それぞれの思い 春(2)
あの日以来、こうして顔を合わせるのは初めてだった。隆司は変わらず仕事をしていたが、紫音も鈴子もまったく関与していない状態だった。
隆司の家に柴田を含む四人で集まり、これから話し合いが行われるのだが、なんとも気まずい空気が場を取り囲んでいる。隆司は少し痩せたように見えた。気持ちは落ち着いているということだが、いつ爆発してもおかしくないように感じた。
「隆司、これから大事な話があるんだ」
「あんまりいい話じゃなさそうだね」
冷静な隆司の横で、柴田の方が不安げな顔をしている。
「俺、違う人のスタイリストにつこうと思ってるんだ」
「違う人?」
「今度デビューする新人なんだ」
「オレは?」
「隆司の周りにはたくさん優秀なスタッフがいるだろ。俺じゃなくても立派に司をコーディネートしてくれる」
戦うというより、ヒナを巣立たせるような感じになってしまう。頼りない声の隆司を前にして、紫音は冷たくできない自分の甘さを痛感した。
「紫音はオレから離れるの?」
「仕事のうえではだ。俺たちは兄弟だろ。家族としてはずっと傍にいるよ」
「・・・・いいよ、もう。紫音も鈴子もオレから離れていくんだろ」
嫌だと言って聞かないのかと思っていたのに、隆司は力なくあきらめの言葉を口にした。ダメだ、落ちてしまう。紫音と同じく鈴子もそう思った。
「隆司さん、私はこの先も傍で働きますよ」
「・・・なんで?」
「なんでって・・・。私が傍にいたいからです」
「いいよ、無理しなくて。好きでもないくせに傍にいたいとか言うなよ」
鈴子は言葉に詰まってしまった。隆司は自分にどんな感情を求めているのだろうか。恋人として傍にいることを求められているならば、それには応えられない。隆司の傍にいることを選んでも、心は紫音のものだ。
「隆司、長屋は自分で選んだんだよ」
「だからなんのために?オレの傍にいていいことなんてないんだ。よくわかってるはずだろ」
「じゃあ俺たちはもういらないのか?」
「そうじゃない。そうじゃないけど・・・・。オレは独りなんだろ。わかってるんだ。でも、独りになりたくない・・・。オレはどうやって必要とされればいい?」
「隆司、落ち着いてくれ。自分で考えようとしなくていいから」
伸ばしかけた手を宙で止める。ここで手を差し伸べてしまったら結局逆戻りだ。寄り掛かられ、背中で支えきれず、大切なもの全てを手放して両手を隆司のために捧げる。
紫音は隣の鈴子に目をやった。鈴子はじっと自分を見ていた。目が合った。
(決めたんだ)
「隆司、ゆっくりでいいから考えてみてくれ。俺が傍にいることがそんなに重要か?」
「・・・・」
「俺がいようがいまいが、お前はちゃんと世の中に存在している。良くも悪くもお前を見てる。お前が明日突然いなくなったら、泣く人間がたくさんいるよ」
「それはオレじゃなくて司に対してだ」
「世間ではそうかもしれない。でも、少なくともここにいる俺たちは、お前のことを隆司として見ているよ」
「嘘だ。柴田さんはどうなの?オレが司だからマネージャーやってるんでしょ?」
柴田の方を見た隆司は固まってしまった。大の大人がみっともないくらいぼろぼろ泣いている姿に、戸惑いを隠せない。いつから泣いていたのかわからないが目が真っ赤だ。あまりに静かだったので誰も気付かなかった。
「そうです・・・。僕は、マネージャーだから、司さんがいなくちゃ、仕事がありません・・・」
柴田は近くにあったティッシュで思いきり鼻をかむと、吹っ切れたように言い放った。
「でも、もういいです。隆司さんが嫌ならやめてもいいです、東条司。好きなように振る舞って、やりたいようにやって、司なんて演じなくても僕はあなたについていきますから」
「何言ってんの・・・?司だからやれてるんじゃん」
「そんなの関係ないですよ。東条隆司として仕事をすればいい。それを世間が受け入れなかったとしても、僕はずっとついていきますから」
誰よりも強い決意を持った人物がここにいた。柴田の覚悟は紫音や鈴子の生ぬるいものとは格が違った。
「だいたい何ですか、司って。まるで違う人格みたいに言うけど、僕にとったら全部が隆司さんですよ。司は隆司さんがいなくちゃ存在しないんです。だったら世間が求めてるのはあなたでしょ。他に誰が司になれますか」
「柴田さん・・・」
「才能があってもそれに溺れることなく地道に努力して・・・。芸能界って本当に大変なところなのに、疲れも見せずに仕事をこなして・・・。そんな人を誰がいらないなんて言うんですかっ。あなたが必要ない人間だっていうなら、世の中のほとんどの人が必要ない人間になっちゃいますよ」
ついに柴田は声をあげて泣きはじめた。みんなより年上だが、その姿はまるで子供のようだ。それだけ激しく、そして純粋だった。
隆司は何も言わなかったが、落ちかけていたときとは表情が違っていた。柴田の言葉は少なからず届いているようだった。
鈴子は柴田にティッシュを渡しながら、自分の考えの浅はかさに恥ずかしさを覚える。こんな中途半端な気持ちなら、いっそ離れた方がいいだろうかとも考える。
「隆司、俺はお前と対等の立場に立ちたいんだ。引きずり込み合うような関係はもう終わりにしたい。こんなのは兄弟愛でもなんでもないよ。何も生まれないし、何も手に入らない」
紫音は願った。隆司の時計が一秒でも先に進むように、強く強く願った。
「目に見えないものを繋ぎとめておくのは難しい。手に入れるのも本当に大変だ。だからみんな迷いながらも進み続ける。お前だけじゃない、みんな不安なんだ」
「紫音に不安なことなんてあるのかよ。誰からも愛されて、手に入らないものなんて何もなくて・・・」
「そう見えるならそうなのかもしれないな。なら隆司のほしいものってなんだ?俺はお前を兄として愛してる。長屋だってお前が大切だから傍にいるって言ってる。柴田さんなんか泣いて誓ったくらいだ。世間は司を通して隆司を必要としてるし、父さんも母さんも・・・・」
「嘘だっ」
隆司は叫んで立ち上がった。勢いでイスが倒れる。
「嘘じゃない。自分で確かめたらいいだろ」
「嘘だ。嘘だ」
「父さんも母さんも隆司を愛してる。嘘じゃない」
「それを信じろって?無理だろ、紫音」
「今は無理でいい。でもお前はもう自分で確かめられるようになる。待ってるから、もう一度立ち上がれ」
茫然と立ち尽くす隆司に背を向けて、紫音は鈴子の手を引いた。何も完結していないが、これ以上は無理だ。
「隆司、ゆっくり考えて行動したらいい。受け入れられなければ、暴れるなりなんなりすればいい。ただ、俺はもう今までのような関係に戻るつもりはないから。それだけは理解してくれ」
紫音は鈴子を連れて出ていった。
これでよかったのかはわからない。ただ、何かが少しずつ動き始めたのは確かだった。