06:誤解は解かれない
よろしくお願いします!<(_ _)>
「見てください、佑芽さん。とてもきれいな場所ですね。新婚旅行はここにしませんか」
隣から放たれる違和感に佑芽は首をかしげる。
今まで存在しえなかったものがあるという事実に脳が混乱していた。
その感覚は席替え後の授業の風景に等しい。
教師との慣れない距離。周りの同級生の顔ぶれも一新し、一刻前まで親しかった元隣人は別のやつとおしゃべりに興じている。
すぐに修正されるのであろう違和感。
しかし、それだからこそ今脳裏をえぐってくるそれは計り知れない気持ち悪さがあった。
「……はぁ」
どうしてこうなったんだと頭を抱えるが、それを導き出せることは一生ない。
「聞いてます? 佑芽さん」
佑芽の隣に我が物顔で鎮座する少女は、こちらの気持ちも考えないでそんなことをのたまってきた。
アンバーのような色をした大きな瞳と長い睫毛が特徴的なその瞳。
それは宝石のように様々な色彩を抱擁しており、佑芽の視線をそこへ誘導してくる。
「聞いてるよ」
現実から目をそらそうと彼女の顔から視線を外す。
そのさきには子供のころから続いているテレビ番組。
世界の文化を紹介してはいつも高視聴率をたたき出している。
「スウェーデンらしいですよ」
少女が無邪気に口を開く。
その瞳は夢を思い描くように煌めいており、自分があの町に居たらというものでも想像しているようだった。
ノーベル賞の晩餐会の舞台にもなる街のランドマーク。
約四十年前までロイヤルファミリーが暮らしてきた王宮。
異なる庭園様式を内包し、現在の王族が住んでいる宮殿。
さらには、あの日本の有名なアニメ映画のモデルになった旧市街地。
どれもこれもが、日本に住んでいたら見ることすら叶わない芸術の数々だった。
「昔行ったシンガポールもすごかったが、こんな感じの文化を感じさせる街並みにも憧れるな」
思わずそんなことをつぶやいてしまう。
「おや、もしかしなくてもハネムーンに乗り気ですか」
「ああ、そうだな。日本一周でもいいかって思っていたが、こういうところにも行ってみたくなってきたな。まあ、相手がいねえけど」
一瞬だけ時間が止まる。
カチリと隣の少女の身体が固まっていた。
別にカマをかけたわけではなかった。
どちらかというと、あなたとわたしはそういう関係ではないですよということを言いたかったのだ。
それにも関わらず、
「相手なら私がいるじゃないですか」
隣に居座る少女はそんなことを言ってくる。
正直言って佑芽は困り果てていた、この関係をどうしようかと。
「何で無視するんですか。私たち付き合っていますよね」
再び空気が凍る。
瞬きを一回。
吐息を一回。
気のせいかと思い、ググっと佑芽は背伸びをする。
頬を叩く。
「付き合っているじゃないですか。なのに、なぜ相手がいないとか言い出すんですか」
勘違いではなかった。
「は?」
「いや『は?』じゃありませんよ!」
少女は憤慨するように頬を膨らまして詰め寄ってくる。
その顔は自分が間違っているとは到底思っているような顔には見えず、佑芽は先ほどまで以上に困惑してしまう。
「……付き合ってますよね」
瞳を朧に歪ませる少女。
されはとても痛々しい光景だった。
だがしかし、今の佑芽にそれを察した挙句慰めるといったような行為をする余裕はない。
付き合っている、よくよく考えればかなり上から目線の文字列をしている。
その言葉の前に『しょうがなく』といったものが付いてしまいそうなそんな動詞。
基本的には、買い物に付き合うとか遊びに付き合うとかそういうときに使うもの。
だが、男女関係を表すときに限っては違った。
「俺とお前がカップル?」
それは動名詞になり得てしまうのだ。
「違うんですか」
「……え」
付き合っている、それはカップルであるということの暗示でもあった。
「いつから」
予想よりも物事が進行していた事実に呆然としてしまう佑芽。
その間抜けな顔を見て、少女もまた同じような顔で固まっていた。
瞳を交わすこと五秒。
瞬き三回。
「私が賭けに勝ってからじゃないんですか」
少女は口を開いた。
佑芽に対して、この人は何を言っているんだろうといった感じを匂わせる告白。
朝にはおはよう、昼にはこんにちは、夜にはこんばんは。
彼女の言葉にはそれと似たものを感じた。
当人としてはその事実が当然だったのだろう。
しかしながら、佑芽としてはハプニング以外の何物でもなかった。
「賭けって、奴隷云々――家に泊めてくれって言うものじゃなかったのかよ!」
あの勝負の後、目の前の少女からお願いされたこと。
あなたの家に好きな時に泊めてください、そう懇願されたのだ。
正直、未成年を家に泊めるのはどうかと思っていた。
だが、賭けに負けてしまったという事実とそれを実行しないとは何事だという変なプライドが働き、彼女のお願いを断ることができなかった。
「それはイコール恋人同士になるってことじゃ」
「頭お花畑かよ」
あまりの言葉につい暴言を吐いてしまう佑芽。
それに対して、ビクッと少女は身体を震わせながら縮こませた。
「ち、違うんですか」
ぼそぼそというように少女が声を絞り出す。
その姿に先ほどまでの自信はなく、おっかなびっくりといった感じの雰囲気があった。
「そりゃそうだろ。それがまかり通るなら、叔父の家に泊まりに行ったときにも恋人同士になっちまうだろうが」
「そ、それは近親者だからノーカンで」
「なら、遠い親戚はどうなるんだよ」
「……ッ」
どうにかして言い返そうとする少女だったが、怒涛の攻めに対して口をつぐむしかなくなる。
その様子を見て、佑芽は深くため息を吐いた。
「そもそも、ガキは無理っていっただろ」
「でも、私だって成長すれば大人になりますよ」
「それを待ってたら俺はおじさんになってるわ!」
激しく言葉を吐き続けたせいで息が上がる佑芽。
ぜぇぜぇとそこで息をするように肩は上下し、頬は熱さと恥ずかしさで赤面している。
少女もまた、自分が信じていたものが違ったというショックから顔を赤くし、子供らしく我儘を言っていた。
「んー」
「うー」
二人してにらみ合う。
それはばったりと出会ってしまった猫が、ここは自分の縄張りだと主張するように毛を逆立てているような光景に似ていた。
「はぁ……」
ただ、それは長くは続かない。
世の中にはこのような言葉がある。
争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない。
かたや十五歳の今年高校生になる少女。
こなた二十五歳になる今年こそ大学卒業を目指している男性。
この二人が同レベルで居られるはずなかった。
「わかったよ、とりあえずは現状維持でどうだ」
争いが生じたとき、本来目指すべきゴールは和解である。
決して敵の殲滅などではない。
そうならば、この二人のケースはどうなるか。
答えは、男であり大人である佑芽が折れる。
それだった。
「現状維持?」
「ああ、お前は好きな時にうちに来ていい。これは許してやる、賭けの代償でもあるしな。だが、付き合うっていうのはなしだ」
本来であれば、家に泊めるということも無くしたかった。
しかしながら、窮鼠猫を噛むという言葉もある。
佑芽はそれの恐ろしさを知っていた。
経験があったからこそ、ちょっとした逃げ道を佑芽はしっかりと用意していた。
少女が納得しやすいように。
少女もまた、猪突猛進になんでもすべてを自分色に染めることができるとか考えている傲岸不遜のような性格でもなかった。
「……わかりました。はじめはそこからでいいです。少しずつ距離を縮めていけばいいだけですし」
それゆえに、目の前の提示された落としどころに手を伸ばす。
その際に不穏な言葉が聞こえた気がした佑芽だったが、それを脳裏から隔離するように無視する。
これ以上何か言ったら話が進まないからだ。
拗れる可能性もあったため、グッと彼女に対する苦言を我慢した。
「不束者ですがよろしくお願いします」
三つ指を付くことはなかったが、悪い笑みを浮かべながらその言葉を口にした少女。
その態度からこちらをおちょくりに来ていることは佑芽にもわかった。
天は二物を与えず。
その光景を見て佑芽の脳内を巡った言葉だった。
顔よし、スタイルよし、スリーサイズも高校生になるくらいの娘にしてはでかいがそれがまたいい。
髪も地毛でプラチナブロンド。
一応、諸刃の剣となり得る身長もあるが、大抵の人は好ましく思うだろう。
だが、ここまでだった。
少女の性格は、悪いとは言わないがいいとも言えない。
佑芽がいままで被ってきたことを鑑みるに、思い込みが激しくやりすぎてしまう性格をしているのだろうと予想できる。
もちろん、それをかわいいと思える人がいることは佑芽っも承知だった。
しかしながら、メンヘラは面倒くさいと思える人が大半だということも知っている。
そして、佑芽もまたそっち側であった。
「……ああ」
天は本当に二物を与えなかった。
半分を性格に回しておけば、かなりバランスの良い少女が生まれていたはずだった。
しかし、それは叶わぬ願いなのだ。
佑芽は大きなため息を吐く。
仮に、少女に対して好意の一つでも持っていれば、この状態も幾分かましになっていたのだろう。
だが、その麗しい見た目を相殺してしまうほどのものを彼女は抱えていたのだ。
「よろしくな」
口ではそう言う。
でも、佑芽の心の中は真逆のことを考えていた。
未成年、連れ込み、泊める。
これらの言葉から導き出されるのは、社会的地位の下落。最悪の結果としては逮捕。
これらを招く存在。
それはまさしく疫病神。
「はいっ」
そう思われていることも知らずに、少女は天真爛漫という言葉が似合いそうな笑みを向けてくる。
それをありきたりなもので例えるならひまわりのような顔であった。
図らずも、佑芽はその仕草にどきりとしてしまう。
本当に救えない関係。
彼女のすべてを抱擁することもなく、彼女のすべてを拒絶することも許されていない。
よくわからない状態。
監禁されているのか、それとも監禁しているのか、それすらわからない。
「佑芽さん、好きです」
さきほどから佑芽が再々断っているにもかかわらず、少女はいまだに思いを伝えることを止めない。
小麦のように、踏まれれば踏まれるだけ強くなって立ち上がってきた。
駆け引きとかテクニックとか、そんなもの一切知らないというような姿勢を常に見せてくる。
本当に彼女は残念な女性であった、ほんの少しだけ。
「はぁ……」
そんな感じで佑芽と少女――大神悠莉の共同生活の幕は開いた。
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