恋愛トラブル(2)
事情を話した海人は鈴子にバカだのアホだのと散々に言われ、気分はどん底だった。満月のことはなんとかしなければならない。でもそれ以上に今は、愛海とのことをなんとかしなければ。
このままでは終わってしまう。せっかく成就した恋が、振り出しに戻るどころか嫌われてしまうかもしれない。
とぼとぼと帰り道を歩いていく。下ばかり見ていた海人は、家の前にたたずむ人物に直前まで気付かなかった。顔を上げてびっくりする。びっくりしすぎて声も出ない。
「お、おかえり。待ってた・・・」
立っていたのは愛海だった。怒っている様子はないが、落ち着いているようにも見えるその姿の方が逆に恐かった。
「愛海・・・」
「海人、お邪魔してもいいかな」
「あっ、あぁ、うん」
たくさんの謝罪の言葉が浮かんだが、どれも口に出ず消えていった。
海人は愛海を気遣いながら家の中へ案内する。
「誰もいないの?」
「そう、みたい。母さんも出かけたのかな」
玄関は鍵がかかっていたので裏口の方から入れてもらった。海人の家に入るのは初めてではない。だが以前入ったのは小学生の頃に数回ほどで、今では記憶もおぼろげだ。
「部屋、行きたい・・・」
「えぇ?う、うん、わかった・・・。でもちょっとだけ待って。片付けてくる」
海人は急いで二階に上がる。普段からそんなに汚れていないが、一応見ておかないと何があるかわからない。
一人部屋に入った海人は、急いで片付け・・・ではなく、急いで頭を整理しようとした。
愛海の真意が読めない。大嫌いだと言っていたのに、今は部屋に行きたいと言う。怒っているはずなのにひどく落ち着いて見える。いったい愛海は自分に何を求めているのだろうか。
(怒りを通り越して呆れてるとか・・・。この後俺は冷静にふられるのか?どうしたら・・・どうしたらいい?感情的に怒ってくれた方がまだ望みがあるような気が・・・・)
いくら考えても何も見えない。
当然といえば当然だ。海人はこよなく愛海を愛しているが、その気持ちが強すぎるせいか愛海がどういう想いを持っているかをあまり考えたことがない。海人にとっては自分の想いを愛海が受け入れてくれるかが重要であり、その奥の気持ちまで深く考えたことなどないのだ。
「あぁ・・・・俺はどうしたら・・・」
「なにやってるの?」
我に返る。開けっ放しのドアの前に愛海が立っていた。ぐるぐると考えすぎて時間が経つのも忘れていたようだ。
「片付けるのにいつまでかかるのよ。そもそも片付けてるように見えないし」
「いやっ、その、ごめん。ど、どうぞ・・・」
愛海は部屋に入ると、大きく深呼吸をした。そして意を決した顔つきになると、いきなり海人をベッドに押し倒した。海人はわけがわからない。
「なっ、なななな、なにっ?えっ?」
愛する愛海に襲われて完全にパニックだ。
「しよ」
「へ?」
「しようよ」
「なっ・・・。愛海?」
愛海は強引にキスをすると服を脱ぎはじめた。その手を海人は急いで止める。
「ちょっと待って。ストップ、愛海」
「なんで。どうして?」
「なんでって、いきなりこんな・・・」
「いきなりじゃなきゃできるの?いつもしてるからできるの?あの子とは」
海人は一気に落ち着いてきた。
「私じゃダメなの?私と知っていくんじゃダメなの?海人は練習って言ってたよね。どうしても練習しなぎゃ、ダメ?」
顔を真っ赤にして今にも泣きそうな愛海は、たまらなくかわいかった。安心させてあげたい。海人は起き上がって愛海を抱き寄せた。
自分が想っているように愛海も自分を想っている。海人はやっと気付いた。
いつもいつも一方的に気持ちをぶつけて、それに愛海が応えてくれることが幸せだった。愛海が好きで、一緒にいたくて、誰にも渡したくなくて。同じように愛海だって思うことがあるのだ。海人が好きで自分のものにしたい。今までそんなこと考えもしなかった。
「私、恐いけど・・・嫌じゃないよ」
「うん」
「うまくいかなくても海人のことかっこ悪いなんて思わないよ」
「うん、わかった」
海人は満月との関係をきっぱり終わらせようと心に誓った。気持ちがすっきりして考えると、鈴子がバカだアホだとののしったのも理解できる。本当にバカだった。
海人の腕のなかで、段々と愛海の力が抜けていく。おそらく相当な勇気をふりしぼっての行動だったのだろう。
「ごめんね愛海。俺、本当にどうしようもない奴だった」
「本当だよ。すごく焦らされた。でも、おかげで今まで以上にいろんなことがわかった」
愛海はじっと海人の目を見る。
「私は海人が好き。想われて、それを受け入れることで恋愛が成立してる気になってた。でも、私は今、自分でも手に負えないくらい海人が好きで、時々わけがわからなくなる。私は海人の一番でいたいの。想われるのも、想うのも」
「ま・・・愛海」
(やばい。これはやばいよ、かわいすぎる)
海人はなんとか理性を保とうとした。さっきの愛海は本気だったかもしれないが、気持ちを確かめ合った今、逆に押し倒したら軽く思われてしまいそうだ。
(ダメだ、そんなの・・・)
海人は愛海を押しやった。抱き寄せておいて押しやるのもどうかと思うが、海人にはそんなことを気にする余裕がない。
「海人?」
「ごめん。ちょっとの間離れといて」
「どういうこと?」
「だから、その、俺も男だから我慢できなくなるっていうか・・・。でも愛海のこと大切にしたいし、今の流れでするのは違う気がするっていうか・・・・」
愛海は何も言わず、海人から離れてベッドの隅に座り直した。言われた意味はわかっているようだ。顔が赤い。
二人の間に微妙な空気が流れる。この場にみんながいたら、初々しいとでも茶々が入りそうだ。
離れて時間をおいてみても、相変わらず心臓がドキドキしている。愛海はちらりと海人の方を見た。目が合った。
お互い熱っぽい目で見つめ合う。
(どうしよう・・・)
無言で再び近付き、意思が通じ合っているかのように唇を重ねる。そのまま身を任せてしまいそうだった。
「海人ぉ?帰ってるのぉ?」
突然下から声がかかって、二人は飛ぶように離れる。心臓の音はドキドキからバクバクに変わっていた。熱っぽいムードは一気にぶち壊れ、驚きのあまり青ざめてしまう。
「か、母さんだ」
リビングにカバンを置きっぱなしだった。帰ってきてそれを見たのだろう。
やましいことはしていないつもりだが、母親のいない間に女を連れ込んだと思われては困る。愛海とは真剣につき合っていると理解してもらいたい。
「俺、ちょっと行ってくる」
海人は慌てて出ていこうとした。ドアを開けようとドアノブに手を掛けたとたん、勢いよく外側からドアが開けられた。体勢を崩した海人は廊下に転がる。
「うわっ。ごめん海人」
転がり出る海人をよけたのは、母親ではなく姉の千秋だった。母親と一緒に帰ってきたらしい。
「なにそんな慌てて・・・って」
部屋の中にいる愛海と目が合い、しばし沈黙。
「姉貴、これはその・・・」
「あ、あぁ。ごめん、お邪魔しちゃったみたいで」
「お邪魔だなんて。何もしてませんし」
言ってからはっとする。これでは何かしようとしていたみたいではないか。
「ねぇ、海人。この子って、あの・・・」
「うん。愛海」
「そうなんだ。いやぁ、なんか可愛い。私、千秋です。会うのは初めてだったかしら。なんかもう初めてって感じじゃないっていうか、海人がしょっちゅうあなたのこと話すから」
(しょっちゅう?は、恥ずかしいっ)
そもそも姉の千秋は、愛海のために変わりたいという海人を裏で支えてきた人物だ。元がいいのは言うまでもないが、千秋の力によってその魅力は存分に発揮されていると言っていい。
千秋は弟をホーリーナイトに育て上げたスーパーお姉さんなわけだ。
「せっかくだし夕飯食べていきなさいよ」
「えっ、そんな。すぐ帰りますから」
「遠慮なんかしなくていいのよ。うちの家族はみんなあなたのこと知ってるんだから。いつ連れてくるのか待ってたくらいなの」
愛海は思わず海人をにらんだ。
(いったい何をどれだけしゃべったんだ、こいつは)
ここまでくると断る方が逆に失礼な気もしてくる。愛海はテンション高めな千秋に引っ張られて階下に降りる。そこで待っていたのは、やはりテンション高めな海人の母親だった。海人の家族なんだなぁと、妙なところで納得してしまう。
その夜、愛海はもうひとつの家族と楽しい時間を過ごした。