(2)ギャル女神
「ようこそ、横助さん」
そこにいたのは何とも慈悲深い笑みを浮かべたギャルだった。
ギャルは言った、「私はギャルではありません。女神です」と。
(いやちょっと待て、今こいつ俺の心を読んだ……のか?)
「はい、心を読みました」
再び心を読まれたことで横助は確信した。この女は女神である。そう思って見ると確かに、女の足下からは何か神々しい煙が出ており、女の体そのものも若干輝いていた。
だが格好がギャルだ。明るい茶髪にウェーブをかけていて、首や手首には何やらチャラチャラしたアクセサリーを付けている。慈悲深い笑みや丁寧なしゃべり方は女神そのものなのに、格好だけが異様にギャルだったのだ。
「ギャルに心が読めますか?読めませんよね?ですから私は女神なのです。この格好はただの趣味です」
(女神にも趣味があるのか?でもこの面倒くさい感じは確かに女神っぽいな……)
横助は思った。ただやはり心が読めるのは本当のようで、女神は「聞こえてますよ」と横助を睨んだ。
しかしその事を抜きにしても、彼女が女神であることを認めざるを得なかった。それは横助がいる場所。さっきまで自宅のベッドで寝ていたはずの横助の体は、全裸のまま椅子に座らされていた。そして少し離れたところで女神が背もたれの異常に高い椅子に腰掛けている。床には女神の足音から出ていると思われる白い煙が充満していた。雲の上にいるようにも見える。頭上は宇宙なのか何なのか、キラキラと光る暗闇が覆っていた。
夢でなければ確実に異空間だった。
「ようやく状況を理解したようですね」
女神は表情を変えずにそう言った。だがその顔が徐々に歪む。
「まさか……本当にあれを試す人がいるとは」
女神は笑いをかみ殺す。あれ、とは横助がここに来る前に行った異世界に行く方法のことだろう。なんだ、こいつと横助は思ったが、思った時点で女神には聞こえているのだと気づき、いっそ口に出してしまうことにする。
「なんだこいつ、ギャルメガのくせに笑ってんじゃねえよ」
「ちょっと!モノローグよりもひどくなってるんですけど!てかギャルメガってギャル女神のこと!?なんで最後の『ミ』だけ省略したし!!!」
一通り文句を言い終わってから女神ははっとする。横助が感情のない目でじぃっと女神の様子を見つめていた。
「いえ、今のはその……あなたの世界の感じに合わせてあげただけです」
(俺のせいにするのか……)
口には出さなかったが、女神は顔を真っ赤にして怒ったように話を逸らした。
「とにかく!私の方からあなたの置かれた状況について一通り説明しますから、黙って聞いて下さい」
黙れと言うがそれは何も考えるなと言うことだろうかと横助は気になったが、女神は無視して説明を始めた。
「まず、あなたが行った異世界へ行く方法ですが、あれを考えたのは我々女神です」
「お前らの仕業か」
「ちゃんと理由があんのよ!はっ……!」
また一瞬ギャルが出てきたが、すぐに引っ込める。相変わらず無の表情で見つめる横助に対し、女神は若干顔を赤くしながら説明を続けた。
「そもそも、この世界にはあなたのいる世界を含む複数の世界があります。そしてそのうちのいくつかを囲むようにして我々女神のいる世界があり、外側の世界からは内側の世界に好きに干渉できるので、それを利用して我々は内包する複数の世界をそれぞれ管理しています」
多世界解釈という言葉が横助の頭に浮かぶ。となると異世界とはその複数の世界のうちのどれかだろうかと横助は思うが、女神は首を横に振った。
「基本的に世界と世界は互いに干渉しません。全くの別物なので比較することも出来ません。したがってどちらかの世界に対して異世界と呼ぶことはありません」
横助には女神のいっていることがよく分からなかったが、少なくとも横助の世界の人間たちが考えている異世界とは全く別のものを差すらしいことは何となく分かった。
「じゃあ、あのサイトに書かれてた異世界ってのはどこのことなんだ?」
「そうですね。正確には、あの方法は今この場所に来るためのものなのですが、そのあたりは後から説明するとして、まずはあなたに転移していただく異世界について説明しましょう。先程私は、世界同士は干渉しないと言いましたが、それらの世界を我々は主となる世界と呼んでいます。そして主となる世界の周辺には、主となる世界の住人の想像によって作られた世界があります。それこそがあなた達の言う異世界です」
主となる世界の住人、その想像によって作られた世界。つまり横助たち人間の想像によって生まれた世界ということになる。
「それってつまり……天国とか地獄とかってこと?」
「そうです。理解が早くて助かります」
「どうも……」
(中二的思考がこんな所で役に立つとは……)
小さい頃から一人でいることが多かった横助は、かなり早いうちからアニメや漫画を見始めた。そのため中二病歴もそれなりに長い。中二病は常識外のことに関してだけ想像力が豊かなのだ。ちなみに常識に関する想像力は皆無である。
女神は続ける。
「例えばあなた方に神様と呼ばれる存在も、その想像された世界のうちの一つです。そのため神とはいえど、創造主である主となる世界の住人、その想像を超えることは出来ません。だからこそ信仰がなければ存在できませんし、祈りがなければ奇跡も起こせません。逆に言うと信仰さえあれば存在し続けることができ、祈りさえあればあらゆる奇跡を起こすことが出来ます」
「にわかには信じられないな……けど、理解は出来る。」
「この辺りは何となくの理解で構いません。大事なのはここから。あなたに異世界転移していただく理由です」
そこで女神は一呼吸置いた。
「それは、滅び行く世界を救って貰うため、です」
「世界を……救う?」
ポカンとする横助に、「いきなりそう言われても分からないでしょうね」と女神は再び話し始めた。
「まず前提条件として、世界にも人間と同じように寿命があります。生き物としての命があるというわけではなく、存在するものは必ず終りが来るという意味です。そのためどの世界においても、あなた方人間がそうであるように、存在を維持しようという力と終わらせようという力があり、寿命が近づくにつれ終わらせようとする力が強くなっていきます。あなた方の世界で言うと核戦争や環境破壊がそれに当たります」
人間で言うと病気がそれに当たるのだろうかと横助は思う。確かに人間も生まれたその瞬間からずっと死の可能性を回避しながら生きている。そうして回避できない死が訪れたとき、人は死ぬ。
「しかし、主となる世界の場合その存在が大きく、時間の進む速度が相対的に遅いため非常に安定しています。だから滅びる速度も緩やかで、その分滅びにくいです。一方で想像された世界はその存在が小さいため非常に不安定です。ある日突然状況が悪化し、そのまま滅びに向かうことも珍しくありません。我々はそんな世界を救うべく、主となる世界の人間を呼び込み、異世界に転移して貰うことにしたのです」
「それが、あのサイトだったってわけか」
「はい、元々は掲示板への書き込みでしたが」と女神は頷く。
「でもさ、それなら女神が滅びの原因を排除した方が早いんじゃないのか?」
女神達が内側の世界に干渉できるなら、わざわざネットの掲示板まで使って主となる世界の住人を転移させる必要はない。だが女神は首を横に振った。
「我々が一番気にかけることは、世界の均衡です。女神という外の存在があまり干渉しすぎるとその世界の均衡が乱れてしまう可能性があります。だからより影響の少ない、その異世界の母体となる世界から転移させることにしたのです。これは異世界に行く方法をあのような回りくどいやり方にした理由にも当てはまります。こちらが無理矢理連れ出してしまうとバグが発生する可能性があるので、あくまで自然にこちらに来ていただく必要がありました。そこである程度難しく、バグが発生しにくい方法を考えた結果、あのような方法になりました」
「なるほどね、何となくは分かったけど……。その異世界における滅びの力っていうのは……」
滅びの力、世界を終わらせようとする力。横助の世界ならばそれが核戦争や環境破壊であり、人間の体ならば病気や怪我だろう。では異世界ならば何か。もちろん異世界と一口に言っても天国や地獄、神界など様々だ。だが異世界と言われたときに横助が想像する世界は一つだった。そしてそこに存在する滅びの力と言えば。
横助は女神を見る。女神は頷いた。
「あなたには、異世界で勇者となって魔王を倒して貰います」
常識ではあり得ないようなことを言われたはずだが、横助は意外にも落ち着いていた。一般人が勇者になって魔王を倒すという、アニメや漫画で何度も見たパターンだったせいだろう。第一、この場所自体がもう既に横助の常識外だ。今更何を言われても驚かない。
「さて、一通り説明し終えたところで、次が最後になります」
女神は一層真剣なまなざしで横助を見据える。ギャルメガだなんだと小馬鹿にしてきた横助だったが、その時ばかりは体を強ばらせた。それくらい女神の体からは人知を越えた気配が発せられていた。ここに来て最も重要な話しだと聞かずとも分かる。
「このまま異世界に転移すると元いた世界には二度と戻れません。しかし今ならまだ間に合います。やっぱりやめたと言うのであれば、もちろんここでの記憶は消させて貰いますが、戻すことは可能です。それでも行くと言うのであれば、私の前に立って下さい」
女神は重々しくそう言った。
横助は想像する。
(異世界、チート、ハーレム…………素晴らしいじゃないか)
横助の脳内に、颯爽と現れ敵を倒し、女の子とイチャイチャする自分の姿が浮かんだ。
しかし異世界に行って魔王を倒すなんて、簡単に終わることはまずないだろう。そもそも向かう異世界がどんな世界で、どんな社会なのかも分からない。そこにはどんな人々がいて、どんなモンスターが闊歩しているのか。あるいは行ってすぐ濡れ衣を着せられ、覚えのない罪で拘束されてしまうというありがちなパターンも想像できる。
それにもう二度と元に世界には戻れないという。家族や友達にも二度と会えなくなるということだ。
(いや、そもそも友達いないか。家族も……)
自称究極ぼっち生命体の横助は学校に行っても友達がいない。家に帰っても家族はいない。だからこそ、一年間誰とも会話しないなんてほぼ不可能な条件を達成できたのだ。あるいは、そういう人間を女神達は求めていたのかも知れないと横助は思う。
「決めた。俺、行きます」
覚悟を決めた横助は女神の前まで歩いて行く。女神は一瞬だけ哀しそうな表情をしたが、すぐに女神らしい凜とした顔に戻った。
「分かりました。それでは今からあなたに勇者の証を与えます。少々痛みが走りますが、じっとしていて下さい」
そう言うと女神は横助に両手をかざす。すると突然、横介の左胸に鋭い痛みが走った。
「いった!!なんだこれ!?」
痛みはジリジリと円を描くように皮膚を動いていくが、やがてその円の中心に向かって痛みが伸びていく。しばらくしてその痛みが引くと、横助は恐る恐る先程痛みが走った場所を確認する。するとそこには羽根のような模様の魔方陣が描かれていた。一見すると傷のように見えるが、触ってみてもでこぼことした感触はなく痣に近い感覚だった。
「それが勇者の証です。と言っても、女神の加護で無敵になるなどそういった機能はありません。その刻印の役目はあなたの中にある時間をこれから行く世界に合わせるためのものです。向こうの世界ではあなたの世界よりも時間が相対的に早く進みます。寿命の長さは体の強さに直結するため、あなたは異世界においてかなりの強さを発揮できるのですが、その強さを保持したまま時間、すなわち寿命だけを合わせることが出来るのが勇者の証という刻印です」
「へぇ……」
横助は分かったような分からないような顔で頷く。取りあえず、この刻印があれば今まで通りの感覚で過ごせるということらしい。
「さて、ではいよいよ出発の時が訪れました。私がもう一度手をかざすと、あなたは白い光に包まれて、目を開けると異世界にいます」
(いよいよか……)
横助は深呼吸をする。心臓がドクドクと脈打っているのがよく分かる。横助に取ってその緊張感は高校受験の時以来だった。間もなく、横助の体がかすかに光り始める。と、そこで横助はまだ大事なものを貰っていないことに気付いた。
「そういえば何かチート的な能力をまだ貰ってないんですが……?」
こういう場合、アニメや漫画では大抵チート能力を付与される。回復チートとか防御チート、あるいは魔法チートなどの能力を与えられて、最強の勇者としてハーレムを築くのがおきまりのパターンのはずだった。ところが今の横助は何一つ能力を与えられていない。それどころか服すら着ていないという逮捕不可避な状態だった。
ところが女神は何を言っているんだという目を横助に向ける。
「ありませんよ?」
「ないの!?じゃあどうやって魔王を倒すんだよ!!」
「先程言いましたが、異世界においてあなたはかなりの強さを発揮することが出来ます。そして体の強さは魔法の強さに直結します。つまり割と素でチートです」
「いや、まあそれはいいんだけど……なんかこう、勇者の剣とかそういうのは?」
「ありません」
「ステータスカンストとか」
「ありません」
「防御マックスとか回避チートとか……」
横助はなおも食い下がるが、それに対して女神は段々面倒くさそうな顔になる。
「はあ……あんまりしつこいと次元の狭間に飛ばしますよ?」
「おい、なんか急に雑になったぞ、この女神」
そうこう言っている間に横助の体は白い光に包まれていく。あまりの眩しさに目を細めると徐々に意識が遠のいていった。
「では最後に一つだけアドバイスを。さっき魔法と言いましたが、魔法とは精神、思いの強さです。それからそれを実現させる想像力。勇者よ、炎を想像しなさい。さすればその拳にも深紅の炎が宿るでしょう」
朦朧とする横助の意識に女神の言葉が反響している。やがて地面が消え、横助は真っ白な光の中を落ちていった。