食の欲求
僕はあのビルの隙間で意識を失い、極度の空腹で意識を取り戻すまでの時間の流れを考えていた。
さとちゃんの話を聞くからにゾンビらしき者が現れて1週間で警察も自衛隊も見なくなったという事から、自衛隊を見ていない僕は最低でも1週間は意識を失っていた事になる。
ただ、意識を失っている間に僕は動き回っていなかったか?
人を襲っていなかったか?
もしかしたら意識を取り戻した時に指しか動かせない位の痛みは、人を襲った時に反撃された為ではないか?
そもそも僕は何故駅から離れたあのビルの隙間にいたのか?
それより何故僕は駅にい──ッ!?
「おい、栗田ぁ!! てめえ何吐いてやがるんだ!? 」
「とし、やめないか。 そんな大きな声を出したらゾンビ···らしき者達が寄って来てしまう。」
「そんな事言ったってさぁ、こんな匂いや嘔吐する際に出る音で十分ゾンビ連中を引き寄せる危険性あると思うんだけど?」
としさんが言う事も最もだし、それより何よりさとちゃんがちゃんとゾンビらしき者って呼んで、僕に合わせてくれたのが嬉しい。
しかし、ニコニコさんはこんな時でもニコニコ笑顔を絶やさないのは、呆れを通り越して凄いと思う。
「ご、ごめんなさい···もう落ち着きました。」
「勘弁してくれよ? 吐く位緊張して怖かったのかよ?」
でも、なんだったんだろ? 思い出そうとしたら物凄い頭痛がして、それで─···あれ? 僕はどこで目を覚ましたんだった? さとちゃん達に会う前の事が思い出せないし、なんか体が痛い。
「大丈夫かい栗田くん? 最初にスポーツ用品店に行ってバックをもらってきて、それから地下の食料品売り場を覗いてみるからね。」
「はい。ありがとうございます。」
「本当にさとちゃん優しすぎぃ。栗田なんか囮にしか···」
「そういう事を言うのやめないか? 仲間は多い方が良い。 きっと生き残りの人間は我々だけじゃないし、ゾンビらしき者達とも戦わないとだからそうやって先を考えないと···」
「わーった、わかりました。」
としさんは相変わらずな態度で1人でスポーツ用品店の方に向かって歩いて行ってしまった。
「彼は本当に協調性がなぁ···根は良い人なんだけど、気を悪くしないでね? きっと慣れてくれば上手く付き合っていけると思うから。」
「あ、いえ、大丈夫です。 僕が実際弱いのが悪いし、メンタルまで······」
「ははははは、仕方ないよ。 栗田くんはまだ若いし、大人でも怖くて仕方ないこんな世界だし気にする事ないよ。」
本当にさとちゃんは良い人だ。
この人に会えたのは大きいな。
「さて、それじゃニコニコさんは地下の食料品売り場を······俺らはとしさんを追ってスポーツ用品店に行こう。」
ニコニコさんは頷く事もなく、ニコニコしながら地下に向かうエスカレーターをトントントンと降りて行ってしまった。
「あ、あのニコニコさんを1人にして···」
「彼なら大丈夫。 想像できないだろうけど、物凄い強いの。」
「そ、そうなんですか?」
「そ、大丈夫。 さぁ、4階のスポーツ用品店に行こう。」
さとちゃんがどんどん先に歩き出してしまったので、置いて行かれないように必死で付いて行く。
エスカレーターを登って行き、難なく4階に着いてしまったので何か拍子抜けしてしまった。
先に行っていたとしさんが、バックの他にバットを数本持って仁王立ちしていた。
「遅い!! さとちゃん、ニコニコ、栗田のバックも確保してあるぞ。」
「ごめん、とし! ちょっと登ってくるまでに時間掛けすぎた。 そして、ありがとう。」
としさんもやっぱり一応良い人なんだな。
ちゃんと人数分確保してくれてたり何気にバットも人数分あるし。
──フグォッ!?
そのままとしさんからバックを受け取ったら、メチャクチャ重い···何だこの重さは!?
「おいおい、情けないな~栗田。」
「これ何入っているんですか?」
「鉄アレイとか筋トレ道具」
この人しれっと何言ってるんだ? この非常時に。
体力温存しなきゃだし、逆に体疲れさせてどうすんだよ。
「とし···質問良いか? 何故筋トレ道具を?」
「さとちゃんが言ったように、これから先でゾンビ連中や生き残った人間と戦わないといけなくなるなら、それを想定して体を鍛えておいた方が良いと思ってさぁ。」
やっぱり意外と考えてるんだ、としさん。
打ち解ける事が出来れば、本当に仲良くなれそうだな。
「そうか、確かに鍛えておいて損はないよね。 それじゃ、ニコニコさんのいる食料品売り場に行こうか。」
さとちゃんは多分年齢は、40代後半位だと思うけど偉ぶらないし僕にも気を使ってくれて良い人だし、本当にリーダーって感じだ。
僕らはそのままエスカレーターを降りて行き、筋トレ道具は3人で分けてバックに入れ直した。
とりあえず何もなかったなぁ。
ゾンビらしき者も生き残りの人間もいなかったし、楽々食料品も手に入れミッション完了とはやはりいきそうになさそうだ。
1階まで降りて来た時にそれは起きた──
わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!
ニコニコさんの声!?
「なんなんだよこいつ!?」
「うぉ!? 危ねぇ!!」
バットをブンブン振り回して、どう見てもチンピラにしか見えない男2人を相手にしているニコニコさん。
······って、2人だけと思っていたらニコニコさんの足元に転がる頭が潰れてた3つの死体がある。
本当に強いんだあの人···だけど、さすがに息があがっている! 早く加勢しな──
「おぉい!! てめえら何してくれてんだ······よっ。と」
としさんが気づいたらあっという間にチンピラ男の後ろまで距離を詰めていて、バットを頭めがけフルスイングして、それに気を取られたもう1人の男の隙を見逃さないニコニコさんが、やはり頭めがけてスイカ割りをしてあっという間に男2人を絶命させてしまった。
──本当に強い!
というか、この2人をまとめられてるさとちゃんってなんなんだ?
「お2人さんお疲れ様。 帰宅したらジュースを進呈します!」
「うぉ!? さとちゃん太っ腹!!」
ニコニコさんはやっぱりニコニコしているだけだけど、多分喜んでいるんだろうな。
だって、なんかメチャクチャふごふご息づかい荒くなってるし。
──ッ!?
メチャクチャ良い匂いがする······さっきのチンピラからだ。
ヤバい···口の中に唾液が溢れてくる。
どうしよう······お腹が減ってきた。我慢できない位。
「おーい。 栗田ぁ置いて行っちまうぞ?」
くっ···!
どうする?
食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べた───
ダメだ、抑えられない。 口の中に広がる甘美な味わいを思い出し、食感を、体中に広がる快感を、癒しを思い出してしまってきている。
でも、なんで? なんで? 死体に対して食欲が湧くんだ?
僕は人間に戻ったはずじゃないのか?
だって、今までさとちゃん達といて食べたいなんて欲求は起きなかった。
ここに来るまでにも死体は沢山あったけど、食べたいなんて思わなかったじゃないか···それがどうしてこのタイミングで来るんだ!?
僕は人間だ! 人間なんだ! 人間が人肉を···ましてや死体なんかを食べたいなんて思うはずがない!
──そうだ、これは病気! 病気なんだ! 早く治療を···ちりょ
「ちょ、ちょっと···さきにいっててもらってりゅ···いですか?」
くそっ! なんだよ! 上手く喋れなくなってきてる。
「なんだよ? うんこか? しょーがねーなー。 遅そくなるなよー。」
「まぁ、このフロア······というかデパート自体大丈夫そうだし良いか。 じゃ、上で待ってるからねー!」
行ったか?
みんな行ったか?
気配を感じない。
もう無理!!!!!!
ぐちゃぐちゃ···ぶちっ!
べちゃくちゃ···ごりっ! ぼきっ!
僕は無我夢中で食べた、腹を空かした野良犬のように肉に食らいつき、引きちぎり、獣のように貪り食らった。
もう僕は人間じゃないのか? 心は悲しいのに体は食べる事をやめてくれない。
僕は一体どうなったって言うんだ! 人間の心と感情と獣として食欲を満たす行動、めちゃくちゃだ──
しかし、チンピラの血が喉の乾きを癒し口一杯に豊潤な···そう葡萄ジュースみたいだ、大人でワインの味を知る人ならワインで例えるんだろうけど、あいにく僕は未成年だ。 そしてチンピラ肉が喉を通過していく度に体中の痛みを緩和させ、快感を与えてくれる。
矛盾していると思う、苦しいって思うし、こんな自分は嫌なのに食べている最中は確かに幸せを感じてしまっている僕もいるんだ。
そして、頭蓋を近くにあった···きっと、録音したかけ声とかを流す為に使っていただろうCDラジカセで何度も何度も叩きつけ、現れたピンク色の腸─高級料理とかで動物の脳ミソとか食べるんだから、これだって普通だよね──その、えもいわれぬ魅力を解き放つ甘美なる食べ物を口に入れた瞬間に頭のごちゃごちゃした考えが真っ白になった。
しばらく食べていたらさとちゃん達に会う前の記憶が戻ってきた。
そして住んでいた所も、家族も···父親がいて、母親がいて、妹と弟がいた事も思い出した。
そして、僕の名前を思い出した!!
僕の名前は······五十嵐義光だ。
途端にまた襲う口の中に広がる鉄の味と、こみ上げてくる吐き気。
僕はまた一気に戻してしまった。
だけど、これは···この瞬間が訪れたあとは、僕が人間でいられる生活が待っているのだから、この気持ち悪さと嘔吐による痛みに耐える事が出来るんだ。
僕が人間だっていう証拠なんだ····。