海人の恋わずらい(2)
愛海は朝からずっと視線を感じていた。ホーリーナイトのファンの子たちからの痛い視線を浴びるのはいつものことだが、今回のはなんだか違う。
「鈴ちゃん、なんか私、見られてる気がするんだけど」
「いつもの殺気じみた海人くんのファンじゃないの?もしくは紫音」
「それがなんか違うみたいなの」
朝からずっと同じ人物に後をつけられている気がする。
人を寄せ付けない紫音と仲良くしているうえに、海人に言い寄られている愛海は多くの女子たちの嫉妬の的だ。今までも様々な嫌がらせを受けてきたが、どれもまだまだかわいらしいものだった。だが、今回のようにずっと同じ人物に執拗につけられていると思うと、さすがに恐い。気を抜いたら後ろから刺されたりするかもしれない。
「鈴ちゃんは感じないの?」
鈴子も紫音と対等に話せる数少ない人物の一人だ。それゆえに愛海と同じような目にも合っている。
「よくわからないなぁ。要するに、相手は完全に愛海ねらいってことだね」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
「あ、紫音。聞いてよ、愛海が誰かに狙われてるって言うの」
通りかかった紫音に鈴子が駆け寄る。紫音は鈴子を通り越して、愛海の背後に目を向けた。
「本当のバカだな、あいつは」
「え?」
紫音は愛海をつけ回している人物に心当たりがあるらしい。深いため息をつく。
「おい、ついてこい」
「どこに?」
「屋上。行けば誰だかわかる」
紫音はさっさと歩き始めた。愛海は慌ててついていく。鈴子もお供することにした。
聖ヶ丘高校の屋上は、一般生徒は立入禁止となっている。ホーリーナイトと呼ばれるようになった者だけが、鍵を渡され出入り可能となるのだ。
なにかと周りが騒がしくなる身の彼らに少しでも安らげる場所をと、学校側が配慮してくれた結果である。扉はオートロックになっており、鍵がなければ行き来はできない。愛海たちはいつも紫音にくっついて屋上に行っているのだ。
屋上に入る前に一度後ろを振り返ったが、誰の姿も見えなかった。
(諦めたのかな)
そっとドアを閉める。オートロックなので鍵がかかる。
愛海たちは屋上の中ほどまで進んだ。
「ちょっと紫音。これで何がわかるのよ」
「宮村はわかったと思うけど」
「えっ?そうなの?」
「うん。よぉく、わかった。鈴ちゃん、私まだ見られてるみたいなの」
屋上まで来れるのは限られている。つまり、答えも限られている。
「海人ぉぉ!出てきなさいっ」
愛海の怒鳴り声に、びっくりした海人が転がり出てきた。
「ばれたか・・・」
「ばれたか・・・じゃない!なんなのよ、人のことつけ回して。影から見られてるとすごく気持ち悪いんだから」
「だって、紫音さんが」
「なに?紫音、あんたが変なこと言ったの?」
「俺は変なことなんて言ってない。こいつがバカだからおかしな行動に走ったんだ」
「いったいどういうことなの?」
お姉さんに話してごらん、とでもいう風に鈴子が下から覗き込む。背は愛海たちよりも高いが、落ち込んだ海人はまるで子犬のようだ。
「愛海が何に苦しんでるのか、知ろうと思ったんだ。でも、周りの人たちに聞いてもよくわからなくて。知ってることがあるっぽかったんだけど、はぐらかされちゃうんだ。だから愛海のことよく見てたら何かわかるかもって考えて・・・」
(そりゃ誰も本当のことなんて言えないだろうよ)
鈴子は重いため息と共に肩を落した。
自分たちが愛海を苦しめている原因ですなんて、バカ正直に言う奴なんているわけがない。海人のファンでなかったとしても、愛海のことを擁護するような発言はまずしないだろう。どこからファンの子に伝わり、何をされるかわかったもんじゃない。
愛海にだって鈴子以外にも友達はいるが、それはあくまでも普通の友達である。普通に話したり、普通に遊んだりする。それ以上でもそれ以下でもない。つまり、害は与えないが守ることもないということだ。
もし愛海のことを本気で心配するような人がいたら、それは鈴子のように嫌がらせに耐える覚悟を持った人か、相当天然な人か、だ。
「バカだな」
「バカだね」
「み、みんなして・・・ひどい」
海人はますます落ち込んだ。
「ねぇ、海人くん。もしも、もしもだよ。愛海が誰かにひどいことされたら、どうする?」
「そんなの、絶対許さないっ」
「愛海のことは好き?」
「もちろんっ」
「じゃあ、もし海人くんが愛海を諦めることで愛海の苦しみが消えるんだとしたら、どうする?」
「え・・・・?」
考えもしなかったことを言われて返事ができない。
「それって・・・つまり、俺のせいってこと・・・?」
(少しの疑いもなかったのか、こいつは)
紫音は呆れ顔だ。恋の力というものは、おそろしいほど人をおめでたくする。
「愛海、そうなの?」
「うっ・・・・それは・・・」
「愛海もこの際はっきりさせた方がいいよ」
今度は愛海が言葉に詰まった。
迷うことなんてないはずだった。そもそも一度だって海人の申し出を受けたことなんてない。なのに今の局面になって、なんでこんな気持ちになるのかわからない。
「お前もはっきりしない奴だな。好きなら好きって言えばいいし、覚悟がないならそう言えばいいだろ」
「ちょっと、なんで私の気持ちをそんな正確に言うのよ」
「お前のことならそこのバカよりよっぽど知ってるからな」
この紫音の一言に、海人はかなり傷付いた。今更ながら傍にいなかった時間が悔やまれる。
「愛海、ごめん」
「海人は何も悪くないよ。いつもいつも、なんの取り柄もない私のことを好きだって言ってくれること、正直うれしかったし」
「でも辛いんだよね」
「・・・・うん」
今はまだ平気だ。でも海人と付き合えば、いろんなことに耐えることになるだろうし、いろんなものを失うことになるかもしれない。愛海にはその覚悟がまだなかった。
目の前に立ちはだかる障害の方にばかり目がいって、自分の気持ちすら確かめられない。海人のことは嫌いではない。でも、特別好きだとは思えていない。
「もう、愛海を追いかけるのやめるよ」
「ちょっと海人くん、それでいいの?」
「そうすれば愛海は辛くなくなるんだよね」 「今よりは・・・。まぁ、紫音といる限り、嫌がらせからは解放されないんだけどね」
物理的なことではなく、海人に対する後ろめたさからは解放される。自分の弱さと正面からぶつかる必要もなくなる。
胸の奥がちくちくと痛んだが、海人を突き放すことで得られる平穏な日々に、愛海は心を向かわせた。
「私は普通の女子高生で、海人はホーリーナイトなんだよ。ホーリーナイトの恋人は普通の子じゃつとまらない。たとえ本人たちが好き合っていようと、周りが認めなければ成り立たない。そういう立場なんだよ、海人は」
「全部愛海のためだったのに」
「海人の頑張りはすごいと思うよ。だからこそ、こんなにもかっこよくなれたんだもん。でも、海人の頑張りに対して私は・・・何もしてこなかった。だから私は相応しくないんだ」
「そんなの、関係ないのにっ。・・・って言っても、愛海の心は変わらないんだよね」
「・・・・うん」
これでいいんだ。そう何度も自分に言い聞かせた。
遊び半分で付き合えるような相手ではない。海人を誰にも渡したくない。それくらいの強い思いがなければ、たぶん周りの圧力には勝てない。
「でも紫音さんとは一緒にいるんだよね」
「まぁ、友達だし」
「じゃあ俺も紫音さんと同じ立場になる」
「えぇ?」
「もう愛海のこと好き好き言わないし、追いかけたりしないよ。だから友達として一緒にいさせてよ」
子犬の眼差しでせがまれる。
「それじゃ今までとあんまり変わらないような・・・」
「なんで。屋上は紫音さんの持ち物じゃないし、ホーリーナイトなら来てもいいんでしょ。だったら同じ者として仲間に入れてよ」
「それはそうだけど・・・」
「約束する。いきなり抱きついたりしない。廊下で会っても大声で呼んだりしない。周りの人にも愛海の話はもうしない。帰り道で待ち伏せしない。それから、それから・・・・もう愛海って呼ばない。愛海先輩って呼ぶからっ」
次から次へと思いつく限りを並べて、海人は懇願する。
「あのねぇ・・・」
「まぁいいじゃん。これはこれで海人くんには試練だと思うよ」
「でも、今更紫音と同じようには見れないっていうか」
「お願いしますっ」
海人は子犬の眼差しで懇願する。
「わかったわよ。そんな目で見ないで。まるで私が捨てようとしてるみたいじゃない」
「同じようなもんだろ」
「なんですってぇ」
こうして海人は友達として愛海の傍にいることを許された。
もちろん海人の溢れんばかりの愛が友達という枠のなかに収まるわけがないのだが、堪え忍ぶのも愛の力。海人の新しい日々が始まる。