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公開エピソード07「幼き魔女の王」

 大魔女カーマインと出会うよりずっと以前。後に魔女王と呼ばれる事になるさる少女がより幼かった頃、とても強い疑問を抱いた事がありました。

 彼女は父親と車に乗っていました。高速道路を利用した時の事、父親は料金支払いの際に受け取った領収書を丸めて外に捨てたのです。

 何故そんな事をするの? と彼女は問いかけました。すると父親は「空き缶や紙くずは捨てても構わないんだよ」と答えてきたので、彼女は更に疑問に思って続けて問いました。すると父親は「鉄はいつか錆びて、紙も、いつか腐って、どちらも土に還るんだ。プラスチックやアルミのゴミはダメだぞ。あれはいつまでも残り続けて動物が間違って食べたり、環境破壊に繋がるからな」と答えました。

 この時の彼女は父親の言っている意味がよく分かりませんでした。でもそれ以上疑問を口にすると怒られそうな気配がしたので「ふーん」と曖昧な返事をして、それっきりこの話題はしないようにしました。

 それからしばらく経って、彼女は市内清掃のボランティアに参加しました。

 もちろん子供ですから、専用機材を使ったような大掛かりなものではありません。グループで行動して、ゴミ袋に拾ったゴミを入れていくだけの簡単な作業です。

 彼女はやりがいをもって取り組みました。時には腐った水が入った缶や、汚物を丸められた紙を見つけたりして嫌な気持ちになりましたが、自分の手で世の中の為になる事が出来るのがとても嬉しかったのです。

 しかし、その作業中に不届きなやからが現れました。

 ゴミ拾いをしている彼女の目の前で、男が紙製の器を路上に捨てたのです。どうやら路上販売している食べ物屋さんで買った物のようです。

 彼女はこの男の神経が信じられませんでした。モラルもそうですが、人目もはばからずに路上にゴミを捨てられるというのはどういう事なのでしょう。この時、彼女の脳裏にはかつての父親の言動が思い出されて、酷く気分が悪くなりました。

 更におかしな事に、この男の目つきが「どうした? 早く拾えよ。それがお前の仕事なんだろう」という意思を感じさせたのです。

 当然の事ですが彼女は無給です。

 いえ、仮に報酬を得る仕事だったとしても、ゴミ拾いに報酬が発生するという事は「そのゴミを放置すると、お金を払ってでも何とかしてほしい困る人がいる」からであり、ゴミ拾いをする人間がいるからといって路上にゴミを捨てていい道理なぞありません。

「どうした。早く拾えよ」と、男は彼女が視線から読み取った通りの言葉を吐きました。

「どうして自分でゴミ箱まで入れにいかないのですか?」

 彼女は毅然とした態度で男を睨みつけて言いました。

「はあ? ゴミを拾うのがお前の仕事だろうが」と言う男の目は本気でした。その視線はむしろ「わざわざゴミ拾いしている人間のそばで捨ててやったのだから有難く拾え」と言っているようで、幼い彼女には、これがとんでもない化け物に見えました。

「私たちがゴミを拾うのは、ゴミが捨てられていると困る人たちがいるからです。だから拾えません」

「…何言ってんだお前? いいから拾えよ。頭おかしいのか」

 少々難しい言い回しをしてしまった事を反省した彼女は、もう少しだけ分かりやすく言うべきなのか、と思い、改めて言いました。

「今ここであなたが捨てたゴミを拾うと、あなたに『路上でゴミを捨てても当然で、誰からも悪く言われないと学習させる』結果になります。それは私たちが目指す、綺麗な生活環境を構築するという目的から遠ざかる。そのゴミは、あなたが自分の手でゴミ箱まで捨てにいくべき物です」

 彼女がもっと言いたかったのは、結局の所、この男は「他人に自分が捨てたゴミを拾わせて『自分が上の存在なのだと錯覚したい』だけの下劣な人間なのだから、そんなバカを気持ちよくさせるような事はやりたくない」なのですが、これは彼女の感想に過ぎないので、今は事実に即した客観的考察を言うにとどめようと思い、このようなマイルドな表現を用いました。

 しかし、男は納得も理解もしませんでした。「まあ、そうでしょうね」と、後にこれを回想するミセスクインも思いました。こう言われて理解できる人間であれば、そもそもゴミの不法投棄なぞやらないでしょう、と。

 男はすごい形相で怒りをあらわにして彼女を怒鳴りつけました。どんな教育を受けているんだ、であるとか、話にならない責任者を出せ、であるとか「実は全部ブーメランになって返ってくるんやで」と誰かがたしなめたりしないかなと、そんな呑気な事を考えながら彼女は男の言葉を聞いていました。

 どんな風に言っても怯む様子のない彼女に苛立たしくなった男は「もういい。どっかいけ」と言いながら、彼女の頭を押さえて、突き飛ばしました。この男としては、これは精一杯の強がりであり、間違いだらけではあるものの、男の中にあるわずかなプライドを守る為の反抗でした。せめて「力では大人にはかなわないのだぞ」と分からせて言いくるめようと、そんな浅ましい考えもあったでしょう。彼女は少しよろけたが、それだけだ。暴力事件だとか、そんな風にも言われないだろう。と。

 しかし、これは最悪な判断でした。

 彼女は、男の膝関節を正面から全体重をこめて踏み抜くように蹴りました。

 それは打撃でありながら関節技と同じ効果を持って、男の膝を再起不能に破壊する予定のものでしたが、彼女の体重では充分な破壊力が乗らなかったようです。

 男は激痛に顔を歪め、その場に屈しましたが、関節破壊には至りませんでした。彼女は強く後悔しました。このままでは反撃を受けてしまう、と。「違う。そうじゃない」と、後に事情を聴いた大人たちに言われたものです。「そもそも人に暴力をふるってはいけない」という事を言われて、彼女は全く納得できず頬を膨らませるのでした。

 男は「このガキがあ!」などと汚い言葉を吐きつつ、起き上がろうとします。

 彼女の判断は素早いものでした。

 男の頭が起き上がりきるよりも早く、その後頭部から頭頂部に向けて「打ち下ろしの肘打ち」を叩き込んだのです。拳を打ち下ろすような構えから、周囲の人は「殴るつもりなのか」と最初誤解しましたが、それは美しい縦回転をともなったエルボーアタックでした。

 しかし、所詮は少女の体重です。どれだけ凶悪な攻撃であろうと、大の男を殺すには威力が足りません。「早く大人になりたい」などと思いつつ、すぐ傍に落ちていた石を拾って男のこめかみを殴りつけました。腕力や体重の不足を工夫で補う。彼女は非常に優秀な子供だったのです。

 男はたまらず悲鳴を上げ、転がりながら少女から距離を取ろうとします。馬鹿なりに考えています。あるいは本能のなせるわざでしょうか。

 ですが本気を出した「後に魔女の王と呼ばれる事になる少女」は、この無様な男に対して容赦をしませんでした。

 この男は明確な悪だ。

 その結論に至った彼女の思考は、彼女自身が驚くほどに冷静でした。まるで澄み渡った空のような清々しさすら伴って、焦りもなく、既に怒りすらなく、目の前の悪をここで叩き潰さねば、後々多くの人が迷惑を被る事になる。という、使命感のような物が沸き上がっていました。

 そして、騒ぎを聞きつけた近くの住民が警察に通報し、この件は解決します。

 加害者が少女であった事と、男が少女を強く恫喝していた事もあり、ついでに男の親族が示談を申し入れた事で、この事件は和解という運びとなりました。が、彼女は学校の先生や親からこっぴどく叱られました。

 ですが、先述したとおり彼女は納得できません。

 その日の夜、落ち着いて考える事ができる余裕を得て、思い起こされるのは、かつての父親とのやりとりです。父親は「いつか土に還る。だから捨てていいのだ」と彼女に言いましたが、今日自分が拾ったゴミの中には何日も放置されたと思しき紙ごみや鉄ゴミがあった。あれらが土になるにはあとどれくらいの年月が必要だろうか。それに、最終的には土になるにしても、そういったゴミが増えていけば、今日の自分のように必ず誰かが掃除をする事になる。高速道路にだって清掃作業は入っていただろう。それを、自分よりも人生経験豊富な父親が知らない筈がない。だとすると、父親は誰かに掃除をさせる事を分かっていてゴミを捨てた事になる。

 彼女は戦慄しました。

 それは自分の都合の結果を誰かに押し付けて解決させるという精神性をもった人間が蔓延しているのではという恐怖でした。自分よりも立場が弱い人間にはどんな無体を働いても当然だという考えや、どんな害悪をふりまいても、誰かに目撃されてとがめられなければ問題ないという考えが世の人々に浸透し、その影響が自分のすぐ近くに迫ってきている。そういう恐怖です。彼女が生まれた国では、未成年者の労働や単身生活には制約が多く、非常に困難であったので、家を出て遠くに逃げる事もままなりません。もしかしたら自分もいつかこういう状況に慣れてしまい、あれらの仲間になってしまうかもしれないとも思いました。

 これが、彼女が人生で最初に戦ったガイアァク。バカー戦闘隊長の尖兵「バーカー」に関わる記録であります。

 バカー戦闘隊長は当時、物をよく知らぬまま判断をする人間や、事実に即さない言いがかりをつける人間や、自分の発言や行動が他人にどのような影響を与えるか考える事もできないような人間、その名も「バーカー」を大量生産する作戦を進行していたのです。これらの数が増えていく程に、一般常識は塗り替えられていき、最終的には「バーカーが親となり生まれてきた子供をバーカーに育てる循環機関の完成」にまで至ったのですから大変です。なお、その国は滅びました。


 道すがら、シャドウやカーマイン、そして自分自身の過去を語っていたミセスクインは、ここまでの感想を期待するように馬頭に視線を向けました。

「何というか、人に歴史あり。とはこういう時に使う言葉なんだろうな」

バキュン。

「恐縮でございます」

バキュン。

「それで、よくそんな国が滅ぶような事態になったのに、ここまで元気に生きてこられたもんだな」

バキュン。

「まあ、滅んだのはそれから随分と経ってからですからね。奴らは非常に狡猾でした。徐々に人々の認識を変えていき、ついには憲法を改定する事に成功し、国民から人権が奪われる事になりました。人権を保障しないのですから、生存権も無くなり、税金は取り放題で、生活苦に陥った人が溢れて自殺は増大し、犯罪が横行し、刑務所の中で無残に死ぬ様子が知らされ、それを恐れた人は死ぬまで頑張って働いて納税し続ける奴隷となるか、過労死するかしか未来が無い、そんな国でした。不足していく労働力は外国から積極的に受け入れ、どんどんと純血の国民はいなくなっていきましたね。しかし当時のシャドウや、唯一必死祈願となられたばかりの殿下の活躍もあり、一度はこの侵攻を食い止め、不出来ながらも、私が女王となって国をまとめ上げ『危機は脱したかに見えた』のです」

 バキュン。

「クーデターか」

 バキュン。

「お察しの通りでございます。突如として戦争が始まり、女王として私が指揮を行う為に前線へ赴いたのですが、そこで人質を取られてしまい、心の弱かった私はそれを見殺しにする事が出来ずに、身を隠して死んだ事にするしかありませんでした。生きている事が知れれば、また人質を取られてしまいますからね。後になって分かりましたが、その戦争自体がガイアァクの起こしたものでした。それ故に終結も早く、不幸中の幸いですが、戦死者は殆ど出なかったようです。私さえ殺せればそれでよかったのでしょうね。『魔女王が死んでも不思議ではない状況として』戦争がやりたかっただけなのでしょう。しかし厄介な事に、私の生存の可能性を恐れた奴らは『戦犯者の一人が魔女王そっくりの偽装をしている』というお触れを懸賞金と共に発行し、師匠…カーマインと二人きりであった当時の私は国外逃亡するしかなく、そして瞬く間に祖国は滅びました」

 バキュン。

 バキュン。バキュンと、こうした話をしながらも、ミセスクインと馬頭は銃によって敵を倒しながら走ります。なお、バキュンとは射撃のイメージを伝えているだけであり、実際にそういう音が出ている訳ではありません。

 もはや隠密に行動する必要はないと、ガイアァクの攻撃は勢いを増していました。

 二人が数歩走るたびに新たな敵が出現し、その進行を妨げようとしてきます。

 ある時は物陰から飛び掛かってきた敵に的確なヘッドショットを決め。

 ある時は戦闘ヘリの攻撃をマンホールから地下へ逃げてかいくぐり。

 またある時は地下へガスを入れようと試みる敵に、先回りして背後から撃ちます。

 女二人は、自分達がどのように動けば、相手がどのような反応をして対処するかをあらかじめ知っていたように動きます。

 それは当然でした。馬頭は戦技教導官。敵対する相手を完封して殺す方法を教えるプロです。この広い市街で二人の人間を殺す為に先ず想定される包囲網や、常駐戦力を投入するまでにかかる時間や規模、民間人の避難をさせた場合の必要時間や、避難させない場合の障害の有無と、それの排除にかかる時間等など、彼女がこれまでに蓄積してきた経験の全てを総動員して侵攻します。

 また、その女傑に並び走るのは、かの魔女王。神をも殺す化け物を仲間にし、軍による虐殺を生き延びた忍者の上司であり、大魔女の弟子であるのです。ここにいたるまで「魔法を一切使わずに」銃撃のみをもって対処しており、その戦闘能力は、正に女王の風格と威厳を示しています。

「すげえなアンタ。魔法がなくても強いじゃないか」

「そもそも『王』とは、戦勝をもって神の加護ありと言い、民衆を従える者の事。戦えなければ話にならないのです」

「神を殺した事があるのに、それでも王でいいのか?」

「全滅させた訳ではありません。いずれ、我々に味方する神のみの世界になれば矛盾はありますまい」

「うはは。ちげえねえ!」

 さて、と前置きし、ミセスクインはまた語りだします。それは馬頭もずっと疑問に思っていた「ミセスクインが唯一必死祈願を『殿下』と呼ぶ理由」にまつわるお話でした。

 物語の舞台は忍者戦士シャドウの故郷。それは唯一必死祈願の故郷でもありました。


 その国は、もとは王政の国でした。

 四方を海に囲まれた島国ながら、豊富な魚介や米を基盤に、環境変化の激しい気候の中で独自に進化した生態系が生み出す豊富な食料資源が民を支え、その余裕を背景に貿易においても成果を出す経済大国でした。

 王政ではありましたが、地方それぞれの将軍が土地を管理し、それぞれの風土に適した政治を行うシステムが確立しており、長く平和を保っておりました。

 しかし、民主化を進めなければならない。他国に遅れをとってはならない。という風潮が生まれ、地方の統治から徐々に選挙制を導入し、ついに完全民主化の運びとなりました。今となって考えれば「なぜ民主化する事が他国に遅れない事に繋がるのか」もっとよく考えるべきだったのです。ええ、実はこれはガイアァクの策略だったのです。

 政治形態を民主化する事の最大のメリットは、時代に即した政治理念を起用し、それを実現できる可能性のある人材を広く募って取り組める点です。多くの国民の支持を集める事が当面の目標になりますから、自然と、国民が要求する改善点にも配慮せざるをえなくなります。民衆の声を実際に反映させる事で成果となり「より良い国となった」という証明に繋がるのですね。

 しかし、この国はそうはなりませんでした。

 なぜなら国民に政治的判断を行う教養が足りていなかったからです。

 もっと正確に言うならば「まともな人間が次々と殺されて」いきましたので、後に残るのは、まともな判断力を持たない人間なのであります。

 ガイアァクは、選挙によって勝利するという「数字として目に見える結果を」利用し、あたかも多くの国民がその政治を支持するかのような偽装を駆使し、次々と悪しき政策を実行していきました。

 更に、民主制を謳いながらも、国家元首を選出するにあたって国民は関わる事ができず、大臣の任命にも関われません。増税や、明らかに違憲である悪法の成立前にはデモ等で反対する人たちが出ますが「完全に無視され」可決されます。

 特に酷かったのが、新型感染症による肺炎が外国で発生し、それが国内でも広がっているという時でした。

 そういった情勢下において多くの国が取る対策が「緩和策」と「抑圧策」です。

 簡単に説明しますと、抑圧策とは外国からの人の出入りを封じる所から始まり、国内での感染者を調べ上げ、徹底的に隔離する事で感染拡大を防ぐというものです。

 緩和策とは、隔離などの措置を取らず、集団免疫を獲得する事で対処とするものです。

 抑圧策を行う場合には「国による万全の補償」で、隔離された国民の生活が守られなければいけません。それ故に、資金を潤沢に用意する事の出来る早期の実行と、経済活動を維持する為に短期間での決着が肝要となります。

 緩和策を行う場合では、短期間に多くの患者が発生しますので「多くの病床確保」が課題となり、また、充分な対策、対応が取れない病院にも患者が殺到して医療崩壊を起こす危険が伴い、重症者に医療機関を優先的に使っていただく為に「新型である病気の進行度を判断させるという、医療従事者への心的負担を」要求する事になります。理論上、一度免疫を獲得してしまえば、人間の体は同様の病気に対して強い抵抗力を発揮しますので、三割から五割程度の国民が免疫を獲得すれば、集団免疫を獲得できたと判断でき、重症患者が発生する頻度も、それによる医療逼迫の危険性も下がっていきます。

 これは医学を学んだ人間であれば誰でも理解できる事です。

 しかしこの国は「当初、緩和策を用いてウイルスを国内で広げた後、抑圧策を用いて封じ込めにかかった」のです。

 とんでもない愚行でした。

 先述したとおり、抑圧策を用いるには潤沢な資金が必要です。感染者数が少ないうちであれば、補償すべき人の数も少なく済みますが、緩和策で一気に広がった国内感染者を全員補償するなぞ出来るわけがありません。

 実際、補償されませんでした。

 そしてこの新型感染症。実はそれほど強毒なものではなかったのです。

 最初の一年間で取れたデータによれば、当時の人口約一億人に対し「関連死含めて年間五千人程度」で、「そもそも発症率が低く、殆どが無症状者」でありますから「感染しても健康被害を引き起こすのはごく一部」でした。

 しかし、政府もメディアもこぞってこの感染症にかかると人生が終わる大事件だというように印象付けていましたが、この新型感染症による死者が累計で約一万人に上った時点での累計感染者数は約59万人。約98%の人が、感染しても人生を続行するのです。

 そもそも検査を受けていない無症状者が、自前の免疫で完治している事を考えれば、この新型感染症の生存率は更に上がります。

 もともと風邪やインフルエンザを主原因とする肺炎による死者は「年間約十万人」であり、転倒事故による死者は「年間約一万人」で、それまで「誰も、風邪をひいた人間は外へ出るなであるとか、転倒事故で死ぬ人を減らすために国内から段差を無くせ、などという声は上がらなかったにもかかわらず」この新型感染症に対しては国中が感情的になって抑圧を行っているような雰囲気が生まれていました。

 治療薬が無いのに年間五千人程しか殺さない新型感染症と、長く研究され治療薬もあるが十万人を殺す従来の感染症と、どちらを重要なものとして見るかは子供でも分かりそうなものですが、強固な同調圧力をしかけ、国民が「病気になった国民を取り締まる」というような事も横行するおかしな国になっていました。

 答えを言えば、これもガイアァクの作戦でありました。

 本来であれば、病気に対する危機意識の基準となるのは「第一に死亡率」であり、続いて「後遺症の有無」や「極端に衰弱する等の症例」でしょう。

 しかしこの国は、感染数を強調した報道が繰り返され、死亡率等の詳細な情報が殆ど国民に知らされませんでした。発症率すら徐々に報道されなくなりました。感染しているというだけの話であれば、ただの風邪だって水虫だって殆どの人が感染していて、発症していないだけという事なのに。国会においてさえ感染者数を基準にした議論がなされ、すっかりこの国は「感染が広がると大変だ」という認識に染まってしまったのです。

 しかし、ガイアァクの攻撃はそれでは終わりませんでした。

 殆どの商業施設では、営業を行う為に国が新たに設けた基準に合格する必要性が生まれました。例えば換気性能や、人と人との距離を一定以上に保つ措置です。

 換気は新型感染症が空気感染するものだという事を前提にしていますが、もし本当にこの病気が空気感染するものであれば「換気は意味がありません」屋内外にそれぞれ人は居るのですから、空気を循環させても「吸う人間が変わるだけ」ですので、感染症の拡大抑止たりえないのです。

 また、施設内で人との距離を保つ措置も意味がありません。そこ以外の場所では誰もかれもが自由に往来し、すれ違っているのですから、施設の利用時にだけ距離を取る意味がありません。

 これらの情報を、国家最大の情報網を用いる事ができ、国中のあらゆるデータを詳細に集めて分析できる立場にいて、専門家を召喚して相談する事が出来る政府が把握していない訳がないのです。

 そして国家最大の使命とは、すなわち国民の生存と繁栄であります。

 にもかかわらず、この国は緊急事態宣言を発令し、外出の自粛を呼びかけ、事業者へ圧力をかけて営業を制限し、命令に従わない者には過料を払わせるという暴挙をくりだしました。これにより2000を超える企業が倒産し、当時、国が把握できただけでも9万人(実際には100万人規模と言われる)の失業者が発生したと伝えられております。

 それどころか、特別措置法により、入院や自宅待機を国が国民に命令できるようになりました。命令に従わぬ場合には、やはり過料が課せられました。経済的事情や、仕事、家庭、身体上の理由は考慮されず、その後の生活の補償もありません。経済的弱者は、これにより病院に行く事が難しくなりました。もし検査でもされて新型感染症とされてしまっては、その後の生活がままならなくなる可能性があるからです。そしてこれは、検査をきちんと受ければ、早期に発見できて治療できたかもしれない別の病気の患者を多く見過ごしている可能性もはらんでおります。救えた筈の命をみすみす殺しているのと同じなのです。そうして当然、病院で検査する人間は減るのですから発見される感染者も減っていきます。ついに国民は、最も発信を要求する情報の詳細な獲得ができなくなったのです。

 恐ろしい事に、この措置法の原案には「罰金」や「懲役刑」というものも盛り込まれていました。これはすなわち「入院や自宅待機の命令に従わない者は違法性があり、犯罪者として扱う」という事です。

 医療を受ける事は「個人の権利であり自由」であります。「自由であるという事は、治療を受けない選択もできる」という事です。これを侵害するという事は「病気にかかる事を罪に問う事と同じ」です。さすがに反発が強かったのか、最終的には刑罰としない「過料」という処分に落ち着きましたが、振り返ってみればこれは「前もって大きい要求を出して徐々に下げていく詐欺術」と同様の手法だったのではと思えてしまいます。

 ガイアァクとしては、これは久しぶりと言っていい大きな成果でした。

 偶然にも発生した新型感染症でしたが、事前情報が少ない事を上手く利用して国民を操作する事に成功し、自殺者は増加するし、場合によっては過料で資金が潤うのです。不足する労働力は外国からいくらでも向かえ入れればいいし、そうなれば「この国の人間の死亡率は下がった事にして」前年の死亡率は感染症のせいにできるのですから笑いが止まりません。どさくさに紛れて高齢者の医療自己負担金も増加させる事ができました。さて、次はどうやって人々を苦しめてやろうか。と、そういう邪な考えを巡らせていた矢先でした。

 このガイアァクの悪しき企みに気づいた人物が現れたのです。

 その方こそ、後に唯一必死祈願と名乗る事になる王女殿下でした。

 そう、彼女は、かの国の王族の姫だったのであります。

 殿下は幼き頃より聡明な方でした。それ故、ガイアァクの暗躍に気づきました。当時はガイアァクなぞという勢力については知らなかったものの「人々を苦しめている何か」について気づき、独自に調査をしておいででした。

 しかし王族といえども国は民主化した為に、もはや象徴としてのみ存在する立場。政策には関わる事ができません。個人として声を上げる事もできません。それを個人の発言だとは誰も認めないからです。それが象徴存在の王族という立場です。

 殿下は自分にできるギリギリの発言でもって「国民の皆さん気づいて下さい。悪しき企みであなた方を陥れる者がいます」という事を伝えようとしましたが、上手くいきませんでした。

 殿下は追い詰められました。本来であれば追い詰められる理由は無いのです。ただの象徴といっても王族です。生活に困るというような事は起きていませんし、民主化したのですから「どうあっても後の事は国民の責任」として傍観しても誰からも文句はこなかったでしょうし、来ても応じる義務はないのです。

 それでも、あのお優しい殿下は民を見捨てる事ができませんでした。

 そうして苦難の道を歩まれた果てに「唯一必死祈願」という魔術にいきつきます。

 その頃にはガイアァクという勢力の事や、当時、かの国を牛切っていたゲドウ大臣についても調べ上げておいででした。


 ミセスクインの解説の途中でしたが、たまらず馬頭が言葉を挟みました。

「ゲドウだと!? あいつは、あの嬢ちゃんの故郷でも大臣やってたのか!?」

「ああ、ゲドウが宇宙人とは言いましたが、その辺はまだ説明してなかったですね。これは申し訳ありません」


 ミセスクインは話を再開しました。

 ゲドウ・アベハート。人口一億人老若男女を働かせて経済活性化だウェーイ政策をもって国民を苦しめた男でした。


 またも馬頭が口を挟みました。

「まて、何だそのふざけた政策は。本当にそんな名前なのか」

「申し訳ありません。なにぶん、当時は私も少女でしたので細かい所で覚えが悪いのでございます」


 度重なる増税、残業代支給の廃止、薬事法の改悪等を実施し、そして度々憲法を変えようと躍起になるとんでもない巨悪でした。

 そもそも憲法とは国民と国との約束事でありますから「本来は国民の要求がなければ変更について議題に挙げる事すらはばかられる」ものでございます。しかしこの男は事ある毎に憲法を変えようと言ってやかましい男でした。


 またしても馬頭が口を挟みます。

「ところで、憲法のどんな内容を変えようとしてたんだ?」

「ほぼ全文が変えられましたが、当時のかの国は国際戦争を禁じておりまして、その為の戦力を国は保有しない、という内容のものが強調されておりましたね」

「……うん?」

「お気づきになりましたか?」

「……この国と結構似てるな」

「ええ、そっくりですね」

「ははあん。読めてきたぞ。続けてくれ」


 話は再会されます。

 ゲドウは事ある毎に自身の政策の正しさを主張しました。

 国民へのサービスを維持する為に増税は必要だ。賃金は時間で判断せず成果によって支払われるべきだから残業代は無くす。薬は取り扱いが難しいものだから販売に制約を設ける。と、そのような事を言っていました。他にも色々言っていました。

 しかし実際には、身体障碍者の自己負担金等は増額して生活が難しくなりましたし、生活保護は非常に厳しい条件での審査が継続され、消費税も健康保険税も徴収しているのに医療の無償化は実現できず、仕事の量や求められる成果は変わらないのに実質賃金は下がり、家に持って帰れば後は誰が飲むのか分からないアレルギー薬を購入するのにも飲む本人が出かけなければ買えないというような訳の分からない決まりが作られ、足の不自由な方などは不便を強いられるようになり、国民の生活レベルは下降し続けていました。他にも色々迷惑していました。

 税率の影響から買い控えがおきて経済成長は滞り、利益を回収できなくなった企業は商品の品質低下や内容量を減らすなどして対応しましたが、それでも業績は伸びず、結果、物価は高騰し、それでも国民の収入が増える訳ではありませんから、多くの人がごく平均的な生活を送るのにも長時間のサービス残業をして会社に貢献して居場所を作るなどしたり、副業をしてお金を稼がなくてはならず、過労死、病気のリスクは毎年右肩上がり。出生率も下がり続けました。

 デモ等が頻繁に起こりましたが、無視されるか警察によって鎮圧されました。


「そしてついに、時代の転換期が訪れます」

「ほう」


 国会議事堂前で起きた大規模な抗議活動。その場所には若かりし頃のシャドウがいました。というか、彼がリーダーでした。

 新聞等では鎮圧と報道されましたが、実際には虐殺でした。現場で死亡した人は少数でしたが、逮捕の時に負った怪我が原因で、治療を受けられない多くの方が留置所で死亡しました。傷口を水で洗う事すら許されなかったと聞き及んでおります。

 そしてそのタイミングこそが、殿下が唯一必死祈願という魔術を用いる、恐らく最後の好機だったのです。


「どうしてだ」

「唯一必死祈願とは、世界の全ての人に嫌われなければいけないのです」

「……まさか!?」

「王族を支持していた最後の勢力が死に絶える時、ついにその条件が満たされました」


 ガイアァクの策略により、民主政治こそが正しく専制政治なぞ古くて悪い物だという信仰が世界中で広まり、政治に参加もしないのに王族だからと特別扱いをするような事は許されないという声も上がるようになっていました。

 政治について勉強した訳でもない人たちが政治を批判するのですから、その発言の根拠は「皆で考えを持ち寄って出した答えが正解だ」というものなのですが、王様だって国内最高位の学者や各分野の専門家に助言を求め、相談して政策を決めていたでしょうに「この国の国会でも見られるような、専門家が一人もいない会議で国内のあれこれが決着する風景に誰も疑問をもっていない」ようでした。


「あー、そういえばウチの国でもあったわー。環境への配慮から、コンビニとかで無料で使えたビニール袋を有料化しようって『クソみてえな』政策」

「私も調べましたが『海洋ゴミにおけるビニール袋の占める割合は0,3パーセント程度』だとか。削減する意味が殆どないゴミですね」

「俺様の知り合いにさー。このクソみたいな法律の話をしたら『環境の為になるんですからとてもいい法律じゃないですか』ってキラッキラした目で言ってきた女がいてさー。最高に気持ち悪かったわ」

「環境科学の専門家でもない人間が環境大臣になる事に疑問も抱かなければ、その大臣が得意満面に言っている事をそのまま信じもするのですから大変ですね」

 

 それはガイアァクの最も得意とする戦略の一つで、「不足する知識を感情論で埋める」というものでした。環境科学について明るい民間人という方は殆どいらっしゃらないでしょうから「ゴミを減らそう」という言葉を用いればどんな政策でも反発もなく実現できるのではと思っている政治家もいるぐらいです。

 ガイアァクとしては打倒されれば終わってしまう専制政治形態より、いくらでもすげ替えの利く民主政治の形態こそが有利でしたので、そうして何人もの大臣が次々と民衆の意識を塗り替えるべく活動していました。

 殿下は、当時のお小さい身ではとても戦う事はかなわず、発言もできませんでしたので、唯一必死祈願となって「人をやめる」事を決意なさったのです。

 皮肉にも、殿下は歴代最高の速度で唯一必死祈願となられました。

 王族を支持する人間は次々と殺されるか意識を変えられているのですから、世界中の人から憎まれるのは、それは容易かったと聞き及んでおります。

 殿下の当初の想定ではそのデモで完全に反抗勢力が死に絶えるはずでしたが、まだ多くが生き残っていましたので、唯一必死祈願の完成には至りませんでしたが、その力の片鱗は発揮されておいででした。

 その時に現着した先代の唯一必死祈願の指導の下、今のお力を身に着けられたのです。

 あの時の光景は今でもよく覚えています。

 灰色の空に一点の光が輝いたかと思うと、耳をつんざく音と共に人が降ってきました。その人は飛び蹴りをするような体勢で戦場に落ちてきました。着地と共に土砂が舞い上がり、その砂煙が晴れるのと同時に、中肉中背の男が立ち上がりました。


「……空から降ってくるのは唯一必死祈願の様式美か何かなのか?」

「さて、私は特に何か聞いている訳ではないのですが、そうなのかもしれませんね」

 その時でした。ミセスクインには聞きなれない声が、会話を遮ったのです。

「ちょーっと。待ったー!!」

「何者です!」

「む、あいつは!?」

 その声の先には、馬頭にとって、そしてある意味でミセスクインにとっても因縁のある人物が立っていたのです。

 いよいよこの物語は、クライマックスに向けて加速するのでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回も面白く、考えさせられる内容だった。自分はあまり小説を読んでこなかったのだが、この作品は難しい題目を丁寧にかつわかりやすく作られていて感心させられる。 [一言] じっくり読み込めば読み…
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