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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
5 A.あるいはオデット・クーベルタン
46/52

1-2



 茜色が満ちる雑踏の中、わたしは父親に手を引かれていました。


 いえ、そのはずでした。ですがいつの間にかその手はほどけて、別の人に手を握られ、離され、握られ、離され。そして暗い路地へ連れて行かれたら世界が反転して、目覚めた時には何処かの暗い場所に居たのです。何処とも知れぬ場所。


 闇の中をうごめく有象無象の影。そしてその暗く、黒い場所でも自ら発光するかのごとくまばゆい姿をした金髪の少女。コスモス色のワンピースを纏った彼女はわたしの顎を持ち上げると、無防備になった首筋に注射をする時のような痛みを施し、そしてそれから、わたしはもがいたのです。


 身体を焦がす熱。内側から込み上げる胃液の酸。ぐるぐるぐるぐるめまぐるしく変わる視界。そこから逃げ出そうにも身体は動かせず、逃げ出せない。


 きっとほんの数分の出来事だったのでしょう。ですが、結果としてそれは彼らの望んだ形ではなかったようで、わたしの口元に手を当て赤い何かを取り出して見せる素振りをした彼女は、わたしを捨てるよう周りに言ったのです。


 自分自身がいったいどのようなことになっているのかは皆目見当もつきません。耳はそれなりに聞こえてはいましたが、視界はぼやけて見え、ほんのわずかに色彩が把握できる程度。身体を動かそうにもピクリとも動いてはくれませんでしたし、むしろ自分の重みさえ感じることができませんでした。


 有象無象の一つに身を掴まれ、何処ともしれぬ場所に捨てられたわたし。そんなわたしに、誰かが――そう、この島にやって来ていた二人目のアヴィオール・S・グーラスウィードが「貴女はボクに何を願いますか」と話しかけてきました。彼女の声を聴くことはできますが、声を発することは愚か、動くこともままならないわたしは「あの人たちからパパとママを守って」と、心の内で強く願いました。


 今でこそ「あの人たち」とは町の住人を差しているのか、教会の関係者を差しているのかと自問することはできますが、それほど事態を理解していなかった当時のわたしに区別はなく、自分をこんな風にしたすべての人たちを「あの人たち」と呼称したのです。


 そんなわたしの無言をどう解釈したのかは測りかねますが、彼女はいくつか言葉を吐いた後に姿を消し、わたしもまた瞼をおろします。そして次に目覚めた時にはまた何処とも知れぬ場所に、わたしは居ました。目覚める度にころころ変わる自身の所在地ですが、それでも今回はかろうじて病院のベッドに横たわっているのだと、把握することはできました。


「あら、気が付いたみたいね」


 クセの強い、黒い髪の女性。その眼もとには泣き黒子が一つあり、眉間に寄せられた皺の掘りは深い。


「……あなた、は?」


 漏れ出るようにかすかに出たその声は、とても聴きとれたものではなかったでしょう。幾ばくかの怒りを表情に見せている彼女に「もっと滑舌よく話せないのか」と怒られるのではないかと思いましたが、彼女はその表情に反して優しく答えてくれました。


「はじめまして、オデットちゃん。私はサタナリア・S・トゥリアイーラ。貴女を助けようと思っている研究者よ」


 彼女の冷ややかな指先がわたしの頬をなぞりあげます。


「貴女は今とても危険な状態なの。今のところ、栄養剤をしこたま注入しているからぎりぎり生きていられるけれど、コレを抜けば貴女は直に死ぬわ」


 わたしの皮膚に食い込んでいるいくつものチューブを指さして、彼女は続けます。


「でも貴女に『どんなことになってでも生きる』という意志があるのなら、私の、いいえ、私たちのお父様であるS氏の望みをどうか叶えてほしいの」


「S氏……?」


 聞いたことのない人。それは貴女の父親ではないの? それはどんな人なの? いくつかの質問を込めたその言葉に、彼女は快く答えてくれます。


「S氏。それは世界をまたぐ大富豪であったり、各国を牛耳る権力者であったり、時にはそれらに従属せざる得ない者であったりするわ。一見似ても似つかぬ彼等だけれど、すべからく、私たちの父親であることを私たちによって承認された人よ」


 サタナリアさん、ないしは、彼女たちに承認された人がS氏。ならば、そのS氏がわたしに望むこととは一体何なのだろうか。


「S氏の望みはただ一つ。私たち娘の安寧よ。そして私たちは安寧へたどり着くための礎として、それなりの人数が必要なの」


 だからね、と続ける彼女は、金色の目でわたしを見つめ、言うのです。「オデットちゃんに、私、サタナリア・S・トゥリアイーラの姉妹であるアヴィオール・S・グーラスウィードを継いでほしいのよ」と。


「勿論『どんなことになっても生きる』という意思があるならで構わないわ。具体的にいうなれば、そうね。エネルギーを無駄に消費し、身体を木乃伊にしようとする『Ave-M』の影響を打開するために、私が研究している人体を再構成する実験の過程で生まれた再生剤を投与させてもらうわ。その作用としては、生存するために最も良い状態へ保つための肉体改造、かしら。その副作用として少しばかりがっしりとした体つきなってしまうわね」


 ふふっ。と一つ笑い声を零し、サタナリアさんは吐息がかかりそうなほど近くに顔を寄せました。

「貴女も生きられるし、私も実験がはかどるし、お父様も娘が増えて喜ぶ。みんなが幸福になれる。そんな、胸やけがするほど素晴らしい提案なのだけれど、オデットちゃんは如何したい?」


「……いきたい」


 生きて、父親と母親に会いたい。S氏の望みを叶えるのは、そのついでにしか過ぎない。そのために、わたしはアヴィオール・S・グーラスウィードに成ることになっても、構わない。


「そう、ならば交渉成立ね。貴女がアヴィオールちゃんになった暁には、ほほえましい日常が貴女を待っていることでしょうね」


 にこやかに、朗らかに。柔らかな声でそう言ったサタナリアさんは、わたしの頭を一撫ですると、そこに大きめの機材を取り付けました。そして幾度目かの暗転、幾度かの人為的情操教育―――現状でならばベルフェリカちゃんによる電脳空間での洗脳だと断定できるモノを受け、オデットからアヴィオールへ生まれ変わったボクが目覚めたのは、何処とも知れぬ場所でした。


 否、誰とも知れぬ顔でした。というのもクセの強い髪をサイドに短く結った幼女、嫉妬のレヴィアタンを彩り、ヴィクトリアの名を冠された末妹のヴィアちゃんがボクの顔を覗き込んでいたのです。


「あ、おはようアヴィーちゃん! やっと目が覚めたのね! 私はヴィア! これからよろしくね!」


 当時こそ爛漫とした笑顔を見せていた彼女ですが、その後十五年の間に、自らに彩られた嫉妬の獣に身と心を食いちぎられ、怠惰のベルフェリカへと変わり、今はもう亡き少女となることを、いったい誰が予想したでしょうか。


 最後の瞬間まで父親に焦がれながらも、結局報われることのなかった彼女。そんな未来を知らない幼いヴィアちゃんは、甲斐甲斐しくもボクの世話やリハビリにも根気よく付き合ってくれました。


 サタナリアさんお手製の再生剤のおかげで、木乃伊となっていた時より格段に健康になったボクではありましたが、木乃伊化の影響で失われた筋肉は寝ているだけでは再生されません。


 そもそもボクに投与された製剤の説明において「最も良い状態へ保つための肉体改造」とサタナリアさんは言いましたが、あくまで保つため、手助けするためのものであって、筋肉そのものを作りだすわけではないのですから。


 そしてその合間に元のボク、すなわちオデットの父親であるジークフリートの所在をベルフェリカちゃんに調べてもらいました。母親の方は、サタナリアさんの元でベルフェリカちゃんの情操教育を受けていた際に、亡くなったことを教えられていたので調べてもらう必要はもはやありません。


 その結果、彼が今住んでいる家、と言うよりかは部屋には、幸か不幸か多数の監視カメラや盗聴器が仕掛けられているようでした。なので、それをこちらでも見たり聞いたりできるようベルフェリカちゃんに采配してもらい、ボクもまた女王蜂の求心力に集った町の住人達同様、ジークフリートを監視、盗聴し始めました。加えて、何時か彼と対面したときに不備が無いようにと、彼の行動、思考パターンを統計し世間一般的な人間の統計、深層心理に当てはまるか等を十年以上の長期に亘って調べたのです。


 その間、手持無沙汰になることがあれば、ヴィアちゃんと共に仕事帰りの彼とすれ違ってみたり、ストーキングまがいの行為をしてみたりしたのですが、やはりというべきでしょう。彼はオデットであったボクのことに気づきはしませんでした。


 やはり木乃伊化により片目を失うとともに髪は白く染まり、サタナリアさんの製剤によって肉体が青年じみた体つきになったこの身では、誰もボクがオデットなのだと気づきはしないでしょう。


 街中で彼を見つける度「わたしはここよ!」と叫びたいという強い欲求は、当初こそヴィアちゃんに慰めてもらわなければ収まりのつかないものでした。けれど年月が経つにつれてその激情も幾分か制御できるようになったのです。そう、S氏の計らいの元、ボク達が住まう家へやって来た、実父ジークフリート・クーベルタンと間近で対面しても、無表情を貫き通せるまでに。


 ジークフリートとボクとの間に結ぶべき契約。諸々の手順を踏んだ後、長年一緒にいたS氏と、ベルフェリカちゃん、サタナリアさんと別れて、夢にまで見たジークフリートとの同棲生活をし始めたのです。初日であるその日は、彼の悩みであった女上司「イザベル・オクトバーニ」との仲違いになった理由を突き詰め、解消できるよう取り計らいました。とはいっても当時のジークフリートとイザベルの間に何があったのかも監視カメラや盗聴器越しで見聞きしていましたから、その時何がったのかを彼が思いだせるよう、ボクは当時のイザベルとお同じ手振りで彼に触れただけなのですけれども。


 そしてジークフリートが無事就寝した後、彼の寝室以外に取り付けられていた盗撮カメラや盗聴器をはずしました。ボク自身が此処にもういるのですから、これ等が此処にある必要性は一つもありはしないのです。


 翌日、ボクは彼を会社へ送り出し、彼の寝室に取り付けられていた監視カメラと盗聴器を処分した後、外へと出かけました。勿論、頃合いを見て彼にボクの連絡先を送ることも忘れてはいません。


 外へ出かけた目的としては、『Ave-M』の影響を受けているこの身体を維持するために必要な大量の食料調達。ですが、外を出たボクを襲ったのは波乱の連続でした。例えば、彼を手に入れたい誰かの手で道路に押し出され車に跳ね飛ばされたり(とはいっても速度の出ていない街中の車程度なら片手で弾き返せますから、かすり傷程度出したけれど)、腹部を何度も刺され警察沙汰になったり、頭部を殴られ原型をとどめなくなったり。通常の人間であれば即死するであろうことの連続。ジークフリートを盲信する彼らも、そうするつもりでいたのでしょう。


 ですが幸いにもボクはサタナリアさんの製剤を投与されていたため身体は強靭でありましたから、死には至りません。そう、例えばクレーンの下敷きになって身体全体がミンチになってもなお、ボクはこうして生きているのです。


 確かにあの時ボクはクレーンの下敷きになって潰れたのです。ぐしゃぐしゃに。まさしくサタナリアさんが言った通りに、原型もわからないミンチに成り下がったのです。ひき肉になったボクの下の彼も、決して無事ではなかったですが、ボクの父親であるがゆえにボクと同じ遺伝子を半分持っている彼の再生は、常人の検体より大幅に早く進んだそうです。


 本当に、サタナリアさんの研究は素晴らしいもの。そんなサタナリアさんの誉ある、すばらしい研究は六月二九日にイーエッグの教会での出来事の中で悪用されました。そう、リリスを名乗る、リリスに憑りつかれた少女が、我が物顔で見せたダニエルの再生もまたサタナリアさんが作成した再生剤の力なのです。


 薄い光が蔓延る聖堂内、ボクはこの目で彼女がダニエルにキスをしながら幾度も彼の肉体に再生剤を投与するところを見ていたのですから間違いありません。ただ、流石に首から下すべてを失われた彼の身体が、瞬く間に再生されたのには流石のボクも驚きでした。


 けれど、ボクの身体がミンチになったあの事件で「実験サンプルを多く確保できた」とサタナリアさんやそれに類する瘧たちが零していたのを思い出し、その超速再生に納得もいきました。進み過ぎた科学力は、まるで魔法の様。何も知らない者が見れば、魔法そのもの。


 そんな細々とした人為的な災厄ボクが味わっていることを知らず、ボクとの同棲生活をし始めたジークフリートと言えば、ボクに対してかなり好意を持っているようでした。それも変質的なまでに。いえ、もしかしたら変質的、というのは少々語弊があるかもしれません。ボクもまた彼に対して娘が本来抱かぬような執着心を抱いているのですから。


 それにボクも、そしておそらく彼も、恋愛感情として相手が好きなわけではないでしょう。ただ身体に組み込まれた女王蜂のフェロモンが互いをそうさせているに違いありません、いえ、むしろそうとしか理由がつけられないのです。


 本来ならば女王蜂が二匹いた場合、強者の女王蜂のフェロモンが相手の生殖能力を奪うらしいのですが、ボクたちは人間ですし、なによりコレは研究段階の実験ですからそういったところにまで発展しきれていなのでしょう。


 互いに互いを意識しあいながら、ボクは素知らぬふりで彼が望む行動を与えました。彼と手をつないでみたり、彼が口にしたスプーンを一度使ってみたり、時には彼の望むままその顔に触れてみたり。


 どうして彼の望むことがボクには手に取るようにわかったのか。と疑問を抱くかもしれませんが、ボクは十年以上彼を監視、盗聴し、なおかつ心理学の統計などと照合して彼の行動、思考パターンを割り出していましたから、それを此処で活かしたにすぎないのです。


 彼との特に何の進展もなかった同棲生活を二週間ほどした後に、彼とボクは、互いの生まれ故郷であるイーエッグ島へと戻りました。


 その道中に必須な列車の切符を彼が購入してくれたのですが、それは四人掛けのコンパートメント席でした。しかも、扉を閉めてしまえばいとも容易く閉鎖空間が作れるタイプの。閉鎖空間。密室。それは、今まで二週間を同棲生活で過ごしていた部屋の一室もそうではありました。ですが部屋とは違い、暇つぶしの家事や食事以外の碌な娯楽のないこの空間は、ボクには少々気が引けるものであったのです。そう、彼にとってボクに話しかけるということ以外の娯楽がないこの場は、ボクにとって苦痛の場でしかありませんでした。


 何しろボクはS氏の元に居た際、時々ヴィアちゃんに外へ連れ出されたりすることもありましたが、ほとんどの日を彼の監視、盗聴、統計に費やし碌に他人と話したことが無いボクには、長時間会話を続けられる方法が分からなかったのです。こんなことになるならば、コミュニケーション能力の方も少し上げておくべきでした。と少々後悔はしたものの、彼が率先して話をしてくれたのでそんな後悔はすぐさま消え去りました。


 二人きりの一泊二日の旅を終え、彼の故郷でありボクの故郷でもあるイーエッグ島に戻ってきたボクたちを迎えたのは、ジークフリートの弟であるランス・クーベルタン。実兄であるジークフリートの盗撮や盗聴をしていた、働き蜂の一人でした。


 出会い頭に彼に握手を求められたボクではありましたが、ボクはその手を取りはしませんでした。なにしろ盲信するジークフリートが居る手前、人の良さそうな顔をボクに向けていた彼ではありますが、二週間ものうのうと同棲生活を送りきったボクに対しての怒りと嫉妬がその内心に満ちていることは、火を見るより明らかでしたから。もし、緑の瞳をした獣を潜ませたその怒りに身を任せ、握手に応じたボクの手の骨を折られでもしたら迷惑極まりありませんからね。


 それにボクの身体が強靭で、尚且つ握力もまた強いことを見越して骨折を演じられても迷惑ですし。互いに互いを牽制し合っていたとは微塵も知らないジークフリートさんは、何やら弟に弁明をしてはいるようでしたがそれは無意味なことでしょう。いえ、むしろその発言を彼はボクを守る発言と捉え、さらに深くボクを疎み、嫉妬したでしょう。


 ですが、此処は少しばかり恩を売っておこうと速断したボクは、半ば無理矢理ランスが運転する車の助手席にジークフリートを乗せました。そのことに少しばかり気をよくしたのでしょう、緑の瞳をした獣を少しばかりおとなしくさせたランスと共に、ボクたちは、ボクたちの生家へと帰ったのです。




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