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その壁を越えて(3)

 紫音しおんの力は相当なものだった。普段人と極力接しないがゆえについた付加価値は強力で、笑顔ひとつでプライドを崩してしまう。紫音はその日のうちに黒木くろきを落としてしまった。ただ優磨ゆうまとの協力体制なので、二人で黒木を取り合っているような状態になっている。

 佐川さがわと黒木は完全に夢に溺れていた。

 「鈴ちゃん、海人かいとたちね、しばらく屋上には来れないんだって」

 「そうなんだ・・・」

 海人も優磨も短期間でやれるだけやるつもりなのだろう。紫音はそこまで熱を入れているわけではないので、単純に忙しいのだと思われた。クリスマス前でつかさの仕事が増えているのかもしれない。

 「それでね、鍵借りてきちゃった」

 「私と二人なら屋上でなくてもいいんじゃない?」

 「鈴ちゃん、みんなにはまだ内緒だよ。実は私ね・・・・」

 愛海まなみ鈴子すずこにだけ聞こえるようにそっと伝えた。

 「愛海・・・」

 「私も強くならなきゃいけないと思って」

 (健気な奴・・・。海人くんが相手じゃなきゃこんな苦労しなくてよかっただろうに)

 「じゃあ私も一緒にがんばっちゃおうかな」

 鈴子にとっては都合のいいことだ。愛海は愛海でやることがあれば、ホーリーナイトのおかしな動きにも気付きにくくなる。いくら傍にいるからといって、鈴子でも限界がある。愛海にばれたときは彼女らにとどめをさすときでなければ都合が悪い。

 愛海はまだ知らないが、佐川と海人の話はもう結構な範囲で広まっている。真実を捏造し、噂は波となって校内を巡る。みんなの中で、愛海は可哀相でもあり、ひどい女でもあり、触れない方がいい存在となりかけていた。

 (愛海が知ったら、やめてって言うかな)

 そう言う愛海は好きだが、今やめるわけにはいかない。たとえ本人が望まなくてもやらなければならない。今後の二人のために。

 その頃二人のホーリーナイトは校内で大暴れしていた。海人は佐川にべったりだし、優磨はいろいろな顔で黒木を翻弄する。ホーリーナイトの噂は教師の起こした事件よりも早く生徒中に広まる。その恐さをよく知っているはずの佐川と黒木だが、もう現実がなんなのかわからなくなっていた。

 今まで一緒にホーリーナイトの話で盛り上がっていたはずの仲間が自分たちから少しずつ離れていっていることに気付かない。一人でいても全く気にならなくなっていた。二人はその他大勢のうちの一人ではなく、特別な存在になったと思い違いしていた。

 そして事件は起こった。今まで選ばれなかった者たちの間にできていた絆はもろくも崩れ去り、かつての仲間を陥れるために新たな絆ができあがった。

 佐川と黒木は優磨のファンも加えた大勢の過激な女子たちからまとめてひどい仕打ちを受けた。さんざん罵られ水をかぶせられ、制服をボロボロにされてしまった。無傷で済んだのがせめてもの救いだ。二人はみっともないくらい泣いて許しを請うと、ホーリーナイトと別れることを心に決めた。

 あまりにもひどい事件だったので、次の日にはあっという間に学校中に広まった。鈴子はもちろんのこと、愛海の耳にも噂は届いた。何も知らない愛海はただ驚くばかりだ。

 「鈴ちゃん、いったい何が起こってるの?」

 「それは・・・・」

 鈴子は始めから説明した。愛海に理解してもらおうと鈴子なりに言葉を選んで話をしたのだが、愛海の感情は徐々に高まり、事態をのみこめばのみこむほど抑えられなくなっていった。

 「私の知らないところでそんなことを・・・」

 「ごめん愛海。でも、愛海のためを思ってのことでもあって」

 鈴子は必死でなだめようとするが、ついに愛海は教室を飛び出していった。

 向かった先は一年の教室だ。自ら足を運んだことは一度もない愛海だったが、今日は迷わず海人の教室を目指す。

 今朝方、佐川に別れを告げられ一仕事終えたと思っていた海人は、すごい形相で教室に現れた愛海に度胆を抜かれた。愛海に向ける言葉の用意はまだできていない。

 周りの視線などかまわず、愛海は海人の机まで真っ直ぐにやってくると、机に両手をついてずいっと顔を突き出した。迫力に押されて教室がしんとなる。

 「どういうこと?」

 「あ、あの・・・」

 「私がいつ頼んだの?こんなことしてもらって、誰が喜ぶの?」

 「俺は愛海を・・・」

 「私、海人はこんなことできる人じゃないと思ってた。守るってこういうことだったの?だったらそんな言葉いらない。もう何もしてほしくない」

 追いかけてきた鈴子が二人の間に割って入った。

 「愛海、ちょっと待って。海人くんは愛海のことを思ってやったの。そもそもこの計画を考えたのは私だし、あんまり海人くんを責めないで」

 「鈴ちゃんも海人も、やってることはあの人たちと一緒じゃない。自分の手を汚してるかどうかの違いだけだよ。私はもっと違うやり方で自分の立場を守りたかった。なのに・・・どうして・・・」

 「愛海・・・」

 「海人のバカッ」

 大粒の涙を振り落として、愛海は駆け出していってしまった。愛海のためにと慣れない演技までしたのに、完全に拒絶されてしまった海人は、救いようのないくらい重いオーラをまとっている。さすがの鈴子もまいってしまった。愛海の純粋さが憎らしいほどに眩しい。

 「手を叩いて喜ぶような子じゃないとは思ってたけど、まさかあんなに怒るなんて・・・」

 「鈴子さん・・・俺、もう終わりですかね」

 「何言ってんの。今は愛海も感情的になってるからさ。落ち着いたら海人くんの気持ちも考えるようになるわよ」

 鈴子は海人の肩を軽く叩いて励ました。

 「それに、愛海には愛海なりにがんばってることがあったから、よけいに許せなかったんだと思うし」

 「がんばってること?」

 「実はね、愛海、放課後翔子しょうこちゃんに空手教わってるの」

 「え?」

 「自分の身は自分で守れるようにってさ」

 海人は両手で顔をおおってしまった。憐れなナイトは果てしない後悔の念で胸が一杯になる。明日の終業式が海人にとって、今年最後のチャンスだった。

  

  

 放課後の屋上では、同じく重いオーラをまとった愛海が翔子と座っていた。今日は練習などできる雰囲気ではない。

 「私、どうするべきだったのかな・・・」

 「難しいですね」

 「あんなことしないでほしかった。でも、結果的に私は守られてるんだよね。海人は私を守ろうとして、あんなこと・・・・」

 思い出してまた涙がにじんできた。年下なのにお姉さんのような翔子が頭を撫でてくれる。

 「思いがあればこそですね。優磨はともかく、海人さんは必死だったと思いますよ」

 「私が弱いからこんなことになっちゃったんだ。私がもっと強くて、かわいくて賢くて、海人にふさわしい女の子だったら始めからうまくいったのに・・・」

 「そんな風に自分のことを悪く言うのはよくないですよ。海人さんは愛海さんの全てをひっくるめて好きなんですから。今の自分を否定することは、海人さんの思いを否定するのと同じです。ただ、できることがあるのなら少しでもやればいいというだけのことです」

 「翔子さんは元から美人だし、そんな風に言えるんだよ」

 愛海の卑屈な発言に、翔子は珍しくため息をついた。自分をさげすむことで守ろうとする愛海は醜かった。

 「ブスですね」

 「なっ・・・・」

 「今の愛海さんはホーリーナイトにはふさわしくないですよ。海人さんがかわいそうです。愛海さんは心で感じる人だと思っていたのに、いつから見た目で判断するようになったんですか?美人になればうまくいくというのなら、整形でもエステでもなんでもやればいいじゃないですか。お金は私が出して差し上げますよ」

 こんなに冷たく言われたのは初めてだった。表情が乏しく、切れ長の目が冷たい印象を与えてしまうが、翔子はとても優しく温かい人間だ。それを知っているからこそ、翔子の言葉は深くまで刺さった。

 愛海は平手打ちをくらったような気になった。自分の間違いに気付かされたものの、どうしていいのかわからず戸惑っている。涙と一緒に言葉も引っ込んでしまった。

 「私のことを言っても仕方ないですが、私と優磨にだって乗り越えていかなければならない壁はあるのですよ。愛海さんたちの味わう苦労とは質の違うものかもしれませんが、なにもしなくても幸せになれるようなお気楽な恋愛をしているわけではないんです。でも、私は諦めません。優磨のことが好きですから」

 「わ・・・私だって・・・」

 「海人さんのことが好きですか?本当はそんなに好きじゃないんじゃないですか?海人さんの押しに負けて好きになったつもりでいるだけなんじゃないですか?」

 「違うっ。海人は私にとって特別だもの」

 「それは特別でしょうね。あなたがどんなことをしても、どんな風になっても好きだと言ってくれる、特別居心地のいい存在ですもんね」

 「そんな意味で言ったんじゃ・・・」

 「残念ながら私には全く伝わってきませんね。愛海さん、あなたは本当に好きなものを努力で勝ち取ったことがありますか?本当に好きな人を身を挺して守ったことがありますか?」

 「・・・・」

 「海人さんはそれをしたということ、忘れてはいけません」

 翔子はがっくりとうなだれる愛海を残して屋上から出ていった。本当は弱気になっている愛海を励まし、元気づけるつもりだったのに、愛海らしくない言葉を聞いて冷たく蹴落としてしまった。少しばかり後悔の念があるが、これで立ち上がれなければそれまでの女だったということだ。

 出口を出てすぐのところに人影があった。紫音だ。

 「久しぶりに来てみれば、えらいことになってるな」

 「聞いていましたか」

 「なかなか強烈だったぜ」

 「少し言い過ぎました」

 紫音は穏やかに微笑んだ。

 「まぁ、いいんじゃないか。甘い慰めより、今のあいつには必要な言葉だったと思うぜ。心配しなくても必ずはいあがってくるよ。宮村みやむらはそういう奴だ」

 「紫音さんがおっしゃるなら間違いないですね。実際私も信じてますから」

 「後のことは俺がなんとかやるよ。あ、そうだ」

 帰ろうと階段を降りかけていた翔子が振り返る。

 「優磨のこと、あんまりきつく怒らないでやってな」

 翔子は初めて苦笑いを見せた。

  

  

 終業式が終われば冬休みだ。クリスマスにお正月も待っている。弾む心を抑えていつもは静かにしている生徒たちなのだが、今回はざわつきがやまなかった。教師たちもお手上げである。

 ホーリーナイトの起こした騒動は輪をかけて広がり、落ち着くまでにはあと数日は必要と思われた。それが今日で学校は休みに入ってしまう。持て余したエネルギーが終業式の場でも弾けているのだ。さらには体育館の中に噂の張本人たちが揃っているのだから、収まるわけがない。

 教師たちは諦めて、形だけでも終業式を行うことにした。校歌が歌われることもなく、校長の話はまれにみる短さで終わり、冬休みの注意事項がとりあえずで伝えられる。その間、愛海は居心地の悪い思いをしながらも、真っ直ぐ前を見ていた。うつむいてしまったら気持ちが折れるような気がしたのだ。鈴子には朝一番で謝った。この式が終わったら海人にも謝る。そう愛海は決めていた。

 疲れた顔の教師たちが見守る中、終業式は最後のあいさつを迎えようとしていた。担当の教師が壇上に上がる。そこに割って入ってきた一人の生徒がいた。ざわめきが大きくなる。

 (海人っ)

 マイクの前に立ったのは海人だった。

 「すいません、勝手なことして。俺、どうしても言いたいことがあるんです」

 終業式はすでにめちゃくちゃだ。もう好きにやってくれ状態である。教師の誰も、海人を止めなかった。

 「ありがとうございます。皆さん、どうか少しの間でいいんで聞いてくれませんか」

 体育館は急に静かになった。好奇の目が一斉に向けられる。海人はひるむことなく堂々と立っていた。

 「皆さんの間に、どんな形で話が広まっているのかわかりませんが、少なくとも俺は間違ったことをして人を傷付けてしまいました。俺のせいでひどい目に合った佐川先輩、黒木先輩。本当にすいませんでした」

 海人は深々と頭を下げた。ホーリーナイトが全校生徒の前で謝罪している光景に、誰もが言葉を失う。

 「それから、宮村愛海さん。あなたの努力を踏みにじってしまったこと。あなたの信頼を裏切ってしまったこと。本当に、本当にすいませんでした。そして、俺の過ちを本気で怒ってくれたこと、ありがとうございました」

 海人は全校生徒の集まるこの場でも、愛海の姿を瞬時に見つけていた。その真っ直ぐな目を一心に受けて、愛海の胸は詰まる。

 「皆さんすでに知っているとは思いますが、俺は愛海さんが好きです。これまでも、これからもずっと好きです。今でこそホーリーナイトなんて呼ばれてますが、俺は昔、どこにでもいる一人の男の子でした。でも努力しました。愛海さんの隣に並びたくて、その気持ちだけでここまでの男になることができました。だから簡単に諦めるなんてできないんです」

 海人の精一杯の訴えに、誰一人声を発することなく静かに聞き入っている。

 「もし俺のことを誰にも負けないくらい好きだと思ってくれている人がいるなら、人を傷付けるようなやり方はやめて、自分を磨くことに力を注いではくれませんか?俺だって人間です。輝いている人には目を奪われます。その可能性のために努力してほしい。俺は歪んだ心で仲を引き裂こうとする行為からは、絶対に愛海さんを守ります。何度でも、二人で壁を乗り越えていきます」

 熱い告白に、聞き疲れた紫音は息を抜く。少し後ろにいる愛海の様子をうかがってみて、びっくりした。愛海は大粒の涙をぼろぼろこぼして泣いていた。情けなく顔を歪めて、鼻をすすり、ひどい状態だ。

 (なんて顔してんだ、あいつは・・・)

 このまま泣かしておいたら足元に水溜まりができてしまいそうだ。紫音は列から外れて愛海の顔にハンカチを押し当てると、そのまま引っ張りだした。よろよろしながら紫音に手を引かれて体育館の外へ連れていかれる。その様を見て、海人はすぐにでも追いかけたくなった。

 「今回、学校中を巻き込んでしまい、大変ご迷惑をおかけしました。もう二度とこんなことが起こらないよう願っています。俺も変わらず努力します。だから皆さんも、どうか温かく見守ってください。最後まで聞いてくれてありがとうございました」

 海人はもう一度深々と頭を下げた。どこからともなく拍手が起こり、あっという間に体育館は拍手の海となった。ファンの子たちは目に涙をためながら手を叩いている。完全にとはいかないが、黒い心が清らかになっていくような気がした。

 海人は教師たちにも礼をして、壇上を下りると駆け出した。

 引っ張りだされた愛海は体育館横でまだぼろぼろ泣いていた。

 「ひでぇ顔。ほら、鼻かんで」

 差し出されたティッシュで鼻をかむ。紫音のハンカチはすでにぐしゃぐしゃだ。

 「紫音・・・。私、海人に・・・ひどいこと・・・」

 「あいつはちゃんとわかってるよ」

 「どうしよう・・・。海人・・・想ってくれてた・・・のに」

 「そんなに泣かなくてもいいだろ」

 どこからそんなに涙が出るんだというくらいの勢いで泣く愛海に、紫音は呆れつつも愛しい気持ちになる。紫音にはこんな涙は流せない。どこかに置いてきてしまった感情を愛海は持っている。

 「愛海っ」

 海人が駆け寄ってきた。

 「ごめんね。あんな風にみんなの前で言われて嫌だったよね。でもちゃんとするためにはあの場しかないと思って」

 「ちが・・・うの。ごめんて言うの・・・私の方・・・」

 「なんで?そんなに泣いてるのに。俺のせいでしょ」

 「違うの。申し訳ないのとうれしいのとで、涙が止まらないの・・・。私、海人に想われて幸せ。海人に好きになってもらえて、本当に・・・うれしい・・・」

 海人は愛海をぎゅっと抱きしめた。

 「海人、制服汚れちゃうよ」

 「いいよ。どうせ泣くなら俺の腕の中で泣いて」

 「海人・・・ありがと」

 紫音は雰囲気を崩さないように、そっとその場を離れた。やれやれである。自分にもあんな風に恋愛する日が来るのだろうか。紫音にはとても遠い未来のように感じて仕方なかった。

 海人は紫音がいなくなったのを見て、愛海のおでこにキスをした。

 「やっぱり俺は愛海がいいよ」

 「私も・・・。私、自分でも信じられないくらい海人のこと好きになってる・・・かも」

 「かもって・・・。そこは断言していいとこでしょ」

 二人で笑って、終業式は幕を閉じていった。

 明日からはしばらくみんな別々になる。


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