公開エピソード06「二重人格のルルルカーマイン」
さて、外出したミセスクイン達を待っている間にどう過ごしたものかと思ったカーマインは、何げなくテレビをつけて、昨日の残りのクッキーをほおばり、コーヒーを飲んでくつろいでおりました。
やはりコーヒーは良い。そして砂糖やミルクなぞ邪道。そんな物を入れてはこの素晴らしい香りが損なわれるばかりか、苦みも曖昧になり、脳へ活力をもたらすという最大の行動理由を台無しにしてしまうからだ。甘未が欲しければ別に用意して摂取すべきである。
と、世界中のカフェオレ派を敵に回す言葉を思考の中でだけ呟き「命の水」とカーマインが呼んでいる至高の黒くて苦い飲料がもたらす多幸感を味わっております。
朝というこの時間、テレビはどこの局をつけてもニュースばかりでした。
(ねえねえカーマイン)と、彼女にだけ認識できる言葉でもって、ルルちゃんが質問してきました。
そうです。お察しの通りです。ルルルカーマインとは二重人格だったのです。時たまこうして入れ替わります。「アホな感じなのがルルちゃん」で、「姉御な感じなのがカーマイン」と覚えていただけると幸いです。殆どの場合では片方は眠っているような状態ですが、今のように二つの人格ともが覚醒している時もあり、会話もできます。
どうやらルルちゃんは見ているニュースの内容がよく分からなくて、カーマインに質問しているようですね。
「どうしたねルル?」
(えっとね。いまやってるニュースなんだけどね)
「うんうん」
テレビでは外国の大統領の選挙が始まりましたという話から始まる、その国の人達の希望や投票への姿勢についての報道や、外国での感染症の広がり方やその国がとっている対策や、外国が軍備を増強していて不安ですねという話や、外国の王族のスキャンダル等が、映像とナレーションとで伝えられています。
(なんで、がいこくのはなしばっかりなの?)
「この国の事を真面目に報道すると『すげえ偉い人に怒られるから』さ」
と「誰にとっても分かりやすい回答」をしてくれるカーマイン。さすがです。
(ふええ。おこられるのは、やだね)
「そうさね。外国の大統領が誰に決まったか、という話であれば、知っておくべき常識かもしれんが『選挙の動向とか知ったところで投票権を持たないこの国の人間にはどうする事もできん無意味な情報』だし、外国の感染症の対策と広がりとか知っても『この国の行政が感染症に対してどういう措置を取るかとは関係ない情報』だし、『軍備を充足させるのは国土防衛の必然で、どこの国だってやる事』だし、外国の王族がどんな恥を晒そうと、『この国の人間には関係ないよな?』と思ってやまないけど、ああいうのを入れていかないと番組作る人も尺を稼げないから仕方ないんだろうねー」
カーマインはおどけたように言いますが、内心では、この国の優れた情報統制の手腕に寒気すら覚えています。
選挙においても、感染症対策においても、軍備や、王族、政治家の動向等においてさえ、まるで全ての判断基準が外国にあるかのように言い、自国の事情や法律について勘定に入れないような印象操作が著しく、わざと人々が迷走するように仕向けているとしか思えませんでした。
番組はまだ30分ほどしか見ていませんがそれで充分に、この国の現状が分かりました。すなわち。この国の殆どの人間は、政治を判断する以前に、現状の正確な認知ができていない。当然ですね。必要な情報が報道されないのですから。
特にカーマインが酷いと思ったのは「感染症の広がりを抑える為に飲食店の営業時間短縮をお願いします」と、首都の女性知事が繰り返し訴える様子です。
これではまるで「飲食店が営業時間を短縮すれば感染拡大が抑えられると言っているようなもの」で、「このとんでもない誤解」を、メディアを使って広めようという事こそが「感染症よりも恐ろしいだろうに」と思い、報道関係者はこの報道の仕方に罪悪感は無いのだろうかと思いました。
仮に一日に100人を招かないと採算が取れない飲食店があったとしましょう。十時間の営業をするとして、一時間あたり十人を入れなければなりません。これを二時間短縮するとどうなるか。そう、一時間あたり十二以上に来店してもらわなければなりません。それだけ店内の人口密度は高まりますから、カーマインが先程ニュースで知ったこの国の感染症対策の骨子である「人同士の距離を取り、密閉された空間を避け、密集しないよう心掛ける」と明らかに矛盾します。
人に集まるな、と言っておきながら、人を集めるしかない状況になれと言われているのですから、国民が迷走するのは当然です。
更には酒類の提供にも制限を設けようと言っているのですから大変です。感染拡大抑止とアルコールの因果関係が不明なのもさることながら「どうせ酒なんぞそのへんのスーパーで買って家で小規模パーティー始めるから無意味だろ。時間あたりの飲食店の売り上げも減ってしまうわ」と頭が痛くなってきました。
意味のない事を、さも意味がある事であるかのように権力者が言い、事業主はそれに従うしかありませんからそうします。その様子をみた国民が「これは効果のある事なんだ」と思い込み、常識的な営業をしているだけの事業者が非難されるという様子もあるようで目も当てられません。
そして想定した来客数を確保できず、利益を出すことのできないお店は営業を継続する事ができません。雀の涙ほどの協力金を得たとしても、とても続けられません。次々と店は閉店し、大量の失業者を生み、金銭的事情から自殺者は増え、追い詰められた人々を相手にした詐欺などの犯罪件数も増えます。それらの被害を最も受けるのは経済的弱者です。この国は国民に「病気で死ぬか金が無くて死ぬか好きに選んでいいよ」と笑顔で言っているのです。
「狂ってやがる」と思わず呟いていました。
(ねえねえカーマイン。いちおう「ちじ」ってみんなできめるんだよね?)
「ああ、そうだね」
(どうしてこんなバカなひとがやってるの?)
そもそもからしてこの世界のこの国の政治についてはカーマインでさえ専門とは言えません。別宇宙から来ているのですから。そんなカーマインに、無邪気にもルルちゃんは素朴な疑問を投げかけ続けます。とんでもない暴投に連投ですが、それにきっちり答えてくれるのがかつて大魔法使いとまで言われた人。今は大魔女を名乗るカーマインです。
「新聞でざっくり読んだだけの情報だが、一応投票のようなものはやったらしいね。色々読んでみたが、まとめると『以前に感染症被害からの緊急事態宣言まで発令されたおりに、家から出るな、店は閉めろ、しか言わなかった知事が再選したぜ。ざまあ』という内容ばかりだったね」
(あのひと、まえもそんなバカなことゆってたの!?)
「可能性は二つある」
(ふんふん)
「一つは、投票そのものが見せかけの出来レースで、選挙の構造自体がこの国ではもうぶっ壊れたものだ、という可能性。一番濃厚な可能性だ」
(もうひとつは?)
「投票に参加した人たちの多くに、信仰に近い思い込みが蔓延し『前知事はその仕事を立派に果たされた。次もお願いしよう』というクソたわけた意見が、他の常識的な投票を凌駕した、というものさね」
(…もしその2つめのやつだったら、このくにはおしまい、ってことだよね?)
「まともに選挙やってそれだったのなら、そうなるね。本来、民主政治が正しく機能する為には、資格なき者を次々と権力の座から引きずりおろす行為が必須となる。そうやって、ちゃんとした権力の行使を行える者が現れるまで首のすげ替えを繰り返す『国民による政治の監視体制』ができていれば『悪い事がやれない。もしくはやりにくくなる』からね。そうであれば、悪い事はなるべくバレないようにやる。…こうまであからさまに馬鹿を繰り返さない」
(カーマイン。なんだかかなしくなってきたよ)
「…ああ、そうだね」
急にカーマインは声をひそめるようにしました。
(カーマイン?)
脈絡や、きっかけがあったわけでは無く、急にカーマインに不安感が沸き上がったのです。いうなれば根拠なき虫の知らせとでも言いましょうか。あるいは、膨大な経験則からくる直感。この時カーマインは、無意識に、自らに忍び寄る悪感情を感じとっていたのかもしれません。
突然、鍵をかけていた筈のドアが開け放たれ、武装した人間が入り込んできました。
向けられている武器を一目見て、それがエーテル武装である事がわかったカーマインは、それだけで「今がどういう事態かを理解」しました。
「ちい、ミセスの奴、しくじったか。あるいはこれも計算か?」
多くの人は、普通こういう場合には「抵抗するな。おとなしく降伏し、手を頭の後ろで組んでケツをこちらに向け、床にキスをして神に祈れ! 貴様には弁護士を呼ぶ権利がある」と言われるものと思われるでしょうが、実際にこういう場面ではあまりそのような言葉は使われません。
カーマインに向けられていた銃口の数は全部で4つ。それが一斉に発砲されました。
カーマインの泊まっているホテルの部屋を突き止め、武装を持ち込んで制圧作戦を行うこの面子。勿論、ゲドウ配下の特殊部隊です。屋内という事で、この場には4人しか配置されていませんが、沢山のバックアップ要員が存在し、この部屋に宿泊するテロリストと思しき女性を殺害し、褒賞を得ることに情熱を燃やすエリート集団です。
彼らは確信しました。なんて楽な仕事なのだろう。テロリストと聞いていたが、朝の油断している時間を狙えばこんなものだ。マヌケめ。国家を相手取るには覚悟が足りなかったな。常に武器をかたわらに置き、見張りを立て、常在戦場の心持を持てぬ者が政治批判とは笑わせる。貴様のような軟弱者がいたずらに事を荒立てようとするから余計な仕事が増えるのだ。地獄で反省するがいい。と、それぞれに思い、赤髪の女は無残な死体となって、死体好きの変態の同僚のなぐさみものになるのだと、そう思ったのです。
しかし、エーテル弾が彼女の体に触れるかどうかという刹那、突如として弾丸は消失したのです。
女の赤い髪がくるりと動き、その軌跡が体の周囲に赤い円の残像を描いたのを「美しい」と思った男の一人が、その女が腕を振ったのと同じタイミングで頭を破裂させてその場に崩れ落ちました。髪が動いたのは腕を振った故だったのだと、仲間が後で認識しました。
ところでこのような言葉があるのをご存じでしょうか。「充分に熟達した技術は魔法と見分けがつかない」というものです。
この技術とは工芸品にも身体操作にも言える事です。大昔の人が見たら、ライターの構造を理解できず、発火の様子を魔法だと思うでしょうし、理屈を理解できない人にとっては、体の小さい人が特に力を入れた様子もなく大きい人を投げ飛ばす光景を見たら、魔法のように見えるでしょう。
そしてこの赤髪の女は、故郷においては「大魔女」と呼ばれており、多くの秘術、技術を習得した知恵者です。エーテルについての見識も「この国の猿がちょっと知恵をつけたくらいの程度とどっこいの人間」とは比べ物になりません。
ミセスクインは馬頭有菜に「魔法とは才能を必要としますが修練によって身に付きます」と説明しました。言い方を変えれば「才能が無ければ努力しても身につかない」という事です。実はエーテル武装の根幹とは、そのような魔法と同じ効果を、才能の無い人間にも再現性のある技術として使えるようにできないか、という着想から開発された物なのです。
つまり、魔法という現象をおこすにあたり消費されるエネルギーとはエーテルの事なのです。この力をはっきりと知覚して、身体操作と同様に意識的に動かし利用する事こそを魔法と呼びます。もっとも、エーテルとは先述されたとおり、ミセスクインがこの国の人達に浸透しやすく、かつガイアァクの目から遠ざける為に用意した呼称であり、魔法という名詞も、ミセスクイン達の故郷ではそう呼ばれているというだけで、この世界において発達したものとは違うのだという事はご留意ください。
優秀なバッターがどんな悪玉も打撃するように、武術の達人がチンピラの攻撃を受け流すように、一流の菓子職人がその日の温度や湿度から最適な材料の比率を導き出すように、大魔女カーマインは、飛来するエーテル弾が着弾するより早くそのエネルギーを散らしてみせたのです。
実体弾には無い、エーテルによる攻撃の数少ない欠点として「修練をつんだ魔法使いには手早く無効化される」というものがあり、どうやらこのガイアァクのエリート部隊は、この場にいるテロリストと呼ばれる人物の詳細までは知らないようでした。知っていたら実体弾や爆弾を使用したでしょう。魔法使いに対して純粋な物理攻撃が有効なのは、ゲームでも現実でも同様なのです。
(うひゃあ。びっくりした。だいじょうぶ? カーマイン)
(問題ない。しかし情報網は優秀だが、情報の集め方が雑な連中だね。もしかしたら国民性なのかもしれない)
そして三つの銃口を向けられてなお狼狽える事もなく、死体に興味も関心も無いように目線は頭の高さから動かさず、周囲を冷ややかに見ている美しき赤髪の女こそは「大魔女カーマイン」です。完全に臨戦態勢となった彼女の眼光は、今や視線だけで人を殺せるのではと錯覚させる程の雰囲気をただよわせていました。
カーマインは不意に、かつて自分が国家転覆の犯罪を共謀したという容疑で逮捕されかけた事を思い出しました。
当時の彼女は、大魔法使いと呼ばれるようになって浮かれていたなと、今となっては反省しなければならない欠点を抱えているものの、年相応に己への評価に誇りを持ち、日々の仕事に邁進し、未来に希望を持って生きていました。
政治家は世の中を良くして、国民が暮らしやすいように考えを巡らせるのが仕事だと思っていましたし、役人は尊い仕事であるから不正なぞ許されないし、法律は公正で、全ての人には人権があると思っていました。
今の彼女が当時の彼女に直接会える機会があるならば「きっと全力で殴り、吐しゃ物をまき散らかせながら気絶させ、その間に開頭手術を施して考えを改めさせるだろう」と、なかば本気で考える程に、若々しく善良でありました。
ある時彼女は、魔法使いの工房兼副業の本屋としている自宅の壁に、ある極左団体の過激な行動に注意してほしいという趣旨の張り紙をしたいのだと警察官に言われました。
彼女はこれを断りました。
その極左団体の人達は非常に規模が大きく、過激な行動を繰り返すのだと説明されましたが、特に犯罪のような事はしていないそうで、そうであるならばそれは、憲法で保障された言論の自由の範囲内の事でありますから、カーマインとしては張り紙の依頼を「権力者側の都合によるもの」としか思えなかったのです。更にもし仮に、それらの人達が凶悪な性格を持っていた場合、注意書きを張り出した壁の家の持ち主を逆恨みで攻撃するような事にもなりかねないと思い、怖かったからです。この頃の彼女には、まだそういった恐怖の感情があったのです。
そうした事があった翌日に買い物へ出かけると、カーマインは信じられない光景を目にしました。
商店街を熱心に見回る警察官が、カーマインの名前と共に、警察はこの人物に注意書きの張り出しを断られましたので困っています。市民の皆様には是非ともご協力をお願いしたい。と言いながら張り紙の依頼をしていたのです。
カーマインはすぐに警察に抗議にいきましたが、張り紙を断ったのは事実である事と、極左団体から市民を守る都合から、多くの人にこの事を知ってもらわなければならない、と言われて帰されました。
「そんなバカな事があるものか」とカーマインは憤慨しました。
カーマインはそう言って建物の責任者にかけあっている警察官を見つけては直接抗議していましたが、相手は組織だって行動できますので圧倒的にマンパワーが足りず、いたずらに疲労を重ねるだけでした。
それだけではありません。警察官が、あそこに住んでいるカーマインという人物は左翼の人間かもしれないから何かあったら警察を頼ってほしい、と言って回っていた事実も知る事になります。
これではまるで左翼的な人間が悪い人間みたいな印象を受けるではありませんか。
幸いにもその町の住人は、右だの左だのと言うくくりは、個人的な感想と主張にとりあえずの属性を付与して呼んでいるだけのものだと、きちんと理解していましたので、カーマインに特別悪い感情を抱いたりはしていませんでした。しかし、面倒なのは「そういった事で警察に目をつけられている」という事が知れ渡ってしまった事です。
巧妙な事に嘘は一切言っていないのです。「かもしれない」という言葉と「警察を頼って」という言葉を組み合わせると、こんなにも迷惑で攻撃的なものになるとはカーマインとしても驚きでした。大魔法使いと言われていても、この頃の彼女はまだ人生経験が足りていなかったのです。
そうしたストレスのかかる日々が一週間ほど続いたある日の事です。警察官がカーマインの家を訪ねてきて「極左団体の構成員がこの近くで行動をおこすらしい事が分かったのですが、何か知りませんか」と言いました。
カーマインはすでに、警察へ何か協力する気なんか失せていました。それは露骨に態度にも出ていたでしょう。「何も知らないし、どうせあんたらの事だ、何か酷いしめつけでもして恨みを買っているんだろう? 何かあっても自業自得さ。早く帰ってくれ」と言って追い返しました。
翌日に、カーマインを逮捕する為に警察官が大挙して押し寄せました。
「国家転覆を図る団体の構成員として犯罪を共謀した疑いがある」として拘束され、家の中もめちゃめちゃに引っ掻き回されて調べられました。
「どういう事だ」とカーマインは声を上げました。複数の男たちに組み伏せられ、殴られた顔を地面に押し付けられたまま喋っているので、くぐもった音になるのをわずらわしいと思ったことをよく覚えています。
しかし警察官は誰一人としてカーマインの質問には答えません。最初に容疑がかかっている事を伝えられた後は「抵抗するな」しか言われなかったように記憶しています。
実はこの「抵抗するな」という言葉は、多くの国々の警察官が使う呪文の一種で、認識阻害の効果があります。無関係の人に見られている、あるいは見られる可能性がある場合に頻繁に使われ、「あたかも警察官に対して抵抗しているかのように演出する事ができる」のです。これを唱えれば、相手を殴って痛めつけているのは「犯人が抵抗してきたのでやむをえず殴った」と周囲の人間は勝手に理解してくれますし、相手を引きずったり投げたりしても「酷い抵抗を受けているので無力化する為に仕方ない措置をとった」と思い込んでもらえるのです。
カーマインは古い時代から使われている呪いについても勉強しておりましたので、そのような事が一瞬で理解できました。これでは他人からの助けは期待できませんし、裁判においても「この女性は警察官に対して暴力を伴った抵抗をしていました」と証言されるかもしれません。非常に厄介な状況です。
このまま手錠をかけられて抵抗を封じられ、車に乗せられたら完全敗北は必至です。
いかに大魔法使いといえども魔法を封じる方法が無いわけではなく、警察はそれを有しています。完全に無力化された上で檻の中で何日も、いや何か月も、もしかしたら何年もの間、まともな食事も取れず、時間を持て余すだけの鬱屈した日々の中で、少しずつ自尊心も抵抗する気力も奪われて生かされ続け、最後には楽になりたい一心で罪を認め、今この場にいる人間を「ざまあ見ろ」と喜ばせる事になる。そんな想像が彼女に、これまで感じたどの恐怖とも違う怖気をもたらしました。
結果としてカーマインは、拘束が完成する前に男たちの睾丸を次々と魔力によって激しく揺らして意識を奪い、昏倒させて包囲から抜け出しました。
直接脳を攻撃しなかったのは、後になって脳への後遺症の有無から「攻撃の事実があった」と言われて裁判で不利になるのを避けたかったからです。「だいぶ雑」ですが、緊急時にそういった事を考えて行動できるのは、さすがは大魔法使いと言えましょう。
後に分かった事ですが、この時カーマインは、彼女自身が持っている魔法使いとしての能力が「武装の一部」だと解釈され、その言動や友人への手紙が「犯罪の共謀をほのめかし、文書も作成していた」として警察が逮捕に踏み切った理由になったのだそうです。
誰が見ても完全に言いがかりですが、手柄が欲しい警察が、手柄をぶら下げた獲物を見つけたのですから容赦されるはずもありません。
その国の治安維持に関する法律は、カーマインが住んでいた間にも何度か更新されており、当時は「犯罪は実行しなくても計画した段階で罪になる」事になっていました。
しかも「計画した段階」というものの明確な判断基準がなく、非常に曖昧で、いくらでも拡大解釈の余地を残すものでしたので、弁護士団体なども「言論の自由を侵害するものである」として反対されていましたが可決されていたのです。
多くの魔法使いはその能力を公開しておりました。重い物を速く遠くまで運ぶ運送業を営む者や、発火や発電を駆使してエネルギー産業や工業で活躍する者など、誰もが履歴書に自分の得意分野を記入してアピールし、働いていたものです。よもやその得意なものが武装として扱われ、逮捕に至るなぞ誰に想像できたでしょう。
いや、しかし、古くは国民の反乱を恐れた異国の王が「武術の習得を民間人に禁じた」例もあります。これは想定しておくべき事だったのでしょう。「政治家が前時代的なしめつけを行う」という事を考えられなかった国民の責任も少しはあったのかもしれません。
これを読んでいる読者の皆様もお気をつけ下さい。
皆様の多くが望んでいるように「突然、超能力に目覚め」たり、「悪魔と契約して異能を発揮でき」たり、「改造手術で超常的な戦闘能力を身に着け」たりした場合、SNS等で「今の首相は殺すしかねえなw」というような事を書き込んだ時に「武装を有する者が不特定多数に犯罪共謀をほのめかす文書を送信した」として逮捕されるかもしれません。
くれぐれも刃物の取り扱いを含め、自分が武装しているという解釈をされる事のないように「未知の力に目覚めた折には、決して口外せず、他者に知られないようにして下さい」ませ。
やがて、その国を速攻で脱出したカーマインは、亡命先で魔法の指導を行う仕事について生活していたのですが、少女時代のミセスクインに出会った事を契機にガイアァクとの戦いに参加する事になります。
カーマインは不意に過去を思い出した事で気分が悪くなりました。
あの騒動からしばらくして、カーマインは名乗りを「大魔法使い」から「大魔女」へと変えました。かつて、正常な裁判も受けられずに死刑宣告をされた者たちの呼び名である魔女を冠する事で、怒りを絶やさず、必ず復讐してやろうという決意を持つために。
一瞬だけ、床に転がっている頭が炸裂した死体を見やり「そういえば、こういうやり方を指導した事もあったな」と何となく思いました。
あれは、カーマインが教えていた生徒の一人が、ついに戦技教導の仕事につけるまでに成長を認められたので、師匠に今の実力を見て欲しいとお願いされて赴いた、訓練場での事でした。
カーマインは炎や爆発の魔法を得意としていたのですが、その弟子は氷の魔法を得手としていたのでその指導を施しておりました。基礎はみっちり、応用についても過去の例をあげて数多く教え、カーマインとしても優秀な弟子を輩出できたのではないかと内心で期待していたものです。会うのは一年ぶりでした。
訓練場で弟子と対峙しているのは、拳銃と剣で武装した戦士。弾丸は合計30発。刀身は約70センチのショートソードでした。
戦士の拳銃による攻撃を、ことごとく氷の盾を出現させてはじいて見せた弟子のドヤ顔を今でも鮮明に思い出せます。銃弾を受けて用済みになった盾が次々と砕けて地面に落ちていきました。
戦士は牽制を行いつつ距離を縮め、剣の間合いに入っての決着をしようと近づいていきます。しかし、弟子はこれを、空中に出現させた氷の槍を飛ばして迎撃。爆発音と共に槍が射出されていきます。その数は十。避けられた槍が地面に突き刺さる音も豪快です。回避する戦士からスタミナを奪っていきます。
しかし、槍を避け切った戦士が猛然とダッシュして一気に距離を詰め、剣を大きく振りかぶり、その重みを最大に活かした攻撃を見舞おうとした刹那、やはり氷の盾がこれを阻みます。どうやら弟子は防御に重きを置いた戦術を好んでいるようでした。
ゲームやら何やらの影響で、ショートソードは弱い武器だと誤解している方がたまにいらっしゃいますが、そんな事はありません。
ロングソードや、グレートソードといった長さの物になりますと、硬度を増せばそれだけ重くなりますから、取り回しが不便になります。
ショートソードは、リーチを短くした分だけ、重くしても取り回しに影響が出にくいという利点があるのです。その為、慣れた使い手であれば重い剣を持つという選択肢も出てくるので、戦術に幅が出ます。
しかし、その剣の攻撃を防ぎ切ったお弟子さんは、さすがの実力者のようです。押しては引き、引いては押しての攻防は五分ほど続きました。
そしてついに決着の時が来ます。訓練場の天井近く、約二十メートル上、戦士の頭上に出現した大氷塊が勢いよく落下してきたのです。疲労の蓄積した戦士はこれをかわす事が出来ませんでした。カーマインが救出しなければ命を奪われていたでしょう。もちろん弟子は、それも織り込み済みでこの大魔法を使ったのです。
「どうでしたか師匠!」と、弾んだ声で弟子が問いました。
これに師匠は「ダメな所しかないな」と答えます。
「え!?」
「え?」
「ええ!?」とは対戦相手の戦士の声です。
「え、どうしてですか師匠。めちゃくちゃ健闘してたじゃないですか」
「え? …ふむ。なあお前さん。お前さんは戦技教導をするのだろう?」
「そうですよ」
「ならば、戦場において、効率よく人を殺す技術でなければならない筈だ」
「…防御に寄りすぎた、という事でしょうか。でもそれは…」
「あー、いやいや違う、あの氷の盾は立派なもんだ。そういえば聞きたいんだが、あの氷の盾や槍は、生成しているのか? 召喚しているのか? あたいは召喚は教えてないはずだが」
カーマインは召喚魔法が苦手なのです。
「生成です。それを魔力による衝撃で射出してます」
「つまり発射はできるが、浮かべて移動させる技術はないわけだね。撃ったら撃ちっぱなし、途中で軌道を変えられないし、追尾機能を付与してもいない、と」
弟子は、修業不足をとがめられると勘違いして言い訳を始めます。
「苦手なんです。師匠だって言っていたじゃないですか、得意を伸ばして、苦手は得意の応用で埋めればいいって。だから私…っ!」
「勘違いするんじゃないよ。できない事を責めてるんじゃない。できる事を『やりきってないから』あたいは不満なのさ」
「え?」
「先ず、第一に、出現させた氷を射出以外で動かせないなら、氷の盾は使いきりの物って事になる。あんなクソ重い物持ってられないからね。弾丸はじくんだから、そりゃあ厚みもあるんだろう。エネルギーの無駄遣いだ」
弟子は「はっ」となって訓練場の地面を見ました。
「次に、最後をキメた大氷塊だが、あんだけ離れた場所に氷を生成できるんなら『最初から相手の頭の中にでも氷を生成すればいい』のに、なぜそれをしない?」
「ひ!?」とは戦士の声です。
「あんな大きい氷でなくとも、すっげえ小さい氷でいいから血管の中にでもぶちこみゃあ、それで相手は勝手に死ぬだろうに。空間的に繋がってないと出来ない、……例えば皮膚や服なんかの障害物があるとその内側に冷気を発生させられないっていうんなら『鼻の穴からでも冷気をぶちこみゃあいい』だろう。脳を瞬間冷凍すれば急激に増えた体積によって頭蓋骨が内側から破砕するぞ多分」
その後もカーマインは、目玉を冷却して継戦能力を奪うとか、降伏したふりをして相手に近づき握手するだけで全身凍傷にする方法とか、内側に螺旋状の溝を掘った長い筒を用意し、その中を小さな氷の弾丸を回転させながら発射させる事で命中精度と飛距離を向上させ、遠距離から一方的に狙撃するアイデアとか、まあ色々と弟子に教えました。
特に狙撃のアイデアは非常に有用だったらしく、構造そのものは「まんまライフル」だったのですが、杖に偽装して持ち運べる便利さと、弾丸を持ち歩かなくていいという魔法使いの特性を活かせる事から、機動戦術が発展しました。
これにより氷魔法についての認識を改めた弟子は、その後、戦場において「虐殺氷菓」の二つ名で呼ばれるようになるのですが、それはまた別のお話。
やがてカーマインは、その亡命先においても多くの優秀な魔法使いを輩出した功績を認められ、土地を与えられました。戦争の役に立つ能力というのはどこの国でも歓迎されるのです。
カーマインはあえて、危険な生物が多く住み、道が切り開かれている訳でもない森を選び、そこに小さな住居を構えて暮らしました。
もしまた悪心を抱えた警察官に目をつけられても、移動自体が困難なら、面倒を嫌う気持ちが勝るかもしれないという、おまじない程度の予防策のつもりでした。
税については、出版している魔導書の印税でまかなえるだけ稼いでおりましたので、領民なども特に集める気はなく、普段は魔法の研究に没頭しつつも、話し相手もいない少々退屈な日々を過ごしていました。
そんなある日の事です。
大の大人でも踏破に苦労するだろう魔女の森に、可憐な少女が教えをこいたいと来訪しました。
少女時代のミセスクインです。
話を聞くと、その少女は世界救済の野望を抱いているのだとか。
カーマインは当初「厨二か」と思って追い返そうとしたのですが、頑固な少女は帰ってくれません。最後にはカーマインが根負けしました。
「ふ、懐かしい」
本人以外には意味不明なつぶやきをもらしつつ、カーマインは一歩を踏み出します。
突然仲間の一人を失った特殊部隊の面々は、この不意の事態に対応できていないらしく、せっかく構えている銃なのに発砲もしません。もし引き金を引けていたら、致命傷にはならなくとも目くらまし程度にはなったはずで、絶体絶命のピンチを少しは有利になるよう動かせたかもしれなかったのですが、彼らは想定していなかった事態に対応する思考の瞬発力が不足しているようでした。
「訓練が足りてないね。あたいが教えたどの弟子にも及ばない。一方的に人を殺す事はできても、抵抗してくる化け物の相手は初めてかい。あたいたちはずっと、化け物と戦ってきたよ。ずっと勝ち目のない戦いを生き残ってきたよ。努力したよ。だけどなんだい、あんたたちはそんな不足した状態であたいたちを殺せると思ってたのかい。なめてるのかい。なめてんだね。だから努力しない。他人をずっとそういう目で見てるから、努力しなくてもどうとでもなると思っているから努力しない。自分が努力しないから、他人が努力していると思えない。あたいたちを、いつでも殺せる弱者だとタカをくくってきたんだろう。なめやがって。頭に来るね。だから死にな!!」
最後には、口上を面倒に思ったのか究極の暴論をぶつけて、カーマインは腕を振るいます。彼女はその動作を通じて大気中のエーテルに干渉しました。
釣りをした事のない殆どの人は、釣り糸を遠くに飛ばすという感覚を掴めません。それは何度も練習して会得するのです。
絵が苦手な多くの人は、今見たものを見たままに紙に描くという感覚が掴めません。それは何度も練習して会得するのです。
自転車に乗った事のない多くの人は、二輪しかない上にペダルをこぐ動作をつける不安定な乗り物の安定の理屈を掴めません。それは何度も練習して会得するのです。
一部の才能ある人間以外には、この世の多くの事は不可解で理解できません。
先人たちの膨大な実験の情報が、初めて挑戦する人たちの助けになるとしても、それでも努力なしに何かを成し遂げるという事は非常に稀なのです。
さてここに稀代の天才、大魔女カーマインがいます。
彼女は才能を持ちながら努力しました。
多くの人にとっては存在を認識する事自体が困難な、エーテルと呼ばれるものを感知する才に長け「それをどうすればどうなるのか」という実験を何度も繰り返し、腕の一振りでこの不可視の力の構成をいじくりまわし、時に分子の運動を遅くしたり、速くしたり、それを近づけたり、遠ざけたりを自在に行う、魔女の呼び名に相応しい女傑です。
その彼女が本気で殺意をぶつけた相手がどうなるか。
ええ、そうですね。カーマインは色々と言葉を並べてくれましたが、ようはつまり、この相手方には想像力が足りていなかったのでしょう。
人を怒らせると殺される。
そんな当たり前の事を当たり前に認識できていたなら、そもそもガイアァクの下で働いたりしなかったでしょう。だから殺されるのです。
カーマインの眼前で二人目の死者が発生します。いやしかし、二人目と言ってよいのでしょうか。この光景の範疇ではそうですが、カーマインにとっては何度も繰り返してきた虐殺の一つに過ぎません。
眼前の焼死体を見ながら、カーマインは過去を回想します。
カーマインは弟子の少女の目の前で、自分の両手に炎を灯して見せました。
「さてお前さん。お前さんにとっては右か左かという違いしかないこの炎。大きさも熱さも酸素の消費も色合いも、全て同じこの炎だが、この二つに価値の違いはあるかい?」
と、授業をしている風景です。
「ありません」と少女は元気よく答えました。可愛いです。
この少女を弟子に取るにあたり、カーマインはその動機を訪ねました。ただ魔法を修練したいだけなら、家の近所の道場に通えば済む話です。危険を冒して森を進む理由としては不可解でした。
少女は、世界を救済する為には永遠の命を持った完璧な人間が統治者として必要だと考えていました。「厨二か」と言いかけたカーマインはその言葉を頑張って飲み込み、先を促して聞いていると、子供ながらに考えてはいるのだなと思いました。
利権やら利得やらといったものを欲しがった浅ましい人間が国の統治をおこなう事がこの弟子には許せないらしく。それはカーマインも同意しました。
しかし現実問題として、心正しき人間が政治の構造を改革しようとすると必ず暗殺されます。既に政治腐敗とは一朝一夕では払拭できない規模で浸透しており、多くの政治家にとって、国民の側に同情的であるとか、先進的な人間は邪魔で仕方ないので次々と殺されます。それはもう早い段階で、国民に「そういう人間が居ると認知される前に殺される」のだから、国民は、教育の段階から変えていくべきなのだ、などと見当違いの議論を始める始末です。
カーマインを前に、可愛らしい少女は次のように主張しました。「国全体の情報を集積し、分析し、問題をあぶりだし、それを解決する為の方策を思考し、実験し、実証し、不足がある場合にはそれを埋める方法論を構築し、必要な人材、資材、金銭を管理し、その運用に一切の私心を介在させず、権力の厳正なる行使を自らに課す事のできる統治者は、教育で生み出せると私は信じます。後は、これを殺させないために不死の秘法を施せば、国や世界の情勢がどう変わろうとも、経験を蓄積し、成長し続ける統治者の元、永遠の平和は実現します」と。
「厨二か」という言葉を飲み込むのにカーマインは必死でした。いやいや、ここで大人げなく否定の言葉をぶつけてはならない。よくよく聞いてみたら、方法論は無茶苦茶だが、それ以外の部分はまっとうだ。子供の信心をむやみやたらに折るものではない。と、カーマインは人生で一番発揮した自制心でもって自らを律しました。
そうした考えから、この子供は独学で魔法を研究し、不死の秘法と大魔女という言葉にまでたどり着いたのですからその情熱は称賛されるべきでしょう。
しかしながらカーマインは残酷な現実を彼女に突きつけなければいけません。
「ところでお前さん。『命とは何だと』思うね」
カーマンはあくまで魔法の先生として、ごく一般的な授業方式とアプローチで、この娘に不死の秘法を諦めさせようと思っていました。この質問はその為の布石。さあ答えなお嬢ちゃん。「神秘」だとか「この世で最も尊い」とか「進化する力を秘めた奇跡」だとか「今もって究極の謎」だとか、そういう「それっぽい事」を言いな。ことごとく論破して泣かして心を挫いてやる。そうして諦めさせてやる。その為に泣かすのをとっておいたのだ。と、そのように考えていました。
しかし、彼女は間髪いれず正解を答えて見せました。
「現象です」
「……なん、だ、と」
カーマインは、必死に隠しましたが驚きました。
「あれ、間違いましたか?」と、小首をかしげる少女に愛らしさを感じつつも、カーマインは内心では冷や汗を浮かべる思いでした。
この娘、とんでもない厨二かと思いきや、なかなかどうして、真理を見抜く眼力がある。今までこの質問に一度で正解できた弟子はいなかった。いや、学者を自称する者たちの中にさえ稀だった。天才だ。と、カーマインは思いました。
「……ああ、その通りだ。正解だよ。火が燃えるのと同じ、雨が降るのと同じで『それはそういうものだ』と結論づけるしかない。多くの学者は、自然的にこのような相互作用の果てに自由意思を持って行動する存在なぞ生まれるはずがなく、人間や動物が創造されたのは神の御業によるものだと主張するが、あたいから見れば、エネルギーを生み出す構造を持った存在が先ず生まれ、それはエネルギーを生み出せるものだから、他の生まれては消えていく存在よりも『残りやすかった』のだろう。いや、既に生命なのだから生き残りやすかったと表現すべきかね。ともかく、この生き残りやすい存在は代を重ねる毎に少しずつ変異し、より生き残りやすい存在が生まれた時には『古い存在は戦いに勝てずに敗れて消えて、その場所を新しい存在に譲る』という事が繰り返された。これが、今もってあたいが最も有力視する、進化論における自然淘汰の理屈だ」
カーマインは軌道を修正しました。この少女は天才だ。このまま泣かせて心を折るのは少しもったいない。こうなれば超がつく一流の魔法使いに育てようと、そう思ったのです。
「あたいたち人間が、なまじっか頭が回るものだから『ただ遺伝子を継承させるためだっけに正義や倫理といった文化をもつのは理屈にあわない』として、人間だけは神によって創造され、その大いなる奇跡の一端を身に宿しているのだ、と言う馬鹿者もたまに居るが、まあ言いたいだけ言わせておきな。一生証明する事のできない研究に没頭できるのはある意味で才能だ。いつか、命の神秘とは違う発見をして世の中に貢献するだろう。あたいは友達になりたくないけどね。……少し話が脱線したね。すまない。さて、ともかく、あたいたち人間を例に挙げるなら、人間は高等な存在だから霊長の頂点に立てた『訳ではない』のだね。それでは因果が逆だ。効率よく安定してエネルギーを得る方法を発見し、発展させたから、他の動物よりも複雑な文化を形成してそれを教育するなんていう余裕を勝ち得たのだ。そして文化とは『その集団が最も効果的に行動し、群れの利益を最大化させる為に、試行錯誤の末に構築されたもの』なのだ。神の教えだとか、精霊のお導きだとかいうのは、よくわからない理屈をよくわからないまま受け入れさせる為に宗教を利用したに過ぎん」
「師匠」と、弟子が割り込んで言いました。「なんか段々、命の話から文化と宗教の関係性の話になってます」
「……すまない。心を乱した」
「大魔女でも心を乱すのですね」
「そりゃあ乱すさ。唯一必死祈願とかの化け物なら、どんな時も、それこそ人を殺すときにも笑っていられるんだろうがね」
「師匠は笑って殺せないのですか?」
「殺し方を教えた事はあるが、まだ直に殺した事はない」
「なるほど。それは経験不足を意識して慎重に行うべき案件ですね」
「お前さんはあるのかい?」
「ありますよ」
「マジか」
「マジです」
そうして少女は、幼い頃からの不幸の事や、そこから発展したイザコザから人を殺した話をしたのですが、ここでは割愛させていただきます。
少し脱線した話をして落ち着いたのか、その後のカーマインの授業は順調に進みました。「命とは現象である」の続きです。
カーマインの講義は殆どが、あらかじめ少女が持論として抱いていたものと同じでした。有機的か無機的かの違いがあるだけで、定められていたプログラムに従ってエネルギーを消費して活動を行う。これが命の真理でした。
「命とは現象である。つまりエネルギーの運動がそこで起きている、それが命の本質だ。そしてあらゆる運動とは、時間経過と共に力を消費され続け、やがて推進力を失う。だから…無限に継続する命というものはないんだよ」
その結論を聞いて、弟子の少女は酷く落胆したように見えました。
続けてカーマインが言いました。
「だが」
落胆していた少女の目に希望の光が宿りました。
「だが、今お前さんが見ている炎のように『その命と同じ価値の命』を、どこか別に置く事はできる」
実に回りくどい言い回しでしたが、大魔女に天才と評価される少女には、それだけで意味が通じたようでした。そして、それで充分だったのです。この少女の目的は自身が不老不死を得る事ではなく、不滅なる完璧な支配者の構築だったのですから。
カーマインを襲撃した四人の内の半分が死にました。形勢は完全に大魔女に傾いたと判断していいでしょう。しかし、残された二人の片方が急に思い至ったのか、カーマインに向けて発砲しました。とても良い判断です。殺せればそれでよし。殺せなくとも、状況を動かせば、もしかしたらなぶり殺しは避けられるかもしれません。
しかしながら、その射撃は狙いを定めて行われた訳ではなく、カーマインとは全く違う場所に着弾しました。
というのも、カーマインの魔法によって視界に太陽光が直射されて失明したからです。
それは、本来は遠くの風景を、鏡などに投影して見る事を目的とした「遠見の魔法」の応用でした。網膜に直接、太陽やグロテスクな光景を見せる事で視界や精神を破壊するのです。戦闘用途を想定して開発された訳ではない魔法でも、このように応用的に使えば戦士を無力化する事が出来ます。
先の二人はうっかり殺してしまいましたが、カーマインはこの二人からは情報を引き出してから殺さなくてはと思い至り、急遽このような手段をとったのです。
「……そういえば、この遠見の魔法でシャドウを見せたのが、あたいとミセスクインの戦いの始まり、だったのかね? あの時、この魔法を使わなかったら、当代の唯一必死祈願にも出会わなかったかもしれない。ふう。全くもって因果とは、何がどうなるやらわからんものだね」
再びカーマインの過去を覗いてみましょう。
カーマインにとっても可憐な少女を弟子に取った事は非常に有意義なものでした。
生命の根幹についての論文を発表しても、愚かな老害共は「エネルギーを使って自己増殖するという複雑な構造を自然的に獲得できる訳がない」といって一蹴してくるのですが「人間が火を発見するという所から始めて鉄を加工するに至り、ついにはコンピュータを開発したわけだが、その無機的存在がプログラムで動くという事に異論が無いのに、有機的な物がプログラムで動いていないと思えるのはどうしてなんだ」と反論すると「仮に生命にプログラムがあったとして、それをプログラミングしたのは誰だ。神以外にないではないか」と答えてきた老人に対し「偶然だよ。偶然その細胞分裂の機能を獲得したんだ。その偶然に獲得したそいつは、そのまま増え続け、やがて発生したバグによって多様化し、多様化した事で生存競争が発生し、その競争の中を生き残る過程で、より有利な因子が残り、変質し、繰り返される中で特徴を持つようになった。これが進化だ」と主張しましたが「偶然だと。事象の真理に至らんとする魔法使いが偶然を根拠にするのか。話にならん」と言われるのです。カーマインは参ってしまいました。錬金術や化学というものの前提には再現性というものがあります。同じ条件であれば常に同じ結果がおき、何かが違えばそれに応じて結果が変わる事が「その理論が正しい」とされる条件でありますから、カーマインの論法はまるで相手にされなかったのです。
しかし、弟子の少女は違いました。殆どの人が先入観による忌避や嫌悪を示すような話でも興味を持って聞いてくれて、質問までしてくれるのですから、こんなにいい生徒は他に居ません。他人とのコミュニケーションは、時に人を大きく成長させるのだと気づかされました。この素晴らしい弟子を迎え入れた事によってカーマインの研究もおおいにはかどりました。
そんなある日の事。
カーマインはこの愛弟子に対する感謝の意を示そうと、ある事を決意します。
それはカーマインが長年研究している、ある事の教示でした。
「さて、そろそろお前さんに『同一存在』というものについて教えよう」
「……同一の存在、ですか? 世の中に一杯ありますよね?」
「ああ、その言葉通りの物は一杯ある。すまんな。その同一存在じゃない。あたいがずっと研究しているものの一つなんだが、うまい名前が思いつかなくてね。ずっとそう呼んでいる間に、あたいの中ではそれで定着しちまった」
「あー、ありますよね。そういう事」
「ここで言う同一存在とは、あまねく世界において、同じ役割を生きる存在という意味だ」
「すみません。ちょっと分からないです」
「人類はこれまで、実に多くの難関を乗り越えてきた。自然災害や環境変化、外敵や病気、貧困や差別や政治腐敗だ。異論はあるかい?」
「ありません」それはそうでしょう。この少女の目的はそういった害悪と戦い、勝利する事なのですから。
「それらはそのまま放っておけば『確実に人を国だとか島だとかいうレベルで滅ぼす』が、現実として、人類はその居住領域を増やし、発展してきた。悪は確かに栄え、力をつけているが、同じように善なる存在もまた数を増やして、それに対抗してきた。何かに似ていると思わないか?」
「……進化、ですか? まさか、善と悪の戦いもまた、生物の多様化の一つであり、我々はその生存競争の渦中にある、と?」
「その議論は非常に興味深いが、今は違う事を話そう。……そう、進化に似ている。そして大きな害悪が台頭する事を受けて、大きな時代の動きがあったという事に注目した。逆はない。そもそも善なるものとは、多くの人にとって都合のいいものなのだから変化させる意味が無い。いつだって先ず悪が動き、それに対する『免疫細胞の活性化のような形で』正義を掲げる集団が生まれた。自然の脅威から人を守る為に、工作は発展し、戦争が始まれば戦士が人を守り、病気からは医者が人を守る。そして、経済不振や悪政とは、革命家が立ち上がって戦ってきた」
人類に悪影響を与えるものに対する免疫反応。その言葉を聞いて、愛らしい少女は何かに思い至ったような表情を見せました。カーマインは僅かに一呼吸だけの間を作り、少女に気持ちを整理させる時間を作ります。
「……続けるよ。こういった抗体のような存在意義を持つ人間の中でも、特に強い影響力を持つ個体がいるのだが、この個体、殆ど同じ行動をする存在が『別世界においても存在する』らしい事をあたいはつきとめた」
「なんですって!?」
「それだけではない。驚くべき事に、これらは『運命を共有しているのではないか』としか思えない相似性をもっていた」
「運命を共有?」
「かいつまんで言うと、同じ運命をもっている個体が複数いて、そのどれかが死亡すると残りの個体も病気になったり事故に遭ったり、理由は様々だが、次々と死んでいくのだ」
「そ、そんなの、どうやって観測したのですか」
「あたいは大魔女だよ。大体の事は『大魔女だから』で納得できないかい? そして、ここからが重要だ。もしかしたら、これらの世界を行き来して、脅威に晒されている個体を見つけ出し、救済すれば、別の同一存在も救えるかもしれないんだ」
後に魔女王と呼ばれる事になる少女は驚愕しました。
「もし、それが本当なら…」
「ああ、お前さんが理想としている『不滅なる完全な支配者』は実現するかもしれない」
カーマインは両手に炎を灯して見せました。
「この両手の炎と同じ理屈だ。『誰にとってもどちらでもいい価値を持つ人間』を、殺される運命から救い続け、一か所に集めて行動を最適化し、防御し、仮に死亡してもすげ替えの利く体制を維持する。これで、お前さんが創造したいという理想の世界には近づけないかい?」
カーマインはここで遠見の魔法を使い、鏡に遠方の景色を映し出します。
そこには筋肉凄まじき男が戦っている姿がありました。
結論を申し上げますと。その男こそは後に筋肉自慢の忍者戦士シャドウを名乗る事になる男で、後にミセスクインと呼ばれる少女の同一存在だったのです。
カーマインは、少女を転移の魔法で戦いの現場へ送り込み、その戦闘の決着と世界の救済と当代の唯一必死祈願の出現とに関わる事となったのです