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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
1 ジークフリート・クーベルタン
4/52

1-3



 温かな部屋から一変し、外は相変わらずの暗く湿気のこもった細い路地。足元には苔が忍び入り、寒い風が時折横を通ってゆく。


 来た時となんら変わらぬその場所をアヴィオール少年と足早に通り過ぎれば、色鮮やかさばかりが目を毒す大通りへ戻ってきた。

 彼らの住処兼人材派遣の事務所らしき場所へ行ってからさほど時間がたっていないのだろう。バーの立

ち並ぶ大通りは相変わらずの喧騒に包まれていて、先ほどあったやり取りがひどく歪で小さな物だったのだと思い知らされた。否、むしろ本当にあんなことが在ったのだろうかという心配事さえ脳裏にちらついてしまう。


 嗚呼そうだ。俺一人居ても、居なくても、この世の中では誰も気に留めやしないし、何も変わらないのだ。それは俺だけじゃない。俺の娘も、妻も同じ。居てもいなくてもこの世の中では誰も気に留めやしない。誰もその哀れな死の原因を探せない。


「ジークフリート様」


 止むことを知らない喧噪の音の中で憂鬱げになりかけていた思考を引き戻す耳心地の良い声に呼ばれた俺は、そちらの方へ向き直る。


 強い癖のある白髪に右の眼帯、片の手には大きめの旅行鞄。そしてこの色鮮やかな場所ではホストのようにも見える燕尾服。そう、彼は、彼こそが陽炎のようなあの場で俺が渇望し、手に入れることが出来た少年。アヴィオール・S・グーラスウィード。


 一目見て独占欲という浅ましい欲望を俺に抱えさせた罪深い少年は、「それではジークフリート様、これから何処へ行かれますか」と抑揚のない声で俺に問いかけた。


「このまま家へ帰る」


「せっかくこちらまで足をのばしたというのにお酒を飲まれないのですか」


「未成年を連れて酒屋に入るつもりはないからな」


 俺の肩ほどまであるアヴィオール少年の頭をくしゃりと撫で、彼の白髪の柔らかさをつぶさに確かめていれば「ボクのことなど気にせずともよいのですが」と憂い気、というよりかはどちらかと言うと無表情と表現した方が正しいだろう、表情で答えた。


 そう、彼の顔は初めて会った時から一片たりとも憂いを帯びているような、あるいは無の表情から動かない。現に今、こうして主従関係を結んではいるが、初対面には変わりない俺が彼の頭をくしゃくしゃと撫でまわしていても、彼は俺に文句ひとつ言わないどころか顔色一つ変えやしない。


 どうして、なのだろうか。そう疑問に思いはしたものの、酒屋が並ぶ場所特有の人ごみと喧噪に容易くその思考は流されてしまい、気づいた頃には既に俺は帰宅しており、目の前にあるローテーブルに二人分の温かそうな料理が並べられていた。


「今夜のメニューはカルボナーラのパスタ、キャベツとひき肉のミルフィーユ。スープとして溶き卵と少量の生姜を入れたキャベツと玉ねぎの温スープです」


 つらつらと口頭で述べられたメニューと並べられた料理を見、家にこんなにも食材があったか? と俺は思ってしまう。


 いや、確かにパスタやカルボナーラのソース、卵は基本茹でれば即席で作れるため常備していたし、キャベツは調理することなく手軽に食べられるだろうという甘い考えと、流石にこの歳でインスタント食品ばかりを食べて居ては身体に悪いという思いで一玉、先週末思い切って買ってみていたのだ。


 結局、食べたのは買ったその当日だけで、今日までの三日間は一口も口を着けていない状態なのだが……。それにしても、ひき肉や玉ねぎ、生姜なんて代物は家にあっただろうか?


「ひき肉は冷凍庫に入っていましたし、玉ねぎは芽が出ていましたが腐ってはいませんでしたので使用しました。生姜はボク自身の荷物として常備している調味料と食器一式の中から使用しました。さぁ、冷めてしまう前に食べましょう」 


 手を合わせ「いただきます」と行った後、これも自前の物だろう、家の中では見たことのない細かな彫りのあるフォークを手にしたアヴィオール少年は、パスタにカルボナーラのソースを絡め、くるりと巻き上げる。そしてその上品にまかれたソレを彼の薄い唇まで運び、パクリを食べた。もぐもぐと咀嚼する度に緩く動く彼の薄い唇に気を取られていれば、彼の片の目と俺の目が合う。金色の目を二度瞬かせてパスタを嚥下した彼は「ジークフリート様、食欲がありませんでしたか」と俺に問いかけた。


「い、いや。そういうわけでは……」


 アヴィオール少年の食事姿に見惚れていたなどと言えるわけのない俺は、それ以上の言及を受けないようにとアヴィオール少年が食前にしていたのと同じように手を合わせ「いただきます」と言う。


 目の前の彼が作ってくれた料理はどれも美味しく、キャベツとひき肉のミルフィーユはキャベツの甘さとひき肉の肉汁がジワリと口に広がり、溶き卵入りのキャベツと玉ねぎのスープは少量入っている生姜が程よいアクセントになっており、胃から身体が温まるのを感じた。加えて他人が作ったということもあってか、俺が一人でよく食べていたパスタも一味違っているようにも思う。一人ではなく二人で、しかも向かい合って食べることなどこの街へ来てから一度もなかった俺はアヴィオール少年が作ってくれた料理に舌鼓を打ちながら話しかける。


「なぁ、アヴィオール君」


「なんでしょうかジークフリート様」


「そのジークフリート様、というのを止めてはくれないか? 俺と君は金で結ばれただけの関係かもしれないが、その……あまりそういう言葉は……俺に向いていないと思うんだ。だから、俺のことはジークとでも呼んでくれ」


 人材派遣会社、とされるあの家から出てからずっと地味に気になっていたことを言うと、彼は「了解しました」と即答し「ならば、」と言葉を続ける。


「ボクの事もアヴィオール君、ではなくアヴィーとお呼びください」


「構わないのか?」


「ええ。ジークさんにそう呼ばれるのであればむしろ本望です」


 白い睫をふるりと震わせ、目を細める彼。感情の色こそ瞳から見受けられないものの、その目がまるで俺を見定めているように見える。


「わかった。……アヴィー」


 彼はその言葉で満足したのか、一つ頷いた後すぐに目の前の料理を食べはじめた。その仕草は父親と見受けられるあのS氏に似ていて、親子はやはり似るものなのかと一人納得する。


 その後、特別な会話をすることもなく食事を終えた俺がアヴィーに勧められるままシャワーを浴び、上がればテーブルの上に紅茶のセットを置き、一人でソレを呑む彼の姿があった。


「アヴィー。次、入っていいぞ」


「わかりました」


 かちゃん、と持っていたティーカップを皿の上に戻し、立ち上がった彼は旅行鞄の中から衣服を取り出し、バスルームへと向かう。


 些細な動作でしかないはずのその一つ一つが鮮麗されているように見えてしまうほど独特の少年美を持つ彼は、俺の部屋に置いて場違いでしかない。脱衣所へと消えようとする彼のすらりと伸びた背中を見つめていれば、不意に彼が振り返る。


 ぱちぱちと瞬かれる金の瞳と俺の瞳が確実に絡み合おうとする中で、彼は即座に視線をそらし脱衣所の扉を閉めた。


 頬を赤らめることもない。ただ座る俺を見下ろして、瞬きをしただけ。冷淡、冷酷、冷静。そんな色を俺は彼から感じ、少しばかりはやっていた心中を落ち着かせる。


 嗚呼、俺は、何のために彼を雇ったのだったか。


 自問自答の為にそう思えば、すぐさま「わたしの命を奪ったあの事件の真相を知るため」と娘の声が心の中で響き渡る。そう、俺は娘を、お前の命を奪い、お前を殺したあの事件の真相を知るために彼を雇ったのだ。決して、そう、決して自らの私利私欲を満たすために彼を雇ったわけではないのだ。


 彼の優美さに目がくらみ、その場の勢いに流されてしまったのもある意味事実だろうが、結果として俺は彼を雇うことを選択して良かったと思っている。それならば、早いうちに島に住まう弟に連絡を入れておいた方が良いだろう。後はこの部屋を出るために必要な手続きもしなくては。俺みたいな無駄な人間が、自ら長期休暇を望めば会社から首を切ると脅される可能性の方が高いし、それに例え戻ってきたとしても俺の居場所はないだろうからいっそのこと会社も辞めてしまおう。


 明日も変わらず仕事がある俺は、会社の女上司に辞職したい旨を伝える。と一人覚悟を決め、それと同時に今日もまた、連日同様に持ち帰りの仕事があったことを思い出した。


 リビングの隣にある寝室に置いていたバッグの中を開け、その中から持ち帰ることを認可された資料と、社用の電子モニターを取り出す。それほど大きくはないローテーブルの上に広げられたそれらは、わざとらしい程の仰々しさを持ち得ており、取り掛かる前から俺のやる気は大きく削がれてしまう。だが取り掛からねば終わらないという、当たり前の事象をきちんと理解している俺は、微小になってしまったやる気の尻を叩き、いそいそと仕事に取り掛かり始めた。





「持ち帰りの仕事、ですか」


 何時の間にシャワーを終えていたのだろう。振り返ったそこには俺と作業中の電子モニターを見つめているアヴィーが居た。ラフな印象を他人に植え付ける、少し大きめのTシャツを着た彼の姿を見て、彼もまた自分の少年時代となんら変わらぬ普通の少年なのだと、自分なりにやっと理解のできた俺は息を吐く。


 だが、やっと訪れた俺の心の平穏を打ち壊すかのように、ほたり、とそのTシャツに滴が落とされ、シミをつくる。ゆっくりと視線を上げてその滴の根源を辿れば、到達するのは彼の白い髪。柔らかな彼の癖毛は濡れているせいか質量を幾らか落としており、時折その先から染み出る滴が今度は彼の首にかけているタオルにほたり、と落ちる。


「ジークさん」


 心ここに在らずの状態だった俺の名を呼び、再度「持ち帰りの仕事ですか」と問い直してきた彼に、俺は「嗚呼、あまり向いてない仕事でな……」と言葉を返した。


 実際向いていないのは仕事ではなく職場の環境。上司が今の女上司へと変わって、しばらくしてから「窓際族」などと呼ばれるような場所に配置され、加えて過量の仕事を押し付けられる羽目になってしまっている。と、言う必要はあるまい。それに俺にはそうされる理由がわからないのだから。


「―――ジークさん。上司に何をしたのですか」


「……は?」


 唐突な彼の質問に俺は呆けた声を出す。彼は一体何を言っているんだ?


「いえ。グループで一つの仕事をこなしているわけでもないジークさんに、それだけの量の仕事を押し付けるだなんて、上司の私怨か、ただ単にその上司が仕事の量を甘く見すぎているとしか判断できませんから。それで、ジークさんは彼女に何をしでかしてしまったのですか」


 すとん、と彼は俺の隣に両膝を着き、食い入るようにして俺の瞳を見つめる。一つのグループで仕事をしているわけではないということ、押し付けられた仕事ということ、上司が女であるということ。


 ほんの僅かであるはずの彼の言葉の中に敷き詰められた、俺が言っていないはずの事柄に、ぞわりと怖気が走る。教えもしていない俺の名や、俺の過去を知っていたあのS氏同様、アヴィーもまた俺の事をそれなりに知っているのだろうか。


「あまり、覚えていないんだが……上司の昇格祝い、というか転属祝いで部署の飲み会をしてから、悪くなったように思う」


「その飲み会の場で、ジークさんは彼女に何をされ、何を言ったのですか?」


 風呂上がりの程よく水分を含んだ彼の柔らかな指先が―――そう、手袋越しではなく素の彼の指先が、俺の手に触れ、なぞり上げる。


 嗚呼、そうだ。彼女もまたこうやって俺の身体に触れ、あまつさえ「二次会が終わったら、二人で一緒に何処か別の店へ行かない?」と話しかけてきたのだ。けれどその場には彼女のさらなる昇進のために彼女が媚びておく必要のある上役も居り、そちらに彼女を行かせるべきだと思った俺はその誘いを断った。


「……彼女から別の店へ行こうと誘われ、断った」


 正直に、そして端的にその旨を伝えれば彼は「なるほど」と頷き、俺の手からその指先を放してしまう。


「第三者であり、なおかつジークフリート様のその言葉からでしかボクは事情を把握できていませんが、おそらくその女上司は貴方に好意を抱いていたのでしょう。故に、皆の居る飲み会という場で貴方を口説き、色事の意味で貴方を誘った」


「彼女が俺を、誘って?」


「はい。皆の目があれば貴方もその誘いを無下には出来ないという魂胆も含めてそれはもう、あからさまに誘ったのでしょう」


 容姿端麗で頭脳明晰、引く手数多であろう彼女が俺に好意を抱き、あまつさえ誘っていた? そんなわけ、あるはずが―――


「あるはずがない。と言いたさげな顔をしていますね。無論そう言ってくれて構いません。何しろこれはボクの憶測でしかありませんし、当事者であるジークさんが如何思われるかも自由なのですから」


 隣で膝を着けていたアヴィーは俺の斜め向かいに腰を降ろし、風呂に入る前にテーブルに置いていた使いさしのティーカップに、冷めているだろう紅茶を注いで一服する。


「持論を続けますが、彼女からの誘いを貴方が多数いる社員たちの前で断ったことにより、彼女のプライドはひどく傷つけられたのは間違いないでしょう。翌日、いえ、翌週でしょうか。その日を境に彼女の機嫌を損ねた貴方は、彼女からアプローチの一環として与えられていた仕事上での恩恵を全面的に失い、現状である窓際族なる不遇の場への移動と過量の仕事を任されてしまう羽目になった」


 かちゃん、と持っていたティーカップを皿に乗せ「これでボクの憶測は終わりになります。さあ、ジークさん仕事を続けてください」と俺の作業を急かすアヴィー。彼の変わり身の早さに戸惑いながらも、俺は再び今日の分の仕事に取り掛った。


 傍らで俺の仕事を見てくれているアヴィーが居るため行き詰った気を紛らわすために浪費していた時間はなく、何時もより早く仕事を終わらせることができた。使っていた電子モニターや資料を鞄にしまいこみ、時計の針が刺す十二の数字に今日は早めに眠れそうだと息を吐く。


「アヴィー、そろそろ俺は寝るんだが、部屋がこのリビングと寝室しかなくてな……」


 どうしたい? と尋ねるように視線をアヴィーに向ければ平然とした様子で「ボクはリビングで構いません」と彼は答えた。俺としては彼を隣にして眠っても良かったのだが、やはり会ったばかりであるそれも親と子ほど歳の離れた同性の俺と同衾したくはないか。


「そうか、なら毛布はこれを使ってくれ」


 予備の冬用毛布を彼に渡し、続けて「お休み、アヴィー」と声を掛ければ彼は僅かに頭を下げて「はい。おやすみなさい、ジークフリートさん」と返してくれた。受け取った冬用の毛布を床に置き、寝支度をし始めたアヴィーを尻目に寝室の扉を閉じ、灯りを点けることなくすぐさまベッドの中に身体を納めれば直にぱちり、と電気を消す音と共に扉の隙間から漏れていたリビングの灯りが消える。


 ―――嗚呼、彼が扉一枚隔てただけのリビングで眠るのだ。礼節を弁えすぎた燕尾服ではなく、薄っぺらな布一枚という容易さを明瞭にしたTシャツを着た彼が俺の使っていた毛布に身を包み、今こそ眠らんとしているのだ。シャツの薄い布越しの若い柔肌はどんな色をし、どんな感触を持ち得ているのだろう。そしてその肉を携えた彼はどんな夢を見るのだろう。扉を開けて彼の様子を窺う度胸もない俺は、暗闇の中で彼の吐息が聞こえやしないか耳を澄ませたがそんな細やかな音が聞こえてくるわけもなく、ただドクドクと異様に高鳴る自身の鼓動が響くだけ。しかも相当疲れが溜まっていたのか、俺の身体は強く眠りを欲しており、あっと言う間に意識は眠りの水底へと落ちてしまった。




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