19.交差する想い
聖ヶ丘高校の卒業式後、なぜか鈴子は校舎裏に呼び出されていた。しかもその呼び出してきた人物というのが・・・。
「待たせちゃったわね」
「冴子先輩」
戸惑い気味に振り返る鈴子に寄ってきたのは、遠山冴子だった。
鈴子の方は嫌というほど知っているが、冴子の方は自分のことなど知ってもいないと思っていた。それがこの卒業式という特別な日に、一対一で向かい合っているのだからおかしな話だ。
「いきなりでびっくりしたわよね。話したこともないのに、ごめんね」
「いえ・・・」
いろいろ聞いてみたいこともあった。でも鈴子は自然と黙ってしまう。
「そんなに身構えないで。私ね、一度あなたと話をしなきゃって思ってたの」
「冴子先輩が、私と?」
「あなた、私と中学校のときから一緒よね」
知っていた。冴子は中学時代から自分の存在を知っていたのだ。ただ見ているだけでなんの接点もなかったはずなのに、いったいなぜなのだろう。
「覚えてるかなぁ。中学のときに私が起こした教師の暴行事件」
鈴子はうなずく。忘れられないくらい強烈な映像だった。教師が暴行したのではない。冴子が教師を病院行きになるくらいにぼこぼこにしてしまったのだ。しかも廊下のど真ん中で。
触れたら切れてしまいそうなくらいの殺気を放つ冴子に誰も近付けず、みんな現場を取り囲んで見ているだけだった。数人の教師が駆け付けてきて止めたが、その頃には殴られた教師は気を失っていた。
「あのとき、見てたよね。遠くから」
「はい・・・」
責められているのかと思って声が小さくなってしまったが、目の前の冴子は相変わらず穏やかだ。
「私も見てたの、あなたのこと」
「えっ?」
取り囲む大勢の中で、冴子は鈴子を見つけていたのだ。昔のことだが動揺してしまう。あのとき自分は何か特別なことをしていただろうか。
「みんな私のことを濁った目で見てた。恐怖で震えてる子もいたし、本気でおもしろがってる子もいた。どちらにしても、みんな私と関わりたくないって顔してたの。でも、あなたは違った。私のことをうっとりと見つめてたの」
鈴子は言葉に詰まった。そうだっただろうか。そうだったかもしれない。暴力は嫌いだが、あのときの鈴子には教師の上にまたがって打ちのめす冴子が、なんだか綺麗に見えていた。
でもそれが顔に出ていたなんて。しかもそれを冴子に見つかっていたなんて。
「あのときからちょっと気になってたんだ。でもなかなか声がかけられなくて」
「冴子先輩に見られてたなんて、知りませんでした。見てたのは、私の方だとばっかり思ってて・・・」
「そうだねぇ。よく見てたよねぇ」
「知ってたんですか」
恥ずかしくなってきた。変な気があったわけではないが、思い返すとまるでストーカーだ。
「私、冴子先輩に憧れてたんです。私にはないものを持っていて、私にはできないことをしてしまう。高校でまた会って、やっぱり冴子先輩は私の上をいく人だなって思いました」
「どっちの私も好きだって言ってくれるの?」
「本質は一緒ですから」
冴子はほっとしたように柔らかく笑った。
「あなたと本気で戦うことにならなくて、よかったわ」
「戦う?」
「だって、好きだったんでしょ、青野先生のこと」
「それも知ってたんですかっ」
鈴子は顔が赤くなるのを感じた。よくよく考えればしつこいくらい青野にアタックしていたのだから、恋人の冴子が知らないわけがないのだが、それでも本人に面と向かって言われると、非常に居心地が悪い。
「あなたの押しに、もし青野先生が負けるようなことがあれば、私はあなたと全力でぶつかる気だったんだけどね。こうして無事に卒業できるし、あなたも先生のことは諦めてくれたみたいだし」
「だって、冴子先輩にはかないませんから・・・」
「それは私が憧れの存在だから?」
「それもありますけど・・・・私、思ったんです。もし私が青野先生とつき合ったとして、冴子先輩みたいになれるかなって。冴子先輩は青野先生がいたから変わった。青野先生も冴子先輩だからこそ変えた。じゃあ私は?・・・たぶんたいして変われないと思ったんです」
「あなたは今もあの頃のままなの?」
「私は・・・・」
「違うでしょ。あなただって私をうっとりと眺めていたあの頃より、ずっと素敵になってるわよ。私を変えたのが先生なら、あなたを変えたのは誰?」
鈴子は答えられない。でも、心のどこかにその答えがあることを知っている。
「どうしようもない不良娘を拾ってくれた先生がいたように、自分の世界に疲れたあなたを拾ってくれた素敵なナイトがいるでしょう。青野先生にもう手を出さないように言っとくけど、あなたはもっと大切にするべき人を追いかけなさい」
「なんでそんなことまで私に言ってくれるんですか」
「なんでかしら。私とあなたが似てるからかな」
「似てる・・・?」
「あなたが私に憧れを抱いてるなら、きっとあなたも変われるわよ。だって同じだもの」
冴子は晴れやかににっこりと笑った。お別れの涙より、明日へ飛び立つ希望の笑顔の方が冴子にはよく似合う。
「最後に話せてよかったわ。もう先生を追いかけたりしないでね」
いたずらっぽく言って、ちゃっかり釘を刺してくる。
「もうしませんて・・・」
「念を押しておかないと、あなたが本気になったら勝てないかもしれないしね」
「まさか」
「じゃあ、あなたはもっと自分を大切にね」
「ありがとうございました」
鈴子は深々と頭を下げた。おそらく冴子は自分が彼女を見ていたのと同じくらい鈴子を見ていたのだろう。だからこそ知っている真実。
環境が変わっても相変わらず自分の心を見せられないすれた鈴子に、自由という居場所を与えてくれた無愛想なナイト。次々と開いていく心の扉の中で、唯一鍵までかけた一つの扉。
(私のナイト・・・・)
冴子の手で外された鍵により、鈴子は想いの狭間で悩むこととなった。