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五月十六日。ジークフリートとの間に少々の仲違いが生まれ「人でなしが!」と言われました。まあ、得体の知れない『Ave-M』という異物を投与されてしまった時点で最早ヒトではないでしょうし、その後サタナリアさんの手によって諸々の製剤も投与されヒト成らざる再生能力や筋力を得ていますから、むしろしっくりさえきます。
そもそもの仲違いも、彼が自ら事件を調べ「頑張っている」という現実を作り出すために起きた弊害なのです。忙しい最中、他人がだらけているのを見ると大抵の人は「自分はこんなに頑張っているのに」と思うことを、彼にも体感させただけにすぎません。そのための弊害として今回のように「アイツは頑張っていない。不真面目だ」と憤られてもしまうのですが、それも彼に達成感を味わってもらうためには致し方ない犠牲でしょう。
家を飛び出していったジークフリートを追いかけはせず、一応彼に取り付けておいた発信機の位置を確認しながら、姉妹間でやり取りされる電子メールの確認をしていたボク。その最中、家のインターフォンが押されたので玄関に出てみれば、ボクにとって見慣れた――おかっぱ頭の小さな黒い看護師が二人、玄関に立っていました。
「おひさしぶりです、アヴィオール様!」
「マンモーネ様からアヴィオール様へ車の譲渡をしに参りました」
「これ、車の鍵ですー!」
出会い頭の挨拶も短めに、ボクに車の鍵を渡した瘧。よくよくみれば玄関からそう離れていない場所に、高級そうな群青色のノスタルジックカーが一台と、黒いコンパクトカーが一台停められていました。おそらく彼女たちは後者の方で帰るのでしょう。
「車の件はベルフェリカちゃんの方から聞いています。ありがとうございます二人とも」
瘧の手から鍵を受け取りお礼もかねて彼女たちの頭を撫でれば、その内の一人が「嗚呼」と声を上げました。
「ところでそのベルフェリカ様、ええっと……?」
少々協調性に欠けている方の瘧が、もう一方の瘧を見やれば「アヴィオール様と長年一緒に居られた、ヴィクトリア様を経たのちベルフェリカ様となった方が非常に危険な状態になっている……と私たちのサタナリア様から通達がありました。もし、お会いになられるのであれば、早めに向かった方が良いと私は思います」と言い、続けざまにもう一人が「私もそう思いますー!」と叫びました。
ベルフェリカちゃんが危篤? それも、ボクと十年以上一緒に居てくれたあの子が? そんなこと、彼女から何一つ聞いていない。滅多に感じることのない焦燥がボクを駆け抜け、一つの答えを導き出します。
彼女はボクに来てほしくないがためにそのことを伝えなかったのだ、と。何しろ今、ボクは長年の望みでもあった実父であるジークフリートと一緒に過ごせているのです。しかもボクが十年以上それを望んでいたことは、ボクの傍にずっと居続けてくれていた彼女が一番よく知っていること。故に、その邪魔をしたくないのだと、わかるのです。それにもしボクが彼女の立場であったとしても、彼女と同じことをしたでしょうから。
だから、その後に彼女が願い、思うことも分かってしまうのです。せめて、もう一度ぐらいは会いたい、と。会って、出来ることなら意思を交えたい、と。
そこまでわかっているのなら、ボクがすることは一つ。彼女に会いに行く。それに、このまま彼女に会わずにいて、彼女が死んでしまったならばボクはひどく後悔するでしょうから。
ならばボクはすぐにでも彼女の元へ行けるよう算段しなければなりません。今はジークフリートとの仲が芳しくはありませんが、少々強引にでも彼と一度都市へ戻りましょう。彼一人をこの町に置いていくのは、彼の貞操的にも、精神的にも非常に危険ですから。
「そんなアヴィオール様に、はい! イーエッグ発の定期船チケット二人分と、発煙筒とか爆竹とかその他諸々です!」
ええいめんどくさい! とその他諸々が詰まっているらしいバックを丸ごとボクに渡した瘧。もしや、これ等を使ってジークフリートを拉致し、その足で強制的にベルフェリカちゃんの元へ行けということでしょうか。穏便を好むボクの趣向とは少々相反しますが、もし彼が駄々をこねるようであればこれらを使って強制的に連れて行くこともやぶさかではありません。
「嗚呼もう、ちゃんと説明をしなさいとサタナリア様に言われたのに……。アヴィオール様。伝えるのが遅れましたが、この町で女王蜂のフェロモンについて研究しているチームが、女王蜂であるジークフリートが帰ってきたから、と町の祭りに乗じて働き蜂の雄化を強制的に進めました。直に彼らが女王を求めはじめます」
「それでね、この爆竹とか、発煙筒とかを使って彼を助けて、そのまま島の外にしばらく避難していなさい、って!」
「なるほど、それでこの量……」
よくよくバッグの中身を見てみれば発煙筒や爆竹、スタンガンなどの優しい対人武器に加えて、ボクが有事の際に使っている再生剤の注射器やボクの生存に必要不可欠な栄養剤も大量に入っていました。
「ありがとうございます、二人とも」
急いで支度をして、彼の元に急がねば。そう思ったボクの鼻腔を突いたのは、噎せ返るような甘い匂い。酒のような、蜜のような、言い知れぬ酔いを持ったそれが、働き蜂の雄化を誘発させる効果を持ったものなのでしょう。おそらく祭りに参加している町の住人達のもその香りが届いたのか、祭りの喧噪とは明らかに違うざわめきが飛び交い始めました。
嗚呼、早いうちにジークフリートを回収しに行かねば、大変なことに。いいえ、それこそ取り返しのつかないことになってしまうでしょう。
ジークフリートの貞操と精神を守るべく、覚悟を決めてボクは彼の元へと向かうことを決意したのでした。




