1-3
明かりの灯った十五年ぶりの我が家では、ランスの妻である女性と、その二人の間に作られたとは到底思えそうにない可愛らしい幼女のマリアがボクたちを出迎えてくれました。勿論、ノーラもジークフリートを盗撮、盗聴していた働き蜂の一人でもあります。ボクを疎んでいる人。それも二人、いえ、きっとそれ以上の数の人間と顔を会わせて過ごさねばならないかと思うと、ため息がこぼれそうでありました。ですがそれを飲み下し、これから先、またとない癒しとなりそうなマリアさんを、ボクは愛でることに決めました。
現状、マリアは何も知らない子でしたから。いえ、むしろマリアは、ジークフリートをこの島へ呼び戻すための口実として結婚したランスとノーラが、一度は帰ってきたという効果を得たが故に、再びジークフリートをこの島へ呼び戻すための口実として産み落とされた子にすぎないのです。きっと彼が数年この島に帰ってこなければ、マリアの葬式を口実としてジークフリートをこの島に帰ってこさせたことでしょう。
こんなに可愛らしく、聡明そうな子を殺そうだなんて、なんて非道な人たちでしょうか。葬式をする、という事柄に関しては確固たる証拠はありませんが、マリアが両親の顔色を窺ってばかりいるのを察するに、おそらく実生活の方でも相当な仕打ちを受けているのでしょう。小さな子、というより親からの愛情をもらえていない、ヴィアちゃん、もといベルフェリカちゃんの姿を長年見続けていたボクは、彼女のような境遇の子に弱いのです。かわいがりたくて、世話を焼きたくて、仕方がないのです。
そんな気持ちを抱きながらも家に入ったボクは、真っ先に届いているべき荷物の所在を案じました。が、やはりというべきでしょう。都市からこちらへ贈った荷物はこの家にはありませんでした。
集荷場に在るのかと一度ベルフェリカちゃんに連絡をしてみましたが、すでに受け取り済みとなっているようでした。おそらく荷物を受け取ったのはノーラでしょう。そしてジークフリートの荷物は町の住人たちで山分けをし、ボクの荷物は廃棄したに違いありません。
まあ、念のためにと箱に詰めていたものすべてのスペアを事前に用意していたので、それを速達、それ
も集荷場止まりにしてもらえるようベルフェリカちゃんにお願いをしましたから、荷物を盗まれたことはジークフリートにはバレないでしょう。ですが、今後こういった窃盗じみた行いが常習化するのだけは避けたいものです。
一通りの算段と食事を終え、入浴後のボクの姿に見入るジークフリートの熱っぽい視線はとても心地よいものでした。勿論、ボクに見入る彼を見て、緑の瞳をした獣を大暴れさせているノーラの敵意の視線が、その心地よさを上げるためのほどよいスパイスと相まって。
ジークフリートの帰宅を喜び、深酒をしてしまったランスを口実に、自宅へジークフリートを招いたノーラ。そして家に残されたボクは、事前にジークフリートさんにつけていた盗聴器越しにランスとノーラの声を聴いていました。
「兄さん、兄さん、兄さん。やっと、帰ってきてくれた……。オレ、ジークフリート兄さんが帰ってきてくれるの、ずうっと待ってたんだ。兄さんについてきたあんな蛆虫、すぐに始末してやるから……兄さんは安心してオレの傍に居てくれよ」
蛆虫? それはこちらの台詞です。父親であるジークフリートの手からボク攫い、母親を発狂までさせた、この町の住人達の方がよほど蛆虫に近いではありませんか。ヒトのささやかな幸福にさえ集り、蝕み、自己の欲のみを満たそうとする胸糞の悪い害虫。
酔いが回り理性のタガが外れたランスをジークフリートが如何処理したかは知りませんが、彼の発言によって少々ランスに対しての心証を改めたことはボクにもわかりました。流石に、懇意にしている人間を蛆虫と呼ぶ輩には良い心証は持ちませんからね。
その後に起きた、ノーラとジークフリートの問答はなかなかスリリングで、ボク個人としては聞いていて、とても面白いものでした。何せノーラはジークフリートを監視、盗聴していた働き蜂の一人でもありますから、ボクが彼の知り合いの子供でないことを把握しているのです。
魔窟とも揶揄できそうなランスとノーラ、マリアの家から帰ってきたジークフリートに対して「お二方とも嬉しそうでしたね」と一度カマをかけてみましたが、彼は何一つ気づかず「そうだな」と答えました。ボクとしては、嬉しそうだったのはランスとノーラの二人だけ。彼らの間に生まれたマリアはちっとも嬉しそうではありませんでしたね。という意図を込めたつもりだったのですが、ランスに対してのみ心証を改めただけの彼には、どうやら伝わらなかったようでした。
そしてその日の晩。ジークフリートが眠った後、ボクは全室に設置されていた監視カメラや盗聴器の類をすべてベルフェリカちゃんに統括してもらい、その内容を規制してもらいました。四六時中監視されている側にいるというのは気分の良いものではありませんからね。
完全に寝落ち、の状態でベッドの上に転がっていたジークフリートの装いを改めた次の日の朝、朝の挨拶としてジークフリートの部屋へ入ったボクは、窓の鍵が破損していることに気が付きました。
向かいにあるランスたちの家と、この家の壁はとても近いですから、それを利用すれば単身でも彼の部屋に侵入することは可能でしょう。最悪、最低の手段として夜這いが可能ということです。数日の間にそうならないことを祈りつつ、早めに直すか、再び破壊されないようなものにしておくことを決め、リビングに戻った僕はノーラお手製の朝食を口にしました。流石にジークフリートも口にする料理には何も入れてはいないようですが、ノーラが食事を作る際にはそれなりの気配りと、対処法を準備しておきましょう。再生力に富んだ強靭な身体を持つボクではありますが、劇物を混入されて栄養吸収の妨げとなっては困りますから。
互いに対する嫉妬と疑心暗鬼が渦巻く朝食の最中、マリアさんによってボクが女であることをジークフリートにバラされました。別段、体格に似合っているからこの服を愛用していただけであり、男装をしていたつもりは微塵もないので、ボクとしてはその発言は痛くもかゆくもありませんでしたけれど。ただ、その事実を突き付けられたジークフリートによって問い詰められた時は、本当にうれしくて仕方がありませんでしたから、ボクとしてはノーラに賞賛を送りたいほどでありました。こんな美味なシチュエーションをわざわざ与えてくれて、ありがとうございます、と。
その後教会に在るオデットを含めた親族の墓に添えるための花と、その道中の間食を購入するために家の外に出たボクたちに向けられた目は奇異の目。あるいは喜びの目、緑の瞳をした獣の目でした。
勿論この町の人々の大半――それこそ、他のコロニーから移動してきた人々や、ジークフリートが漂わせる女王蜂のフェロモンに惑わされていない人々もそれなりに居はしますが、それでも住人の顔ぶれは変わらないようで、彼はボクの存在を口実にした住人達に声をかけられていました。
そんな人々を適当にあしらい、無事買い物を終え、教会へ行くための手段としてランスから車を借りてきたジークフリート。彼を盲信するランスのことですから、彼の望みを叶えることができたのは、ランスとしても本望だったことでしょう。
そして教会へ行く途中、ジークフリートに少々意地の悪い質問をした後、ノーラと、マリアを見つけたボクは二人を車に乗せました。
というのも炎天下とはいわないまでも、それなりの日差しがあるなかでマリアのみが帽子を被っていませんでしたし、何より水分補給をするための物を何一つ持っていない状態というのは、見過ごせたものではありませんでしたから。これで大人の足でも結構な時間がかかる教会までの道のりを子供の足で歩かせ続け、もし熱中症にでもなって死んだら、せっかく葬儀という催しを回避したマリアにとって、本末転倒ではありませんか。
何事もなく教会で彼女たちと別れた後、オデットの墓の前で「お前はどこまで俺の事を知っているんだ」と訪ねてきたジークフリートに対し、ボクは「ご家族の名前は勿論、それらすべての生年月日は把握しています。そして、ジークさんの、身長体重の変動記録、黒子の位置、抜け毛の本数、住所、電話番号、各子機のメールアドレス及び過去のメールアドレス、好きな食べ物、嫌いな食べ物、今まで付き合った女性の人数と年齢と名前、好きな色、年代別の趣味、苦手なこと、起床時間から就寝時間及び生活サイクルの基本動作にかかる秒数、元会社の社員番号、学生時代のあだ名、女性の趣味、性癖、自慰の頻度、オカズの趣向、黒歴史、貯金残高、生まれて初めて発した言葉から亡き奥様へのプロポーズの言葉。その他もろもろの程度の事項ならば把握していますが、それがどうかしましたか」と正直に答えました。それにこの程度のことであれば、彼を盗聴し、盗撮していた町の住人達も把握していることでしょう。その後こまごまとした問答をし、その結果としてボクに不快感を抱いた彼は、ボクを畏怖し、恐れはじめました。余計な発言をしてしまったが故? いいえ、そんなことはありません。なにしろこの状況もまた、ボクの意思なのですから。
少しの会話を挟んだのち「故に、」と言葉を漏らし、「ボクの前で偽るような行動をしてもすべてが無意味です」とボクは言います。
「こんなボクを気持ちが悪いと思うのであれば遠慮なく『気持ち悪い』と言えば良いのです。実感として苦しければ思う存分苦しめば良いのです。泣きたければ涙と声が枯れ果てるまで泣けば良いのです。怒りたければ心の底から怒れば良いのです。―――何せボクは貴方の全てを、性癖さえも知り尽くしてしまっているのですから、今更貴方の心の内を知ったという些細なきっかけで、貴方の事を嫌いになるとお思いですか?」
そう、ボクは彼を分かりきっているのです。何せボクは十年以上もジークフリートを彼らと同じく盗撮、盗聴し、加えて心理学の統計と鑑みて行動、思考パターンも熟知しているのですから当然のことでしょう。故に彼が心の内に、町の住人はもちろん、血縁者のランスに出さえ零せない思いがあることも、ボクは知っているのです。
にもかかわらず、心の壁を打ち破らない彼に対して「それに何よりボクと貴方は赤の他人ではありませんか。何の縁もない。契約で繋がれただけの存在。ですから、何の気兼ねもいらないのですよ」とボクは言ってあげました。赤の他人、と自称するのは少々つらいものではありましたが、それでもこの状況を比較的良いものにするためには言葉を選んではいけないのです。
自身の心の痛みを犠牲に発した言葉の効果があったようで、彼はボクに泣きつきました。嗚呼、なんて、かわいいひと。ボクの手のひらでコロコロもてあそばれていることも知らない、おろかなひと。すべての悪手から、ボクが貴方を守ってあげましょう。
それに町の住人達が彼に「忘れろ」と言ったのは優しさからではありません。彼らは自分たちの私利私欲のために言ったのです。それこそ、ジークフリートの中を自分たちでいっぱいにしてほしいがために、オデットであったころのボクと彼の妻でもある人を排除したといっても過言ではないのですから。
思いの丈を吐露し、落ち着いたジークフリートに鉱石にも似た薄荷の飴を与えた後、ボクらは教会へと向かいます。その途中で憎きベンジャミンの息子であるダニエル神父と挨拶を交わし、教会に入る前で一人の男と目が合いました。十五年前オデットやアヴィオール・S・グーラスウィード、イザベル達など数多の少女を実験の検体として使用した不愉快な研究者。彼はボクの顔を見るなり逃げ出してしまいましたから、彼もまたボク、アヴィオール・S・グーラスウィードを覚えているのでしょう。ボクに彼の始末を任命されるかは分かりませんが、もし任命された場合は嗜虐の限りを尽くして彼を消し去る所存です。
教会でのミサを終え婦人同士の会話に花を咲かせるノーラと、教会の隅でおとなしく母親を待っているマリアを教会に置いて、ボクらは本来の目的である十五年前の事件、「イーエッグ木乃伊化殺人事件」について調べるために町の警察署へと向かいました。
手始めに事件究明の依頼者、となっているジークフリートに受付係の青年と交渉をしてもらいましたが結果は失敗。プライバシーの保護についてうるさい今日では、そうやすやすと事件内容を明かすことはしないでしょうから、この結果に関しては当然のことでした。
気だるげな表情を浮かべボクとジークフリートを見る受付の青年ではありましたが、ボクが彼らの上司に値する官職の印が付いた封筒を渡し、中身を見るよう促せば、その顔色をすぐさま変えて別室へと走り去りました。そして間もなくバタバタと激しい足取りで年配の男性が青年と共にやってきた彼らは封の切られた封筒をボクに返しました。その頬には冷や汗が流れていましたから、中身は彼らにとって脅威を感じるものだったのでしょう。
事件の資料を出すのに少々時間がほしい、と申し出てきた彼の意を汲み、ボクはそれに心よく応じ警察署から一旦出ました。そして、警察署の向かいにあるカフェで軽い昼食を採り、改めて警察署を訪ねて事件の調査を始めたボク達でしたが結果として得られたものは何一つありませんでした。決して警察が悪いのでも、無能だったわけでもありません。何故なら、この事件の解決の糸口になりそうな証拠全てが、黒山羊製薬の者によって隠滅されているのですから。
そもそもこの島自体が、黒山羊製薬が研究開発を進めるために作った人口の実験島。警察の人間として黒山羊製薬の息が掛かった者が多数潜み、黒山羊製薬の害になるようなものすべてを隠蔽、排除していたとしてもおかしくはありません。むしろ今ボクたちが調べている事件こそ、黒山羊製薬の名のもとに行われた実験でしたから、完璧な隠蔽が行われた。と、いうべきでしょうか。まあ、イーエッグ木乃伊化事件についての全容と、黒山羊製薬の本当の狙いをベルフェリカちゃんから教えられているボクには何の意味もありませんけれど。
ただ問題があるとすれば、証拠が一つも無い中で、いかにしてこの事件の真相をジークフリートに解き明かすか、でした。唯一の証拠となる木乃伊の安置場所が、事件現場であり研究場所でもある教会を中心にして配置されているのをボクは知っています。そして犯人であり、黒山羊製薬の研究者でもある「あの男」をジークフリートに解説してしまえば、ボクにとってはこの事件の真相は明かされたも同然。
ですが、それだけではきっとジークフリートは満足しないでしょう。むしろそんなわけはないと逆上してしまう可能性すらありました。過程を伴わない成果は成果とは呼ばない。例えそれが真実だったり、本物であったりしても、納得するだけの証拠と過程が無ければ真実だとも、本物だとも、認められないのです。いうなれば、保証書のついていない宝石を素人相手に高値で売り付けているのと同じこと。例えそれが本物の高価な宝石であっても、素人にはそれが本物であるかそうではないのか判断できないのですから。
加えて、ジークフリートは十五年もの間、この事件を引きずってきたわけですから、こんなにもあっさりとした終幕を与えられては、むしろ絶望してしまいかねません。こんなもののために、娘が殺され、妻は死に、十五年もふいにしたのだと。
ならばボクは如何するべきか。答えは一つ。ジークフリートに過程を体験してもらい、達成感を味わえるよう謀計することでした。
過程が無ければ辿らせればいい。具体的にいうなれば、「遺体の安置場所に法則性があるような気がします……」とでも言い、そちらを調べるよう誘導するのが妥当。ただ、今この瞬間に言ってしまっては過程としての時間があまりにも短い気がしますから、もう二日ほど間を置いて発案するのが良い頃合でしょう。
ある程度の時間が経過したのを見計らい、ジークフリートと共に警察署を後にしたボクは、盗まれた荷物のスペアが届いたという連絡を受け、集荷場へと向かいました。ジークフリートは何故今頃になって届くのだろうか、と訝しんではいましたが特に口に出すことはありませんでした。どれもこれも、町の住人が悪いのですけれどね。
その後スーパーで晩御飯の材料を買い、家に帰れば案の定ランスとノーラ、そしてマリアが家に居座っていました。しかもノーラは、無遠慮にもジークフリートの妻であるかのごとく晩御飯を作るつもりでいるようでした。自分の夫は勿論、子供ともうまくいっていない不出来な妻は、ジークフリートに似つかわしくないどころか不要。むしろノーラは自分たちが殺したも同然な人の立場を手に入れて、本当にうれしいのでしょうか。
お前たちがジークフリートの妻を苦しめた。お前たちがわたしの母親を苦しめた。たとえお前たちがそれに対して罪を感じていなくとも、わたしはそれを罪だと断じ、お前たちに復讐する。みんな、不幸になれ。みんな、盲信するジークフリートに嫌われて、絶望の果てに狂ってしまえ。
ふつふつと湧きあがるオデットとしての気持ちがボクの心を揺さぶりましたが、ボクは自分の表情にそれを表しはしません。今はオデットの気持ちに従う時ではありませんし、何よりそれらを決めるのはジークフリート本人なのですから。
スペアの荷物を抱え、ジークフリートの言葉を待ってみれば、彼は「すまないノーラ。今日は自分たちで作るから気兼ねしなくて構わない。それに自分たちの事は自分たちでやろうと思うんだ」と、ノーラの申し出を断りました。図々しくも自分の善意をジークフリートが快く受けてくるものとばかり思っていたらしい彼女は、面白いぐらい残念そうな表情を浮かべます。まあ、此処はあえて彼女に対しても一度恩を売っておくべきでしょう。売っておいて後々損にはならないでしょうし。と速断したボクはすぐさま「一応、ノーラさんたちの分もジークさんと一緒に作る予定なのですが、食べて行かれますか」とフォローに入れば、彼女はまさかボク自らがそういう申し出をしてくるとは思わなかったようで、面白いほど驚いた顔をしていました。
その後昨晩と同じように泥酔したランスをノーラとジークフリート二人で家に戻させるという共同作業を与え、尚且つ同じテーブルで一時食事をさせ、しまいにはボクとマリアが一緒に風呂に入るということで二人きりの時間を作ってやれば、もはや十分すぎるほどの恩を売ったでしょう。
ちなみに、お風呂に入るということはマリアの裸体を見るということになるのですが、案の定彼女の身体には痣や怪我、ケロイドの痕が指の本数以上に在りました。
おそらくマリアの両親は行き場のない怒りをすべて彼女に向けたのでしょう。親の風上にも置けない最低な人たち、とマリアの両親を心中で侮蔑しながら、ボクは彼女の身体を労わるように洗い、そして現状でできる範囲のことをしてやりました。勿論サタナリアさんから選別としてもらっていた、肉体を再生させるための緊急の特効薬『再生剤』を使いたい気持ちはありましたが、それは思うだけに留めました。おそらくこれはボクの身体に合わせて調合されたものだと思うので、処方も何もわからないボクが独断でコレをマリアに投与するべきではないでしょうから。
そして風呂から上がり服を着たボクとマリアがリビングで見たものは、ノーラに手を上げようとしたジークフリートの姿でした。
おそらく自分の立場勘違いしたノーラが調子に乗りすぎたのでしょう。ボクの勧めだからこそジークフリートはノーラと一緒にいただけであるのを、彼女は失念してしまっていたのです。ですがこのまま彼に彼女を殴らせるわけにはいかないボクは、ポケットに残っていた薄荷の飴をジークフリートの頭めがけて投げつけました。
流石にボクとマリアの存在を認識した二人は冷静さを取り戻したのでしょう。
……いえ、冷静さを取り戻したのはノーラだけであり、ジークフリートと言えば風呂上がりのボクに欲情しているようでした。まあ、ジークフリートとしては普通のことなのでしょうけれども、もう少し自分がしでかそうとしたことを反省してほしいものです。
深いため息を吐きたい気持ちではありましたが、これ以上ノーラをこの家にのさばらせておく必要はないと思ったボクは、さっさと帰れ。という意図を込めて「ノーラさんも。今日はボクたちが責任をもってマリアさんをお預かりしますから、ランスさんとゆっくり過ごしてください」と言いました。ノーラとしてはおそらくまだこの家に居座っていたかったのでしょうが、ジークフリートの目もあり彼女はすごすごと自分の家へ帰っていきました。
一方ぼんやりと佇んでいるジークフリートに風呂を勧めれば、彼はすぐさまボクの残り香を肺に収めんと、走るようにして風呂場へと行きました。きっと、鏡越しに自らの姿を見た彼は、ボクに対しての思いをさらに強く抱くことでしょう。それで良いのです、それで。貴方は亡きオデットか、ボクのことだけでそのちいさな頭をいっぱいにしていれば良いのです。
教会から歩いて帰って来たらしいマリアがうとうとと船を漕ぎ始めた中で、リビングへと戻ってきたジークフリート。一瞬ボクとマリアを兄妹と思った彼ではありましたが、ボクがマリアさんと共に寝ることを告げれば、すぐさまその思いは嫉妬へと変わりました。嫉妬。親に愛されぬことを望みながら、愛してもらえず、嫉妬の獣に身と心を食いちぎられたかわいそうな子。―――を、思い出したボクはマリアに対して嫉妬していたジークフリートを窘めます。嫉妬に狂えば身を滅ぼすことを、ボクはヴィアちゃんを通してよく知っていましたから、彼にそうなってほしくないのです。
その後、ジークフリートの執念の結晶ともいえる彼の事件調査ファイルを渡されたボクは、それを真剣に読むふりをしました。少なくともジークフリートがファイリングした事柄もボクの知っていることばかりでしたけれど、此処でボクが真剣味を見せておかなければ早々に疑心暗鬼の心が彼に宿るでしょうから。
一時間ほどそうやって真剣に読むふりをした後、マリアさんと連れて部屋へ戻れば、タイミングよくベルフェリカちゃんから一通連絡が届きました。どうやら、リリス、ではなく正確にはリリス・クレメンスの従妹であるローラ・クレメンスがあの教会の神父に接触し、儀式、並びに実験を開始したとのことでした。十五年前と同じ手法ならば、おそらく今晩の内に木乃伊となった少女の身体が島の何処かに安置されることでしょう。
不幸な人間を、彼らはまた量産するのか。と憂鬱な気持ちになったのはその一瞬だけで、新たに起きる事件を使って捜査をした方がよりジークフリートに達成感を味わわせられるのではないかということに至ったボクは、きっと薄情者でしょう。本来ならばボクのような者を増やすだけの馬鹿げた実験を阻止し、被害者を減らす方に尽力すべきところを、ボクは彼女たちを見捨てて、過去に縛られたジークフリートの望みを優先しようとしているのです。今晩の犠牲は仕方ないとはいえ、この先増えるであろう被害者をゼロにすることも可能なボクにとって、被害者の子達を見殺しにするという判断に抵抗がないわけではありません。ですが、それでもボクはジークフリートの長年の望みを叶えてあげたいのです。
そう、たとえ彼がその望みを変え、被害者を減らすことを望んだとしても、ボクは見殺しにする彼女たちのために、やるべきことをやりきり、貫かねばならないのです。




