表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

公開エピソード05「筋肉凄まじき男。シャドウ」

 ミセスクイン達と離れたシャドウは道路をひた走ります。

 遠くに雲が見えますが、早朝だというのに日差しは強く、アスファルトが徐々に熱を帯びるのを足裏で感じました。

 裸足で駆けているにも関わらず、痛みや疲れを感じさせない力強い走りです。

 ピタピタという走行音とともにふんどしも揺れ、時になびき、汗が出てきて肌を濡らしわずかに光沢を帯び、風を切る勢いで飛び散ったしずくが、光を反射して輝きました。

 おい、その描写は一体誰に向けた誰の得になるものなんだ。

 読者様からそのような感想を頂いた刹那、シャドウの前にライフルで武装した数人の制服姿が立ちはだかりました。ゲドウ大臣の私設警備兵です。ガイアァクとしての高度な訓練を積んだ、人々を恐怖させ、支配する為のノウハウを学んだ尖兵と言うべき強敵です。絶対に油断できません。

 そのうちの一人がシャドウに銃口を向けながら言いました。

「こいつ!? なんて格好でうろついてやがる。性犯罪者め!!」

 警備兵の一人は即座に発砲しました。

 これは巧妙に偽装されていましたがエーテル武装で、使用者の意思次第で生殺自在な万能兵器です。今回発射されたのは非殺傷型の攻撃でした。

 当たれば即座に体がマヒし、敵の行動を封じるのです。場合によっては体や脳に不具合を生じる後遺症が残る事もある危険なものです。本来は警告なしに撃っていい物ではありません。

 しかし警備兵は撃ちました。

 瞬間。警備兵は自身の勝利を確信しました。

 目の前の不審人物を、行動する前に仕留めた判断は後に称えられ、上司からも良い判断だったと褒められて、特別賞与が支給され、昇進に一歩近づく、そういう予感を得て得意な気持ちになって銃撃の行方を見守りました。

 正確に胸の中心を狙って放たれた銃撃は、ふんどし男が左右どちらに避けようとしても絶対に避けられないタイミングと速度、精度で放たれたものです。警備兵は心の中で「さあみっともなく足掻いてみろ。偉大なる我々にたてつき、治安を乱した罪を後悔しながら苦しみ悶えるがいい」と叫びました。

 しかし、シャドウの行動は警備兵の予想を裏切るものでした。

「ふん!!」という声を発しながら、銃撃を殴ったのです。

 銃弾の形をとっていたエーテルの塊は、振りぬかれた拳の勢いにのって歪み、軌道を変えて、やがて霧散して無くなりました。

 警備兵は自分の見たものが信じられませんでした。

 もしかしたら今の光景は、銃弾を発射した、という強い思い込みが見せた幻覚か何かだったのではないかと思いました。

 きっとそう、に違いない。ああ全く何て事だ。攻撃の痕跡が残らないのは実体弾にはない非殺傷エーテル武装の利点だが、だからたまに攻撃の実感が湧きにくいのもこの武装の特徴なのだよなと思い、「仕方ない。もう一度だ」と、続けて二度、発砲します。

 しかし「ふん! はあ!!」という声と共に、目の前のふんどし男は銃撃を拳で迎撃し、先程と同じように消し去って見せたのです。

 もはや見間違いかもとも思えませんでした。

「なんだあ! 貴様あ!! この化け物めえええええ!!」

 警備兵は半狂乱になって無茶苦茶に銃を撃ちました。

 無理もありません。彼らにとって武器とは自信の象徴です。

 この国の人間は殆どが武器を持っておりません。

 銃どころか刃物に至ってさえ、正当な理由なく持ち歩く事は「銃砲刀剣類に関する法律」で禁じられており、厳しい試験に合格して武器の携行を許された警察や兵士達は特別な存在だ、という事が、一般市民と自分達とを分ける「決定的な差」であるという自信を与えていました。

 無力で無自覚な市民が、時たま、そう、例えば酔った勢いや何かで自分達に暴言を吐くような事があっても、この銃でいつでも殺せるし、画像に残ったりしなければ、殺処分の理由はどうとでもできるという余裕が、常に平静で冷静である、という事に繋がっていたのです。

 しかし、後になって思い返してみれば、今回は最初から最後まで平静ではなかったな、と、警備兵は無意識下で反省していました。

 仮面をつけたふんどし男という視覚的インパクトがそうさせたのか、それとも別の、それこそ無意識に感じ取った何かがあったのか、その理由は結局最後まで分からなかったのですが。

 とにかく警備兵は攻撃にだけ集中する事に決めました。

 非殺傷などという生ぬるい事は言っていられない。画像さえ残らなければ殺してしまってもどうとでもなる。仮に画像が残っても何とかする方法はあるのだ。国家権力をなめるな一般市民!! 自分自身に権力はないが、後ろ盾に国家権力があるのだ。それは自分自身に国家権力があるのと同じだ。その権力を気持ちよく上司に使ってもらう為に、これまでずっと地道に上司へのポイント稼ぎを続けてきたのだ。絶対に殺してやる。絶対に殺してやるぞ。と、自らを奮い立たせ、失った自信を取り戻す為に抜群の集中力を持って攻撃を続けます。

 しかしシャドウはそのことごとくを打ち落としてみせました。

 どうして拳で銃撃を受けて平気なのかも分かりませんし、どうやって音速で飛んでくる弾丸を見切っているのかもわからず、警備兵は泣きそうな気持ちになりました。自信を失っただけでなく、恐怖を感じていたからです。

 いつの間にか連続していた攻撃は止まっていました。指が痺れて、上手く動かなくなり、引き金を引けなくなっていたのです。

 そうして、警備兵が戦意を失い始めた時でした。ついに欲しかった答えが分かります。

 シャドウの拳の周りから徐々に「今まで見えなかった物が」見え始めたのです。

 その答えとは「透明武装」でした。

 その名のとおり「透明な武装」です。ガラスやプラスチックの透明度なぞ比較にならぬ、完璧に光を透過する機構を備えた武装なのです。

 これはシャドウの故郷において開発された、完全なる隠密性を持った暗殺用の兵器だ「という事にはならなかった」残念な兵器の一つでした。

 シャドウが身に着けていたのは手先から肘の手前までを覆うような手甲の形をしていました。銃撃を連続して弾いている間に、装置のどこかが不具合を起こしたのでしょう。透明化が解けて、分厚いゴツゴツとしたシルエットの手甲が、多くの弾痕に歪んだ姿をさらしています。

 その重量は片手だけで約30キログラム。両腕合わせて60キログラム。小柄な人間一人と同等の重量です。

 もしこれで全身を覆うとなれば「筋力がどう」という次元ではなく「着た瞬間に背骨が破壊される」でしょう。まあそもそも重すぎて「装着する動作自体が困難」なのですが。

 シャドウは手甲の形で装備していますが、開発当初は銃やナイフという形でデザインされておりました。しかし「落としたらもう場所が分からなくなる刃物」だとか「引き金と安全装置の場所が視認できない銃」なぞという物には殆ど需要はなかったのです。また、これは目に見えないだけで金属探知機には反応しますし、埃をかぶれば埃だけ浮いて見えますし、仮に透明化解除のスイッチを置こうものならスイッチが宙に浮いている風景が出来上がりますし、音声認識で操作する構造にしたら使うたびに声を出さなければいけなくなるし、全身鎧のようにしてしまうと、光学迷彩と違い、視認できなくなるのは本体だけで中身は見えてしまいますから、隠密作戦用に需要があったのは中身ごと存在を隠ぺいしてくれる光学迷彩搭載の戦闘用スーツでした。その戦闘用スーツは、スーツという名前こそついていますが、ロボットアシストによって駆動する人型をした車のようなものでした。もしこれを透明武装で作ろうとしたならば、宙に浮いた人間がやや腰を落として歩行しているような姿を晒すことになります「滅茶苦茶目立ちますね」残念。

 ちなみにこの人型戦闘ロボットの技術は、唯一必死祈願が破壊してみせたあの兵器に流用されています。

 また透明武装は、装置が複雑なのも理由の一つですが、兵器として運用する上でバッテリーの持続性に難があって、すぐに開発されなくなったのです。

 シャドウはこの透明武装をエーテルで駆動するよう改造し、自分用にカスタマイズして持ち歩いていたのです。

 先述したとおり、これは複雑な装置を用いている上に高重量、極めて不便な装備です。具体的には「トイレで用を足そうと思ったら邪魔で仕方ない」でしょう。

 警備兵は目の当たりにした事実から、この透明武装の仕組みやらは全く理解できませんでしたが「何が理由でこの攻防が成立していたか」は理解しました。

 だからこそ当然に湧いた疑問として、思わず呟いていました。

「何で、そんな物をもって…?」

 シャドウはこの問いかけに、それは装備の仕組みについて疑問なのか、不便な装備を採用している理由が疑問なのか、この珍しい装備の入手経路が疑問なのか、はたまた別の何かが疑問なのか分かりませんでしたが、何とか誠意ある対応をしなければな、と思いを巡らせ、回答しました。

「そうだな。まあ、理由は色々あるんだが、うん、本当に色々あるんだが、先ず一つ、お前さん、『俺を素手の人間と思った』だろ?」

 確実な油断。それを誘う。そうです。透明武装はそれを誘う事にかけては他の兵器よりも優れていました。

 服を着ている人間であれば、例えば袖口に刃物を隠す、銃を忍ばせるという程度は誰でも思いつきますし、ポケットに小さなナイフ、それに毒を仕込んでみたり、ベルトのバックルがかぎ爪になったり、襟にワイヤーを仕込んだり、メガネのつるに毒針が仕掛けられていたりと、武器は隠し放題です。

 ではシャドウのようにほぼ全裸であればどうでしょう。

 まず常識を疑います。

 武器をもった戦士だなどとは思われず、頭がどうにかなってしまった不審者として扱われるのが当然です。

 しかし実は武器を持っていますし、その戦闘パフォーマンスを見せつける事で大きく相手の感情を揺さぶれます。

 本来であれば、そう、ここにいる警備兵のように「職業として戦う者」であるならば、そのような「マンガか何か」のような演出は必要ないのですが、シャドウには常識的ではない理由があって、このような事をしているのです。

 そのシャドウの真意については何も説明されなかった警備兵ですが、素手の人間と思った、の言葉を聞いて、昔、警察官であった頃の教練を思い出しました。


 この警備兵、名をゴリアテと言います。

 元々は警察官でありましたが、縁あってゲドウ大臣直轄の警備隊に入隊しました。

 あまり知られていない事ですが、この国の警察官の殆どは、親族が警察関係者である者が高比率で採用されます。

 圧倒的にコネクションが有利に働く業界ですが、職業選択の自由がある以上、別の仕事を選ぶ人間も当然出ます。関係者の中からだけ採用していたのでは少しずつ数が減っていきます。

 そうして足りなくなった人員を補充しなければ業務に支障がでますが、一般からの警察官への採用率は7倍から10倍と言われており、非常に狭き門でした。

 高給、高額の退職金、高額の年金により老後も安泰。ゴリアテ自身、ドラマなどで「いやあ、おじいちゃんから父親、その子供まで警察官とは感心な一家だ。そろって優秀で真面目なんだねえ」などという描写を見かけますが、事実は逆です。将来の希望や展望やらが無く、家族が警察官であるのなら、その子供が警察官になろうと思うのは当然の心理と言えましょう。

 そうした事を背景に、歪んだエリート意識は世代を経るごとに肥大し、自分達は世界を管理する立場にいるのだという刷り込みが完成します。

 ゴリアテもまたそうした刷り込みの果てに悪の手先となったのですが、警察官になる事には大いに悩んだ少年の時期もありました。

 というのも、ゴリアテが警察官になろうと思ったきっかけが「銃を撃ちたい」だったからであります。

 十代の男性としては至極普通の、銃というツールに対しての憧れや興味。結局の所、彼の行動理由はそれにつきるのです。

 しかし、銃を撃ちたいだけなら警察官以外にも道はありました。例えばそれは軍事に従事する等です。

 猟銃免許を取得して猪や鹿を相手にした人生もあったかもしれませんし、射撃競技の選手になれば名誉を手にするチャンスもあったかもしれません。

 しかしゴリアテがそれらを選ばなかった理由というのが「なり方や、なってからの仕事内容がいまいちよく分からなかった」からでありました。

 しかし警察官の仕事であれば父親からぼんやりと話は聞いていましたし、進路について考える時期に、学校の行き帰りで通る道の派出所の警官はいつも暇そうに見えたので、自分でもできるだろうと進路を決定したのです。

 今回のシャドウとの戦いでは小者感がにじみ出る彼ですが、試験に合格して仕事につき、ゲドウ大臣の眼鏡にかなう実績を上げた点を鑑みるに、なかなかに才能があり優秀な人物だったようです。

 その彼の才能を伸ばし、支えた教訓の一つが「容疑者と対峙したならば、素手に見えても武器を隠し持っているかもしれないという前提で行動すべし」というものでした。

 ゴリアテは「なるほど、どんなに相手が弱そうに見えても降伏しているように見えても油断はしてはいけない、という事ですね。もし武器を持っていたなら、自分が怪我をするどころか民間人に危害が及ぶかもしれませんものね」と言いました。

 しかしこれに返ってきた言葉は「いやいや、まあ勿論、油断大敵っていう言葉の意味そのものはその通りで大事なんだが、ほら、普段からそういう風に訓練していますし、教わっていますし、教えています、って事にしておけば、不当逮捕した時に相手に怪我させても仕方なかったってできるし、そうすれば現場に責任は無い、ってできるし、責任者は現場がそう判断した、って言えば責任逃れできるし、皆にとって具合がいいんだよ。危険がないからって話し合いしていたら時間がかかるだろう? だから武器をもっている『かもしれない』って事にしてとりあえず痛い目に合わせて黙らせて留置して追い詰めるんだ」でした。

「なるほど。勉強になります!」

 この教練は彼にとって非常に有意義なものでした。教練に則り、彼はどんな弱そうな相手にも決して油断せず、手元の武器と人員の全てを駆使して「犯罪者」を次々と逮捕しました。殆どの人間は銃をちらつかせれば先手必勝とばかりに攻撃してくるか逃げるので、逮捕の理由を作るのは簡単でした。

 こうして彼はめきめきと実績を上げ、昇進を繰り返し、大臣の下で働ける程にまでなったのです。

 そう「どんな相手にも油断しない」という教えが彼の人生の根幹となっていた筈なのに、シャドウとの戦いでは彼は明らかに油断していたのです。

 いつのまにか、素手の相手を銃で脅していくのが習慣となっていく過程で、「素手に見える相手はやっぱり素手だったという経験」が積み重なり、無意識に「銃で脅しさえすれば勝てる」という刷り込みが完成していたらしいのです。

 おめでとうゴリアテ。貴方は実に得難い反省を、今、得たのです。彼は今後、ふんどししか身につけていない人間を相手にしても決して油断はしないでしょう。


 さて、ゴリアテが半生を振り返り反省している時、シャドウもまた半生を振り返っておりました。

 彼の故郷もまた、この国と同じように「人々に武装して身を守る権利を許さない」国でありました。

 銃は勿論の事、刃渡りが7センチを超える刃物の携行すら許されておらず、もし争いごとになれば単純に腕力がある者が勝ち、力なき者は強者に屈する以外にない環境でシャドウは育ったのです。

 例えば暴力を背景に金銭を要求されるような事件が起きたとしましょう。そしてそれを裁判で訴え、それに勝ったとしましょう。

 ではその後、暴力で金銭を要求した側はおとなしく反省してくれるでしょうか?

 いいえ。恐らく報復してきます。当然です。

 何故ならば裁判になる前の段階で、既に暴力に抗う術を持たない事が分かっているからです。そうなったら、今度は金銭どころで話は終わりません。命を奪われる事態も想定しなければなりません。

 しかし、どう逆立ちしても武装がないという現実は覆りません。更に言えば、凶器で襲ってきたような相手でさえ、反撃で殺してしまったなら過剰防衛という判決が下され、自分が犯罪者として扱われる事だってあるのです。

 相手の事を「武器も持たない非力な存在となめてかかってきてたまたまそこにあった石で殴られて怪我をこさえるようなマヌケ」を相手にしてさえ「過剰防衛」という事で自分が悪人として扱われる。そういう制約の中にあってさえ、自分の身を守る為の武器の用意すら許さない国でした。

 その国は外国からみれば、殺人事件の少ない温厚な人々が暮らす国、という印象をもたれていたようですが、実際には「争い事をなるべく避けて、長い物にまかれて、謝ってへりくだって、事件なぞ起こらないようにつとめるという国民性」が出来上がっていただけなのです。

 試しに、シャドウの故郷の、適当な小売店に入ってみればその意味が分かるでしょう。

 理不尽なクレーマーが理不尽なクレームを店員につきつけても、店員は低頭姿勢で謝るしかなく、営業妨害で訴える事すらしません。それをしたら、勤務終わりの帰り道で報復されるかもしれないからです。クレーマーにもそれが分かっているから、一層強気になります。悪党はやりたい放題の国なのです。

 そうした背景から、人々は防犯については武装勢力である警察を頼る事になります。と、いうよりも、警察に犯罪対応の全てを委ねる以外に選択肢が無いのです。

 したがって、国民の多くが警察を「実際には税金泥棒だ」と思ってはいても、強く反発して抗議して正しい公権力のありかたを求めるというような事をしません。

 それをしてしまったら、自分の身を守ってくれるアテが無くなってしまうかもしれないからです。

 ですが、市民のそれらの耐える姿勢というものが、更なる警察組織の増長を招いている為、悪循環によってますます警察は「国民の安全を守る」という当たり前の仕事すらやらなくなっていくのです。

 そして、当たり前の仕事すらやらない警察を、国民は前述した理由によって批判したりしません。それがまた悪循環になり、ついには悪を生み育む温床となるのです。

 ある時、シャドウは通りがかりに道端で倒れている女性を見つけて抱き起しました。

 既にこと切れており、亡骸にはほのかに体温が残っており、シャドウにとっては初めての、人の死体に触れる機会でありました。後で分かった事でしたが、死因は失血性ショック死。喉を刃物で裂かれ、それゆえに声を上げる事も出来ずに苦しんで亡くなったようです。

 女性は、シャドウにとって見覚えはあるものの「近所に住んでいる人」という以外に印象を持っていない人でしたが、もっと早く自分が通りかかっていれば助けられたかもしれないという後悔を抱きました。

 その後シャドウは独自に女性の死にまつわる背景を調べ始めました。

 女性の友人や親族から聞いた話では、女性はストーカー被害にあっており、警察に届け出もしていたそうですが、警察は何の対策も講じてはくれなかったそうです。

 女性は仕事からの帰り道をときどき男につけられていたそうでした。

 しかし警察はこれを当初「ただの偶然で、たまたま男と移動方向が同じになっただけではないか」と疑うように言ったそうです。

 しかし、それが次第に、帰り道の途中で待ち伏せをされるようになったのだとか。

 女性は男の気配を感じた日は遠回りして男を振り切って帰らねばならない不便と恐怖とを抱えたまま生活せねばならず、非常にまいっていたそうです。

 それでも警察は「ストーカー被害については相手が好意を持っている事を証明できないとストーカー被害として対応できない」と言いました。男につけられているだとか、待ち伏せされている、という件については「それを証明できますか」と言われ、女性は「そんな事できる訳ない。どうすればいいというの」と抗議しましたが「例えば、尾行されている様子を携帯端末で動画撮影するというのはどうでしょう」などと言われ、そんな事をして、撮影に気づいた男に逆上されて襲われでもしたら大変だと、想像するだけで血の気が引く思いだったと周囲に話していたそうです。

 挙句の果てには「家を出る時や帰る時だけ、変装して誰だか分からなくしてみるのはどうでしょう」と言われたそうです。

 女性はこれを最初「警察なりの冗談なのかな? いやいや冗談だとしてもそれ今言うタイミングじゃないよね絶対おかしいよね」と思ったのですが。机を挟んで正面に座る警察官の表情を見て「違う。これ本気だ。こいつ本気で変装して往き帰りすれば解決すると思ってる。だって目がキラキラしてるもの。今、自分、凄いナイスアイデア出したー、って表情でこっち見てるもの」という体験談はSNSの履歴にもしっかり残っており、警察組織の腐敗ぶりを考察する材料になりました。

 結局最後には「パトロールを増やしてみますね」と言われ、それで帰されたそうです。

 しかしながら、実際にパトロールを増やしたかどうかなぞ市民には分かりません。

 やってもやらなくても市民には判断のしようのない事を警察がやるはずもなく、具体的な事なぞ何もやらなくても警察官は給料を貰えるのです。それに対する憤りは、それはもう、大きなものだったとシャドウは聞かされました。

 そしてついに女性はストーカー男よって殺害され、それをシャドウが発見するに至ったのであります。

 殺人事件がおきてからの警察の行動は非常に早く、犯人逮捕まで多くの日数はかかりませんでした。殺人や傷害に対してだけは素早く行動する組織なのです。シャドウは一瞬だけそう思いました。

「……いや、違うな。殺人や傷害に対して早いんじゃない。誰かが怪我するとか死ぬとかしないと動かない奴らなんだ。しかも動く動機ってのが、正義感や愛じゃない。事件を未然に防げば『事件はおこらない』が、事件の犯人を逮捕すればそれは警察の手柄だ。『非常に分かりやすく、自分達の手柄として強烈な印象を与えられる』事件に対してのみ積極的。国民に自衛手段を与えないのに、殺人や傷害に発展するまで人の訴えを放置する。これが、俺が今まで全幅の信頼をよせていた国のありかたか!」

 シャドウは、この事件に遭遇するまでは、警察というものは国家の安全に必要不可欠なものであり、命をかけて凶悪犯に挑まなければならない事もある非常に尊い仕事だという認識でしたが、その価値観は180度変わりました。

 それからも警察組織の腐敗や、ひいては国家の腐敗について熱心に勉強するようになり、ついには是正を訴える組織を作り上げます。

 その組織は小規模なものでしたが、シャドウを始めとした非常に戦闘能力の高いメンバーで構成されており、国から危険分子と判断され、テロリストとして扱われるようになります。武器の用意が困難である為、シャドウたちは武装勢力に対抗する為に肉体を鍛え、武術を習得して自衛しました。そのメンバーも最後には全員が殺害されましたが、まさに一騎当千の精鋭ぞろいでした。

 そしてついに、国会議事堂前で起きた全面衝突によって、シャドウはミセスクインや唯一必死祈願と出会う事になるのです。

 あの頃、シャドウはまだ仮面をつけていませんでした。ワイシャツに長ズボンというシンプルながら清潔感を意識した装いは、激しい戦闘でボロボロになっており、自身の流血と返り血とで著しく汚れ、汗と泥と埃で汚れた髪が額に張り付いて気持ち悪かったのをよく覚えています。

 市民に紛れて潜伏してからの一斉蜂起は失敗し、仲間も全員殺されて絶体絶命の窮地に陥ったシャドウを救ったのが、まだ少女であった頃のミセスクインです。

 突然戦場に表れた少女を、シャドウは最初、自分の手で救わなければと思いましたが、怪我で体を思うように動かせませんでした。そのシャドウを抱き起し、彼女は声をかけてきました。

「大丈夫ですか」

 それはとても簡単でありながら、慈愛に満ちた声でした。

 この少女は殺伐としたこの現場においてなお他者を心配する事の出来る、素晴らしい感性を持っているのだと思えました。

 周りを見ればがれきの山。がれきの向こうからは煙が立ち上り、爆発音も聞こえてきます。振動が激しく空気を震わせ、肌を通して恐怖感が想起される。逃げ遅れた人々はその多くが立ち往生し、うずくまって何かを喚く者や、泣き出して誰かを呪う言葉を発する者などが見えましたが「誰もかれもが他者に助けをこうばかり」シャドウは悲しい気持ちになりました。

 誰かを助けられる人間になりたい。

 それはその国の男児としては至極普通でありきたりな願望でしたが、実践できている者は殆どいませんでした。

 自分だけは違うと信じて体を鍛え、勉学に励み、そうして努力を続けていれば英雄願望通りの英雄になれると思っていましたが、いよいよ人生の終焉を迎えようかというこの局面においてさえ、自分は少女に心配されるような不足した人間だと痛感し、情けない気持ちになって、それが悲しみに拍車をかけました。

 シャドウは思いました。自分は曲がりなりにも政府から「反抗組織」だの「テロリスト」だのと言われるような集団の首長を務めており、これまで懸命な努力をしてきた自負がある。その最大の目的は、国民に国の在り方を見つめなおしてもらい、その活動を通して、人々の心に正義や優しさといった気持ちを持ってもらい、より良い世の中を目指すというものでしたが、事ここに至ってなお、その理想の実現には遠く、自分は役者が不足している。と。

 なんて自分は足りてない人間なのだ。と、思った時でした。

「あなたは勇気がある」

 少女はそう言ったのです。

 シャドウは「何故急にそんな事を言うのだろう」と思い混乱しましたが。何か返事をしなければなと、すぐに思い直し、混乱を脱して言いました。

「そうかもな。だが、それでは足りなかったんだよ。残念な話だ」

 少女の言葉を聞いてからしばらく思案した後、シャドウは次のように切り出しました。

「是非を問うた」

 シャドウはぽつりぽつりと語りだしました。のちに振り返ってみれば、出会ったばかりの少女に何を語っているんだと思い、恥ずかしい気持ちを抱く事になるのですが、彼女にはそういった「謎の包容力のようなもの」があり、つい語ってしまったのです。

 シャドウは子供の頃から正義感が人一倍強く、いじめやゴミのポイ捨てなどを見かけては注意をし、時にはそれが原因でいさかいとなる事もありました。

 勿論、正しいのはシャドウですから、事が収まる時にはシャドウの正当性ははっきりと証明され、相手からも謝罪の言葉を貰えるのですが、大人達は皆「もうこういう事はしないほうがいいぞ」と言うのです。そして殆どの場合で、謝罪してきた筈の人から、いやがらせを受けました。

 弱者を守る。ルールを守る。道義に反する者を諫める。それらは社会性を持った生物である人間にとって最も大切な事である筈でしたが、それに注力すればするほど、シャドウは周囲から孤立していきました。社会にとって大切な事を守ろうとする程にシャドウ自身は社会から切り離されていく思いでした。

 子供の頃から抱いていた違和感。

 自身と周囲との齟齬。実現せぬ理想とまかり通る悪徳。そして抱く怒り。

 もしも自分に生きる意義があるとしたら、正義を貫く事だと思った。それが出来ないなら自分は、これまで憎んできた者達と何も変わらない。

 成年となる頃にはそういった事をぐるぐると考えるようになり、ついには不正が横行する社会に対し声をあげ、声をより強くあげる為の組織を立ち上げ、正に、鬱屈した人生の晴れ間、今が最高潮の時なのだと、そう思っていた直近からの、今の転落。

 シャドウの心には諦めのようなものが到来していました。

「……そう、俺は、世界を相手に喧嘩をしていたのさ。勝てる訳がない」

 はは、と自嘲するようにシャドウは笑いました。

 その時です。

「願い」と少女が呟きました。

 何の事だ? とシャドウが思うか思わないかという思考の隙間に、少女の言葉は、あらかじめ用意されていたセリフを言うような滑らかさで紡がれます。

「貴方には世界と戦ってまで叶えたかった願いがある。そうですね」

 ここで一呼吸。そうですね、と言っておきながら少女はシャドウの返事を待たずに言い続けます。

「ならば、世界の全部を敵にするのなら、貴方の願いは貴方以外に叶えられない! 何故なら、世界の全部が貴方の願いの敵だから! 世界の全部と戦う男が、甘えた事を言うな!」

 なんという乱暴な言葉でしょう。だがしかし、この言葉がシャドウの心に火をともしました。

 事実を受け止めなくてはならない。シャドウは無意識でそう理解しました。

 仲間は皆、殺された。そして自分の不足は知ったが「自分の正義が間違っていたとまでは思わない」し、「正しい事はやらなきゃならない」のがシャドウという人物の行動理念です。「間違っている事をやるのは悪人だから」です。シャドウは、たとえここで死ぬ事になろうとも「悪人として死ぬ事には我慢がならない」し、「これまで自分を支えてくれた人達のためにも、そんな死に方はできない」のです。

 もはや最後の一人となった自分だが、戦う事を諦める訳にはいかない。と、筋肉凄まじき男、シャドウは奮起しました。

 少女はまだ何かを語りかけていましたが、シャドウはこの時号泣しており、殆どその声は届いていませんでした。

 やがて、少女は静かにシャドウを抱いていた体を離します。

 まるですぐにでも居なくなりそうな雰囲気を感じ取って、シャドウは声をかけました。

「待て。君は何者だ?」

「私は何者か」と、これまた、まるで台本があったかのように少女は語ります。

「私はいつか王になる。古今東西の英雄達にもできなんだ、世界制覇を成す者。尽く悪を駆逐し焼き払い、世界に安寧をもたらします。そしてきっと、私はそれ故に死ぬ。この世界で益を得て生きる全員を敵にまわし、踏みにじられてきた人を救う。徹底した不公平と不平等さで、私は『魔女の王』と呼ばれる事でしょう」


 そこまでを回想し、シャドウは現実に、今対峙している敵への意識を新たにしました。

「俺には願いがあった」

 相手は答えません。どこか呆けているような、猛烈に何かを反省している最中のような、そんな顔をしています。

「世の中に、ちゃんと正義に目を向けて欲しかった」

 シャドウは拳を握り、上げ、構えます。

「その為の呼びかけはやった。その結果として多くの仲間を集めた。だが逆に言えば『そうして集まった数だけが俺の願いの支持者』だという厳しい現実とも向かい合う結果だった。何百人もいなかったよ。世界人口と戦うには全く足りてない。一から教育して理解してもらうには、今度は時間が足りない。費用が足りない。悠長な事をやっている間に、仲間は逮捕され殺される。そうして焦って、過激な選択肢を選ぶしかなくなって、行動に移したら皆殺しの目にあった。……彼女がいなければ、世界の全部は俺の敵となり、……いや『俺は世界の全部を敵と認識して殺し尽くそうとしたかもしれない』のだ。彼女がああ言ってくれたから、俺を叱ってくれたから、冷静になれた」

 腕から、壊れた手甲が自然とはがれて落ちましたが、目もくれず、シャドウは自分に向けて構えられたままの銃口を見据えて言いました。

「なあ、あんたら。武器も持たない人間に、武器を伴って話をするのはどんな気分だ?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] シャドウというキャラクターが熱く、それでいて切ない良いキャラクターに仕上がっている。わかる人にはわかる、親近感湧くキャラクター。 [一言] あまり小説は読んだ事がなかったのだが、読みやすい…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ