正義の反対は悪なのか
「お疲れさまです!」
「おう、お前もな」
俺はエルクランド・ルー・フィリウス。ルー王国フィリウス準男爵家の三男で、今年で18になる。三男で、しかも準男爵家の子供だったから当然家を継ぐことなど出来ず、15の時から王都の警備隊に就職した。警備隊のほとんどは平民出身だから準男爵とはいえ貴族の俺は優遇され、そこそこ大きな手柄を挙げたこともあって三ヶ月前に昇進して部下も出来た。俺に挨拶してくれた男がその部下のレニウス・コーツだ。こいつはちょっとめんどくさがりだが勘が鋭く、ときどき俺を助けてくれるいいヤツだ。
「それで、例の件なんですが……また、ボロボロの魔物が保護されたそうです。今度はカイルーン伯爵家の天狐です。チラッと見てきたのですが、片足をもぎ取られていました」
「そうか…。それにしても、またカイルーン伯爵家か。やはり特定の家が狙われていると見ていいだろう」
ルー王国に限らず、裕福な上級貴族の家では魔物をペットとして飼う者が一定数いる。そして約一年前から、そのペットが拉致されボロボロになるまで痛め付けられるという事件が頻発している。そしてそれは特定の複数の家のみがターゲットにされているようだ。俺たち警備隊は貴族たちの要請と支援を受けて隊のほとんどをこの事件の捜査に回している。そしてこの事件の犯人を仮称としてアブダクターと呼んでいる。
「よし、カイルーン伯爵家に聞き取り調査しに行こう。たしか今日はカイルーン伯爵も仕事は多くないはずだ」
「またですか?先週も先々週もその前も調査したばっかりじゃないですか」
「いいんだよ。こういうのは何回も行って、些細なことにも気付くチャンスを作るんだ。それに俺たちが予測し得ないなにかがあるかもしれないし、この一週間でカイルーン伯爵もなにか思い出したかもしれない」
「エルクランドさんがそう言ったら僕はついていくしかないんですけど」
「はは、そういうなよ。給料貰ってんだから文句いうな!…って、上にどやされるぞ」
「本日はお忙しい中お時間いただきありがとうございます」
カイルーン夫人は柔らかい笑顔で出迎えてくれた。
「いいんですよ。ワタクシの子供たちを見つけてくださった方たちですもの」
「よろしければ、先日保護されたという天狐を見せていただけないでしょうか?」
天狐を保護したのは俺たちではないのだが、別に言う必要は無いだろう。
傷跡などからなにかわかることがあるかもと思ったが、カイルーン夫人は少し考えた後断った。
「ごめんなさいね。今あの子は体調も悪いし人に敏感になってて…あんまり人に会わせたくないですの」
「それは…申し訳ありません。私の配慮不足でした」
少し考えればわかることだったな。夫人の心をえぐってしまった。
「そういえば先週会わせてあげられなかった大猿のピギーちゃんがもう大分回復してきたのよ。会ってみる?」
先週の聞き取り調査は保護された大猿の子供の観察が目的であり、寝ているところを遠目から少しだけ見せて貰ったのだ。だが今回は直接会わせてくれるという。
やはり来て正解だったな?という意味を込めてレニウスに目線を送ると、レニウスはため息をついた。
ドアを開けて部屋に入ると、大猿は備え付けられたベッドの隅でこちらをじっと見ていた。やはり、まだ知らない人間は怖いのかもしれない。
アブダクターにつけられた傷や包帯が目立つ。とても痛そうだ。
「ピギーちゃん、怖がることないのよ?あなたを見つけてくれた人たちの仲間なんだから」
そう言って夫人がゆっくり近付くと、大猿の子供は夫人に歯を見せて笑った。微笑ましい光景だ。猫のようにヴ~と唸りながら夫人に優しく撫でられている。
レニウスは昔、アブダクターのことをなにか目的をもった正義なのではないかと考えそれを俺に話していたが、やはりそれは間違いだ。間違いに決まっている。この親子のような微笑ましい光景を壊す奴が正義な訳がない。俺たちが正義で、奴らは悪だ。
結局、最後まで大猿が落ち着かなかったせいで大猿には近付けなかったが俺たちのアブダクターを捕まえたいという気持ちはより一層強くなった。
そして得たものが無かったわけではない。俺とレニウスはなんとカイルーン伯爵家に寝泊まりする権利を獲得できた。期限は一週間で、伯爵の邪魔をしないこととペットを守ること、そして地下には絶対に入るなということが条件だ。ペットの部屋には必要がない限り入らないで欲しいとも言われている。
これは大きな進展だ。まだ警備隊の者で狙われている貴族の家に直接張り込んだ者はいない。やはり何度も訪れて伯爵家の信頼を得たことがよかったのだろう。もしこの一週間の間にアブダクターがくればこちらの勝ちだし、来なくてもこの一週間は伯爵家のペットを守ることが出来る。どう転んでも悪いことにはならない。
しかしこれには問題がある。もしここが王都でなければ問題にならなかったのだが、伯爵家に私兵がいないのだ。つまり、100平米はありそうな伯爵家の屋敷を二人で見回らなければならない。
なぜ私兵がいないのか?それはこの国の歴史にある。もともとルー王国はトレーフ王国という別の王国だったのだが、トレーフ王国のルー侯爵が中心となって王都の貴族たちが所有していた私兵を率いてクーデターを起こし、トレーフ王国はルー王国となった。こういった経緯があるからこそ、ルー侯爵改めルー王国はクーデターを恐れ、王都内での私兵の所有を禁じている。使用人も人数制限があるほどの厳しさだ。
だが、俺たちはやるしかない。やらないとこの気持ちが収まらない。なに、ほんの一週間の徹夜をするだけだ。
そして、俺は一週間の張り込みをするに当たってある秘策を用意していた。それは警備隊に手伝って貰い、カイルーン伯爵家が新たな魔物を飼い始めたという噂を流して貰うことだ。こうすれば、アブダクターが再びカイルーン伯爵家を狙う確率が上がるかもしれない。もちろん罠だと感づかれる可能性もあるが、王都が私兵の所有を禁じていることもあって油断して架空の魔物をさらいに来ると踏んだのだ。
そして………俺たちは賭けに勝った。
徹夜で張り込みを始めて六日目の夜。もしかしたらアブダクターは来ないのではないかという疑念が渦巻き始め、俺たちのやっていることは無駄なのではないかと思い始めていた頃。屋敷の北東の二階の部屋の窓から外を窺っていると、道を歩いていた通行人が突然屋敷の前で足を止めた。俺の警戒度は一気に上昇した。足を止めた通行人は屋敷に近付き、俺からは塀に隠れて見えなくなった。カツッと小さな音をたてて塀にロープつきの鉤爪がひっかかり、フードを目深に被った何者かが塀を上ってくる。ほぼアブダクター確定だ。伝達の魔道具でレニウスを呼ぼうかと思ったが、敵が一人で来るとは限らないためそれはやめた。
俺は静かに剣を抜く。よく研がれたそれは月明かりを反射し、まるで俺に早く敵を斬らせてくれと言っているようだ。
塀を上りきったアブダクターは、私のいる部屋のちょうど真下に行くと植木の中に入っていった。まさか、隠し通路を作っていたとは。俺もすぐに追いかけなければ。窓から飛び降り、音を殺して着地する。植木の中に首を突っ込んでみると、地面の下に続く穴があった。この先にアブダクターがいる。俺はすぐに身を屈めてその穴に入っていった。
「キーッ!キ、キ、キ……」
恐怖の感情がこもった悲鳴が聞こえてくる。まさか、アブダクターはもうペットを傷付けているのか!?
俺は足を早める。穴は地下室の廊下に繋がっていたようだ。地下室には絶対に入るなと言われているが、アブダクターがすぐそこにいるのだ。伯爵も許してくれるだろう。意を決し、取り付けられた蓋を外して穴からでると血の臭いが鼻を突いた。くそっ、一刻も早くアブダクターを止めなければ。
廊下の角を曲がり、ドアを開けて叫ぶ。
「そこまでだ!お前の蛮行はもう終わりだ」
部屋の角に傷付いて血を流している角兎を追い詰めていたアブダクターに剣を向ける。アブダクターは驚いてこちらを向いたが、フードのせいで顔が見えない。
「フードを取れ」
アブダクターは一瞬迷ったが、大人しくフードを取った。そこには小さい頃からよく知っている老人の顔があった。
「な、フェイズ・ロックトーン!?なぜあなたがこんなことを!!」
フェイズ・ロックトーンといえば、ルー王国民全員が知っている救国の英雄だ。二年前から姿を消したというから死んだと思っていたが生きていたのか!いや、そんなことよりなぜ救国の英雄がこんなことをしているんだ!?
俺の頭は混乱した。
フェイズ・ロックトーンは、三十年前に起こった魔物の大発生を鎮めた立役者で、王国一の魔物使いだ。
「いかな英雄と言えど、犯罪を犯せば罰を与えられなければならないのです。大人しく捕まってください…!」
「私は犯罪を犯したつもりはないのだがね。捕まえるのなら、私ではなくカイルーン伯爵を捕まえたまえ。私はペットの魔物たちを傷付けてはいない」
「じゃあ!じゃあその角兎が流している血はなんですか!」
「これは私がつけた傷ではない。この部屋に着いたときには既に血を流していた。私の身体を調べるといいさ。刃物など持っていない。鉤爪は外に置いてきているしな」
フェイズの言葉に妙な説得力を感じ、私は警戒しつつもフェイズの身体を調べる。すると、本当に武器などはなくいくつかの瓶に入ったポーションが出てきただけだった。
「…瓶の中身は?」
「ただの回復薬さ」
瓶を開け、角兎に振りかけるとたちまち傷が治った。これは普通の回復薬ではない。かなり上級のものだ。
「あなたは何をしにここへ?」
「カイルーン伯爵家に囚われ、意味もなく拷問されている魔物を救いにだ。ちょうどいい、お前にこの国の上級貴族の真実を語ってやろう」
俺はなにも言わずただ話を聞いた。
「この国の貴族には変態しかいない!同姓愛者だったり、マゾヒストはまだましな方だ。魔物と交わる者も、幼児を愛する者も、普通じゃ考えられないがまぁあまり酷いものではない。だが!サディストだけは許せない。あいつらはな!何かを傷付けることでしか快楽を得られない生物なんだ!この国には幸い、殺人だったり傷害だったりに対する刑罰が重い。だからサディストといえど人を傷付けることは出来ないんだ。だがそれが魔物ならどうだ?魔物は言葉を話せないから、サディストどもが『ちょっとペットが暴れて、その躾に』とでも言えばみんな簡単に騙される!『結局魔物は魔物か』なんてな!そんなわけがあるか。魔物にだって心がある。感情があるんだ!それを俺は救ってる!屋敷に忍び込み、保護し、治療して、匿ってだ!それをお前ら警備隊はことごとく無駄にしやがって!」
ギリギリと握った拳から血が滲む。
「はぁ…はぁ…熱くなりすぎたな。この部屋に染み付いた血の臭いがわかるか?これが証拠だ。この屋敷に限らず、くそったれサディストどものペットはみんな主人を恐れている」
「だ、だが…この屋敷の大猿の子供は夫人に笑顔を見せていたぞ」
「笑顔だと?馬鹿野郎が!!それは歯を見せていたな?教えてやろう。いいか?猿か歯を見せる時ってのはな!怖い物が近くにあるときなんだよ」
あの時、大猿の近くいたのは夫人だけだ。
「わかったら俺を見逃せ。そして警備隊に進言しろ。もうこの件には関わるなとな」
その時、突然フェイズの後ろにいた角兎がパニックを起こし暴れ始めた。
角兎を落ち着かせようと歩み寄ろうとすると、背後でドアが開いた。
「あら?なぜここにいるのですか?」
聞き取り調査の時は柔らかいと思った笑顔が、今ではとても不気味に感じる。
「そして後ろの方は?…って、フェイズ・ロックトーンじゃないですの」
「ちっ、お前に余計な時間を取られたせいだぞ!」
フェイズは老化で肉が落ち骨と皮ばかりの拳を構える。
「あら、やる気ですの?英雄さん」
夫人は笑顔のまま杖を構える。
「ぉああっ!!」
「アロー」
フェイズが飛び掛かったが、夫人の杖から発射された矢がフェイズの胸を貫き、救国の英雄は力なく地面に倒れた。浅い呼吸を繰り返すフェイズに近寄ると、フェイズは俺に手を伸ばした。
「せ、せめて…この力を、次に…!」
手から光が溢れ、俺の身体へと吸い込まれていき、フェイズは息絶えた。すると突然、後ろの誰もいないところから声が聞こえた。
『こわいこわいこわいこわいこわい!たすけて、こわいよ!こっちにこないで!』
そこにいるのは角兎だけだった。まさか、角兎の声か?フェイズはこの力と言っていた。もしかして、魔物の声を聞く力か?
「ふぅ、エルクランドさんが引き留めてくれていたのですね。おかげでアブダクターを倒すことが出来ましたね」
「…いえ……」
「でもまさか、あのフェイズ・ロックトーンがアブダクターだったとは、驚きですね」
いまも角兎の声が聞こえる。たすけて、こわい!と。
やめてくれ、俺には助けられない。俺にそんな力はない!フェイズは死んだんだ。俺には無理だ!
「くっ…!」
「あら、どうされまして?」
夫人の横をすり抜け、階段を駆け上がって地下から出る。もう角兎の声は聞こえなくなった。だが俺の心はまだ整理がついていなかった。
ふと気になり、大猿の部屋に入る。
『だれ!?こないで!』
「…俺は、君を傷付けたりしないよ」
『ほんとう?』
「ああ」
大猿の子供がおずおずと近付いてくる。それを抱き上げると、見た目以上に軽かった。胸に触れると骨の感触がそのまま伝わってきた。フェイズのように老いているから、と言うわけではあるまい。痩せているからだ。夫人が魔物を虐待していると言う事実がより実感される。
『どこにいくの?』
そのまま屋敷を出て、王都の外まで行く。深夜だから人に見つかることもなく、また、門番にはアブダクター事件の調査の一環だと言えばすぐに通してくれた。
夜空を見上げ、街道を歩きながらしばらく正義について考えた。考えた結果、正義なんてないということに気付いた。アブダクター事件を捜査している俺たちは紛れもなく正義だったが、アブダクター本人であるフェイズもまた、魔物を救う正義だった。そしていまの俺は…どっちでもない、空虚な存在だ。
『ねぇ、なんだか叫びたい気分』
街道から少し離れた森を見つめていた大猿が呟いた。
「いいぞ」
『ほんと!?』
「ぐぁおおおおおおおおお!!!」
大猿の絶叫が段々小さくなりながらこだましていく。そしてそのまま消え去り、静寂が戻る…かと思ったが、こだまが消える前にまた別の大猿の絶叫が森から響いた。それは一つではなく、また一つ、さらに一つと段々増えていき、最終的に森を震わす大合唱となった。
その内、森から数匹の大人の大猿が出てきた。俺が抱えている大猿の子供は体調1mもないが、この大人は3m近くある巨人だ。
俺は大猿の子供を地面におろしてやった。
『お父さん!お母さん!』
地面に降りた途端走りだし、一匹の大猿の胸に飛び込んだ。
『私はお前の親ではないが…親代わりになってやろう』
この大猿たちには正義も悪もないのだろうな。あるのはただ、仲間を守る、そして生きるという気持ちだけだ。
それがとても羨ましく思えた。そして気付けば、大猿たちに話しかけていた。
「俺も…仲間にいれてくれないか?」