21.夜桜に愛と狂気と
デビューに向けて着々と準備を進める夏芽に対し、紫音はまだ何もできていなかった。休みのない隆司のために、紫音もずっと現場についてスタイリングしてやる。休みを取っても構わないのに、鈴子も毎日一緒にいる。
「お前他にやることないのかよ」
「宿題ならちゃんとやってるから大丈夫よ」
「そういう問題じゃなくて、宮村たちとも会ってないだろ。春休みなんだし遊びたくないのか?」
「そういえばそうだね。でも今はここにいたいから」
紫音は胸が苦しくなる。鈴子がここにいたいのは、いったい誰のためなのか。隆司の傍にいたいからなのか、紫音のことを見ていたいからなのか。それとも単純に仕事が楽しいから?
(いや、それはないだろ)
「紫音。オレの鈴子をそんな熱っぽい目で見るなよ」
いつ戻ってきたのか、知らぬ間に隆司が背後にいた。
「隆司さん、私はあなたのものじゃありませんが」
「相変わらずつれないなぁ、鈴子は。そんな君に夜のお誘いなんだけど。今夜事務所のみんなでお花見するんだ。今年卒業したのがオレ以外にも何人かいるし、そのお祝いも兼ねてなんだって。夜桜もなかなか綺麗だよ。来てくれるよね?」
「私お酒飲めませんよ」
「大丈夫だよ。未成年もいっぱいいるし、オレだって飲めないし」
(あんたは付き合いとかいってたまに飲んでるでしょうが)
事務所のみんなというのは、スタッフだけでなく所属している子たちも含めてのことなのだろう。すごい人数になりそうだ。
「楽しそうですね」
「よし、決まり。仕事が終わったら一緒に行こう。紫音はどうするの?」
「行くに決まってるだろ」
即答する紫音に、隆司は驚いた顔をする。それに気付いてはっとなった。
「決まってるって・・・いつもはこういうの出たがらないよね」
「いや、その・・・・」
どうかしている。鈴子が行くなら自分もなどと考えたことに自分自身びっくりする。いつも傍にいて守ってやらなければ。そう思って傍にいた頃とは明らかに気持ちが違っている。危険なことがなくても、鈴子を自分の手の届くところにしか行かせたくない。
「いいじゃん。紫音がいてくれた方が気が楽だし、行こうよ」
「ふぅん・・・。まぁいいけど」
不満そうに横目で見てくる隆司から、逃れるように背を向ける。自分は今どんな顔をしているだろうか。
(俺ってこんなだったっけ。いつからこんなわがままになったんだ?)
紫音は恋の途中で、まだ独占欲というものに気付いていない。鈴子に自由を与えたはずの自分が、まさか自由を奪おうとするなんて、紫音には信じがたいことなのだった。
そして訪れた夜の時間。三人は柴田の車で現地に向かった。
「今日って何人くらい来るんですか?」
「何人ですかねぇ。かなりの人数になるとは思うんですが」
「そんなに大勢で大丈夫なんですか?場所とか取るの大変なんじゃ」
「ああ、それなら大丈夫だよ。お花見する場所は所長の所有地だから。あの人でっかい庭付きの小っさい別荘持っててさ、その庭に桜の木植えてて毎年お花見するんだ」
「でっかい庭に小っさい別荘・・・」
「バランス悪いだろ。ちょっと変り者なんだよ、所長って。別荘の場所だって中途半端なところにあるし。まぁそのおかげで、こうして車でちゃっと行けるわけなんだけどね」
鈴子は思わず顔がほころんだ。
「なに?」
「いえ。隆司さんて所長さんの話するとき楽しそうだなって思って」
「そう・・・かな。あの人は特別な人だから。すごい人なんだ。オレだけじゃなくて、きっとみんなもそう思ってる」
鈴子は以前柴田から聞いたことがあった。隆司をこの世界に引っ張り上げたのは所長で、ただでさえ不安定な隆司をここまで育てるために大変な苦労をしたのだと。そのときにできた絆は二人を深く結び付けている。もしかしたら、所長は隆司にとって親のような存在なのかもしれない。
車が別荘に着いた。
「先に行っておいてください。僕は他の人を迎えにいかなきゃいけないんで、後で合流しましょう」
別荘には車が数台しか停められないので、マネージャーが送り迎えを分担してなんとかするようだ。不便だが仕方がない。
「もうだいぶ集まってるみたいだよ」
ライトアップされた庭には大勢の人がいた。大人から子供まで、百人以上はいると思われる。もはや誰が芸能人かわからない。
「こんなにいるの、事務所の人って」
「家族の人とかも来てたりするしね。毎回所長を見つけるのに苦労するんだ」
特別席が設けられているわけでもなく、みんな好き勝手にやっている。この中から特定の人を探すのはなかなか大変そうだ。
「おっ、司。遅いぞ」
「司君、卒業おめでとう」
「そうか、司も卒業したのか。これで酒が飲めるな」
「いや、お酒は二十歳からだから・・・」
すでにできあがっている大人たちに取り囲まれ、隆司はあっという間に連れ去られてしまった。司としての隆司はここでも好かれているようだ。隆司の出現に、あちらこちらで場が盛り上がっている。
「どうかした?」
「え?べつに」
紫音が覗き込んでくる。無意識に変な表情でもしていただろうか。
「なんだろ。隆司さんの周りには私たちだけじゃなくて、たくさんの人がいるんだなって思ってさ」
「淋しい?」
「なっ、なんでよ。淋しいっておかしいでしょ。うれしいわよっ」
自棄になって答えるところではないのに、鈴子は乱暴に言い捨てる。
(なんでこんな言い方しちゃったんだろ。私、淋しいって思ってるのかな・・・)
「あれ?紫音君?」
モデルだろうか。スタイルのいい女の子が紫音を見つけて寄ってくる。
「だれぇ?」
「紫音なんてうちの事務所に所属してたっけ」
一緒にいた女の子たちもぞろぞろと集まってくる。みんな可愛くてスタイルがいい。事務所のモデル部門に所属している子たちなのだろう。
「彼、司の弟なのよ」
「えぇっ?そういわれると似てるかも」
「司の弟君だけあってやっぱかっこいいわ」
「私司より弟君の方がタイプかも」
きゃあきゃあはしゃぎだした輪の中から、鈴子は完全にはじかれてしまった。恐るべしホーリーナイト。恐るべし紫音。
鈴子はそっと自分を見てみる。どうがんばってもあの子たちには及ばない。自分が隆司と紫音の傍にいることが、ひどくちぐはぐなことのように思えた。
「ねぇねぇ、あっちでみんなと話そうよ」
「うん、行こう、行こう」
紫音は強引に連れていかれてしまった。
「長屋っ」
振り返って紫音は呼んだが、鈴子は軽く手を振っただけだった。あの中に入る自信はない。
一人残された鈴子はどうしようか考える。柴田が来るまで待とうか、それとも誰か他に知っている人を探しに行こうか。とりあえずお花見なのだからと、桜の花を眺めてみる。薄いピンクの花は、夜でも綺麗だった。
聖ヶ丘高校にも桜の木はある。入学シーズンには満開になるその桜を、ゆっくりと眺めたのは二年目の春になってからだった。入学式のときには桜なんて見る気もなかった。咲いていたかも覚えていない。それくらい鈴子は下ばかり見ていた。
終わったと思った生活が、また始まる。つまらない勉強、偽りだらけの友情、だらだらと続く生活、身を削るばかりの恋愛。新しいスタートは鈴子にとって泥沼だった。あと三年は身を浸けたまま抜け出せない。
そう思っていたのに、鈴子には少しずつ自由が与えられるようになった。周りの目や自分の評価を気にすることなく、好き勝手に振る舞っても彼はなぜかずっと傍にいてくれた。無愛想で口が悪く、たくさん傷付くようなことも言われたが、鈴子はその何倍も彼を傷付けている。ひどいことを言って突き放したかと思えば泣いて甘えたり、無謀なことをしておいて都合よく助けを求めたりした。
許されるということを知った鈴子は、いろいろなことを許しはじめた。どうにもならない世界のことも、許してしまえばなんのことはなかった。
そうやって鈴子は桜を見上げることができるようになったのだ。
(私に自由でいいと教えてくれた・・・・私のナイト)
「鈴子っ」
名前を呼ばれてはっとする。いろいろ思い出していたら、ここがどこかも忘れそうになっていた。
「隆司さん」
「あれ?紫音は?」
「モデルの子たちに連れてかれちゃいました」
「そっか。ごめんね、一人にさせて」
「なっ、なんで謝るんですか。今ちょうど考えてたんです、これからどうしようかなって。柴田さんもそろそろ来るだろうし、待ってからみんなのところに行こうかな、とか」
なんでこんなに焦っているのだろう。変な気を使わせたくないからだろうか。それとも、今考えていたことを隆司に悟られたくないからだろうか。
「鈴子、ちょっと来てくれない?」
「えっ、どこに?」
「所長の別荘。ちょっと気分が悪くなっちゃってさ、休ませてもらえるよう言ってきたし」
「構いませんけど・・・」
どう見ても気分が悪いようには見えない。お酒を飲んだ様子もない。そんな嘘をつかなくても一緒に行くのに。
(隆司さん、嘘つくときは演技まで徹底してやるのに、おかしいな)
とりあえずついていく。お花見をしている庭より少し高くなった丘の上に別荘は建っている。確かに小さい。でもそれがかえって可愛らしくも感じる。家族でのんびりするには充分だ。
隆司は中に入ると二階のベランダに鈴子を連れていった。
「へへ、実はここから桜がよく見えるんだ」
隆司の指差す先には、庭の桜が視界いっぱいに広がっていた。桜の下でお花見もいいが、こうやって夜に浮かぶ桜の木を眺めるのも素敵だ。
「綺麗ですね。私をここへ案内するためにわざわざ嘘までついたんですか」
「え?」
「気分が悪いなんて嘘でしょ。バレバレですよ」
びっくりしている隆司に、鈴子の方がびっくりだ。まさか自覚がなかったわけではあるまい。
「そんな嘘つかなくても、素直に誘ってくれたらよかったのに。弱さを見せて気を引いたり、脅して従わせたりしなくても、私は隆司さんと一緒にいますよ」
「鈴子・・・」
「紫音だってそうです。私も紫音もあなたの傍にいます。物理的なことじゃなくて、心でいつもあなたに寄り添っている。だからもっと安心していいんですよ」
鈴子は優しく笑いかける。
本当はずっと昔からみんなに愛されていた人。なのに、その愛が実感できずに歪んでしまった哀れな人。今隆司が変わろうとしているのならば、鈴子にできるのは愛するということだけだ。それは恋ではないけれど、確かな愛情に間違いはない。
隆司は黙って鈴子を見ていたが、急に手を引くと中へ連れていった。別荘の一階には人がいたが、二階に人の気配はなかった。
暗い部屋の中、鈴子はベッドの上に運ばれる。不思議と恐くはなかった。でも甘いムードを感じるわけでもない。お互いの存在を暗がりの中で探るような、静かな時間だった。
隆司は馬乗りの状態で鈴子を見下ろしていた。暴れるつもりはなかったが、これでは自由がきかない。
「鈴子。ずっと傍にいてくれる?」
「それはどういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ。もう一人じゃダメなんだ。紫音も鈴子も、傍にいてオレのこと見ててくれなきゃ、オレはどうやってこの世界にいたらいいかわからなくなる」
「私たちがいなくても、隆司さんはそのままで充分みんなに愛されてますよ。もっとよく周りを見てください。独りなんかじゃないんです」
綺麗な言葉を並べても、隆司にはどれだけ響くかわからない。でも、鈴子の言葉は嘘偽りではない。わかってほしい。
「オレは・・・・愛されてなんかない」
隆司の手が鈴子の頬に触れる。
「愛されるのはいつも紫音。オレの存在はなかったことにされるんだ。どれだけ精一杯やっても、オレのことなんて誰も見てない。この世界には紫音だけがいればいい」
「なんてことを言うんですかっ。紫音は隆司さんじゃない。あなたの代わりなんて、誰もいないんですよ」
「鈴子はオレがこの世界に必要だって言うの?」
「ええ。私はもうあなたと関わってしまった。私の世界は、あなたなしではもう動かないんです。みんなだってそう。隆司さんがいて紫音がいて、自分がいて・・・そうやって動いているんです。誰も欠けちゃいけない」
隆司の手は頬からゆっくりと移動し、鈴子の首に当てられた。
「鈴子・・・・やっぱり無理だよ」
泣きそうな表情になりながら、徐々に手に力を入れていく。鈴子の首は圧迫されていった。
「恐くて仕方ないんだ。鈴子だってオレより大切なもののところに行ってしまうかもしれない。そうしたらもう、オレは誰のために生きればいいのかわからなくなってしまう」
「た・・・かし・・・・さんっ・・・」
息ができない。隆司の手を外そうとつかんだ手にも力が入らなくなってきた。
「ごめん、鈴子」
「や・・・・めて・・・」
「どこかへ行ってしまうくらいなら、いっそオレの手で終わりにしたいんだ」