(16)愛が足りない
「いってきますお母様!」
「……いってきます」
二人分の『いってきます』を聞くと、ヘーゼルはにっこりと笑って頷いた。
「はい、いってらっしゃい」
横助が異世界にやって来て早くも二週間ほどが過ぎた。始めは慣れなかったこの朝のルーティンもそろそろ自然になってきていた。
(うちの親はほとんど家にいなかったからな……)
横助は元いた世界での日々を思い出していた。朝も夜も一人。家でも、学校でも一人。それでも特に寂しいとは思っていなかった。一人でいてもゲームに漫画にアニメとやることはたくさんあったから退屈はしていなかった。
「どうしました?」
そこで隣を歩くクルミが横助の顔を覗き込む。知らぬ間に難しい顔をしていたようだ。
「いや、ちょっと……。いってきます、なんて何年ぶりだろうと思って」
するとクルミが不思議そうに首をかしげた。
「横助さんのお家は家を出るときにいってきますと言わなかったんですか?」
「んー、言わなかったっていうか、そもそも親が仕事でほとんど家にいなかったっていうか」
「なるほど、それで家を出るときはいつも一人だったんですね」
「家を出るときも、家に帰ってきたときもね」
「え?じゃあ夜も一人だったんですか?」
横助は苦笑いをして答えた。
「うちの親、帰りが遅い上に朝が早くてね。同じ家に住んでるのに何日も顔を見てないなんてこともざらにあったよ」
一度だけ、横助もさすがにおかしいと思って両親に勤めている会社はブラック企業なのかと聞いたことがあった。だが彼らはブラックではないと答えた。どうやら何かの研究をしているようで、会社に泊まり込みで仕事に没頭することも多かったようだ。それを聞いた横助は幼いながらになるほどと納得した。自分に合った仕事を見つけたんだな、と。
「…………あの、クルミさん?」
横助は隣を見る。普通に横を歩いていたはずのクルミが、いつの間にか横助の腕にしがみついていた。
「横助さんには、私がついてます!」
「いや、あの……色々と当たってるんですけど……」
クルミの柔らかい双子山に挟まれた自分の腕をもぞもぞと動かす。だが家業の手伝いで培ったクルミの腕力は横助の予想以上に強かった。
(しかも、意外とあるぞこれは……)
横助は腕を拭き抜くことを諦め、ただ真っ直ぐに伸びる道の向こう、その一点を見つめた。
「クルミ?そろそろ腕は離してもいいんじゃない?」
横助がそう言うと、クルミは「ダメです」と真っ直ぐ顔を前に向けたまま答えた。横助の両親の話を聞いてから、クルミはずっとこんな調子だった。おかげで横助は一日中周囲の視線に曝されていた。
「前々から思っていましたが、横助さんには愛が足りないと思うんです。だから私が補ってあげるんです」
そう言ってクルミは一層腕に力を込める。
(別に、そんな深刻な話じゃなかったんだけどな……)
横助は反対側の手で頭を掻く。
「クルミの気持ちは嬉しいよ。でもちょっと恥ずかしいから、取りあえず腕は離してもらえない?」
するとクルミは「分かりました……」と言って渋々横助の腕を離した。が、すぐに横助の手を取る。
「これならいいですよね!」
「あ、ああ……うん」
横助からすれば腕組みも手つなぎも同じようなものだったが、ニコニコと笑うクルミを見ると嫌とも言えず曖昧に頷くのだった。
「ガロンさんこんにちは!」
クルミは元気よく酒場『ウエスタン』に入っていく。横助も後に続いた。カウンターに立つガロンが目だけ動かして二人の姿を確認する。
「適当に座れ。いつものでいいな」
「はい!」
「お願いします」
二人の返事を聞くとガロンは店の奥に入っていった。戦士ギルドの一員として依頼を受け始めて以後、横助とクルミはこうしてガロンの店で昼食を食べさせて貰っていた。もちろん、料金は払って。ただこの時間はお店としては営業時間外なので、特別である。
「ここにしましょう!」
クルミはいつものカウンターに近い三人がけのテーブル席に駆け寄った。横助が椅子を引いて座ると、クルミはわざわざ横助の方に自分の椅子を寄せて座った。
「…………近くね?」
「ちょうどいい距離だと思います!」
(ハーレムを妄想しておいてなんだけど、最近距離が近いような……)
クルミはニコニコと笑っていた。
そうこうしているうちにガロンが二人分のクリームスパゲティを運んでくる。ガロンはかなり料理上手で、他の料理も十分美味しいのだが、ここに来るときは大体二人ともクリームスパゲティだった。お気に入りである。
それからしばらく二人して黙々とフォークを動かしていると、不意に後ろから声が掛かった。
「横助くんにクルミちゃんじゃないか」
二人同時に振り返ると、そこに立っていたのは商人ギルド長のレインだった。
「ども」
「レインさんもここでお昼ですか?」
「ああ。自分で言うのも何だが、忙しくてね。食事ぐらいはゆっくり取りたくて、ガロンさんにお願いしてるんだ」
そう言って「相席してもいいかい?」と椅子の背に手をかける。「どうぞ!」とクルミが元気よく言うと、「ありがとう」と椅子を引いて腰掛けた。
レインは商業ギルド長の他にもギルド同盟議会の議長という肩書きも担っている。二つの組織のトップを兼任しているのだから、それはそれは忙しいだろう。
「お疲れ様です」
横助がそう言うと、レインは苦笑いで「ありがとう」と答えた。普段から疲れたような顔をしているレインだが、今日は一段と疲労が溜まっているようだった。
ちょうどそのタイミングでガロンが水の入ったコップを持ってくる。
「お前もいつものでいいか?」
「はい、いつものでお願いします」
しばらくして、レインのもとに赤いソースのスパゲティが運ばれてくる。
「レインさんの『いつもの』はトマトスパゲティなんですね」
クルミに指摘され、レインは少し照れたように笑った。
「本当はペスカトーレが好きなんだけど、西都は海が遠いからね」
その言葉に横助は首をかしげる。
「あれ、西都って海近くなかったですか?」
クルミに見せて貰った大陸の地図では、西都は大陸の西の端にあり西側の海岸が近かったはずだった。しかし横助の疑問にクルミとレインはきょとんとする。だがすぐに納得したように頷いた。
「大陸の西側は断崖絶壁になっているので、漁は出来ないんです」
「そう。だから西都で魚介類を仕入れようと思ったら、王都を経由して東の海岸からか、もしくは南都まで行かないといけないんだ」
それを聞いて横助はなるほどと納得する。言われてみれば塩漬けや干物は見たことがあったが、生の魚は見たことがなかった。
「まあクローバー運輸って運送会社のおかげでましにはなったけど、流通面の課題はやっぱり大きいね。だから僕の当面の目標は、この店でペスカトーレが食べられるようにすることかな」
レインはいたずらっぽく笑った。
気付けば一ヶ月以上期間が空いておりました。申し訳ありません。
書きための方が終盤戦に差し掛かってきましたので、そろそろちょこちょこ投稿したいと思っております。
また、夏のホラーの方も投稿しました。たぶん締め切り十秒前ぐらいに滑り込んでると思います。




