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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
5 A.あるいはオデット・クーベルタン
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2-1




 朝特有の肌寒さがあるものの、すがすがしいと称せる朝。ベッドの上で眠り続けているマリアの頭を幾度か撫でた後、ボクは寝間着から普段着へと着の身を改めました。深緑のタートルネックにベージュのズボン。アヴィオール・S・グーラスウィードとしても、ボク個人としてもよく似合う色味のこの服は、ベルフェリカちゃんがヴィアちゃんだった頃に、着てほしい、とせがんできた配色の物でした。


 ベルフェリカちゃんの肉体から離れて実質三週間ほど。ヴィアちゃんだった頃の彼女とよく似ているマリアが居るせいか、ほんの少し彼女が恋しくなりました。今はもう身体を嫉妬の獣に喰われ、怠惰の悪魔であるベルフェゴールを彩ったベルフェリカちゃん。彼女は自らの意思で身体を戒めることにより怠惰を象徴するとともに、未だ身に色濃く残る嫉妬も戒めているのです。先に身体が壊れるか、あるいは精神が壊れきるか。半々と言ったところではありますが、要観察が必要な身体でなお、拘束を外したあの彼女は何をしでかすかわからないのです。


 やんわりと、ベルフェリカちゃんを思い出しながら窓の外を眺めていれば、「町に十五年前と同じ木乃伊化遺体が出た」という旨を、息を荒たジークフリートが伝えにきました。彼の表情には焦りが見えており、彼としてはこの事件を追えば十五年前の事件についても何かしら分かるのではないかと思っているようでした。ですが、今回もまた黒山羊製薬の手配よって証拠は隠滅されているでしょうから、十五年前の事件の進展は愚か今回の事件の進展もないでしょう。ただ、それでもボクは「進展がある」と思い込ませなくてはならないのです。何せボクは助けられる被害者を見捨てて、ジークフリートの望みをより良い形で叶えると決めたのですから。


 さて、彼は如何するのでしょう。と思った矢先に彼はボクの手を引き、事件現場へと向かおうとしました。が、ボクはそれを拒否します。何故ならボクは食事を、それも男性が摂取すべき量をはるかに凌駕するカロリーを摂らなければ木乃伊になってしまうからに他なりません。もし、食事を疎かにして木乃伊にでもなったら、彼はどう責任を取ってくれるのでしょうか。


 少々きつい眼差しでジークフリートをにらみ倒せば、恐れをなした彼はランスと共に事件現場へと向かいました。まぁ、彼が現場へ行ったところでボクが居ない以上、彼にメリットはないでしょう。精々ボクと共に来ればよかったと後悔することです。


 過ぎ去ってしまった喧噪の残り香で目覚めてしまったのでしょう。寝ぼけ眼でベッドの上に座っていたマリアさんを着替えさせ、ボクと彼女は朝食の準備に取り掛かります。今日は外へ行ってしまったジークフリートのためにも、持ち歩きができる朝食が望ましいですし、手伝うと言ってくれたマリアが作れそうなロールサンド辺りが無難でしょう。手早く準備を整え、マリアと共に朝食を作ったボク。それらを食べようと椅子に座った頃合いで、玄関から大きな足音が響き、リビングの扉が勢いよく開け放たれました。そして、そこからマリアを迎えにきたらしいノーラが現れ、朝食が乗ったテーブルを力強く叩きます。


「貴女、いったい何者なのよ! それに、何時までここに居座る気なの!」


 目を血走らせ、顔を真っ赤にさせたノーラ。ジークフリートが家に居ないからとはいえ、朝からそんな怒鳴り声を出すとは、少々頭に血が上りすぎているようですね。おそらく昨日、自らがした行いによってジークフリートに拒絶されたということを認めたくないがゆえに、その責任の方向をボクに向けたのでしょう。ですが今はそれを指摘するべき時ではありません。むしろ、ジークフリートのいないこの場でこそ、彼女、ないしは彼女たちと条約を結ぶべきでしょう。


「何者? 居座る? もしかしてノーラさんは、ボクのことを忘れてしまったのですか?」


 椅子から立ち上がり、鼻で嗤うようにそう言えば、彼女はさらに激昂し「何を言ってるのよ!」と叫びます。


「嗚呼、ボクとは言わず『わたし』と言った方が良いのでしょうか。ノーラ叔母様」


「叔母様? まさか……、貴女……オデット?」


 でもアレは木乃伊になって死んだはず。と、顔色を一転させ青ざめさせるノーラ。そんな彼女に対してボクは涼しい顔で「そう、『わたし』はオデット。十五年前のあの時、叔母様たち町の住人の手でパパであるジークフリートの手から引き離され、路頭に迷わされ、木乃伊化への一途をたどらせられた、ジークフリートの娘。思い出していただけましたか?」と、彼女、いえ、この町の住人達の罪である、オデットの行方不明にまつわる裏話を語ってあげました。加えて、オデットの笑みだと分かる表情を、これみよがしに浮かべて。


「でも、死んだ。オデットは死んだのよ! 木乃伊になって死んだのよ!」


「いいえ、叔母様。あの木乃伊はわたしではない別の子。わたしを助けてくれた人の計らいで、わたしの服を着せて、DNA結果をわたしのDNAで改竄したんです」


 にこにこ、とアヴィオール・S・グーラスウィードとしては絶対に浮かべない、子供じみた笑みを浮かべるボクに、ノーラは生唾を飲み込みます。


「……彼はソレを知っているの?」


「まさか、どちらも知りませんよ。ですがDNA結果を見せ、オデットとジークフリートの間にあったことを事細かく言い当て、それらを証拠として提示すれば、彼はわたしをオデットと認めることでしょう。そしてその愛娘であるわたしが、貴女たちの手によって貶められたのだと言えば、彼の中の叔母様方への信頼は消え失せ、会話一つ交わすことなく彼はここを去るに違いありません」


 ジークフリートは、貴女たちなんかよりわたしを信頼していますからね。


「っ……!」


 その顛末を考えてしまったのでしょう。ノーラは目を見開き、脂汗をたらしながらゆっくり口を開きました。


「なにが……望みなの……」


「簡単なことです。わたしとパパの迷惑になるような行い、具体的にいうなれば盗撮、や盗聴、物品の窃盗や家具の破壊を自重してくれれば良いのです。勿論、そのお礼として叔母様が昨晩味わったような、パパとの二人きりの時間を提供してあげるのもやぶさかではありませんし、現在進行形で決裂しかけている叔母様とパパの間を仲介してあげることも可能です」


 勿論、自重することにより得られる報酬の情報を、叔母様の中だけに留めて、ひとりじめしても構いません。


 そうボクが持ちかければ、ノーラは逡巡します。おそらく今の段階で彼女がジークフリートに会ったとしても邪険にされることは彼女も分かっているのでしょう。しかももし、町の住人達の目がある場所で彼と出会い、邪険にされれば、彼の弟の妻として君臨している彼女自身の座に傷が入ることは明白。そうならないためにも、そして、彼に嫌われたくないであろう彼女は一刻も早く、彼との友好関係を良好にしなくてはならないのです。


 ボクとしては生活に差しさわりの出る邪魔が一等迷惑なので、それさえなければ昨日のようなお目こぼしもやぶさかではないのです。それにすべてを規制し、欲のたまった彼らが夜這いをしでかさないという保証はありませんから、程よい蜜を吸わせて欲を発散させねばならないのです。


「……、考えさせてちょうだい」


「ええ、どうぞご自由に。わたしは何時でもオデットであること等を彼に明かせますからね。それに、その決断を長引かせるほど、貴女の信頼が取り返しのつかないことになるのも、お忘れなく」


 ジークフリートを盲信する町の住人の一人であるノーラのことですから、即決すると思ったのですけれど、彼女は回答を後回しにしました。おそらく、ボクが本当のオデットなのかというのを調べるつもりなのでしょう。まあ、本当にボクはオデットですから、調べられたところで痛くもかゆくもないのですけれど。


 ボクとノーラの会話には口を挟まず、もくもくとロールサンドを食べ続けていたマリアの髪を無造作につかんだノーラ。「痛い!」と叫びんだマリアの目は、本来子供が母親に向けるべき目ではない、恐れの目。


「叔母様。そういう目に余る行いも、ボクは彼に明かせるんですよ?」


 現にマリアの身体には言い逃れのできない傷が、いくつもあるんですから。


 ノーラの耳元に顔を近づけそう囁けば、彼女は慌ててマリアの髪から手を離します。


「っ、いくわよマリア」


「……はい」


 母親によって乱された髪を直し、礼儀正しく会釈をしたマリアはノーラの後を追って家を出ます。リビングに残ったボクは一度ジークフリートに連絡をし、その場で待機していてほしいとの旨を伝えました。下手に帰宅されて、ノーラと鉢合わせでもしたらボクとしては困りますからね。朝食のロールサンドに加えてサタナリアさんから渡されている栄養剤を摂取し、それなりの必須カロリーを摂ったボクは、ロールサンドの入った紙袋を持ってジークフリートの元へ向かいました。


 四月前半の、まだ寒さの残る中。遺体発見現場である路地から少し離れた場所でボクを待っていたジークフリートの収穫は、ボクが予想した通り無かったようでした。それに、彼は口にこそ出しはしませんでしたが案の定警察署の署長に無視されもしたようです。本当に、ボクが居なければ何もできないのだと自覚し、ボクのカロリーを無駄に消費させないようにしてほしいものです。


 ジークフリートに達成感を与えるためにのみ警察署へ行き、無駄な時間を過ごした帰りに事件立証に必要な地形写真の一部を撮影しに行きました。ソレに合わせて手芸屋に寄って手持無沙汰解消のための毛糸を買い、家に帰ります。


 ですが、あろうことか家ではノーラが夕食を作り始めており、ジークフリートの機嫌が急激に悪くなりました。ジークフリートの一方的な猛攻に恐れをなし、家から出て行ったノーラ。勿論彼女はボクとジークフリートの居るこの家にマリアを残して。母親として子供を他人のもとに置き去りにするのはいただけませんが、下手に連れ帰られて虐待されても寝覚めが悪いですし、この場は気にせずマリアを家に泊まらせる方向で話を進めていくことにしましょう。


 翌朝、再び起きた事件をジークフリートに知らせるためにやって来たランスと、マリアを迎えにきたノーラを玄関先で出迎えたボクは「叔父様、叔母様。わたしが昨日出した条件を飲む気になりましたか?」と二人に切り出しました。昨晩の内にノーラがジークフリートに、ボクがオデットであることを明かしたのはベルフェリカちゃん経由で知っているので、それだけの言葉で話は通じることでしょう。念のために記載しておきますが、そもそもこのイーエッグ島は黒山羊製薬の実験島として人工的に作られた島であり、この島に住む住人達はすべからく彼らの観察対象。故に街中には勿論観察対象であるボクたちが住まう家の至る所に黒山羊製薬の監視カメラや、盗聴器が仕掛けられているのです。


「盗聴と、盗撮を止めれば良いのよね……?」


 自分たちが設置した盗聴器と監視カメラが規制されていることが気になっているのか、その二つのみを上げたノーラ。勿論、その二つだけに対してボクが頷くわけがありません。


「盗撮、盗聴。それだけではなく、物品の窃盗や家具―――窓の鍵の破壊などを自重し、わたしとパパの迷惑にる行動を控えるだけで構いません。ですが、幼児虐待は目に余るので控えた方がよろしいかと思いますよ」


 うっかりジークフリートにマリアさんの身体の傷について漏らしてしまうかもしれませんしね。


 うっすらと笑みを浮かべて両者を見れば、二人とも青ざめた顔で目を逸らします。疾しい行いをしていたのだと一応の自覚はあるようで、幸いです。


「……もし、オレたちがお前のその条件を飲めば、お前はその代わりにオレたちに見返りをくれるんだよな?」


「ええ勿論。良い行い人をした方には、それなりの報酬。具体的にはジークフリートとの二人きりの時間を作ってあげたり、それこそ今見られないでいる盗撮の画像を少しの時間だけ横流しして、少しの時間だけ見せてあげたりするのも可能ですよ」


 盗撮の横流しが可能。すなわち現在盗撮と盗聴の規制をしているのがボクであるとわずかに含ませれば、ランスもノーラも見開きボクを見ました。どうやら二人ともボクがそれらの規制をしているとは思ってもいなかったようです。


「それに、現在わたしのパパと叔母様の間にある亀裂もフォローしてあげることもできますよ。これ以上ジークフリートさんに嫌われるのは叔母様も本意ではありませんよね? ふふっ、わたしが一言添えるだけで彼は『しかたない』と許してくれますからね」


 それで、どうしますか?


 小首を傾げて余裕ありげに嗤えば、二人は顔を見合わせた後ランスが「お前の条件を飲もう。オレたちは、ジークフリートやお前の迷惑になるようなことはしないし、娘にも手は上げない」と頷きました。


「そうですか。ならば報酬が得られるよう、頑張ってくださいね」


 さあ、どうぞ。


 玄関の扉を大きく開き、ボクとの条約を交わした二人を家へと招き入れました。



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