公開エピソード02「戦技教導官。馬頭有菜」
馬頭有菜という人物について少し説明いたしましょう。
彼女は名前に漢字を用いている事から分かるように東洋の生まれです。幼少の頃からいくつもの国を転々とし、正式な軍事訓練を受けたのは24の頃でしたが、15の頃にはゲリラとして戦闘に参加するくらいの能力はあった。というか、していました。現在35歳の働き盛りでございます。
髪色は鮮やかな青。顔面に、額から斜めに走る傷を持ち、切れ長の眼と厚い唇と泣きボクロがチャームポイント。身長はやや低く、豊満です。
性格は極めて合理的で豪快。料理やら映画やらボディビルやらと多様な趣味を持っていますが、無理して上を目指そうという気はなく、あくまで、楽しむ事が第一です。
経歴だけで一冊の本が書けそうな激動の人生を送っていた彼女ですが、20の頃には専門学校に通いつつ、アルバイトで生計を立てていた平穏な時期もありました。
その頃、彼女がいた国では悪しき政党が悪しき人物を首相として盛り立て、次々と悪しき法律やら何やらが作られていきました。
その中に「暗歩砲」や「秘密砲」というものがあります。
秘密砲とは、軍事的な情報に関する調査を行う者を迎撃する事を目的とした防御手段としての運用を前提としており、暗歩砲とは、まあ平たく言えば、外国と一緒になって戦争をする事を想定した悪しき兵器です。これらを運用する為に、新しい法律も作られました。
前提として知っておいて欲しいのは「その国が、憲法によって、侵略と国際戦争を禁じている」という事です。暗歩砲の存在は明らかな違憲であるとして、国中から多くの学者が集って反対した事もありましたが「国家最大の頭脳の集まりの言葉でさえ通用せず」暗歩砲は完成しました。
当然の事ながら、外国の都合で行われる外国の戦争に参加する事で国民の生活が向上する事はありません。
新法によって可能となった戦力の派遣についても、この国では少子高齢化が著しく、自国の防備を保ったままの運用には疑問が残ります。まるで、そう、この国の人間を弾丸か何かに置き換えて輸出して儲けようとでも考えられているのかなと馬頭が勘ぐってしまうような不気味な状態でした。
そのようなニュースを出がけに見てしまったので、馬頭は仕事中の雑談で、ついその話題をふってしまいました。
「この新法で国民の生活が向上する事なぞないし、国民が幸せになるという事もないだろう。他国に回す人員分だけ国防は弱くなるし、少子化によって労働力は減っていくから、将来的にも戦力は減っていく一方だし、無理やりにでも戦力を補充するなら、今度は国内を潤す為の労働力が無くなる。すなわち、これらの問題を解決するには少子化を解決する必要があるがその目途はたっておらず、最終的には外国人を雇用して空いた穴を埋めるしかないのだが『それをした事で肝心の国民に仕事が回らなくなった』事は既に歴史が証明しているのだし、それら国力の問題を解決できたとしても『違憲である』事は変わらないのだが、このアホみたいな法律は可決された」
その馬頭の言葉に対向してきた男がいました。
名は、そう、仮にフェニックスとしましょう。彼の好きな鳥らしいです。
フェニックスが言うには「そんな事言ったって、もし戦争になったら助けてくれる友好国は欲しいのだし、そんな時の為に仲良くしておいたほうがいい国もありますよ。その為の法律なんじゃないですか?」
と言うのです。馬頭は呆れました。これがこの国の最近の平均とは思いたくないな、とも。
「憲法で戦争を禁じているってえ前提をいきなり無視したのはまあ置いといて、戦争になった時の為に仲良くしたほうがいい国だあ? バカも休み休み言いやがれ」
「なんですか。なにが間違ってるんですか」
「仮に、友好国の戦争に参加して、この国の人間が外国人を殺したとしよう。その外国にとってこの国は戦争に無関係な国か? 違うな。明らかな脅威として認識され、排除すべき国となる。その外国はその友好国の戦争に参加しなきゃ鉛玉打ち合う間柄にはならなかった国だ。友好国の戦争にわざわざ参加したりしなきゃ、いらん恨みを買う事もなかった国だ。戦争になった時の為に友好国と仲良くなっときたいのが目的なんだったら、それによって戦争に巻き込まれているのは因果が逆転してるだろうが」
「そんな事言ったって、その外国がいつまでも攻撃をしてこない保証なんかないじゃないですか」
「そりゃそうだよ。隣の家のおじさんが急にとちくるって放火して回らねえ保証なんかあるわけねえだろ。何か? 隣の人が信用できねえからおとなしいうちに皆で囲ってボコろうぜ、てな話に乗っかるのが最近の流行りなのか? そして? まだ何もしてないおじさんがボコられた事に抗議してきたら、いつ放火して回るか分からないおじさんがいて不安だったんです、てな言い訳でもするのか? お前さんの家族は大変だな」
「現に、この国のすぐ北の国はいつミサイルを撃ってくるかわからないんですよ!」
「そもそも撃ってくる意味がねえし、今のままならこの国はミサイル撃つ意味のねえ国のままだが、戦争に参加したら間違いなくミサイル撃たれる国になるって話をしてるんだろうが」
「あそこの首相は頭がおかしい。いつ怒りにまかせて撃ってくるかわからないんですよ」
「基本的には同意見だが、住んでもいない国の首相を悪し様に語って攻撃しようというのは感心せんな。頭のおかしさならこの国も負けてねえしよ」
「大体、ミサイル撃つ意味が無いってどういう事です」
「戦争を禁じているって前提を忘れんなよ。どうあったって、この国からの先制攻撃は無いんだ。それをしたらこの国は内外敵だらけになる。ついでに、この国にはめぼしい資源もない。国土も小さい。だから侵略する意味が無い。友好的な貿易関係を築く事こそが国益であると誰もが理解できる。仮に、お前さんが懸念している通りに怒りにまかせてミサイル撃ってくる国益を全く意識しない首相なんだったら、友好国の戦争に参加なんかしたら最初にここにぶち込んでくるぞ。怒りにまかせるって事は話し合いの余地も打算も無いって事だからな。どんな角度から見ても戦争は避けられん」
馬頭の最後の言葉にフェニックスはしてやったり、という顔をしました。
「ほーら、戦争は避けられないじゃないですか。やっぱり戦争の準備はしておいたほうがいいんですよ」
「…なに言ってんだお前」
馬頭はこれまでで一番呆れた顔をして返しました。
「え?」
「北の挑戦意識高い国の首相が頭おかしい、って場合の話で、他国の戦争にこの国が参加した場合の話だろうが。今のは。相手の頭がおかしいんなら、そりゃ何してくるかわからんが、頭がまともならこの国に戦争仕掛ける意味がねえってわかるだろうさ。お前さんは何がどうあってもあの国の首相を頭おかしい事にしたいらしいな」
「他国がやめろやめろ、って言ってるのに核実験を敢行するような国ですよ。今こそ世界平和の為に団結しなきゃいけない時代なのにおかしいでしょう!」
「どこの国だって防衛の為に核弾頭くらい持ってるし、今更核武装なんざ遅いくらいだよ。更に言わせてもらうが『世界で唯一、核爆弾を戦争で落とした実績のある国が』いまだに核武装を解いてないし、解く予定もないようだが、そのへん踏まえて、防衛固めようって意識持った国が核武装するのがおかしいって言い始める根拠を聞かせてもらえるか?」
フェニックスはすぐには反論できませんでした。しかし、これは馬頭の意見を正しいものと認めているからではなく、むしろ「馬頭のように頭がおかしい馬鹿な女は何を言っても意見を改めないだろうから、どうしたら世界平和の為の正しい考え方を教え、悔い改めさせられるだろうか」という思考をしている故だと馬頭は感づいていました。
やがてフェニックスは得意満面で語りだします。
「いいですか馬頭さん。この国は以前、戦争で負けて以来、あの最強の米の国には逆らえないんですよ」
「ふむん? ふむ…それで?」
「首相ともなれば、家族やなにやらの暗殺を警戒しなくちゃなりませんよね? ぶっちゃけ、暗歩砲を作って戦争に貢献しないと殺されるって、そんな脅しみたいなものがあったのかもしれないじゃないですか」
なるほど。倫理や学問によらず感情に訴えていこうという作戦のようです。フェニックスも馬鹿なりに考えています。しかし馬頭は容赦しませんでした。
「そりゃつまり『国民との約束事である憲法』より、それを破った事により国民にふりかかる危険より、自分や家族を優先するっていう『国家元首にあるまじき幼稚な精神性』が発端だから許してやれって事か? 優しいんだなー。お前さんは」
この後も、フェニックスと馬頭のやりとりは続きましたが、結局この日はお互いに満足のいく決着はつかず。嫌な気持ちを抱えたまま帰る事になりました。馬頭は反省しました。やはり基礎的な所が抜けている人間と政治とか軍事とかの話をしちゃあいかんな、と。核爆弾は確かに恐ろしい兵器だが、我々が反対すべきは戦争であって兵器の所有ではない。そもそも他国がどのような兵器を所有しようと外国人である自分達には意見する道理がない。昨今、散見される核兵器廃絶運動の殆どは、できもしない事を、さもできるかのように錯覚させて議論を迷走させる政府の仕込みだと、言われてすら理解できないようでは話にならないと思いました。
これが、馬頭有菜という人物です。
この後、数か月後に馬頭はこのバイトを辞めるのですが、まさかフェニックスとの付き合いがその後まで続く事になろうとは、この時は思ってもいませんでした。そのお話はまた後で。
そして現在。馬頭は戦技教導官という仕事についていました。
誤解されがちですが、彼女は特別に戦争を嫌っているというわけではありません。
国防の重要性を誰よりも思うからこそ、無闇やたらといった戦闘をするべきではないし、煽るべきではないと思っているのです。だからこそ、常在戦力は大切だと思いこの仕事につきました。相手が戦争なぞやろうとは決して思わないように、国防能力の高さを見せつけるのは非常に重要なのです。
「どうした野郎ども! もっと弾をばらまけ! 一撃で標的を殺そうなんて夢を見るな! 空間にどっさり弾を置いて、敵が居られない場所を増やせ。それを狭めていけばいつかは殺せる。確実に殺せる。確実に殺せえ!!」
地下屋内演習場に馬頭の声が響きます。
「いや、今あなたが行っているのは制圧の訓練じゃなくて新武装の運用実験なんですが」
馬頭の隣に立って演習の風景を見ていた上司が言いました。
「実戦を想定してこそ道具の使い方にもリアリティが出る。早い段階で欠点や応用の発見を同時にこなすにはこっちのがいい。俺様流ですがね」
「はあ、そうですか」
馬頭は、上司とそんな会話を交わしながら熱心に仕事に打ち込んでいました。
軽口を吐きながらも馬頭の眼は真剣です。テスターの挙動をつぶさに観察します。
テスターの構えた武器は銃のような形状をしていました。
筒になっている部分を向けて狙いをつけ、引き金を引くと「光る塊」が飛び出します。塊は一瞬で50メートル程を飛び、的に接触すると「爆発」しました。
一見してそれは小型の爆弾を飛ばす銃、のような印象を受けます。
しかし、もちろんこれはそのような前時代的な物ではありません。
馬頭は素直な感想を述べました。
「まさにビームライフルだ」
「いやエーテル武装ですよ。いい加減名前を憶えてよね」
そう、これはエーテル武装。従来の銃との最大の違いは、火薬の爆発で鉛玉を撃ちだすのではなく、エネルギーの塊を、そのエネルギーの推進でもって打ち出す点。
しかしレーザーガン等とは異なる兵器です。
レーザーガンはバッテリーを小型化する技術や、煙幕による威力の減衰など、兵器として運用するには多くの課題を残しますが、このエーテル武装にはそれがありません。
そもそもエーテルとは、この宇宙のいたる所にあるとされた物質ですが、その存在は確認できず、架空の物質とされてきました。多くのファンタジー系のゲーム等に登場する事で認知度は高いので、この言葉を知らないという若者はあまりいないでしょう。
それゆえ馬頭も、この運用実験を命じられた最初には「なんて?」と素で発言してしまった程です。
宇宙中にあるとされる物質を使うのですから当然エネルギー切れの心配はありません。その上、発砲音も無いのです。
つまり音から狙撃場所を知られる事はありません。
銃弾を持ち運ぶ必要も無いので装備を大幅に軽量化できます。
重力に従い、風の影響も若干受ける点が実弾と似ている為に取り回しの基礎的な部分はこれまでの経験を活かせそうです。
何より、このエーテル武装の装置を大型化すれば世界中のエネルギー問題を解決できるかもしれません。
馬頭はそんな誇り高い仕事に従事しているのです。
「しかし」
馬頭は当初からの疑問を払拭できないでいました。
「そもそもこういった装置ってのは、大きいのを先ず作って、それから小型化、ってのが普通だと思うんだが『なんで逆』なんだ? しかもろくなトリセツもないまま手探りで扱わせるようなやり方をさせられてるのも解せん。まあ形状からだいたいの使い方は解ったんだが」
馬頭の疑問ももっともでした。この任務は最初から不可解な事が多かったのです。いきなりエーテル武装の現物を渡されて、説明も口頭のみ、何より不可解なのは「それを技術提供者からの指名で」馬頭に任せているという点でした。
「俺様も、そんな長い事この仕事している訳じゃないが、そんな事ってあるのかね」
馬頭のこの疑問は、この日のうちに解消される事になります。実は馬頭の隣にいるこの上司。いつも仕事は部下に任せっきりで、成果を自分のもののように見せかける事に長けている故に怠慢癖がついた事で有名な人物なのですが、この日に限って馬頭と一緒に現場を見ている事と関係があります。
「そうそう馬頭君、この後ね、君にお客様がみえているんだよ」
「はあ、俺様に?」
「うん。あれの技術提供者さんがね」
「名前も知らされなかった技術提供者さんについに会えるんですかい!」
そして、この日こそが、特殊な仕事に従事していながらも、まだ、普通の人間が認識している常識の範疇で生きていられた最後の日となったのです。
その日の実験工程が終わってすぐの事。
いよいよ技術提供者との面会です。それは演習場と同じ敷地内にある応接室で行われました。部屋に入ってきた一行を見るや馬頭は「嘘だろ」ともらしてしまいました。あまりにも個性的な集団だったからです。
人数は四人。ノックに馬頭が答えてから、やや遅れて「失礼いたします」と言って、軽く会釈をしつつ一人ずつ入ってきました。
四人組の先頭を行くのは緑髪の女性。仮面をつけているので表情は読めません。が、歩く姿から物腰の柔らかさが伝わってきます。
続いては長身の赤髪の女性。何が楽しいのかニコニコしている。応接室という事で、それなりに高価な調度品も置いてあるが、それが珍しいのかしきりに視線を動かしています。
それをやんわりたしなめつつ入ってきたのは金髪をドリルツインテールにした幼女。だが落ち着いた雰囲気は幼女のそれではない。世の中には実際年齢の割に若く見える人がいるが、彼女もそうなのだろうか。
しんがりを務めるのは銀髪。いや白髪だろうか。鴉を模した仮面をつけている。それ以外に身に着ける物はふんどしのみ。靴すら履いておらず、力強い筋肉をこれでもかと誇示しています。
「いや待てい」
「む、何か入室の作法が間違っていたかな?」
「ああ、一応作法とか気にするんだな。感心だぜ。いやいやいやいやそうじゃない。作法とか以前にその露出度はやばいだろ。逮捕までいくかは分からんが職務質問はされるだろうレベルの格好でよくもまあこんな所までこれたな」
このやりとりを手で制しつつ、緑髪の女性が言いました。
「これは申し訳ありません。なにぶん、この国の文化に疎いものでして。私共の気づかない失礼があったのかもしれませんね。お詫びいたします」
と、そういって頭を下げました。
馬頭は困ってしまいました。いきなり客人が頭を下げてくるというのはこれまでに経験がなかったからです。しどろもどろになりつつも、何とかして頭をあげてもらい、椅子に座ってもらい、ひとまず落ち着きを得ます。
「そうですか。それでは、お言葉に甘えまして」
馬頭は先行きに不安を感じました。もしや、面会の時間か場所を間違えたのか、と思考を巡らせましたが、どうもそうではないようです。
面会に上司は立ち会わないらしく馬頭一人きり。発言からどうやら異国の方らしいところまでは理解できたが、さてどんな話になるのやら、と考えました。
ソファは三人掛けの物が二つ用意されており、挟まれるようにテーブルが一つ。
馬頭が座ったソファの対面に緑髪の女性が座り、左右に女性陣が座り、筋肉凄まじき男は緑髪の女性の背後に立ちました。
(彼は護衛のような立場なのか?……護衛とは?)
馬頭の眼には彼こそが不審人物に移るのですが、それで人を守る職につけるのかと疑問しました。しかし見た目のインパクトが強烈過ぎてつい勘ぐってしまいますが、馬頭はこの集団についてまだ何も知りません。憶測に憶測を重ねていても埒があきません。異文化交流の決め手は「まず相手の話を聞くところから」という基本に立ち返ろうと、馬頭は気持ちを切り替えました。
そこで緑髪の女性が言いました。
「さて馬頭さん。早速ですが自己紹介をしませんか」
「ああ、いいですね。そういえばまだ名前を教えてもらっていませんな」
緑髪の女性、次いで赤髪、金髪、筋肉の順に紹介する事になりました。
「では先ず私から。ミセスクインと申します。偽名ですが」
「偽名ですがって自己紹介する人初めて見た!?」
馬頭はおもわずつっこんでいました。
「ルルだよう♪……ふぇ、それじゃだめ? んーと、ルルルカーマインです。よろしくおねがいします」
「え、何で今『頭の中に直接響く声と会話してる風な』仕草した?」
ルルちゃんの目線は自身の頭の上。よく見ると相槌もうっていました。
「位階序列第三位、唯一必死祈願である!!」
「単語の一個一個の意味は解るのに、組み合わさると意味がわかんねえ名詞きたあ!?」
金髪の幼女は誇らしげに胸をそらします。
「筋肉自慢の忍者戦士、シャドウだ。宜しく頼むぜえ!」
「忍べよ!」
「流石は戦技教導官。ツッコミもまた模範的なのですね」
「いや、戦技教導官は関係ないな。完全に素だわ」
ふざけているのか? と馬頭は感じました。自分はふざけの相手をさせられる為に呼びつけられたのかと思うと、怒りがわいてきます。
「ご安心下さい。我々は決してふざけている訳ではありません。名乗りが少々個性的になるのも、我々が特殊な状況に身を置く故でございます」
「特殊だって?」
「ええ、我々の事を説明する前に、これを見ていただけますか」
ミセスクインがそう言うと、シャドウがどこからともなくテレビを持ち出し、テーブルの上に置きました。国会中継が映っています。
「これが何か?」
「ここに映っているこの国の首相、ゲドウ大臣ですが、どのような姿ですか?」
「はあ? どうって、いつも通りですがね」
「いつも通りとは?」
馬頭は何だか嫌な予感がしました。この回答の仕方次第で、今後の自分の進退が決まってしまうかのようなプレッシャーを感じたのです。
そのような圧を感じてしまうのも、馬頭には、以前に嫌な体験をした過去があるからです。
あれはまだ、馬頭が専門学校に通っていた頃でした。生まれて初めてのアルバイトや何やらに浮足立っていたのを覚えています。
どうしてそういう話題になったのかは忘れてしまいましたが、友人と話していた時にふっと「そういえばゲドウ大臣だけどよ、あれ、何でいつも刀を持ってるんだろうな。ファッションのつもりかよ、って、な、そう思うだろ」と言ってしまったのです。
「え。何言ってるの? 大臣は刀なんか持ってないよ」
いや持ってるだろ、持ってないよと言い合いになり、馬頭は家に帰って調べました。ネット画像や新聞等で確認しました。そして翌日に学校で話すと、頭がおかしい女だと言われるようになったのです。
さて読者の皆様におかれましては何故急に大臣が刀を持っているかいないかの話題になっているのかと首をひねる方もいらっしゃるでしょう。この後、意味が解ります。もう少しお付き合い下さいませ。
馬頭はためらいました。ここで正直に言うべきかどうか。また頭がおかしい女と言われるのは嫌だなと思いました。
その時です。シャドウの姿が目に入りました。「あれ、もしかして頭おかしいって言われても今回はそれで正解なのかもしれん」と思い、素直に口にする事にしました。
「そうだな。大臣は、いつも通りいやらしい笑い方をしている。他人を侮っている顔だ。誰がどんな怒りを抱いたとしても、どうせ何もできやしないさ、とタカをくくっている、そんな顔だ」
「ふむ。それだけではないでしょう。続けて下さい」
「いつも思うんだがこいつのスーツ選びはテキトーが過ぎるな。こいつがやってる事は何もかもが強行で弱い者虐めなんだから服もあわせていかつく見せりゃあいいのに色合いだけ周囲と比べて柔らかい。自尊心が強いのに服がこれなんだから、周囲からどう見られてるかの意識は無いんだろうな。あるいは、どう思われているかが分かっているから、印象を良くする努力はしていますよ、っていうポーズなのかもしれん」
「なかなかに手厳しいですね。それで?」
「…何故いつも刀をぶらさげてるのか意味が分からん」
一瞬だけ場の空気が張り詰めました。
誰も言葉を発していませんし身動きもしていないにも関わらず、いえ、していないからでしょうか、馬頭以外の全員からびりびりとした緊張感が発せられているようでした。
馬頭が以前にこの事を人に喋った時は、先ず呆気にとられたような反応があり、続けて笑われました。
馬頭は今回もそうなるような気がしていたのですが、予想と違う反応です。
何だ、こいつらは何故こんな事を俺様に聞く? 全員が息を呑んだ? おいおいおいおいちょっと待て。それはおかしいだろう? 聞かれた事に答えて何でそうなる。予想と違った答えだった? いや、これは予想していたからこその反応だ。予想が当たったから息を呑んだ。そんな反応だ。そもそも質問してきているのは何を前提にしている? 何故ゲドウ大臣の姿について質問してきた? ああそうだ。そんなものは見れば分かる事だ。目に見えてる物なんだから、誰にとっても見れば分かる事だ。当たり前の事だ。俺様が当たり前じゃない返事をする可能性を考慮しなければわざわざそんな質問はしてこない。大臣のファッションセンスを論評したいわけでもないだろう。「クソほど意味が無い」からな。もしそうならもっと違う質問の仕方をしてくる筈だ。どのような姿か、と聞いてきた。姿。そうだな。服装や髪形について尋ねる言い方じゃない。スーツ姿、という言い回しはあるが、それならどんな格好か、と聞いてくるのが自然だ。体格や色の質問でもない。いやまて。…もしかしたら俺様は物凄い思い違いをしているのかもしれない。姿。見え方? どのように見えているかが、人によっては違う可能性がある前提だと? こいつら!? 何だ? 何なんだこいつらは!? と、馬頭は緊張の中で思考しました。
かくしてミセスクインが口を開きました。
「さすがで御座います馬頭さん」
「……さすが?」
「ええ、さすがで御座います。私は、我々はその答えが聞きたかった」
「あの刀が、なんだってんだ」
「あれこそは、この国の人々を苦しめる災いの根幹」
「国民を苦しめる根幹だと?」
「あれもエーテル武装なのです。それも、エーテルに対しての親和性が極めて高い者でなければ見る事すら叶いません。」
「……っな!?」今度は馬頭が息を呑みました。
後に詳しく聞いた説明によると、写真に写った像ですら才能のある人間にしか見えないという事で、馬頭は以前からの諸々の疑問が解けたそうです。
「エーテルの利用技術をこの星にもたらした我々にとっても古い物。アーティファクトと呼ばれている物ですが。恐ろしい兵器です。あれこそは……」
ミセスクインは憎々しげに拳を握り、続けて言いました。
「自らの民の命を吸い、威力と成す刀。『自民刀』です」
「自民刀、だと!?」
「この星の言葉に翻訳すると、少々ふざけているような語感かと思われますが、その効果は絶大にして凶悪。放っておけば、遠からずこの国は亡ぶでしょう」
「自民刀。そんなヤバい物を何故大臣が?」
「ええ、これでようやく我々の特殊な状況について説明する準備が整いました」
ミセスクインは居住まいを但し、凛とした声で語ります。
「我々は『ある敵』を追って宇宙を股にかけ旅をしています。その敵の名はガイアァク。至る所に害悪を振り撒き、生けとし生けるものを脅かす存在です。その規模は計り知れず、我々が今追っているゲドウ大臣ですら、敵の首魁という訳ではなく構成員の一人にすぎません。奴の得意とする害悪は……『疲労』です。まともにつきあって戦うと、いつのまにか抗いようのない疲労を蓄積する事になり、戦いの継続そのものが難しくなります。また、奴の持つ権能とは関係なく、奴自身もまた恐ろしい体術を習得しており、『アベ正拳』や『TPP※パンチ』といった各種攻撃手段をもちます。そのどれもが広範囲攻撃。ひとたびやりあえば、多くの人が苦しみ悶えて死ぬ事になります」
ここで馬頭は手を挙げて一度話を遮りました。
「あー、待ってくれ。色々ツッコミたい部分があるんだが確認の質問をしてもいいかな」
馬頭は上げたのとは逆の手で額を抑えつつ言いました。
「もちろんで御座います。私も言葉を間違っている可能性がありますからね。疑問点や違和感が御座いましたらどうぞご遠慮なく」
「え、っと、まず、あんたたちは宇宙人なのか?」
「この星の人達から見ればそうなりますね。まあ、星というか、時空も超えているんですが」
「時空? 過去か、未来からやってきた、と?」
「未来ですね。違う宇宙の、更に未来からやってきました」
「とんでもないテクノロジーだ……」
「ああ、いえ、時空を超えたのは魔法を使いました」
「……ここにきて魔法とか。……どんだけファンタジーを盛るんだよ」
馬頭は頭を抱えました。
「あー、それで、権能とかって単語が聞こえたが、なんだ、文脈から察するに法律上の意味とは違う権能だよな、あれ。神様とかが登場する話に出てくるアレかい?」
「さすがで御座います。もっと俗な言い方をすれば特殊能力、が一番近い概念ですね。ただこの国だと、特殊能力に魔法が含まれる場合があるので、それと分けて話をするのに少々とまどいました」
「あんたたちにとっちゃ、魔法は特殊じゃないのか」
「才能は必要としますが、修練によって身につくものです。ガイアァクのあれは、努力によっては身に付きません。『できるからやれる』という類のものです。神が行使する奇跡に近い。あるいは、鳥が飛ぶ理屈ですね」
「鳥?」
「鳥の翼を大きくした物を人間が身にまとっても飛べないでしょう? 『それで飛べるデザインに生まれたから飛べる』のです。ガイアァクもまた『害悪を振り撒ける。だから振り撒く』のです」
「理屈だとか理由だとかを全部すっとばして結果が先に存在する、か。本当ならかなりやっかいだな。あと、もう一つ」
「はい」
「奴の得意とする、って言葉があるって事は、他にもそういう権能を持った奴がいるって事なのかな?」
「はい。『癒えぬ病の使い手、アレル元帥』や、『傍若武人、ダンカイオー』などが、戦った中ではかなりの強敵で御座いました」
「うわあ。どんな権能なのか名前から想像できるのが凄いな。色々な意味で」
「ふむ。しかし」
「しかし?」
「……信じて頂けるのですね。正直、笑われたり怒られたりする展開も考えていたのですが、こうもすんなり話を受け入れてもらえるとは」
「いや、信じているかどうか、というのとは違うな」
「と言うと?」
「病気になって病院へ行く、医者がこれこれこういう病気だと言って薬を出す、患者は飲む。これらはこの国では当たり前に行われている事だが、医者を疑ったところで患者には正誤を判断する能力がない。薬を飲んで、良くなるか悪くなるかしなければ判断できない。しかも、それで判断できるのは治ったかどうかという事だけだ。医者はもしかしたら誤診していたかもしれないが、出した薬は偶然にも正しかった、というパターンもある。何だったら、薬は全く効果を発揮せずに自力の免疫力で打ち勝った、という事だってありうる。だが、殆どの患者はそれを自分では判断できない」
「ふむ。つまり、我々の話が正しいか否かを判断する情報が足りていないので、ひとまずは話を聞く、と」
「まあ、そうだな。だがそれは、俺様の気持ちの半分だ」
「もう半分は?」
「ではそれを確認しよう。なあ、今映っているゲドウ大臣だが、あの刀、鍔のデザインだがな、どんな形をしている?」
「星型とドクロが重なったシルエットですね。細かい細工は見事ですが悪趣味です」
即答でした。
馬頭は、ぱあんと手を打ってミセスクインを見て言いました。
「確信した。あんたがたには間違いなくあの刀が見えている。俺様はこれまであの刀が見える人間に出会えなかった。聞いている話の大体は突拍子もないものだが、同じものを見ているというのは信頼の一要素だよ。理屈だけ考えると、この場にいる全員の頭がおかしいという可能性もあるが……」
馬頭は一瞬だけシャドウを見ました。
そしてすぐにミセスクインを見ます。
「俺様の気持ちの部分だけは、そう、あんたを信じたい」
「とても嬉しゅう御座います。これからもどうぞよしなに」
そしてエーテル武装の技術を持ち込んだ理由をミセスクインは語りました。
ミセスクインとの面会があったその日の晩。
馬頭は自宅で酒を飲みつつ話の内容を振り返っていました。
用意したのはビールとナッツ類。彼女は特にカシューナッツやアーモンドが好きで、お酒を飲むときには必ず用意します。
話を要約すると「ミセスクインは内戦を起こす為に来た」と馬頭は解釈しました。
(エーテル武装を持つゲドウ大臣を打倒するには同程度の兵装を持つ集団が必要。本来、民主国家としてのやり方としては選挙で負かすか、つきあげを食らわせて辞職に追い込むのが定石だが、それでは今回のケースでは決着にならない。だから小規模内戦を起こして暗殺するしかない)
その通り。ゲドウ大臣が「ただの暴君であれば」大臣職を解任すれば事足ります。しかし、敵はガイアァクという宇宙規模の集団です。
ゲドウ大臣の目的は自民刀に国民の命を吸わせ、その威力でさらに多くの命を一網打尽にする事だとミセスクインは言いました。
(つまり奴が首相の座にいる目的は、あのアーティファクトの起動条件を満たすため、そう、自らの民という「くくり」の中に俺様達を入れる為だ。ゲドウを椅子から引きずりおろしても別のガイアァクが首相になれば、また国民の命が吸われる事になる。正攻法は意味を成さない。しかも、エーテルの親和性が高い者にしか刀が見えないんじゃ、あいつが宇宙人だと言っても誰も信じない。そして、ガイアァクが首相になる事を恒久的に止められない。これが一番厄介だ)
馬頭はミセスクインの話をよく理解していました。
(たった一度だけ暗殺を成功させればいい、という話ではない。今後もガイアァクと戦っていく為のノウハウの構築、エーテルというエネルギーの一般実用化を通して国民に認知させ、エーテルへの親和性の高い者を選別するシステムの早期構築が必要となる。これには国民の協力が必要だ。また、法治国家において国民に説明がなされないというのは避けなければならない。特にこの国ではだ。正直に言えば「既に内戦の一歩手前」の段階ではあるのだ。ミセスクインがやろうと、やるまいと、いずれ内戦は起こる。だがその内戦は失敗する。ゲドウを殺せなくても失敗。殺せても、次のガイアァクの台頭を止められないから失敗。内戦で消耗した国民は、次のガイアァクの支配には抗えないだろう。更に、ミセスクインがいつまでもこの国に常駐できるという訳ではない。敵は宇宙規模で広がっているのだ)
つまり「選挙等の正攻法は意味が無く」
そして「国民感情に任せた武力蜂起は意味が無く」
よって「適切に対処できる現地民を一定数育成し、その人員で先ず暗殺を成功させる。そうして一時の時間を稼いでいる間に、真っ当な政党に政治を委ね、エーテル武装についての認知を広め、国民の協力を得られる体制を作る。ゆくゆくは後天的に親和性を高める技術の構築を行い、今後のガイアァク侵攻に備える」というプランをミセスクインは提示したのです。
(ただ殺して排除するのではなく、戦って排除する実力がある事を見せつける事も重要、か。「手を出すのが難しく」「面倒になれば」それだけ敵は準備に労力を割く事になり、その労力と天秤にかけて、侵略するかどうか考えてもらえるようになれば、その分だけ国民の安全が堅牢な物になる)
なお、ミセスクインの故郷の人々と、この星の人々との体の作りは若干違う為、エーテルエネルギーとの親和性向上については、実験を重ねて判断していくしかないとの事です。しかし、馬頭のような先天的に才能のある人間もいますので、因子を全く持たない生物ではないという事までは分かっています。希望はある、とミセスクインは言いました。
(エーテルエネルギーの発表が先では駄目なのだ。それでは発表した次の瞬間にはガイアァクに対策される。いまや奴らは国家そのものだ。情報はすぐに操作され、事実は握りつぶされるだろう。だからどうしても後からやるしかない。今やっているテストは、後出しになってしまうエーテルの運用を少しでも効率的にする為のデータ作りか)
さて、勘のいい読者様は「じゃあなんで国防担っている組織の構成員にエーテル武装のテスターなんかやらせてんだ。情報ダダ洩れじゃねえ?」とお思いでしょう。馬頭も当然、その点についてはミセスクインに尋ねました。
「御心配には及びません。そもそもエーテルというのは私がこの国の文化に合わせて命名したもので御座います。本来の名前とは似ても似つきません。技術提供は外国からの亡命者が電気に代わる新エネルギーを取引材料として提示した事になっております」
と答えました。
(だが……恐らくもうエーテルの正体については筒抜けになっている)
結果から言うと、馬頭の心配は的中しておりました。
そして、馬頭のこの心配が的中しているという事も、ミセスクインは読んでいました。
更に言うなら、ミセスクインがそのように予測して行動している事も、ガイアァクは看破しておりました。
ついでに言うなら、ここまでの話は筒抜けになっていようが構わないのであります。
何故なら、ガイアァクとしてもミセスクインのような数人で国を一つ潰せる勢力との直接的な戦いはなるべく避けたい、という事情があり、いたずらに全面衝突なぞ行って戦力を減らしたくない、という気持ちがあり、この星の現地民にエーテル武装を扱えるかどうかという実験には興味があり、その成果だけ出来上がった頃に攻勢を仕掛け「美味しい所だけ貰っていく」という邪な考えがあったからです。
またミセスクインも、いやらしいガイアァクの事、ミセスクインが気づかないふりをしている間は兵器のデータが出来上がる程度までは待つだろう、という算段を立てているのです。
そして馬頭も、さっきのような心配を抱いた次の瞬間には、もうそれらの心理戦や戦略について思考がたどり着き、更に次の段階へと考えを進めていました。
(つまり、この後にまた、俺様にアプローチがくる。ミセスクインか、ガイアァクか、どちらかが新しい判断材料を持ってくる。国防組織に属する俺様はガイアァクにしてみれば動かしやすい駒だし、ミセスクインにしてみれば堤防に穴を穿つ最適な道具だ。まあ、ここまでが全部、壮大なドッキリだ、っていう可能性も消えないんだがな)
いつの間にか用意した酒が残り少なくなっている事に馬頭は気づきました。
普段からそれほど多く呑むタイプではないので多く用意していた訳でないにしろ、今日は少々ペースが早いようです。
(浮かれているな。俺様は)
馬頭は思い返します。ゲドウが腰にはく刀を話題にした過去、自分は笑われ、それをどうする事も出来ませんでした。当時は集団にコケにされているのではと考えたものです。今にして思えば誰も間違ってはいなかったのです。他人に見えない物が見えてしまった自分こそ、他者から見れば気持ち悪い人間だったのだろうと思えます。
当時、それなりに仲の良かった人ともあれが原因で疎遠になり、自分も明確に嫌悪して、もう付き合いはそれっきり。専門学校を辞めてから随分と経ちましたが「あいつらは元気だろうか」と馬頭は思いました。
今更また仲良く酒を呑む間柄には戻れないでしょうが、かつての友人たちに悪意や認識の間違いがあったわけではないと知った今、もう憤りはありません。
馬頭はアーモンドを口に運びます。先ず僅かな塩気が感じられ、続いて香ばしい香りがやってきます。これを噛み砕き、広がる旨味と共に喉奥へ追いやって飲み込みます。喉に残ったアーモンドの欠片がいがらっぽさを生みますが、これを酒で流し込み、酒気が鼻腔を突き抜けて生じる爽快感を堪能し、空になったグラスを強くテーブルに、叩くように置きました。
たーん! という小気味いい音が室内に響きます。
(なんのこたあない。あれはよくある不幸だった)
馬頭は睨みました。何もない空中を睨みました。
酒を飲んだことにより、高揚し、それに感情もつられます。
今、馬頭は「まだ見ぬ敵を」睨んだのです。ゲドウ大臣だけでなく、ガイアァクという敵を睨んだのです。ええ、そうです。そんな事をしたって誰も痛くも痒くもありません。だが馬頭は睨みます。これは「自分自身に対する決意表明」なのです。
最早かつての怒りや憎しみは無い。だが、新たなる怒りと憎しみが湧いてきたのです。
(人にとって知らないという事や、見えないという事や、分からないという事は余りにも大きい。どうしたって人間が物事を判断する基準はそれだからだ。ああ、そうだな、もしガイアァクとかいう連中が、何の悪意も持たずにただこの世界にやってきただけの観光客のような奴らだったとして、それを見た俺様が友達に「友達には見えない物が見えるよという話をしたとして」それで喧嘩になったのなら、それはまあ、事故の範疇だろう。許すかどうかは別にして、仕方ねえなと思えるかもしれん範囲の話だ。だが!!)
馬頭は拳を握ります。手のひらへ爪が食い込む痛みを感じます。
(だが奴らは明確な悪意を持ってやってきた。俺様はその「とばっちり」を受けた。「そういう事」だ。許せるか? 許せる訳がねえ。俺様は友達を無くした。当時は随分と嫌な思いをした。自分の頭がおかしくなった可能性も考えて悩みもした。だが「それがどうやら全部俺様とは関係ない領分で起きている事のとばっちり」だっただと! ふざけるな!!)
前提が変われば結論が変わる。
馬頭にとってこれまでは自分の頭がおかしくなったのでなければ、間違っているのは自分の周囲全部であり、その全部の認識を改めさせるなぞ不可能であり、抗いようのない事態でした。その過ちに寛容な気持ちを持って生きる事が出来たなら、もう少しだけ気持ちが楽な生き方が出来ただろうと思うものの、それは周囲の持つ馬頭の頭がおかしくなったという認識を許容する事でもありました。したがって、馬頭は当時の人間関係から逃避するしか手立てがなかったのです。もし、周囲の認識を認めてしまったならそれは「馬頭の頭がおかしくなった」事を認めてしまった事になるのです。
だがしかし、馬頭は正常でした。
ミセスクインの話を真実とするならば馬頭は正常だったのです。
(誰もおかしくなんかなかった。「だが俺様は周囲の人間全部を憎まなくちゃ」ならなかった。これまで失った全部が、失わせた張本人どもにとってすら無関係な所での話で、誰の損にも得にもならず、ただただ俺様の頭がおかしい事になって俺様が信頼その他を失っただけの話だっただと。ふざけるな! ああそうだな。よくある不幸だ。ちょっとした認識の違いでいさかいになり、お互いに不利益を被る。だが認識が違っただけなら客観的事実を持ち出せば、どちらかの行動の整合性や合理性は説明できるだろう。だが、今回のこれはどうだ。見てみろチクショウ! 客観的事実の用意自体が殆ど不可能じゃねえかクソったれが!)
酒の力も手伝って、呼吸は荒く、鼓動が早くなります。加速した血流が頭痛や耳鳴りを生むほどの怒りを抱えて馬頭は「必ず、目に物をみせてやる」と誓ったのでした。
一方その頃、ミセスクインもまた宿泊先の部屋にて仲間と共に思索を巡らせていました。こちらが用意しているのは紅茶とクッキーでした。
軽食代わりになるだろうと思って持ち込んだ物ですが、他のメンバーにも好評でミセスクインとしても嬉しく思いました。
ぼりぼりと音を立てて咀嚼しながらシャドウが言いました。
「しかしなあ馬頭への説明はあれでよかったのか?」
「と、言いますと?」
「話している内容は全部本当だが、この星の人間には判断のしようがない部分も多くある。それを全部説明していたのでは時間がかかりすぎてうまくないのは分かるが、チョイチョイはしょりすぎてやしないか?」
この会話、好意的に受け取れば「納得して行動してもらう為には細かい部分まできちんと説明してしっかりした共有認識を持つべきだ」という事を促しているように聞こえるでしょう。しかし、シャドウの心配は別にありました。
「あの説明で納得して作戦に参加するなら、むしろ短絡的過ぎる」
「いや全く仰る通り」
「自覚あったのかよ!?」
「シャドウよ。物を噛みながら喋るならもう少し静かにな。皿の上に惨事を振り撒いたら承知せんぞ」
「すまんな祈願。気を付けるよ」
「しかし、妾も気になるの。ミセスクイン。おぬし、わざと説明不足なまま話を切り上げたな?」
「クッキーおいしいねえ♪」
「柔らかい物でもよく噛んで食べるのですよ」
「おいミセス」
「うん♪」
「すげえ。話ガン無視する人間が一人いて、一人がそいつの言葉に反応するだけで内容がカオスになるんだな。貴重な経験だぜえ」
「そのカオスの要因におぬしも入っておるがなシャドウ」
「さて、ではお話ししましょうか」
ミセスクインは紅茶を一口飲んで唇を湿らせて喋る準備を整えました。
「先ず前提の話ですが、我々の今回の目的は『この国を牛耳るゲドウ大臣を打倒する』事にあります」
「うむ」
「しかしながら、結局の所、我々はそれを強制できる立場にはありません」
「うむ」
「更に言うならば、我々の話だけを聞いて正誤を判断するならば、それこそシャドウの言うように思考が短絡的です。そして、判断する為の材料をどれだけ用意したとしても、我々だけでそれを行えば、結局、我々にとって都合のいい話だけをしていると思われたら終わりです。いいえ、それよりも壮大なデマカセか宗教の類かと思われたら取り返しがつきませんね。そう、もし『どちらか一方の話だけでどちらか一方の事を信じるような思い込みの強い人間だった場合』には『その強い思い込みで根底から否定』されたなら、なすすべがありません。しかし、現地戦力は必要で、獲得せねばなりません」
「……うむ」
「そこで、馬頭さんにはガイアァク側の話も聞いて頂こうと考えています」
ざわ、っとなりました。
「マジか」
「無茶な女じゃとは思っていたが」
「チョコあじおいしー♪」
一名を除いて、全員がミセスクインの思惑を理解したものの、嫌な緊張感が冷や汗という表現を採用して肌を伝います。
「我々は内戦を起こしますが、我々の目的は戦争ではなく、この国の支配でもありません。戦争は手段。我々の目的は悪を打ち倒し、倒し続ける事です」
ミセスクインはルルルカーマインが美味しいと言ったチョコ味のクッキーを一口噛みました。本当に美味しい。また買ってこよう、と思いました。
「この国の人々にとってはもしかしたら迷惑な事かもしれません。ガイアァクは明確な悪意を持って人を殺しますが『殆どの人は殺されているという自覚すら無い』でしょう。高度な情報操作の結果、国民の多くが『この国は平和で文化的』と認識しているようです。自殺していくのは心が弱かったからで、経済弱者なのは努力が足りないからで、生き残っている自分達は心が健全で頑張った人間だから認められたのだ、と、そう認識しているでしょう。この国が抱える歪さなぞ気づきもしていないでしょう。『気づかない今を心地よく思う人間にとって、気づかされる事は果たして本当に幸せな事』なのでしょうか? しかしながら我々は強制的に気づかせようとしています。本来の民主政治をこの国が行うようになった時、全ての国民に努力を要求する事になります」
「いや民主国家なんだから国民が努力するのは当然じゃないか?」
「ええ、当然の事です。ですが『ここの国民は殆どがそうは思っていない』らしいのです」
「うん。まあそんな雰囲気は俺も感じ取ったよ」
「うむ。典型的な、衆愚政治のお手本のような国じゃな」
「ええ、この国では政治について基本的な事すら学校では教育されません。それどころか、民間人が政治について意見を交わしあう事は避けるべきだ,などという考えも普及しているようです」
「自分が政治について理性的な判断ができないって『自分が一番分かっている筈』なのに、そんな奴らが集まって投票して当選した奴が、ちゃんと仕事してくれる、って思えるってのはもうこれ『認知がぶっ壊れてる』としか思えんな」
「その通り、これはもう認知する能力が不能になっているとしか思えません。認知症などの病気と違い、国家が積極的に国民をそう教育する人災です。ですから先程シャドウが言った、民主国家に生きる者としての勉強の必要性をすら理解していただくのは至難でしょう」
「や、それもう民主政治無理なのではないか?」
「勉強する方法が皆無という訳ではなく、実際にきちんとした認識を持っている人も少ないにしてもいるのです。先ずはこの方々に政治をお願いして、5年ほどかけて国民に政治教育を施すのが良いかと。しかし……」
「まあ、それでも難易度マックスの鬼畜ゲーにはなるだろうな」
「ミセスクインよ。それでもまだこの国を民主国家として残そうとするのは何故じゃ? 先程おぬしが自分で言ったな『幸せな事か』と。この国で正しく民主政治をやろうと思えば、先ずは国民に自分達の知識不足や認識不足を受け入れてもらわねばならん。だがつまりそれは『自分達はこれまで大変な馬鹿をやってきた』と思ってもらうという事じゃ。成長を喜ぶ人間よりも、自身の不足を否定する人間が多数を占めるじゃろう。金と労力を使って教育を施そうとしても、受け取る側がそれでは、ペーパーテストが満点でも、ただペーパーテストが満点だというだけの人間を輩出するだけ。ああそうじゃな。誰の幸せにも繋がらん。あと分からなくなったのじゃが、それと馬頭めにガイアァクと話をさせる件はどう繋がるのじゃ?」
「馬頭さんを見て、判断材料の一つとします」
「ほう」
「ふむ、つまり、今は民主国家継続の考えだが、代替案も実はあって、どうするかは現地人の代表として馬頭を起用し今後の動きを見て判断する、と?」
「理解が早くて助かります」
「馬頭も迷惑じゃろうな。これを知ったら」
「ですから教えません。それにきっと馬頭さんなら知っても知らなくても、自分のやりたいように判断されるでしょう。そういう生の反応が欲しいのです。この国で実際に生きてきた人が、この国の行く末の話にどう反応するのか」
この後、馬頭の監視をどうするか細かい部分を詰め、雑談を交えつつただのお茶会へと移行しました。
解散の後、シャドウは筋肉を維持する為の鍛錬に打ち込み、唯一必死祈願は日課の読書をし、ルルルカーマインはきちんと歯を磨いた事をミセスクインに見せて報告し、それぞれ就寝。ミセスクインもまた、疲れを残さぬ為に早めに眠る事にしました。