言語改革
「どうやら、作戦通りだ」
この宇宙連合のエリダヌス本部二重惑星WAVIに所属する首閣府のジェッ・ト長官は、頬杖をついて、向かって斜め右のシーノ・アイ補佐官に話しかけた。
二人はそれぞれエリダヌス本部が管轄している超銀河団の中の、渦巻銀河とレンズ状銀河の出身者である。
「そのようですね。ト長官」
シーノ・アイ補佐官は、両手を机の上で重ねている。
「あぁ。今、アンドロメダ支部のスタッフのほとんどが須木通調査員を救出する為に、緊急対策センターにこもりっきりだろう」
ジェッ・ト長官は、斜め下を見て微笑を浮かべる。
「それがねらい目ですか?」
シーノ・アイ補佐官は聞き返す。
「もちろんだとも。あの言語改革をもしのぐほどの能力を持った宇宙生命体、相手の脳を認知し、相手の言語に自動修正して対話するという能力はこの宇宙以外の宇宙を行き来しようと計画している我々には必要不可欠だ」
「今の人工的に作られた新言語をこの宇宙全体に浸透させる言語改革でさえ10億年かかったらしいですから。前任の長官は苦労したことでしょう」
欲しいのは過去の栄光ではない。新しい事実である。過去など敬わずに前だけを向いて生きてきた。この宇宙連合をここまで大きくしたのは、そういう人物たちである。決して振り返らない、それが彼らの正義。
「実行犯はどなたですか?」
「なぁに、ただの調査員だよ。一介のね」
「そうですか」
シーノ・アイ補佐官は、表情を変えなかった。
「ちなみに……」
「何だ?」
ジェッ・ト長官は、目線をシーノ・アイ補佐官へ向けた。
「あのホット・ジュピターに調査員の誰かがのみ込まれるというのは、確率的に低いのでは?」
「あの惑星じゃなくてもよいだけだ。日々、調査員は危険と隣り合わせだ。いつ、どこで事故が起きてもおかしくはない」
「なるほど」
シーノ・アイ補佐官は少し口角を上げた。
アンドロメダ支部緊急対策センター内。そこには、アンドロメダ支部のほとんどの職員が集まって来ていた。
《救急スタッフに告ぐ。緊急体制を発令する。さんかく座渦巻銀河M33惑星系第1惑星へ急行しなさい》
アナウンスも流れる。
それは、アンドロメダ支部作業型ロボット点検室にも流れた。
「M33の第1惑星って、ホット・ジュピターのこと?」
レーン・オジ・ボルケーノがスピーカーの下でつぶやく。
「きっと、調査員が」
「そうかもしれない」
作業型ロボットたちは、スピーカーを見上げた。
――あれから、15時間。そろそろ予備酸素まで底をつきそうだ。
「エリカ……」
通は意識を失った。
通が第2層に沈んでから15時間56分。
アンドロメダ支部緊急対策センター内では、支部の職員たちが慌ただしく救出作戦をたてていた。
ホット・ジュピターの第2層で使用できる通信機器は、未だ開発されていない。第3層までなのだ。よって、調査員バッジの探査機能は使えなかった。
「どうしよう」
サラ・ブラウンは、必死に救出方法を考えていた。エリカは一番後ろの壁際で立ち尽くした。
一方、アンドロメダ支部宇宙生命体控室。そこへある一人の調査員が、忍び込んでいた。
「もしもし? あなたは?」
アンドロメダ支部の新しい職員となったダウン・サイキバは、その忍び込んだ調査員と鉢合わせした。しかし、それは相手の調査員にとっては計算通り。
「私はエリダヌス本部からやって来ました。調査員のシ・ミードと申します」
彼は強い信念から放たれる、まっすぐな瞳でダウン・サイキバを見た。
「私と共にエリダヌス本部へ来ていただいて、私たちの新・言語改革を手伝ってもらえませんか?」
彼の言う事にダウン・サイキバは少し驚いて、虹彩を何回か動かしたあと、ゆっくりと話した。
「それは光栄な事です。しかし、私はここの皆さんと協力して新・言語改革を進めたいと思っております。よって、あなたたちの所へは行けません。申し訳ありません」
「そうですか。残念です。しかし、本当にそれで良いのですか?」
「?」
ダウン・サイキバは戸惑った。目の前の調査員シ・ミードが何を示唆して言っているのか分からなかったからだ。
「今、アンドロメダ支部の緊急対策センターで何が行われているのか、ご存知ですよね?」
「もしかして、あなたたちが?」
「いいえ。でも、調査員たちはいつも危険です」
――そういう事だったんですね。
ダウン・サイキバは、全てを理解した。
「あの調査員を助けたいのでしょう? 私たちなら、もしあの調査員が液体金属水素の層に沈んでしまっていても、助けられる技術を持っています。どうですか? 悪い話ではないと思いませんか?」
ダウン・サイキバは自分が全て悪かったという感情に押しつぶされそうになった。天敵から自分たちの種族を助けてもらう代わりに、このアンドロメダ支部へ来たことが何よりも悪かったということ、それによって自分をここへ呼び寄せてくれた通を危険な目に遭わせてしまっているということ。
「もし、私があなたたちと共に新・言語改革を進めれば、彼は助かるのですね?」
「もちろんです」
シ・ミードは頷いた。
「では、どのような原理で助けるのですか?」
「惑星全体に〈アクシオン〉という磁場の影響で光子に変化する素粒子を通過させるのです。そうすれば、調査員バッジからの微弱な磁場に反応して、ごく少量ですが光子が生成される。それを観測し、位置を特定するのです。説明は以上でよろしいでしょうか?」
「分かりました。あなたたちと行きます」
「良かった。では、こちらへ」
ダウン・サイキバは黙ってシ・ミードのあとをついて行った。
アンドロメダ支部緊急対策センター内は依然ざわついている。通を救出する方法が未だに見つかっていないのだ。
「サラ・ブラウン研究員」
そんな中、職員のラシール・フィードが声をかける。その声にサラ・ブラウンは振り返る。
「何?」
「エリダヌス本部のワープ・シャトルがホット・ジュピターに到着したそうです」
「え!?」
サラ・ブラウンは、驚いた。
「それから、こちらへ文章が送られて来ました。調査員の救出はエリダヌス本部の救急班が行うと」
サラ・ブラウンの周りにいた研究員たちも驚きを隠せない様子だった。すると、そんな状況下でラシール・フィードの近くにあった外線が鳴る。
「はい、アンドロメダ支部です。……、はい。分かりました。そう伝えます」
ラシール・フィードは受話器を置く。
「須木通調査員が無事救助されました。エリダヌス本部のワープ・シャトルが直接〈液体金属水素〉の層へ入って行き、須木通調査員を救出したそうです」
――エリダヌス本部。
サラ・ブラウンの隣にいた李四は少し疑った。
――本部はどうやって須木調査員の居場所を特定出来たんだろうか?
そんな李四をよそに、サラ・ブラウンは急いでセンターを飛び出していく。ドアが開ききるのが待てず、少しドアにぶつかりながら出て行くほどに。
――エリカ、どこにいった?
サラ・ブラウンは誰もいない廊下を走っていく。エリカを探して研究室のドアをいちいち開閉させて室内を見て回る。一番後ろにいたはずの彼女が居なくなっていたことに、サラ・ブラウンは気付いていた。
「エリカ」
サラはエリカを見つけた。彼女は誰もいない修理室の席に座り、顔を伏せていた。
「……」
サラ・ブラウンの呼ぶ声に、エリカは顔を上げた。
「助かったよ」
「本当ですか?」
「えぇ。本部が助けてくれたの」
サラ・ブラウンは少し無理して微笑んだ。エリカが安心するように。
ここはアンドロメダ支部にある医療エリアの一室。そこで通はゆっくりと目を開けた。
彼はエリカの姿を見て安心した。命と引き換えにしてまでも守りたかった人物が無事だったからだ。
「須木君、私があの時……」
彼女は申し訳なさそうにしている。通が目覚めるずっと前から。
通はそんなエリカに少し微笑んだ。
「救急班を呼んでくれたんだろ?」
「うん」
「申し訳ないな」
――心配させて。
「サラ・ブラウン研究員、ちょっとよろしいでしょうか?」
「どうしたの?」
職員のラシール・フィードが、病室へ入ってきた。
「オリオン座の馬頭星雲から来たダウン・サイキバ氏がどこにもいないんです」
「え!?」
皆、驚いた。アンドロメダ支部の職員でも勤務中は支部長の許可がなければこの宇宙ステーションからの出国はできないからだ。
「他の部屋も探したのでしょう?」
「はい。研究員全員がかりで探したのですが、見つかりませんでした。それで……」
「?」
「控室のテーブルの上にこのメモが……」
ラシール・フィードがメモを差し出す。
『エリダヌス本部へ行きます。今までお世話になりました』
――突然の本部のワープ・シャトルの出現、それから、ダウンの失踪。
「サラ」
李四は隣にいたサラ・ブラウンの白衣の袖を少しつまんだ。
「なるほど」
サラ・ブラウンは李四を見る。
「?」
通はサラ・ブラウンと李四の方を見る。すると、サラ・ブラウンは話しだした。
「ダウン・サイキバは、本部と取引をしたのではないかと思う」
「そんなことが?」
「可能性は、低くないと思う。須木を助ける代わりにダウン・サイキバが本部へ連れていかれたかもしれない。推測だけれど」
皆は、驚きを隠せないでいた。