27.隆司との距離
学校内でちらほらと噂が立ちはじめた。
鮮烈なデビューを飾った新人の赤坂夏芽と、地味で天然な女子高生の赤坂夏芽が同一人物ではないかというものだ。
夏芽は相変わらずの眼鏡に三つ編みスタイルで目立たないように生活していたつもりだが、一度わいた噂は消えるどころかどんどん大きくなっていった。噂が広がれば、確かめようとする者も出てくる。夏芽の生活は段々と平穏ではなくなっていった。
「もうバレるのも時間の問題だね」
「そもそも隠す必要なんてあるの?悪いことしてるわけじゃないんだし、夏芽ちゃんは元々かわいいんだしさ」
「夏芽ちゃんはみんなに知られて周りの態度が変わるのが嫌なんだよ」
「今までどおりでいたいってか・・・」
それは無理というものだ。ただ芸能界デビューした程度ならそれも可能かもしれなかった。だが夏芽は、今や知らない人はいないという程有名になってしまっている。
夏芽は戦う相手が隆司だけではないことを痛感していた。
「あ、あの子。ほら・・・」
「一年のときからいるんでしょ?全然気付かなかったよね」
「なんであんな格好してるんだろ」
「やっぱ司とはできてるのかなぁ?」
夏芽が通った後にはひそひそと噂話が咲く。聞こえないふりをして通り過ぎ、夏芽は黙々と帰り道を歩いていく。
違う世界に飛び込んだために戻れなくなった元の世界。かつてふにゃふにゃとあどけない笑顔を浮かべていた夏芽の顔からは血の気が失せていた。今は笑うこともできない。
学校からそう遠くない自宅へ、ふらふらと歩いていく。精神的に疲れてしまった。
ふらふら、ふらふら・・・。そのまま夏芽は道端に倒れてしまった。
目覚めた夏芽は見知らぬ部屋にいた。広くてきれいだが、殺風景な部屋だ。もちろん自宅ではないし、病院でもなさそうだ。
(私、どうしたんだっけ・・・)
思い出せない。ぼうっとしていると、ドアが開いた。現れた人物に目を丸くする。
「あ、目ぇ覚めたんだ」
「つ、司さんっ?」
夏芽が寝ていたのは隆司の家のベッドだった。なぜこんなことになっているのか理解できない。
「そんな顔しなくても、何かしようなんて思ってないから安心してよ。むしろびっくりしたのはオレの方なんだよ。道端に人が倒れてて、拾ってみたら君なんだから」
(拾ったって・・・人を物みたいに)
「助けてくれたんですよね。ありがとうございました」
「オレは拾っただけだから、気にしないで」
「だから拾ったって・・・」
「でも大丈夫?病院連れていった方がよかった?」
「・・・いえ」
やりにくいなぁと思う。隆司はいつもこうだ。何を企んでいるかわからないうえに、やることもよくわからない。狂暴な気を感じるときもあれば、ふと優しくなったりもする。
どれも本当の姿なのか、どれも計算された姿なのか。
「あの、ところでなぜ聖ヶ丘にいたんですか?」
「あぁ、鈴子を迎えにいこうと思って。仕事がたまたま近くであって、せっかくだし乗せていってあげようかなって」
「優しいんですね」
「でも途中で君を拾っちゃったから中止」
「・・・・すいません」
なんだかよくわからないが謝っておく。
「それで、夏芽はなんであんなところで倒れてたの?」
「倒れたくて倒れてたわけじゃありません。なんか最近疲れちゃってて、それで体調を崩したんだと思います」
「ふぅん。なんか苦労してんの?」
夏芽はちらりと隆司をうかがう。この人はどうなのだろう。普通の生活から特別な世界へ飛び込んで、苦労はしなかったのだろうか。
そもそも隆司にいたっては普通が普通でない状態で芸能界に入ったのだから、夏芽の感じているような苦しみはない。その代わり別の苦しみは嫌というほど味わっている。彼の今までの経緯はむちゃくちゃなのだ。
しかしそれを夏芽は知らない。少しは紫音から聞いているが、詳しいことまではわからない。
「人気があるって、大変ですか?」
「は?」
「周りとの距離とか、いろんなこと言われたりとか・・・」
「そんなの気にしたことないし、わかんないよ」
あっさり言われてがっくりしてしまう。聞く相手を間違えたようだ。
だが、これくらいの心の強さがないと頂点にはいられないのかなとも思う。
「なに?学校で何か言われたりしてるわけ?」
「いえ・・・。ただ、ちょっと生活しずらいなって感じるようになっちゃって」
「ふぅん・・・」
隆司は急に声を落として夏芽から目を逸らした。
「君はよくばりだな」
「え?」
「紫音も鈴子も傍にいて、所長までついてる。オレのほしいものは全部持ってるのに、君は他のものをほしがってる。贅沢だよ」
夏芽は言葉を失ってしまった。そんなこと考えてもいなかったのだ。
「ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ・・・」
「べつに謝ってほしいわけじゃないよ。責めてるわけでもないし。ただ、オレはほしいものは手に入れるから。まだ諦めてないんだ。だからこそ君とも戦うつもりでいる」
「紫音さんがそんなに必要ですか?」
「あぁ。離れてもつながってるなんて、オレには理解できない。手の届くところにいなくちゃ、いずれ紫音はオレのことなんて忘れてしまう」
紫音とのつながりは、他の人間には入り込めない深い血のつながりだ。だが隆司はそもそも血のつながりを信じることができない。両親の愛が信じられない隆司に、兄弟だからと言っても気休めにもならないのだ。
(この人は不安で仕方ないのかもしれない・・・)
もし隆司のほしがっているものが物だったなら、夏芽はすぐにでも返してあげたかもしれない。だが紫音は物ではない。隆司がどれだけほしがっていても、紫音自身の気持ちを無視するなんてできない。
やはり負けられないのだ。
「傍にいるから安心できるってものでもないと思いますよ」
「でも、いないよりはいた方がいい。オレの苦悩は君の苦悩より軽いものかな?」
そんな風に言われたら答えられなくなってしまう。
「司さんて、本当によくわからない人ですね」
「べつにわかってほしいなんて思ってないよ」
「そうでしょうけど・・・。なんだろう、あなたがそんな風じゃなかったら、私はきっと戦おうとなんてしなかったのに。もっと協力的に、温かく見守れたような気がするのに」
隆司がいなければ、きっと今の自分はなかったと思う。良くも悪くも彼の影響を一身に浴びてここにいる。
「もう嫌になった?」
「いいえ。むしろやる気が出ました」
夏芽は大きな瞳で真っ直ぐに隆司と向き合う。その姿に、隆司はうれしそうに笑った。
「不思議なんだ。君を見てると自分の今いる場所がわかる気がする。同じ場所で勝負をしようなんて思ったのは、夏芽が初めてだよ」
口説き文句でもなんでもない。だが無邪気に笑う隆司に、夏芽の胸は急にドキドキしはじめた。特別だと言われているようでむずがゆい。
「そうだ。ちょうどいい仕事の話があるんだ」
隆司は急に思い出したようで、部屋から出ていくと一枚の書類を持って帰ってきた。夏芽に差し出す。
「夏芽、映画やろう」
「えっ、映画?」
「オレとやり合うなら打ってつけだろ」
夏芽は戸惑った。あのCMの仕事以来、まだこれといって大きな仕事をしていない。それなのにいきなり映画だなんて、どうしていいかわからない。
「この映画、主役はオレなんだけど、学園ものだからいろんな面子が出れるんだ。しかも演技の息を合わせるために一ヶ月合宿しながら撮るんだって。おもしろそうだろ?」
「えっ、えぇ・・・まぁ」
「ちょうど夏休みの期間だし、大丈夫だろ。オレから推薦しとくし、やるよな」
「え、いや・・・・」
「なに?やらないの?」
ちょっとテレビに出ただけの小娘を相手に、何を言いだすんだと思わずにはいられなかった。隆司の感覚はぶっ飛びすぎている。
「やるとかやらないとか以前に、私にはできないんじゃないかと・・・」
優磨は女優の道に進むのもありだと言っていた。あれから夏芽自身も考えてはいたが、だからといってそのために何か始めたということもない。演技に関してはまったくの無知なのだ。
そんな夏芽の心配をまったく無視して隆司は言ってのける。
「どうしてできないの?できるよ、夏芽なら」
「何を根拠に・・・」
「やればできる。やらなければできない。オレと勝負するためにはやるしかない。だから夏芽はできるんだ」
むちゃくちゃな説明だ。でもそこまではっきり言われると、やってみようかなという気になってくる。
(私も大概マイペースな方だけど、この人のメチャクチャなペースにはかなわないなぁ。巻き込まれてやりにくい・・・・)
思いの外隆司と対等に話している自分が信じられない。今接している隆司からは恐ろしさを感じないのだ。
「オレは夏芽とやりたい」
「ちょっと、考えさせてください・・・」 夏芽は返事を保留した。事務所の人や親にも相談しなければいけないので当然だ。
だが、夏芽の応えに隆司は子供のように不満げな顔をする。それを見て、夏芽の胸はまたドキドキしてしまうのだった。