04:邂逅は華々しい
その日、佑芽は初恋に出会った。
世間では、今を輝く高校三年生たちが学力を武器に戦争を行う日。
借りているアパートから自転車で十分ほど。
赤レンガで舗装されたおしゃれな並木道と並走し、都市部にはよくあるタワーのような観光名所を横切り、野球のスタジアムが見えてきたあたりで自転車を停める。
スポーツ大国といわれるだけの施設の数々。
サーフィンができる海があれば、スキーができる山もある。
春夏秋冬通して適度な環境を生み出せる大地だからこそ可能である、多種多様の競技場。
ドーム球場を左手に捉えながら、佑芽は右折をするために信号を渡る。
すぐに目に飛び込んでくる母なる海をしり目に、目的地であるストリートバスケットコートへと到達する。
桜が咲き始める季節だというのに、浜風がいまだに肌をつんざいては来る。
それを打ち負かすように佑芽は準備体操を始めた。
ここ近年、スポーツ医学で見直されてきた動的ストレッチを入念に行いコートに降り立つ。
ダムダム、と独特な音を周りに響かせながらシュートを放ち、ネットを揺らす音を心地よいと感じながら体を温めていく。
体育館でバスケをしていた佑芽にとって、はじめはあまり馴染めない雰囲気のあるストリートだったが、いまはもう我が物顔で動くことができていた。
周りにも多くの人々がそれぞれのコートで声を上げている。
二十代前半のチャラい感じをしたお兄さん。
NBAチームのTシャツを纏った壮年くらいの男性。
不慣れな感じで楽しそうに遊ぶ高校生くらいの女の子たち。
そんな光景を見渡しながらゆったりとシュートを放っていく。
誰かと待ち合わせをしているわけではない。
こういう一人で向き合う時間が佑芽は好きなのだ。
何人かの人が立ち去り、また何人かの人が入ってくる様子を遠目に見ながら、佑芽は転がっていくボールを追いかけていた。
誰かの足元で動きを止めたボールはその人に救い上げられる。
まさにその瞬間だった。
「……」
宇宙人がいた。
よく想像できるタイプの宇宙人がそこにいたのだ。
グレイフェイスとでもいうのだろうか。
佑芽は固まっていた。
瞬きを数回、首をかしげること一回、頬をつねること二回。
残念ながらそれは幻覚ではなかった。
バスケットボールの文化上、奇抜な服装で来る人間はよくいる。
だが、ここまでのものは見たことがなかった。
バイクのライダーなどが纏っていそうな黒のレザースーツ。
顔にはフルフェイスヘルメットではなく宇宙人を模したマスク。
足元だけはしっかりとしたバスケットシューズを履いていた。
ただ、それが妙にリアルでありこれが現実だと伝えてきてタチが悪い。
身体に張り付くように纏われているスーツのおかげで、そのなまめかしいほどのS字曲線が丸見えであった。
身長は佑芽よりも高く、推定180センチ越え。
身にまとう雰囲気には、百獣の王を彷彿とさせるような闘争心が見え隠れしていた。
はじめはドッキリか何かだと佑芽は疑った。
もくしは、テレビ局の撮影。
ほかにも、動画投稿サイト向けの企画。
アメリカではNBA選手が老人に見えるよう特殊メイクをするドッキリが流行っていたこともあり、その怪訝を加速させることになった。
ただ、撮影している雰囲気もなければ、周りに機材のような影も見えない。
完全に侵略してきた宇宙人にしか見えなかった。
むろん、彼女の姿はあまたのファッションが存在するストリートバスケットの世界でも浮いていた。
その証拠に、チラチラとこちらを垣間見る視線を感じる。
場違いとまでは言えないが、それでもTPOに適しているとは言いにくいものだった。
「おお……」
ただ、そんなことを些細なものと思えるくらいの驚愕が佑芽にはあった。
バスケ人だからこそ抱く情動がそれらを重箱の隅に追いやっていく。
女性にもかかわらず、でかい。
無遠慮にも程がある思いをひしひしと感じていた。
「才能だな」
おもわず呟いてしまう。
佑芽にとって、それは羨むべき才能であり天賦の才であった。
女性にとっては忌むべきものである可能性もあるそれを、コンプレックスになっているかもしれないそれを、ただ手放しに称賛した。
その事実に気が付いた時、どうしても居心地が悪くなってしまう。
もしかしたら、初対面にもかかわらず傷つけてしまったのかもしれない。
だが、目の前の女性から漏れだす雰囲気から、それが杞憂だったと佑芽は思った。
彼女もまた、根っからのバスケ人なのだと感じ取れる。
「そろそろボールを……」
あまりにも長い時間見つめ合っていた。
思い返すといったい何をしているんだといった感じだ。
だが、それはしょうがないと思いたい。
目の前の女性には、佑芽を惹きつける何かしらの魅力があったのだ。
宇宙人の彼女はくるりと佑芽の周りを一周した。
品定めするかのような視線に居心地の悪さを感じてしまう。
「おい、返してくれ」
それゆえに、少しだけ怒気のこもった声を発してしまう。
それにビクリと身体を震わせた女性は慌てるようにボールを投げ渡してくる。
もう少し何かあると思っていたため、少し呆気にとられた。
「ありがとうな」
女性にそう声をかけ、佑芽はコートに戻ろうとする。
「あの!」
「ん?」
想像よりも甲高い声だった。
見た目から少し高圧的な言葉を吐くのかと考えていたが、実際には柔和で天真爛漫さを感じさせる音だ。
まるで子供みたいなもの。
「私と1on1をしてくれませんか」
見た目とは裏腹に、遠足を心待ちにしている小学生のような弾んだ声。
「一対一?」
佑芽は目を見開いた。
まさか、この女性が見ず知らずの相手に勝負を挑もうとするほど好戦的姿勢を持っていると思わなかったのだ。
「はい、私と勝負してください」
上から見下ろしてくる視線。
ぱっと見は高圧的に感じられなくもない。
ただ、言葉の節々には相手に対しての配慮が見て取れる。
外見とのギャップがすごかった。
「なんで?」
とあるゲームみたいに、目があったらバトルが始まるなんてルールはない。
確かに巡りあわせで勝負をすることはあるだろうが、どう見ても今はそういう雰囲気でもない。
それゆえに、佑芽はただ率直に疑問を投げかけた。
「ああ、うう」
問い詰められたのかと勘違いしたのだろうか、目の前の女性は困ったようにアワアワとしだす。
それを見ていると、少しだけいたたまれない気持ちになってしまう。
「か、賭けを」
「賭けだって!?」
面倒くさくなり、どう穏便に断ろうか検討しているとこにそんな言葉が聞こえてくる。
自分で分かるほどの過剰な反応。
しかし、それには訳があった。
「賭けバスケをしていると。私とも勝負してください」
「……遊びじゃねえんだぞ」
それは賭博に近い行為だ。
法的に許されているのかも怪しい。
別に娯楽でやっているわけではなかった。
必要だから手を出していた。
それなのに、こう興味本位といった感じに来られるといら立ちが心の底から湧き上がってくる。
「もちろん知っています、違法だということを」
目は見えない。
だけど、そのマスクの向こうには何かに燃える瞳を感じ取れる。
「本気、なんだな」
「はい」
彼女が何を思ってこれに手を出すかは計り知れない。
ただ、自分と同じような複雑な抒情があることはわかる。
彼女の身体から見え隠れしていた。
「ならやろうぜ」
佑芽は自分の手に戻ってきたボールを彼女に投げ渡す。
一種の手袋を相手に投げつける行為に似た挨拶だ。
別にそんなものが存在するわけではなかったが、気持ちを奮い立たせるという意味では重要なものだった
そのまま、佑芽は自分の使っていたコートにもどろうとする。
「え、でも」
踵を返した背中に彼女は声をかけてくる。
困惑している、彼女から溢れ出している空気にはそう書かれてあった。
「言葉は必要ない。やるかやらないか、それだけで十分だ」
できるだけ小さく、でもはっきりとした声音でそう呟く。
そんな言葉を聞いてはじめはその場に立ち尽くす女性だったが、その言葉にこくりと呟いて後をついてきた。
歩くたびに上下する立派な双丘。
レザースーツの窮屈さをもってしても押さえつけられていない。
身体の揺れに送れるように動くそれはなまめかしく佑芽を誘惑してくる。
もちろん当の本人の彼女はそういう気はないのであろうが、無自覚に振るわれる暴力に思わず見惚れてしまう。
しかしながら、その情景を純粋に堪能できない。
賭けという言葉が脳裏にちらつき、これから起こるのであろう出来事に対する不安で気が気でなかった。
「どうしました」
「いや、なんでもねえ」
「? そうですか」
気にした様子もなく、ただ素直に後ろをついてきてくれる。
その姿に、危機意識が足りないんじゃねえかと思わずにはいられなかった。
まあ、いらぬお節介というやつだが。
「で、どうするんだ」
コートの中央までやってきた佑芽は、女性に対してそう問いかけた。
きわめて丁寧で優しい口調を心掛けたつもりだったが、勝負事ということもあり少し荒々しくなってしまう。
そのせいで、目の前の彼女が身構えてしまった。
「えっと」
「賭けをするんだろ。何をかけるんだという話だ。といっても俺に掛けられるものはお金しかねえし、動かせる額も大きいものじゃねえからな」
佑芽は自ら蓄えている資産を思い浮かべて、それの頼りなさを実感しため息を吐く。
そう言われた女性は、なにか言い出しにくいものがありそうな感じだった。
小学校の同級生に一人はいた、あの何か言いたそうにしているけどみたいな雰囲気だ。
ただ、彼女らとは違い目の前の女性は大人であろうから、本当に何か言いだしにくいわけがあるのだろう。
ここまで来たらともに心中。
そう思って待つこと数分。
「私が賭けて欲しいのはお金ではありません」
意を決した顔は見えないが、そうなっているのであろうと思わせる態度でそう彼女は言ってくる。
「ならなんなんだ」
正直言ってそれ以外賭けれない。
そもそも、賭けの時点で資産を乗せるのは確定なのだろうが、残念ながらしがない学生の身ではまともな資産は存在しない。
そう佑芽は考えていた。
だからこそ、
「あなた自身が私は欲しい」
その言葉に驚愕以外の何物も思うことはできなかった。
瞬きを数回。吐息を同じ数くらい。
「それでお願いします」
彼女から再びボールを返される。
しかし、それを綺麗にキャッチするだけの冷静さはとうになく、手に収めるまではできたがするりと手から滑らしてしまう。
ボールが重力に負け地面と接吻を交わし続けられる状態になるまで、佑芽はただ茫然と立ち尽くしていた。
絞り出せたのは、宇宙人のコスプレをした人ではなく宇宙人本人だったのかという馬鹿げた妄言。
それと、
「はあ!?」
何の意図がこもっているかも推し量れないそんな言葉だけだった。
「……」
「……」
目――女性はマスクをしているから実際は見えてないが――を交わす。
瞬きを三回。
「ばかじゃねえの」
ようやく意志を込めて紡げたものはそんな言葉。
ただ、そこには様々な事柄に対しての苦言を含ませていた。
「な、なにをいうんですか」
「だって、俺自身をかけるということは、対価にあんた自身をかけるということだぜ。あまり言いたいことではないが、俺とお前では付加価値に差がありすぎる」
主に女性という部分が、とは言わないでおいた。ジェンダーレスが叫ばれる世の中だ。
目の前の女性がどういう人物かも知らない。触らぬ神に祟りなしであろう。
佑芽の言葉を聞いて、女性は身体を上下するように驚いていた。
身体を守るように自らの腕で抱き寄せるようにしている。
「そ、それでも」
「それでも……なんだ? 自分の行動を見返してみろよ。絶対そうは思ってないぞ」
「……っ……」
無意識だったのだろう。
でも、仕方がないことだとは思う。
女性に生まれ、さらにはそれほどの大胸筋を授かったのだから、興味の目で見られたことは一度や二度ではないだろう。
だからこそ、生き物に備わっている防衛本能のようなものでそのような行動をしてしまうのはしょうがないのだ。
「どうした? やめるか」
佑芽の言葉にハッとなっていた女性は、ゴホンと彼女にとって嫌な流れを掃うように咳払いする。
「いえ、それだけのことがあっても私には達成しないといけないことがあるので」
「そうか」
もう無駄だろう。
ここまでのリスクを提示してもあまり逡巡したそぶりを女性は見せていない。
もし、顔が見えていればもう少し違った判断もできるのだろうが、ここまで来てそれを脱いでくれなんて言えない。
佑芽は深くため息を吐き決心を固める。
「わかったよ」
身長は相手のほうが高かった。
でも、こちらが男であちらが女という性別のアドバンテージもあった。
雰囲気を見る限り、こういうことに不慣れなのも感じ取れる。
お灸をすえるということでもんでやればいいだろう。
これからの流れを考え、この出来事の落ちどころに佑芽は目を付ける。
「じゃあ、やろうか」
佑芽はボールを拾い上げ女性に投げ渡すようにしてパスをする。
その後、一般的なディフェンスの形をとり、彼女の攻撃を待ちわびる。
いきなり始まったことに女性は困惑しているようだった。
だが、彼女も根っからのバスケットマンなのだろう。
雰囲気がすぐに変わったのが分かる。
「いきます……ッ」
佑芽と彼女の道が巡り合った。
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