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11.その壁を越えて

 優磨ゆうま翔子しょうこの問題が片付き、ひとつの嵐が過ぎ去っていった。これで愛海まなみ海人かいととゆっくり向き合えるようになる。そう思っていた。

 「宮村みやむら愛海。ちょっといいかしら」

 忘れかけていた。ホーリーナイトとつき合うことの重大さを。

 「な・・・なにか用ですか?」

 目の前を三人の女子がふさいでいる。全員三年生だ。悲しいかな、三人とも愛海より可愛い。嫌な予感がする。

 「とにかく来なよ。ちょっと話があるんだ」

 「話ならここで・・・」

 「いいから来なって言ってんの。聞こえない?」

 「・・・・」

 愛海は躊躇した。今全速力で逃げれば、逃げ切れるかもしれない。運よく紫音しおんや海人に出会えば助けてもらえるだろう。

 (でも、ここで逃げてもまた同じことが起こる。いつかは戦わなきゃいけないんだもん)

 足に力を込めて、愛海は踏み出した。命までとられるわけではないだろう。だが、陰でこそこそする嫌がらせには慣れていても、こうして直接向き合うことは正直なかった。これがホーリーナイトとつき合っているという事実が招く違いなのだ。怖くないわけがなかった。

 連れていかれたのは体育館横のプールだった。今の時季は使われていないので入り口には鍵が掛かっていた。それをどこから持ち出したのか、三人のうちの一人が解錠する。プールには貯水の意味で定期的に水が貯められている。使われていない水面には落ち葉が浮かび、くもった水の色が愛海の恐怖心を高めて仕方なかった。

 愛海はプールサイドで三人に囲まれた。

 「あんたさぁ、海人くんとつき合い出したんだって?」

 「正直に言いなよ」

 「それを知ってどうするんですか?」

 「べつに。一応聞いてみただけ。もうちゃんとした情報は入ってるし」

 (じゃあ聞かないでよ)

 「なんであんたみたいなのが海人くんに選ばれるわけ?大して可愛くもないし、頭も悪そうだし。まぁ、かろうじてスタイルは悪くないわね。でも胸がないわ」

 「そんな細かく分析されても・・・」

 「あんた、なんか特別なことでもしたんじゃないの?紫音くんが一緒にいる時点でおかしかったし」

 「そうよ。紫音くんの傍にいれるだけでもありがたく思いなさいよね。そのうえ海人くんまで・・・・本当に信じらんない」

 (私だって信じられないよ。なんで海人が私みたいなのに好意を持ってくれるのか、今でもよくわからないのに)

 三方向からさんざん罵られ、愛海の自信は折れかけていた。ホーリーナイトである海人の輝きと、その横で平気で笑っていられる存在にならなければいけない自分。夢見心地で忘れかけていた愛海を、言葉のムチが叩き起こす。

 「あんたさぁ、海人くんと別れなよ」

 「え?」

 「自分でもわかってんでしょ?自分じゃつり合わないって」

 (それは・・・)

 「海人くんもどうかしてたのよ。でも海人くんて優しいからさ、間違いに気付いても自分からふるなんてできないかもしれないじゃん」

 「だからあんたから別れなさいよ」

 「そんな無茶苦茶なっ」

 「そうよね。今は幸せな気分だろうから、そう思うのも仕方ないわ」

 「でも夢はいつか覚めるもんなのよ。だから私たちが教えてあげるわ」

 「決心できるようにしてあげるよ」

 人の入ってくる気配がして、入り口に目を向けた。騒ぎに気付いて先生が見に来たのかもしれない。そんな淡い期待は吹き飛ばされた。入ってきたのは十人以上の女子だった。

 助けにきてくれたわけではなさそうだ。学年は様々だが、みんな海人のファンなのだろう。愛海は多すぎる女子たちに取り囲まれ、震えそうなのを必死で堪えて立っていた。

 「身の程教えてやるよっ」

 三人組のうちの一人が愛海を突き倒した。地面に這いつくばるような姿勢になった愛海を何本もの腕が取り押さえる。

 「動くと危ないよぉ」

 言われなくても身動きなどとれる状態ではない。悔しさと恐怖にうちひしがれる愛海の前に、一人の女子がハサミを突き出した。

 「なっ、なにする気!」

 「なにって、こうすんのよっ」

 ザクッと思いきりのいい音が耳元でした。その後もザクザクと容赦なく音は続く。愛海の視界に舞い落ちる髪の束が映った。

 「あれ?私カットには自信あったんだけど。やっぱ元がダメだとダメみたぁい」

 肩下まであった髪は、バラバラに耳の辺りまで切られていた。愛海は言葉と一緒に涙も呑み込んだ。ハサミで顔に消えない傷を残されるより、髪の方がよっぽどましだ。また伸びてくる。そう思うことで自分の心を現実に止めた。

 「カットの後は流さないとね」

 愛海は急に自由になった。押さえていた女子たちが一斉に離れたのだ。その直後、愛海はバケツ一杯の水を頭からかぶせられた。

 「悪いけどブローは自分でしてね」

 笑い声と共にぞろぞろとその場を離れていく女子たち。愛海はびしょ濡れの状態でプールサイドに置き去りにされた。

 冬の寒空の下、真水をかぶって震えるほど寒いはずなのに、受けたショックが大きすぎて感覚が麻痺している。自分の身に起こった事実を素直に受け入れられない。ついさっきの出来事なのに、何年も前のことのように忘れかけてしまいたかった。

 様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり、体が反応できないのだろうか。愛海は涙の一粒も出なかった。言葉が出ないのに唇が微かに震えている。寒さのせいなのか怒りのせいなのか恐怖からなのか、もうわからなくなっていた。

 その日どうやって家まで帰ったのか、愛海は覚えていなかった。

  

  

 次の日、愛海は熱を出して学校を休んでしまった。寒い中水をかぶった状態で長時間いたのだ。風邪をひいて当たり前である。

 昨日の出来事は誰にも話していない。鈴子すずこにも風邪をひいたとメールしただけだ。急に髪の短くなった愛海を見て両親は驚いていたが、イメチェンだと言ってごまかした。制服もドライヤーでなんとか乾かしたので、今日着ていける状態になっている。もちろん行ける体調ではないが。

 愛海の家は両親共働きのため、母親の帰ってくる夕方まで一人残されることになった。熱はあるものの動けないほどではない。一人でも大丈夫だった。ベッドの中で寝たり起きたりを繰り返す。考えることは山ほどあったが、熱のせいか頭がちっとも働いてくれない。

 (海人・・・どうしてるかな・・・)

 もう夕方だ。母親もそろそろ帰ってくる。一日安静にしていたが、だるさは一向にとれない。

 インターホンが鳴った。帰ってきたのかもしれない。愛海は二階から降りてとりあえず玄関モニターを見た。映っていたのは母親ではない。海人だった。

 (なっ、なんで海人が家に?)

 とりあえず受話器をとる。

 「はい」

 「その声は、愛海?」

 「うん。なんでうちにまで来てるの?」

 「鈴子さんから愛海が休んでるって聞いて。お見舞い」

 愛海は自分の頭に手を当てた。海人が来てくれたことは飛び付きたいくらいうれしかったが、こんな頭で出ていくわけにはいかない。海人の目はイメチェンの一言ではごまかせないだろう。

 「ごめん、帰って。風邪うつしたくないんだ」

 「・・・・そう」

 「ごめんね。早く治して学校行くから」

 「わかった。お大事に」

 海人があまりにあっさり引き下がったので、拍子抜けしてしまった。ほんの少し淋しさが残る。愛海は受話器を置いて再び二階の部屋へと戻っていった。

 ベッドに潜り込んだ直後だった。玄関が急に騒がしくなった。母が帰ってきたようだ。誰かと話している。

 「わざわざ来てくれたのに、ごめんなさいね」

 「いえ、俺も急に来てしまったので」

 「あの子寝ちゃってるのかしら。それにしても、あなたがあの海人君だなんて。見違えるくらい男前になっちゃって、おばさんわからなかったわよ」

 (うそっ。海人?)

 母と一緒に入ってきたのは海人のようだ。帰宅する母とばったり会ったのだろうか。さっきあっさり引き下がったところからすると、こうなることを狙っていた可能性もある。

 「せっかく来てくれたのに・・・・。ちょっと見てくるわ」

 「あ、それなら俺が。眠ってるようならプリントだけ置いて帰りますし」

 「そう?じゃあ愛海の部屋、二階にあるから。風邪がうつらないように気を付けてね」

 「ありがとうございます」

 (ま、まずい。海人が来ちゃうよぉ)

 おろおろするばかりで、どうしたらいいかわからない。

 「愛海、入るよ」

 (ぎゃああぁ)

 結局頭から布団をかぶっただけだった。ドアの開く音がする。近づいてくる気配にかたくなる。

 「愛海?大丈夫?」

 「・・・・」

 「まさか寝ちゃったわけじゃないよね。ごめん、無理に入ってきちゃって。玄関先でおばさんが帰ってくるの待ち伏せしちゃったんだ。怒ってる?」

 「・・・怒ってないよ」

 「じゃあ顔見せてよ」

 「・・・・」

 「ねぇ、何かあった?俺には会いたくなかった?」

 「違うよ。来てくれてうれしい。すごくうれしい。でも・・・今はちょっと・・・。やっぱり風邪うつしたくないし」

 苦しい言い訳だなぁと思う。帰ってほしくない。でも今の自分の姿を見せることはできない。苦しくなって涙がにじんだ。

 「ごめん、愛海」

 「え?」

 海人は愛海の言葉を無視して布団をめくってしまった。突然表に出された愛海は、なにがなんだかわからずに反射的に頭を隠す。バラバラの長さの髪に寝癖までついて、本当にひどい状態だった。

 「ど・・・どうしたの、その髪・・・」

 答えられなくてうつむいてしまう。熱のある頭でうまい言葉なんか尚更出てくるわけがない。

 海人は優しく布団をかけ直すと、傍に座った。

 「それ見せたくなかったんだ」

 「普通見られたくないでしょ」

 「自分で切った・・・わけないよね」

 「ごめん。今はまだ何も言いたくない・・・」

 「いいよ、言わなくて。鈴子さんにさんざん釘を刺されてるから、俺だってこれがどういうことかくらいわかるよ。ごめんね、守れなくて」

 愛海はただ首を振るしかできなかった。こんなとき、どうってことないよと笑えるくらいの強さがあればいいのにと思う。自分が辛い顔をすれば海人も同じくらい辛い顔になる。それを見てまた更に辛くなるのだ。好きだと思える人の傍にいるのに、辛いことが二倍になるなんて悲しいことだ。

 精一杯笑おうとしたが、プールでの出来事を思い出し、逆に涙がこぼれ落ちた。海人はたまらず抱きしめる。

 「ごめ・・・海人。私、初めて恐いって思っちゃった・・・・」

 海人にしがみつく愛海の手が微かに震える。海人は愛海を包む腕に力を込めた。その目は黒い怒りの炎で揺れていた。

 「愛海は何も悪くない。俺が守るから」

 「やっぱり私、海人にはふさわしくないんじゃ・・・」

 「お願いだから、そんなこと言わないで」

 弱りきった海人の声を聞くと、病人なのはどっちかわからなくなってくる。

 「今日はもう帰るから、元気になったら学校に来て。もう二度と同じような思いはさせないから」

 愛海は黙って頷いた。最後まで晴れやかな表情を見せることはできなかった。

  

  

 次の日海人は鈴子と優磨の力を借りて情報を集め、愛海の身に起こったことの詳細を把握した。浮上したのは三人の女子生徒だ。その三人が主導となっているのは間違いなさそうだった。

 「愛海だって多少は覚悟してたはずだけど、まさか髪切られて水かぶせられるとはね」

 「宮村先輩かわいそう」

 「愛海どんな感じだった?」

 「俺はどんなでも嫌いになんてならないけど、愛海自身は髪のことすごく気にしてるみたいだった。それに、思い出して震えてた・・・」

 「そりゃそうよね」

 愛海の受けた仕打ちを思うと気持ちが沈む。愛海は今日も熱が下がらず休んでいる。

 「おい、さっきからずっと険しい顔してるけど、何考えてんだ」

 海人の雰囲気がいつもと違うことはみんな気付いていた。

 「紫音さん。俺、怒りがおさまらないんです。このまま愛海の受けた苦しみをなかったことにするなんてできない」

 「仕返しするのか?」

 「仕返し・・・。最悪ですよね、ホーリーナイトがファンの子に仕返しだなんて。でも、自分のしたことがどれほど愛海を傷付けたのかわかってほしいんです」

 「じゃあさ、ひと騒動起こしちゃおっか」

 鈴子はニヤリと笑った。嫌そうな顔をしたのは紫音だけだ。海人も優磨も興味深げに鈴子の作戦に耳を傾けている。

 「どうなるかはわからないけど、同じ思いをさせるにはぴったりだと思うのよね」

 「なるほど。僕の得意分野だな。でも海人君はそんなことできるの?」

 「やるよ。少しでも愛海を守ることにつながるなら、俺はやる」

 海人は真剣だった。腕にはまだ愛海が震えながらしがみついたときの感触が残っている。

 「じゃあとりあえずやってみよう。紫音はどうするの?無理にとは言わないけど」

 「乗り気じゃないが、やれるだけのことはやってやる。だからそんな目で見るな」

 お願いの眼差しを向けていた海人は、安心したようにふにゃっと笑った。紫音が協力してくれるのはなんとも心強い。

 「鈴子さん、愛海には言わないでくださいね」

 「僕も。翔子には内緒にしておいてください」

 「はいはい。言われなくてもわかってるって」

 鈴子は不謹慎とわかっていながらも内心では楽しみで仕方なかった。愛海のようにお人好しになれない鈴子は、今回の首謀者が痛い目に合えばいいと本気で思っていた。大勢で一人の人間をいたぶるような奴は、一人の立場を味わえばいいのだ。

 「終業式までに片を付ける」

 「一週間ちょっとか・・・。十分だね」

 優磨はちょっとしたイベントの気分だ。このくらいの軽いノリの方がいいかと、鈴子は自由にしておくことにした。

 そしてここから、ホーリーナイトの影響力が学校を騒動に巻き込むことになる。


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