15.敗者の鳥かご
後日、結果が発表された。
「なんでお前はそうなんだ」
珍しく声を荒げて紫音は鈴子に詰め寄った。当の本人は何が悪いんだと言わんばかりの態度である。
「今回の件では俺は何もしてやることができないんだ。わかるだろ」
「わかってるわよ」
司の相手役には鈴子が選ばれていた。オーディションでの堂々とした姿は、隆司でなくとも目を引くものがあった。この結果は必然的なものと言っていい。
「じゃあ紫音は愛海や夏芽ちゃんが選ばれた方がよかったって言うの?」
「誰も選ばれない方がよかったって言ってるんだ。なんでわざわざあいつの懐の中に飛び込むようなまねをするんだ」
「心配しすぎ。ドラマの撮影なんて周りにたくさん人がいるのよ。何かできるわけないじゃない」
「俺が心配してるのは、お前に変な考えがあるんじゃないかってことだよ」
「なによ、それ」
「隆司と俺のことは長屋の気にすることじゃない。なんとかしようなんて余計なこと考えるな」
お互いが心配しあうせいで衝突してしまう。愛海はそんな二人を歯痒い気持ちで見ているしかなかった。
そして撮影の日はやってきた。
学校は休みなのにたくさんの生徒が集まっていた。せっかくなので、その中からエキストラを何人か選抜する。みんなノリノリだ。
今回聖ヶ丘高校で撮るシーンは、主演の小沢勇輝演じる高校生が、他校まで司を訪ねてくるところである。設定上、司が演じる役は女ぐせが悪く、訪ねてきたときも彼女とおぼしき人物と一緒にいる。それが鈴子だ。
「ストーリーはね、タカトがミカのためにサトシを説得にくるんだ。サトシは本当はミカのことが好きなのに、思い違いのせいで他の女にばかり手を出している。サトシがミカ以外の女の子と一緒にいるのを目撃する、大きな場面でもあるんだ」
監督からの簡単な説明に、鈴子は素直にうなずく。タカトというのが小沢でサトシが司だ。ミカは誰なのかわからないが、きっと若手女優が演じるのだろう。
(なんか優磨くんの実話みたい・・・)
身近な人物に思い当たることがある。なんだか少しやりやすくなった気がした。
鈴子は立ち位置や台詞のタイミングなどを何度か確認する。顔もほとんど出ないし台詞も一言だ。なんとでもなると腹をくくると緊張もどこかへいってしまった。
急に女の子たちの歓声が響いた。現場に小沢と司が出てきたのだ。司の人気は言うまでもないが、小沢勇輝もイケメン俳優としてなかなかの人気がある。一度に二人ものイケメンを見て、騒がない方がおかしい。
隆司が鈴子の方へ来た。
「よろしくね」
「こちらこそ。私素人なんで、足を引っ張るかもしれませんが」
二人の間に妙な空気が流れた。お互いを探り合うように、静かに見つめ合う。
「それでは合わせてみますので」
スタッフの掛け声でリハーサルが行われた。
鈴子は司の横に並び、彼女のように楽しげに話しながら歩く。ここでは鈴子の姿はカメラの外で、映らないことになっている。
「サトシ」
小沢が名を呼ぶ。目の前に立つ小沢に気付いて二人で足を止める。鈴子は状況がわからないという様子で立っているだけ。
「タカト・・・。こんなとこまで何の用だよ」
「ちょっと話があって。ところで、その子誰?」
「誰って、彼女だけど?」
しれっとして言う司に怒る小沢。
「お前、ミカがいるのにそんなことしてるのかよ。いい加減ミカのことちゃんと見てやれよ」
ここで鈴子の出番である。
「ちょっと、どういうこと?」
司の前に回り込むような感じでうかがう。映るのは後ろ姿だ。司が隠れてしまわないように少しずれて前に立ち、台詞はこれだけ。
司は鈴子の頭を軽く撫でてなだめる。
「ごめん。明日話すから、今日は先に帰って」
納得できない様子の鈴子の肩を押して、その場から離れさせる司。鈴子はしぶしぶ帰っていく。後は司と小沢のシーンになるので、出番はこれで終わりだ。
「へぇ、結構やるじゃん」
「これくらい他の子でもできますよ」
「意外とうまくできないもんだよ。度胸がないとあんなにしっかり立っていられないもんさ」
司に褒められても素直に喜べない。確かに度胸はあると思うが、演技としては完全に素人だ。隆司の演技を傍で見て実感した。
可愛いとかかっこいいというだけで、技術がなくても許される芸能人もいる中で、隆司には間違いなく才能があった。台詞や動きに間違いがないのは当たり前だが、ほんの少しの表情の変え方や間の取り方など、細かいところまで彼は演じているのだ。鈴子の頭を撫でる手の優しさも、本当につき合っているんじゃないかと錯覚しそうになるくらい自然だった。
悔しいが、そのすごさは認めざるをえない。
リハーサルに問題がなかったので、すぐに本番に入ることとなった。所定の場所にスタンバイする鈴子に、隆司が小声で話し掛けてきた。
「ねぇ、君のお友達は今日いるの?」
お友達が紫音のことを言っているというのはすぐにわかった。鈴子はなんと答えようか考える。紫音も含め、みんなは今頃屋上から現場を見ているはずだ。
「どうでしょう。見に来たいとは言ってましたけど」
「ふぅん。じゃあどこかから見てるかもしれないね」
鈴子には隆司の真意がわからなかった。紫音が見ていたらどうだというのだろう。
「どうしたの?表情が堅くなっちゃってるよ?もしかして台詞忘れちゃった?」
「いえ、大丈夫です・・・」
「さっきの調子でやれば大丈夫だから。せっかくなんだし、もっと楽しもうよ」
鈴子はぞくっとした。隆司の目の奥に危ない光が見えた気がした。急に身の危険を感じて、本番直前だというのに力が入ってしまう。周りから見たら緊張しているように見えたかもしれない。でも鈴子は別の戦いをしているところだった。
(負けられない。私は弱い立場に立つわけにはいかない)
隆司は相変わらず爽やかな笑顔を向けてくる。鈴子は負けじと自信満面の笑みをぶつけてやった。笑顔の奥で隆司の心に火が点いた。
本番が始まった。鈴子はリハーサルの時と同じように、自然な感じで隆司の横に並ぶことを心がけた。
「サトシ」
名前が呼ばれる。
「タカト・・・。こんなとこまで何の用だよ」
「ちょっと話があって。ところで、その子誰?」
「誰って、彼女だけど?」
ここまではさっきと一緒だった。もうすぐ鈴子の出番だ。一応心構えしておく。ところが、ここで隆司が勝手な行動をとった。
「なんなら証明してやろうか」
鈴子は突然引っ張られて隆司の間近に抱き寄せられた。何が起こったのか、見ている誰にも理解できなかった。
「初めてじゃないよな」
「え?」
鈴子にしか聞こえないくらいの小声で囁くと、返事も待たずに思い切り唇を重ねてきた。鈴子は息をすることもできず、硬直したまま受けとめる。隆司が離れても鈴子は動くことすらできなかった。
場が固まりそうになっている中、小沢はさすが役者だった。カットの声がかからないのですぐさま台詞をつなぐ。
「お前・・・ミカがいるのにそんなこと・・・。いい加減ミカのこと・・・」
そこで鈴子の思考は元に戻った。自分の身に起こったことを瞬時に理解すると、猛烈な怒りが込み上げてきた。自分は隆司にいいように扱われたのだ。
小沢の声を遮って、平手打ちの音が響いた。鈴子は人気俳優だろうがイケメンだろうが、お構い無く力一杯ビンタをお見舞いしてやった。
「ふざけないでよっ」
捨て台詞を吐いてその場から駆け去る鈴子。後には戸惑う小沢と、頬をさする隆司が残された。沈黙。もうめちゃくちゃだと思われたとき、隆司が再び演技を始めた。
「あぁあ。お前のせいで殴られたじゃねぇか」
「お、俺のせい・・・?」
「お前がミカの名前なんか出すから。これだけ痛い思いしてんだ、しょうもない話だったらぶっ飛ばすからな」
カットの声が入った。この後二人のシーンになっても話はとりあえずつながっている。
すぐに隆司の頬に氷が当てられた。唇は切っていないが赤く腫れてきている。
「いってぇ・・・。思い切り振り抜きやがった」
ぶつぶつ言いながらも、隆司はどこか楽しそうだ。こうなることは想定の範囲内だったのだろう。
次の小沢と隆司のシーンも学校内で撮らなければならない。話のつながりも考えて、さっきのシーンは撮り直しなしでいき、隆司は頬を腫らしたまま次に挑むことになった。
「お前らしくないな。なんであんなこと急に・・・」
小沢のもっともらしい質問に、隆司は爽やかに笑う。
「そうかな。なんかさ、おもしろそうだったんだ。ただそれだけ」
おもしろそうという理由で唇を奪われた鈴子は、一人校舎の隅で立ち尽くしていた。どんなことでも受けて立つと決めていたはずなのに、動揺が隠せない。
その頃屋上でも、現場を目の当たりにしていた紫音はかなり動揺していた。鈴子が火を点けたのかもしれないが、ドラマの撮影というリスクの高い場所で隆司が思い切った行動をとったことが信じられない。鈴子の受けたショックを考えると胸が締め付けられた。
騒がしくなる撮影現場をよそに、屋上は静まり返っていた。
次の日、学校を早退した鈴子と紫音はテレビ局にいた。ドラマの撮影は今日スタジオ撮りとなっており、監督ならびにスタッフ一同へ謝罪をしにきたのだ。
「ごめんね紫音」
「気にするな」
監督と面識のある紫音が間に入ってくれなかったら、もっとややこしいことになっていたかもしれない。おもしろい画が撮れたということで、思いの外あっさり許されたが、鈴子の心は沈んだままだ。
紫音の忠告を無視して一人で突っ走った結果がこれだ。何もできなかったどころか、迷惑をかけることになってしまった。情けなくて目も合わせられない。
「俺のことはいいから、お前は大丈夫なのか?」
「え?」
「仕事だって割り切れるならいいけど・・・」
鈴子は思わず口を押さえた。初めてなわけではなかった。でも好きでもない相手としたことなど一度もない。
慣れてたなぁ。ぼんやりとそんなことを考える。仕事なのだと割り切ると、隆司にあんな強烈なビンタをくらわせたことが申し訳なくも感じられてくる。
(申し訳ない・・・?そんなわけないわよ。私は遊ばれたんだもの)
一人で考えて一人で首を振る。気付くと紫音と距離があいてしまっていた。追い付こうと小走りになる。しかし、その足音は途中で消えてしまった。
「はろぅ、鈴子」
鈴子は口を塞がれ暗い部屋の中へ連れ込まれていた。鈴子を押さえ付けているのが隆司だということは声でわかった。
「こんなところで会えるなんて、うれしいよ」
隆司は後ろ手で鍵を掛ける。今頃紫音は突然いなくなった鈴子を探しているかもしれない。助けを求めようか考えて、鈴子は抵抗しない道を選んだ。
「ごめんね、驚かせて。ちょっと話がしたかっただけなんだ」
隆司はあっさり鈴子から離れた。まるで逃げないことを知っているかのように、余裕の態度だ。テレビ局の中では隆司の方が優位だ。それが後ろ楯になっているのかもしれない。
「私にはお話することなんてありませんが」
「そんなつれないこと言わないでよ。キスした仲じゃん」
楽しんでいる。その態度が鈴子にはしゃくにさわった。軽く流せないのが鈴子の悪いところだ。
「もしかして、怒ってるの?それもそうか。怒ってなきゃあんなに強い平手打ちはしないよね」
「そのことについては・・・申し訳ありませんでした。役者の顔を台無しにしてしまうなんて、今思えば・・・」
斜めの方向を見て言葉だけ並べていた鈴子は、隆司の気配が近付いたことではっとなる。暗さに目が慣れてきたこともあってか、隆司の顔がはっきり見える。
「本当に悪いと思ってる?」
「あなたも悪いけれど、私も悪かった。そう思ってます」
「鈴子はおもしろいね。気に入っちゃったよ」
必要以上に近寄られて、鈴子は身構える。もう好き勝手にされるのは御免だ。
「でもさ、オレは違うと思ってるんだよね」
「急に何の話ですか」
「あの夏芽って子。紫音が買ったのはあの子の眼鏡だ」
知っていた。すべて知っていて鈴子を選び、あんな仕打ちをしたのだ。
「紫音はあの子のことが好きなのかなぁ」
「それはないと思います」
「じゃあ鈴子のことが好き?」
「それはもっとないと思います」
きっぱりと言い切る。曖昧に答えたらつけ込まれるだけだ。その判断は正しかったかもしれないが、隆司はその上をいっていた。
「ふぅん・・・。でも好きになっちゃうかもしれないし、早めに潰しといた方がいいよね、きっと」
鈴子は我慢の限界だった。キッと睨み付けると隆司の胸ぐらをつかむ。
「夏芽ちゃんに何かしたら、絶対許さないから」
こんな状況でも隆司はにやにや笑っている。鈴子の発言は、夏芽が特別だと言っているようなものだが、冷静さを欠いた鈴子には気付けなかった。
「いいよ。夏芽には手を出さないでおくよ」
隆司はあっさりと引き下がった。
「その代わり、条件がある」
「なんですか」
「君を傍に置いておきたい。オレのマネージャーになりなよ」
嫌な予感はしていたが、まさか隆司の傍で働かされるとは思っていなかった。
「マネージャー・・・」
「もちろん学校があるのにそんな大層な仕事はさせられないから、第二マネージャーって形でさ。まぁ、雑用係みたいなもん?でもちゃんとお給料も出すしさ」
隆司は鈴子の表情をうかがう。鈴子は迷っていた。夏芽を守るためにはこの条件をのむしかない。仕事ならば紫音もいるだろうし、そんなに危険ではないかもしれない。ただ、隆司のことをよく知っているわけではない鈴子には、リスクも高く感じられた。
(いったい何を考えているんだろう。近付かなければわからないかもしれない・・・)
「わかりました」
鈴子の返事に隆司は満足気だ。
「あなたの傍で働きます。だから夏芽ちゃんには何もしないって約束してください」
「わかってるよ。夏芽だけじゃなくて、お友達の誰にも何もしないよ」
本心はわからない。隆司が約束を守る人間かどうかもわからない。ただ、今の鈴子にできるのはこれしかなかった。たとえ手の平で転がされる運命だとしても、ただでは転ばないと強く思うだけだ。
隆司を前にして部屋から出ると、すぐに紫音が駆け寄ってきた。探していたのだろう。紫音の顔に安堵の色が浮かぶ。
「紫音、ちょうどいいところに来たね。明日から一緒に働いてもらう子を紹介するよ」
鈴子は隆司に引っ張られて紫音の前に出された。
「長屋鈴子さん。よろしくね」
わざとらしい紹介の仕方に、紫音は言葉もなく鈴子を見ている。望まない方へばかり物事が進んでいく。
「そういうことだから・・・・」
消え入りそうな声でそれだけ伝える。鈴子は目も見れなかった。紫音がどんな目で自分を見ているのかと思うと、恐くて顔も上げられない。
「じゃあさっそくだけど、事務所の人とオレのマネージャーの柴田さんに挨拶しに行こうか」
二人の間にこれだけ気まずい空気が流れているというのに、隆司はうれしそうに爽やかな笑顔で割って入る。鈴子の肩に手を置いて連れていこうとしたとき、紫音は言いたいことの全てを呑み込んで二人を止めた。
「待て。・・・俺も行く」
その後事務所でいろいろな話を聞くことになるのだが、その間紫音はずっと黙って傍にいるだけだった。