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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
1 ジークフリート・クーベルタン
9/52

4-1



 ぽろろん。軽やかなピアノの音が聞こえてくる。


 耳触りの良い、微睡の中で聞くには最良とも呼べる音。


 嗚呼、ずっとこの幸せな夢の中で生きていたい。




 コンコン、コンコンと扉をノックする音が耳に届き、重たい瞼を開いた。つい先日までの内装とは全く違う、ひどく懐かしい天井。ゆっくりと起き上って自分の装いを確かめてみると“何時もとなんら変わらぬ普通の状態”だった。


 昨晩は確か毛布も掛けずベッドの上で力尽きてしまった気がするのだが、今の俺はきちんと布団の中で横たわり毛布も掛けていた。履いたままだったはずの靴はベッドの下にきちんと揃えられており、服も都市暮らしで使用していた寝巻へと着替えている。


 もしや昨晩朦朧としながらも自力で靴を脱ぎ、ベッドにもぐりこみでもしたのだろうか。無いようでありそうな自分の行動に不信感を抱いていれば「コンコン」と再び扉が叩かれる。


「ジークさん、起きていますか」


 ノックの後に扉越しから聞こえてきたのは柔らかなアヴィーの声。


「今起きたところだ……入ってきて構わない」


「それでは、失礼します」


 入室を許可すると共に入ってきたアヴィーの服装は、昨日、一昨日と変わらぬ燕尾服だ。


「それでは改めて。おはようございます、ジークさん」


 無表情と言うべきか、それとも憂いを帯びた顔と言うべきか。相変わらず愛想笑いの一つも見せてはくれない彼に「おはよう、アヴィー」と返す。その矢先、俺の鼻をパンの焼けた香ばしい匂いが刺激する。


「今日もお前が朝食を作ったのか?」


「いいえ。本日の朝食はノーラさんが作っています。なので、早々に身なりを整え挨拶することをお勧めしにきました」


 そうか、ノーラが。俺たちの家が男所帯だからとわざわざ朝食を準備しに来てくれたのか。昨日も俺たちに食事を振る舞ってくれたし、俺が家を空けていた間に溜まっていたであろう、長年の埃などの掃除まで彼女はしてくれていたのだ。そんな彼女にこれ以上迷惑をかけわけにはいくまい。朝食の最中にでも自分たちの事は自分たちでできるから、俺たちのことは気に掛けなくて構わないという旨をきちんと伝えておくべきだろう。


 ベッドから立ち上がり着替えをしはじめればアヴィーが道路側に面している窓に近づき、その場を覆うカーテンと窓を開けた。眩しい朝日と共に少し寒い外の風が室内に入り込み、俺の素肌とチクチクと刺してゆく。


 急な寒さに身を震わせ、手早く服を羽織った俺をちらりと横目で見て、「換気ですから、我慢してください」と言ったアヴィーは、ランスたちが住まう家側にもあるカーテンを開けた。そして、先程と同様に窓も開けようと窓の下にある鍵に手をかけ、止めた。それなりに手入れをしていない年月が長かったから、鍵が錆びつきでもしているのだろうかと思った俺が彼の傍に寄り、鍵の様子を窺ってみる。


「嗚呼コレは、完全に壊れてしまっているな」


 簡単な作りをした鍵なのだが、何故か留め具として必要な個所が欠けており鍵としては最早機能しておらず、開けようと思えば外からでも容易に開けられるだろう。しかもその傍の窓ガラスには少し欠けている部分が見受けられている。


 大の男が一人寝る二階の寝室の窓に、何者かの侵入を示唆するような痕跡。俺が居ない間にでも空き巣にでも入られたのか? と訝しみながらも俺は、電車の中で町の住人がすべからく善人であるとアヴィーに伝えていたことを思い出す。


 まるで俺が嘘を吐いているようではないか。この町に居るのは善人だけだと、そう言ったのは俺だというのに、今彼の目の前には悪の片鱗とも呼べる、空き巣が予想できる証拠があるのだ。隣に居るアヴィーを見やれば、彼は何やら考え事をしているらしく、壊れた留め具を白い手袋越しの指でなぞり、真剣な眼差しでソレを見つめていた。


 嗚呼、そんな陳腐な無機物を熱心に見つめ、なぞるより、俺の姿をその目に焼き付け、触れてはくれまいか。彼の金色の瞳が、間近で見ると長いことが分かる白の睫が、少年的というよりかは中性的と言った方が当てはまる彼が、壊れ、ガラクタと化した鍵を注視しているのだ。そう思わずには居られまい。改めて思えば、現状俺はアヴィーと部屋に二人きりなのだ。


 ごくりと唾を呑み、彼の首筋に触れようと手を伸ばせば、ぱちり。とアヴィーと目が合う。


「この窓は後で直しておきます。さあ、ノーラさんたちが待っていますから、下へ行きましょう」


 俺の手を微塵も気に掛けることなく、そう言ったアヴィーはくるりと身を翻し、俺の元から離れてしまう。そんな彼を追うように部屋を出れば、うっすらと漂って来ていた朝食の香りが、強く鼻腔を突いた。その匂いに誘われ、下階へ降りればキッチンで料理をするノーラと、リビングで朝食を待っているマリアとランスの姿が見受けられた。


「おはよう兄さん」


 真っ先に声をかけてきたのは弟のランス。彼の顔色は昨晩度数の高い酒瓶をいくつか開けていたせいか、やや青い。二日酔いならば無理せず家で寝ていれば良いものを、無理をしてまで来る必要はないだろう。それに彼の頬は痛々しいほどの青痣が浮かび上がっており、せっかく忘れていた昨晩の出来事を俺は思い出してしまった。そうだ、理由はどうであれ俺は弟を殴り飛ばしたのだ。


「兄さん、昨日はありがとうな。酔っぱらった俺を家に連れて帰ってくれたって、ノーラに聞いてさ」


「あ、嗚呼」


 頬の青痣の原因について何か言われると思っていたのだが、彼は再度「ありがとう」と言っただけで、頬に関してのことは何も言ってはこなかった。


「おはようございますジークフリートさん」


「おはようございます……」


 キッチンの方に居たノーラとマリアに「おはよう」と自然に返せば彼らは笑う。温かな普通の家庭というものを十五年程体感せずに生きていたせいか、その行為はひどくこそばゆく、そして懐かしさを思い出させてくる。


「アヴィーさん……」


 先に下りていたアヴィーに駆け寄るマリア。彼女を見た彼は一度だけ確認するように俺の顔を見た後「はい」と返事をし、彼女の目線に合わせてしゃがみこむ。するとアヴィーの傍に居るマリアは花のように笑い、そのまま嬉しそうにアヴィーの手に触れた。相変わらず彼の手には手袋が嵌められているがマリアはあまり気にしていないようだ。


 そんなほほえましい様子を見ながら、俺は机にだらしなく膝を付き気怠そうにして伸びているランスの隣に座り「マリアはアヴィーの事を気に入っているんだな」と呟けば「ああ、」とランスが小さく相槌を打って俺の方を見た。


「昨日の今日なのに本当の兄妹かそれ以上に見えてくるぜ」


 ランスの言う通り、はたから見れば彼らは兄妹のようにも見える。アヴィーの方は相変わらずの硬い表情だがそれでも仲睦まじく見えるのは、多分マリアがとても嬉しそうに笑うからだろう。


「それにさっきもね、アヴィーちゃん少しだけだったけれど、ピアノを弾いてくれたのよ」


 キッチンにも俺たちの会話が届いたのだろうか、ノーラがキッチンから顔をのぞかせて壁際のピアノを指さす。ノーラに指さされたピアノの蓋は昨日と同じく閉まっているが、前に並んでいる椅子が二つに増えていた。


「すげぇ上手かったぜ。兄さんの部屋までは聞こえなかったのか?」


「いや、まったく」


 爆睡していたつもりはないのだが、ピアノの音など一つも耳にしていない俺は首を横に振る。いや、でも寝ている間にそんな音が聞こえた気もしなくはないか。まあ、おそらく俺の気のせいだろう。


「じゃあ後で聴かせてもらえよ。なあ、マリアもまたアヴィーのピアノ聴きたいよな?」


 そのランスの問いに、ちらちらとアヴィーの変わらない顔色を窺いながら躊躇いがちに「はい」とマリアは答え、しゃがんでいるアヴィーに「おねがい、」と強請り、彼の服の袖を摘まんだ。


「ええ。ボクは構いません。ただし、朝食を食べ終わった後にですけれど」


 服の袖をつかんでいたマリアの小さな手を握りこみ、そう返したアヴィーの言葉に少し不安げな表情を浮かべていたマリアもホッ、と息を吐きこくりと頷く。聞き分けの良い彼女の頭を緩く撫でるアヴィーは相変わらずの無表情で何を考えているか今一つ分かりづらいが、ベルフェリカという妹がいるせいか別段子守が嫌なわけでもなさそうだ。マリアもそんな彼のことが気に入っているようで、昨日の今日と言うのに彼にべったり甘えている。そう、うらやましいと思ってしまうほどに。


 そんな彼と彼女の仲睦まじい姿を眺めていれば、ノーラが完熟の目玉焼きやそれに合わせたベーコン、ポテトなどを盛りつけた白い皿、サラダ、スープ、パンを机の上に並べていく。


「アヴィーちゃん、マリア」


 二人の名を呼び、椅子に座るようマリアが進めれば俺とランス、ノーラ、マリア、アヴィーの全員が一つの机を囲んで座る。ランスとノーラとマリアが祈りの言葉をささげる中、手を合わせて礼儀正しく「いただきます」言ったアヴィーに合わせ俺もまた「いただきます」と手を合わせる。


 先日までアヴィーが作ってくれていたオレ好みの朝食ほどではないが、それなりに見た目的にも味的にも美味しい完熟の目玉焼きと、ベーコンを食べていればノーラがふと思い出したかのようにアヴィーを見つめた。


「ねえアヴィーちゃん。そのお洋服、都会ではちょうど良いかもしれないけどここでは少し目立つんじゃないかしら?」


 確かにノーラの言う通りアヴィーの着ている燕尾服は街中でこそ人ごみに埋もれて目立たないが。そこまで人口密度が高くない上に農業が主体であるこの町ではひどく浮くだろう。しかも容姿もこの辺りでは珍しい白色の髪に眼帯付の金眼だから悪目立ちするに違いない。


 だがノーラに指摘された服装を改めようにも、先日都心から発送した俺たちの荷物は届いていないためそれは叶わない。あの荷物の中には俺の服は勿論、彼が都心で着ていたラフな服が入っているのだ。それさえ届けば、彼はノーラにそんな些細な指摘を受けることもなかっただろうし、好奇の目で見られることもないだろう。


 嗚呼、早く俺と彼の荷物は届かないのだろうか。そもそも数日前に出したはずの荷物が未だに届いていないというのは少々遅すぎではないか?


 アヴィーの服とそれに関わる荷物の所在に少々不信感を抱き始めている俺を傍らに、ノーラは「だから、私から一つ提案があってね。私が若い時に着ていたワンピースがあるんだけど、着てみないかしら?」と話を続けていた。


「いえ、居候の身であるのに、そこまでお世話になるわけにはいきませんので、遠慮します」


「そう?」


 アヴィーに即答されたノーラは少しだけ残念そうな顔をするが「人の好みはそれぞれですものね」と軽快に笑う。しかし俺の頭の中で「私が着ていたワンピース」というノーラの言葉が引っかかって仕方がない。アヴィーちゃん、といういわゆる「ちゃん付け」なるものは子供に対して多用されることが多いから気にしてなかったのだが、ワンピースともなれば話が変わる。何故ならソレは俺が触れる世間の“一般”的には主に女性が切るものとされているからだ。


 そのことを踏まえて、俺は改めてアヴィーを見てみる。男の割に肩幅は狭く、薄い。身長はそれなりにあるが、そんなもの男女を知る物差しにはなりやしない。世の中には背の高い女性だっているのだから。喉仏の方は、燕尾服の下のワイシャツとネクタイでうまく隠されているため確認できない。が、女性特有の魅力である胸もまた確認できない。


 都市で身体の線が出るニット製のハイネックを着ていた時も、女性特有の胸は認識されなかった。まあ、どちらも隠せばどうにでもなるモノに違いはないし、喉仏や胸などの身体的特徴が発展途上故と言われてしまえばそこまでなのである。今更かもしれないが、一応の確認に口を開こうとすればランスが「えっ、アヴィーって女の子なのか?」と大きく声を上げた。


「あらいやだ、貴方気づいてなかったの? アヴィーちゃんは女の子でしょ? そうよねジークフリートさん?」


 ぱちりと開かれたノーラの瞳が真っ直ぐ俺を射抜く。それは昨晩見たノーラの眼と同じ、疑心にも似た瞳。ここは嘘を吐かねば、俺自身が危ういことになるかもしれない。正直になど、答えてはいけない。


 チリチリと肌を焼くような視線の中、俺はひねり出すようにして「あ、嗚呼。アヴィーは女だよ」と答えた。けれど歯切れの悪かった俺の答えに、眉根を寄せたノーラが口を開こうとすればソレを遮るようにしてアヴィーが「ボクは女らしくありませんから、ジークさん、うっかり忘れてしまうのですよ」と言う。


 そしてアヴィーはソレに関しての会話は終わりだとでも言うように再び食べ物を口へ運び、咀嚼し、嚥下しはじめる。


 卵の黄身を切り開き、白身と共に口の中に放り込む。薄い唇を動かしながら咀嚼し、彼の喉元がこくりと動いて嚥下する。彼の―――ではなく彼女の食事姿を見つめていれば、自ずと彼……、彼女の目に見据えられてしまった。見られていたことを知られてしまった俺はすぐに視線を目の前の皿へと戻し、ベーコンにフォーク突き立て口に入れた。


 嗚呼、彼の……アヴィオール・S・グーラスウィードのあの姿も声もすべてが男ではなく、女の物だったというのか。だが俺が初めてアヴィーを見た時に感じた、優雅さも、優美さも、憂い気な無表情も、この俺の胸の高鳴りも決して嘘ではあるまい。ただ俺が、アヴィーの性別を誤認し、問わなかっただけなのだ。アヴィーは何も悪くない。悪いはずが、無い。


 容易に思い出せる彼の白い睫や唇の形を走馬灯の如く脳裏に浮かべていればいつの間にか一同の食事も終わり、アヴィーがキッチンに全員分の食器を洗いながらお湯を沸かしていた。


 無駄のないアヴィーの手際よさにノーラは口を出せずにいるようで、マリアと並んで大人しく椅子に座っている。そしてお湯が沸き上がる数分のうちにすべての食器を片づけたアヴィーは、コーヒーの入ったマグカップを俺とランス、ノーラの前に置き、牛乳の入ったマグカップをマリアの前に置いた。


「ありがとうございます」


 自分の目の前に置かれた牛乳入りのマグカップを受け取り、こくりこくりと飲むマリア。その隣ではアヴィーが立ってティーカップに口を着けている。少々行儀は悪いが、均整のとれた体つきや仕草のせいもあり、その行いが気分を害することはない。


「アヴィーさん。ピアノ、弾いてもらえますか?」


 一息に牛乳を飲み干してしまったのだろう、マリアがアヴィーの服の裾を引っ張る。


「かまいませんよ」


 マリアの申し出を快く受けたアヴィーは自分の飲み物、おそらく紅茶であろう物を飲み欲し、マリアが使っていたマグカップもろとも流しに置くと彼女と共にピアノの前に座った。マリアを隣に座らせながら、軽やかに白と黒の鍵盤を弾く彼女は誰もが耳にしたことがあるだろうメロディを奏でてゆく。


 時折マリアが所望した曲や童謡を弾いているのを眺めていれば、彼女はピアノだけではなく歌も上手いようで、ピアノの音と絡み合う彼女の声は耳にやさしく届いた。そんな彼女たちのほほえましい姿はどこからどう見ても面倒見の良い兄と妹で、間違っても姉妹には見えない。


 アヴィーの淹れてくれた美味いコーヒーに舌鼓を打ちながら彼女たちの仲睦まじさを見ていると、隣に居たランスが「それじゃあ兄さん、今日はこれからどうするんだ?」と尋ねてくる。


 事件の真相を調べるためとはいえ四年ぶりに此処へ戻ってきたのだ、最低限、両親や娘、妻が眠る墓標には行っておくべきだろう。事件の捜査はそれが終わってからでも決して遅くはないのだから。


「今日は家族の墓参りを済ませてから、十五年前の事件について調べにいくつもりだ」


「……そっか」


 その言葉と共にランスは力なく頷きそれ以上何も言おうとはしない。どうせ俺が何も言わなくてもこいつもノーラも俺がどうしてこの町に戻ってくる気になったのかうすうす気付いてはいただろう。何せ家族の冠婚葬祭にしか戻って来たためしがない俺が、何の用事もなくしてこの町に戻ってくるなどありえないことなのだから。


 再び「そうか……」と小さく頷いたランスは大きく息を吸うとソレに見合うだけの大きなため息を一つ吐いた。


 二日酔いと頬の青痣のせいも相まって一層気だるげなのも、実質気だるいことも分かるのだが、それなりの覚悟と意気込みを持ってこの島へ戻ってきた俺としてはランスが見せるそのやる気のない態度に僅か、苛立つ。


 やはりこいつも俺の事を理解しているように見せかけているだけで俺の事は何一つ分かっていないのだ。血が繋がっているから何だ。家族だから何だ。何も分かっちゃいないのに、知ったかぶりの如く俺の周りに居てくれるな。そんな役立たず、俺には要らない。


 刺々しくなりつつある自分を押さえつけるためにアヴィーの淹れてくれたコーヒーを口に含み飲み込めば、ゆっくりとコーヒー独特の香りと苦みが体中に染み渡り、心中に集まりそうになっていた黒靄を拡散させてくれた。苛立ち始めた自分を拡散することに成功した俺は、耳でアヴィーとマリアが奏でるピアノの音色を聴き、目では力なく項垂れているランスを見る。


 時折混じるマリアの不協和音とランスのその力ない姿を見ているとまた、心が乱されるが、止そう。ランスにはランスの守るべき家庭が在り、幸福な生活があるのだ。俺の私怨に付き合わせ、巻き込むわけにはいくまい。


 そんな俺の心持を珍しく察したのかは不明だが、気だるげな表情を浮かべていたランスは、気を取り直したかのように溌剌とした表情を見せ「オレに手伝えることがあったら何でも言ってくれよ。できるだけ力になるからさ」と屈託のない笑みを俺に向ける。そんな彼に「その時はよろしく頼むぞ」とだけ声を掛け、その後ピアノを弾くアヴィーとマリアの姿を見ていた俺たちだったが、食後のサプリを飲み終えたノーラが何かを思い出したかのようにいきなり立ち上がった。


「こうしている暇はないんだったわ! マリア、今日はパパがこんな状態で車に乗って教会には行けないから、歩いていくわよ」


 俺の知る彼女はそれほどまで信心深くはなかったと思うのだが。そう疑問を抱えながらアヴィーの元からノーラの元へと移動するマリアを眺めていれば、席を立ったランスが俺に顔を寄せて「ミサに合わせて婦人会の集まりがあるらしいから、それで毎週通ってんだ」と小さく教えてくれた。


「そ、そうなのか」


 あまりに近すぎやしないか。そもそもそんな小声で教える必要があるものだったろうか。昨晩の出来事もあって、弟であるランスに少しばかりの不信感を抱いていた俺はさらにその感情を強く抱く。


 いくらもしない内に、支度もあるからと自分たちの家へ戻っていったノーラ達を見送った後、俺はアヴィーに詰め寄った。それは勿論、アヴィーが“彼”ではなく“彼女”であったということを問いただすために。マリアと共に弾いていたピアノから離れ、俺たちが使っていたマグカップを戸棚に仕舞い終えたアヴィーの前に立ち、彼女を壁と俺との間に挟み込んだ。



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