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マグカップのコーヒーを互いに一口、二口と飲み、それから話しは始まった。
「単刀直入に話そう。右目を失くしたんだ。だから今はこの眼帯で空いちゃった穴を隠してるんだ。」
「……そうか。」
「朝からどこを探しても見つからないんだ。ベッドの下も、棚の上の小物周りも、冷蔵庫の中にだってなかったよ。それに、馬鹿にしないでほしいんだけど、視界が左右で真っ二つに分かれているんだ。まだ残っている左目ではこの部屋が見えているんだけど、視界の右半分には空が見えているんだ。それもどうやら、今は雲の上にいるみたいだ。自分の家にいたころはまだ街が見えてたんだけどな。ああ、これからどうすれば……。」
「そうかそうか。まあまず落ち着け。そのコーヒーを飲みなさい。」
私がマグカップを指すと、彼は思い出したかのようにコーヒーを一気飲みしだし、気が済むまで飲むと、どっと疲れた顔をして、「おかわり」と手に持ったマグカップを私によこした。とうぜん私は追加のブラックコーヒーを淹れてやった。友人は新しいコーヒーを受け取り、これをもう一口だけ飲んでからまた口を開いた。
「なあ。この前、目が痒いって話をしただろう。」
「ああしたね。」
「あれ、お前はもう治ったのか。」
「まさに今朝、目薬を買いに行ってたんだ。おかげで痒くも痛くもないよ。」
「ちょっと待て、医者には頼らないんじゃなかったのかよ。」
「医者じゃないよ。薬剤師さ。そろそろ我慢の限界だったんでね。ほらこの目薬。」
私はそういって、今朝買った目薬を取り出してみせた。そのパッケージからは、製薬会社の儲けようという気迫が伝わってくるようで、「ステキだろう。買うといいよ。」といいながら手にした目薬の箱をくるくる傾けてみる。すると窓からの朝日を反射して、箱がギラギラと輝いた。
「いや、僕は自然治癒がモットウなんだ。遠慮するよ。」
「それは残念。めちゃくちゃ効くのに。」
私はおとなしく目薬を片付けてしまい、自分のマグカップのふちを口につけた。
「話を戻すと、あの日僕が痒みについてどう言っていたか覚えているか。……羽毛だよ。そして僕が今右に見えているのは空。つまりさ、僕の右目は空高く飛んでってしまったんじゃないかなぁ。そして今も右目は無事だからこそ空の映像が見えている。ねえ、僕の目が飛んでるとこを見てない?」
「……びっくりだね。そういえば眼球が飛んでいるのを見たよ。そう確か夜中、あれは夢の中でのことだったね。」
「おいおい信じてくれないのかよ。確かに馬鹿げているかもしれないけど、もうこれが一番まともで筋の通った考えなんだ。友達だろう?協力してくれよ。」
「ごめんごめん。眼球が飛んでいるのを見たってのは本当なんだよ。でも不思議なことに、あれが夢だと思えばそう思えるし、現実だったかもと思えば現実のような気もするんだ。だから参考になるかどうか。」
「いや、とにかくその話を聞かせてほしい。」
私は昨日の夜に見たもののことを話した。眼球に羽、ひどい充血、夢に輝く黒目、涙、そして私の右目の鈍痛。すべてを話し切った。
「こんなことがあったよ。」
「なるほどな。確かに変な話だ。気味が悪い。でも僕の発想とあまりにも被ってる。もしかしたらその眼球は僕の右目なのかもしれないな。」
私の話を聞き、友人の顔に落ち着きが戻ろうとしていた。彼はこの話に一体どんな活路を見出したというのだろうか。藁にもすがる思いなのだろうが、すがりっぱなしで先がないのならば意味はない。それならばいっそ流されてみる方がマシだし彼らしい。
私は自分のマグカップが空になったので、いったんそれを机の上に放した。
「この際、君の言う右目飛翔案には突っ込まないよ。こんな状況なわけだし、とりあえずアタリをつけるのはいいと思う。でも目が空に飛んでいったとして、君はそれをどうしようと考えているんだい。」
「ええと、そうだな。鳥なんかはエサを撒けば集まってくるわけだから、目のためのエサを用意しよう。」
「そのエサを何かしら用意できて、実際に君の右目が空から降りてきたらどうする。」
「そりゃ、元の右目の穴に帰ってきてもらうさ。」
「どうやって。」
「どうやってもなにも、押し込むんじゃないか。ああ、その前に羽毛はむしろう。帰って来ても痒いままじゃ不便だ。」
「いや、多分それじゃダメだ。きっと何も変わらないだろう。」
そう言って私は、甘ったるくなった口内をすっきりさせるため、新しくガラスのコップを用意した。コップにはブラックコーヒーではなく水道水を、だいたい八分目まで注ぎ、そしてコップのふちを口につけて一杯を一飲みにした。
「君はどうして右目が行ってしまったのかを理解するべきなんだ。人だって何だって、出ていく理由はだいたい決まってる。現状への不満足、あるいは別のところに未来を見たかだ。つまり君のぽっかり空いた穴には居たくないってことだよ。」
「居たくないっていわれても、相手は目だろう。この穴に収まっていて当然だと思うけど。」
「それは通用しないよ。君はさっき目が飛んで行ったことを認めていたじゃないか。羽は飛ぶためにあるが、ただ構えてるだけで飛べる代物じゃない。持ち主が筋肉を動かしてはばたかないといけないんだ。目が飛ぶことを認めるなら、目に意思があることも認めなくちゃいけないよ。」
「確かにそうか。でも結局どうしたらいいんだろう。僕は目のために何をしてやれるんだろう……。」
「考えておくんだ。薬剤師も医者も真っ白で待ってるよ。」
「そうだな。それも考えておくよ……。」