、
「そうかぁ、君、星廻の生徒だったのか。あれ、でも、それにしては随分と若いような気がするけど。ここって、高等部と大学部しかないんじゃないんだっけ?」
「ミューゼルは、大学部の試験をパスしてるよ」
と、ゾイア教授が答えた。
「もっとも、大学部に入って学ぶことなど、彼にはないだろうけど。むしろ、学生を教える立場の方が相応しい」
「・・・それはこの子が、天才だってこと?」
「ずば抜けてるよ」
「じゃあ、やっぱりアンドロイドじゃない! 綺麗で天才なんて、そんな人間がいるもんか!」
ソラが叫ぶと、ミューゼルは眉をしかめた。
「あんた、何言ってんだ。とにかく、教授。俺は学園には行かない。ここで、回線工学の研究をする」
「だめだよ」
ゾイア教授は、やんわりと、でもきっぱりと言った。
「君は、星廻学園の寮に入って、ここの高等部に三年間通うんだ」
「高等部!? 大学ですらないってことか? しかも三年間も?」
「そうだよ。それが出来ないなら、今後、僕の研究所に出入りすることも許可しない」
「そんな! それじゃ、俺がここに来た意味が」
「ないだろうね。君は、僕の研究所の設備を使いたくて、ここに来たんだものね」
「分かってるなら」
「いいかい、ミューゼル、君はね」
教授は、ゆったりと頬杖をつき、ミューゼルを見上げた。
「今まで学び損ねたものを、ここで学びなさい。ソラは、君が知らないことーー人生の遊び方を教えてくれる人だから」
「俺には・・・ないから」
「ん? 何が、ないんだね?」
「遊んでる暇なんか、俺にはないから! 苦労知らずのお嬢さんと遊んでいる暇なんか、ないから!」
ミューゼルは怒鳴ってーーだけど、空の色をした瞳を不安そうに揺らして、その場を去ってしまった。
ゾイア教授は、お茶のお代わりを、ソラにすすめた。ソラは二杯目の紅茶に、角砂糖を落としながら、「・・・で、結局のところ、あの子、誰なの?」と、訊いた。
「彼は、ミューゼル・エルノリア。回線工学の世界では、知らない者はいない天才少年だよ。まだ十二歳だ」
「もしかして、この研究所のスタッフだとか?」
「いいや。昔からここには出入りしているけどね」
「ここって、スタッフ以外が出入りしていい場所なの? 部外者のあたしが言うのも何だけど」
「僕はここを閉ざされたお城にするつもりはないよ。誰だって好きにお茶を飲みくればいいと思っている。まあ、簡単に辿り着かれてもつまらないから、それなりの暗号を解かないと、この城へのルートは解除出来ないけどね。暗号は日々変えているし」
「それを、あの子は解除しちゃったの? へー、あたしには無理そう〜」
「だから、鍵を送ったじゃないか。暇つぶしに作ったルートが予想以上に面白かったから、試してみたかったんだ。でも、実際使ったら、ちょっとバグが出たね。改良の余地アリだなあ。異空間に飛ばされなくて良かったよ」
ゾイア君が言うと、冗談に聞こえないから嫌なんだよなぁ、と、ソラは顔をしかめた。
「で? ゾイア君と、あの子の関係って?」
「ああ、私は、彼の地球における後見人なんだ」
「ってことは、両親は」
「いない。歳の離れた姉がいるんだが、連絡を取るのが難しい人でね」
「ゾイア君が、後見人になった理由は?」
「・・・愛した人の孫だからね」
教授は、城を見上げて微笑んだ。
「白い薔薇の似合う人だったよ。彼女が忘れられなくてーーこの城を作った時、壁に白い薔薇を絡ませたんだ。完成した時は、可愛いイルゲに再び逢えたような、不思議な気持ちになったよ・・・」
「はいはい、適当なこと言わないの」
「失礼な。適当なことなんて言ってないよ。私の初恋の人なんだ」
「その後、数えきれない人と恋愛してきたでしょーが。今だって、恋人いるくせに。言いつけちゃうぞ」
「そんな意地悪な事を言うもんじゃないよ」
教授はひとつ咳払いをした。それから、ずいっと身を乗り出して、
「ところで、ミューゼルが泣いたのを見たというのは、本当かい?」
「え? ああ、うん。泣き顔までえらく可憐だったけど」
「うんうん、イルゲもそうだったよ。あの可憐な泣き顔が見たくて、よく映画に連れ出したもんだ。わざと悲しいストーリを選ぶんだ。繊細な彼女は、感情移入して、必ず泣くからね。しゃくりを上げまいと、ハンカチで口を押さえる仕草がまた、いじらしくてねえ。僕は、甘酸っぱい気持ちで一杯になったもんだよ。絵に描いたような初恋だろう」
「どこがよ。趣味の悪いデートしちゃって、ゾイア君らしい」
うっとりと思い出に浸る教授を見ながら、ソラは溜息をついた。
ーーあーあ。星廻学園にいる知り合いはゾイア君だけなのに、まったく頼れる気がしないし。今日だってのんきにお茶を飲むだけで、ブレスレットを外してもらうことも出来なかったし。ママとパパが何処に行ったのかも分からないし。もう、やっぱ、メンドクサイから、今からでも遅くない、何処かの星にトンズラしようかなぁ・・・。
淡い緑が煌めく午後の庭園で、ソラは深い溜息をついた。
第一章 森の妖精と、薔薇の城 了 〜第二章へ続く