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群青の天蓋に覆われたベッドの上。ボクの太腿の上に頭を乗せ、白いシーツの上で寝そべるママちゃんは、柔らかな笑みを浮かべます。
「ねぇ、アヴィーちゃん。あの後、別の貴女は如何したのかしら?」
そう尋ねた彼女のむき出しにされた白い脚部の傍には白と黒の子猫が二匹、丸まり眠っていました。
「如何もなにも、教会での荒事の後、病院へ行き怪我の処置をし、町に戻りたくないと駄々をこねたジークフリート様と共にあの無の教会へ住まうことになりました。……金銭面で教会の修理費や、土地の所有権などの処理をしたのはママちゃんなのですから、知っているでしょう」
ママちゃんの張りとうるおいに満ちた若い肌に人差し指を突き刺し、ぷにぷにと弄ればくすぐったそうに彼女は身を捩ります。
「ふふっ、そんな苛めないでちょうだい、アヴィーちゃん」
ちょっとだけ聞いただけですわ。
ボクがつついていた頬、並びに顔全体を宝石がたっぷりと着いた両手で覆い隠し、その指の隙間から金色の瞳がこちらを覗き見ます。
「それで結局アヴィーちゃん、あちらの貴女……そう、オデットちゃんは実父であるジークフリートをストーキングしていた彼らから、無事ジークフリートを保護できたわけだけれど、アヴィーちゃんとしての飢えは満たされましたの?」
「さあ。ボクはあちらのボク、すなわちオデットではありませんから、その辺りのことは測りかねます。ですが、ボクたちに彩られた悪徳、暴食は同じですから、彼女の飢えが完全に満たされることはないでしょう」
それにストーキングというのであれば、あちらのボクもまた同罪でしょう。
電子端末に触れれば、ボクはオデットでもないのに彼女の記憶をありありと、鮮明に思い出せます。……と、言いたいところなのですが、実際の工程としてベルフェリカちゃんが統括するボクたち姉妹の履歴から、イーエッグに住まうもう一人のアヴィオール、すなわちオデットの記した日記のような近況報告に目を通す。という単純な作業をしているだけなのですけれど。
彼女の記録によれば、町の住人から寄せられる過剰なスキンシップや、過度の善意にうっすらと気づいてはいたジークフリートでしたが、生家や都市部に居た際の部屋に盗撮用のカメラや、盗聴器が仕掛けられていたことに今も尚気が付いてはいないようでした。
しかし何故、一般人であるはずの彼の部屋に盗撮用のカメラや盗聴器が仕掛けられていたのか。その大きな理由は、イーエッグ島にありました。そもそもイーエッグ島とは黒山羊製薬が研究開発をするために作った、いわば人工の実験島。そして実験内容が異なるコロニーとして、町や村が点在して存在しており、島の至るところに研究観察を行うための監視カメラや盗聴器が仕掛けられています。
今回の根幹となるジークフリートの生まれた町では女王蜂のフェロモンについての研究が表立ってすすめられており、その女王蜂のフェロモンを「ジークフリート・クーベルタン」が保有していたのです。
ミツバチに例えるならば、町の人間は働き蜂、ジークフリートが女王蜂になった、というところでしょう。社会性昆虫であれば確立された主従、母子の元、無用な性行や執着は生まれませんが、今回の実験対象は少なくとも感情を有した人間。ジークフリートが纏う女王蜂の求心力に、働き蜂である町の住人達は無意識のまま集わされ、その心に執着と盲信を根付かされました。それも、自発的に彼を盗撮、盗聴し、果ては彼に集おうとする害虫を駆除せしめんとするほど強固に。
その被害はオデットの母でありジークフリートの妻でもある女性も受けていました。哀れにも、港町で長期の仕事をしていたジークフリートと出会い、子供を作った彼女は彼の生家がある町に移り住みました。ですが、ジークフリートを愛してやまない町の住人達は彼が居る場所では彼女にも優しくしていましたが、彼が居なくなった途端に暴言や暴力をふるい、心身ともに彼女を追いつめたのです。
しかもジークフリート本人は彼女を取り巻く環境に何一つ気づくことはなく、外に出たがらず怯えたり、いっそ島の外へと行こうとしたりする彼女の所業をすべて「マリッジブルー」だからと勘違いしていたようです。
そんな環境から逃れられることなく彼女はオデットを出産し、育てましたが、「イーエッグ木乃伊化殺人事件」によって唯一心を許せる愛娘を殺された彼女は、心を病んでしまいました。
そう、唯一の心の拠り所を奪われ、周りからは暴言、暴力の嵐。かつて愛したジークフリートはオデットを失ったことにより、事件の解明に明け暮れる日々。もとより壊れかけていた彼女の心は干からび、そして彼女に出会った当時のアヴィオールが与えたのは、彼女を楽にさせるための最後の一押し。「そう、あの娘は何もしていません。あの娘は何も悪くありません。本来ならば貴女に慈しまれているはずでした。けれどもうその子供は居ません。大きな力を持つボクにでさえも死者を蘇らせ生者のようにさせるような、まるで神かあの女のようなことをするのは不可能。されど、貴女の元にだけ貴女の娘を返すことは出来ます」と、アヴィオールは言っただけ。すべては、彼女の脳内が勝手に作り出した哀れな妄想。妄想の中において、人は自由になれるのです。オデットの母でありジークフリートの妻である彼女も、ボク達もまた、然り。
「妄想の何が悪いというのかしら?」
「悪いとは誰も言ってはいませんよ。ただ、哀れだと書いてあるだけです」
妄想を哀れと表現されていたのが気に入らなかったらしいママちゃんは、バタバタと足を動かします。それに驚いたのでしょう、彼女の足元で眠っていた二匹の子猫はぴょんぴょんとシーツの上を跳ねまわりはじめました。
「彼らに当たってしまいますから、脚を動かすのは止めましょう、ママちゃん」
「むぅー!」
バタつかせていた足を止め、ぷくりと頬を膨らませるママちゃん。膨らんだ彼女の頬を、ボクはつんつんとつつきます。
「だって! こんなにも妄想は自由で楽しくて、愉快で、何より誰も不幸にしませんし、なりもしませんのよ? それなのにどうして妄想を哀れだと思ってしまうんですの?」
「その妄想が独りよがりでしかないからでしょう。まあ、互いに共有できたらそれは共有精神病性障害とやらに当てはまりそうですから、お勧めされたものではないと判断しますけれどね」
そう断じたボクを、彼女は金の両目で見入ります。
「アヴィーちゃんも妄想を否定するの?」
それは即ち「わたくしをも否定するの?」という問いと同意義。
「いいえ、否定はしません。ただ、人同士の繋がりがあっての人間に対しての場合、肯定しかねるだけですよ」
「そんなの否定しているのと同じじゃない!」
ぱーん、とはじけるように上半身をぐっと伸ばしたママちゃんは「ねぇ、ワーズ? ティーク?」と二匹の子猫の名を呼び、子猫たちに構いはじめます。子猫たちの見ごたえある動きや、柔らかな毛並みに癒されたのでしょう。楽しそうに猫と戯れる彼女を一通り見守った後、ボクはオデットの経歴――いえ、記憶を遡ることにしました。




