表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/39

それぞれの思い 春(2)

 あの日以来、こうして顔を合わせるのは初めてだった。隆司たかしは変わらず仕事をしていたが、紫音も鈴子もまったく関与していない状態だった。

 隆司の家に柴田しばたを含む四人で集まり、これから話し合いが行われるのだが、なんとも気まずい空気が場を取り囲んでいる。隆司は少し痩せたように見えた。気持ちは落ち着いているということだが、いつ爆発してもおかしくないように感じた。

 「隆司、これから大事な話があるんだ」

 「あんまりいい話じゃなさそうだね」

 冷静な隆司の横で、柴田の方が不安げな顔をしている。

 「俺、違う人のスタイリストにつこうと思ってるんだ」

 「違う人?」

 「今度デビューする新人なんだ」

 「オレは?」

 「隆司の周りにはたくさん優秀なスタッフがいるだろ。俺じゃなくても立派につかさをコーディネートしてくれる」

 戦うというより、ヒナを巣立たせるような感じになってしまう。頼りない声の隆司を前にして、紫音は冷たくできない自分の甘さを痛感した。

 「紫音はオレから離れるの?」

 「仕事のうえではだ。俺たちは兄弟だろ。家族としてはずっと傍にいるよ」

 「・・・・いいよ、もう。紫音も鈴子もオレから離れていくんだろ」

 嫌だと言って聞かないのかと思っていたのに、隆司は力なくあきらめの言葉を口にした。ダメだ、落ちてしまう。紫音と同じく鈴子もそう思った。

 「隆司さん、私はこの先も傍で働きますよ」

 「・・・なんで?」

 「なんでって・・・。私が傍にいたいからです」

 「いいよ、無理しなくて。好きでもないくせに傍にいたいとか言うなよ」

 鈴子は言葉に詰まってしまった。隆司は自分にどんな感情を求めているのだろうか。恋人として傍にいることを求められているならば、それには応えられない。隆司の傍にいることを選んでも、心は紫音のものだ。

 「隆司、長屋は自分で選んだんだよ」

 「だからなんのために?オレの傍にいていいことなんてないんだ。よくわかってるはずだろ」

 「じゃあ俺たちはもういらないのか?」

 「そうじゃない。そうじゃないけど・・・・。オレは独りなんだろ。わかってるんだ。でも、独りになりたくない・・・。オレはどうやって必要とされればいい?」

 「隆司、落ち着いてくれ。自分で考えようとしなくていいから」

 伸ばしかけた手を宙で止める。ここで手を差し伸べてしまったら結局逆戻りだ。寄り掛かられ、背中で支えきれず、大切なもの全てを手放して両手を隆司のために捧げる。

 紫音は隣の鈴子に目をやった。鈴子はじっと自分を見ていた。目が合った。

 (決めたんだ)

 「隆司、ゆっくりでいいから考えてみてくれ。俺が傍にいることがそんなに重要か?」

 「・・・・」

 「俺がいようがいまいが、お前はちゃんと世の中に存在している。良くも悪くもお前を見てる。お前が明日突然いなくなったら、泣く人間がたくさんいるよ」

 「それはオレじゃなくて司に対してだ」

 「世間ではそうかもしれない。でも、少なくともここにいる俺たちは、お前のことを隆司として見ているよ」

 「嘘だ。柴田さんはどうなの?オレが司だからマネージャーやってるんでしょ?」

 柴田の方を見た隆司は固まってしまった。大の大人がみっともないくらいぼろぼろ泣いている姿に、戸惑いを隠せない。いつから泣いていたのかわからないが目が真っ赤だ。あまりに静かだったので誰も気付かなかった。

 「そうです・・・。僕は、マネージャーだから、司さんがいなくちゃ、仕事がありません・・・」

 柴田は近くにあったティッシュで思いきり鼻をかむと、吹っ切れたように言い放った。

 「でも、もういいです。隆司さんが嫌ならやめてもいいです、東条とうじょう司。好きなように振る舞って、やりたいようにやって、司なんて演じなくても僕はあなたについていきますから」

 「何言ってんの・・・?司だからやれてるんじゃん」

 「そんなの関係ないですよ。東条隆司として仕事をすればいい。それを世間が受け入れなかったとしても、僕はずっとついていきますから」

 誰よりも強い決意を持った人物がここにいた。柴田の覚悟は紫音や鈴子の生ぬるいものとは格が違った。

 「だいたい何ですか、司って。まるで違う人格みたいに言うけど、僕にとったら全部が隆司さんですよ。司は隆司さんがいなくちゃ存在しないんです。だったら世間が求めてるのはあなたでしょ。他に誰が司になれますか」

 「柴田さん・・・」

 「才能があってもそれに溺れることなく地道に努力して・・・。芸能界って本当に大変なところなのに、疲れも見せずに仕事をこなして・・・。そんな人を誰がいらないなんて言うんですかっ。あなたが必要ない人間だっていうなら、世の中のほとんどの人が必要ない人間になっちゃいますよ」

 ついに柴田は声をあげて泣きはじめた。みんなより年上だが、その姿はまるで子供のようだ。それだけ激しく、そして純粋だった。

 隆司は何も言わなかったが、落ちかけていたときとは表情が違っていた。柴田の言葉は少なからず届いているようだった。

 鈴子は柴田にティッシュを渡しながら、自分の考えの浅はかさに恥ずかしさを覚える。こんな中途半端な気持ちなら、いっそ離れた方がいいだろうかとも考える。

 「隆司、俺はお前と対等の立場に立ちたいんだ。引きずり込み合うような関係はもう終わりにしたい。こんなのは兄弟愛でもなんでもないよ。何も生まれないし、何も手に入らない」

 紫音は願った。隆司の時計が一秒でも先に進むように、強く強く願った。

 「目に見えないものを繋ぎとめておくのは難しい。手に入れるのも本当に大変だ。だからみんな迷いながらも進み続ける。お前だけじゃない、みんな不安なんだ」

 「紫音に不安なことなんてあるのかよ。誰からも愛されて、手に入らないものなんて何もなくて・・・」

 「そう見えるならそうなのかもしれないな。なら隆司のほしいものってなんだ?俺はお前を兄として愛してる。長屋だってお前が大切だから傍にいるって言ってる。柴田さんなんか泣いて誓ったくらいだ。世間は司を通して隆司を必要としてるし、父さんも母さんも・・・・」

 「嘘だっ」

 隆司は叫んで立ち上がった。勢いでイスが倒れる。

 「嘘じゃない。自分で確かめたらいいだろ」

 「嘘だ。嘘だ」

 「父さんも母さんも隆司を愛してる。嘘じゃない」

 「それを信じろって?無理だろ、紫音」

 「今は無理でいい。でもお前はもう自分で確かめられるようになる。待ってるから、もう一度立ち上がれ」

 茫然と立ち尽くす隆司に背を向けて、紫音は鈴子の手を引いた。何も完結していないが、これ以上は無理だ。

 「隆司、ゆっくり考えて行動したらいい。受け入れられなければ、暴れるなりなんなりすればいい。ただ、俺はもう今までのような関係に戻るつもりはないから。それだけは理解してくれ」

 紫音は鈴子を連れて出ていった。

 これでよかったのかはわからない。ただ、何かが少しずつ動き始めたのは確かだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ