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Sの娘たち Act.A  作者: 威剣朔也
3.ジークフリート・クーベルタンⅡ
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1-7




 ノーラは、妊娠してはいないだろうから被害者になる確率は低いとしても、マリアは違う。彼女は彼らが餌食としている少女に類しているのだから。ノーラやランスに対しては少々嫌悪感を抱きつつあるが、それでもマリアには何の罪もない。そんな彼女をわざわざ危険のある中に置き去りにする必要が、どこにあるのだろうか。そしてそれは、アヴィーもまた同じなのではないのだろうか。少なくとも彼女はマリアを大切にしていたように、俺には見えたから。


「カタン」


 俺の思考を邪魔するように部屋に物音が響く。最近減っているらしいが、おそらくネズミか何かの音だろう。そんな些細なことに気を取られている間に、アヴィーはプロジェクターの機材を白い布地を持って二階の自室へと戻ろうとしていた。


「アヴィー、食器洗いは俺がしておくからお前はこのまま早く寝ると良い」


「……そうですね。それではお先に失礼いたします。おやすみなさい、ジークフリートさん」


 俺の気持ちは分かっているのだろう。だが、それでも何の口出しもせずにいるということは、一人の犠牲者は仕方のないことなのだということなのか、それとも、今夜教会に行こうかどうしようか迷っていた俺を見逃してくれるということなのだろうか。


 軽やかな足音を立てて二階の自室へと戻っていったアヴィー。だが、彼女に俺の気持ちや考えが筒抜けであろうとも、俺には彼女の気持ちは何一つ伝わらない。


 そのことに歯がゆさを感じながらもそれが普通なのだと知っている俺は、そのことについて考えるのを止めた。もしかしたらその普通もまた、この島における『悪魔的』なものの作用で根付いているだけなのかもしれないのだから。


 アヴィーが残していった食器会を一通り洗った俺は、電子端末のアラームを一時半にセットし、ソファで仮眠をとることにした。本来ならば自室のベッドで眠ることもやぶさかではないのだが、今夜出かけようと思っている俺をおそらく見逃してくれたであろうアヴィーのためにも、玄関からほど近いこの場所に留まっている方が良いだろう。


 さほど疲れていたという実感はないのだが、まるで気絶でもするかのように眠りこけてしまったらしい。アラームの振動によって俺が起きたのは一時半をほんの数分過ぎた時だった。


 顔を洗い、念のために台所にあったナイフを懐に忍ばせた俺は、アヴィーに気づかれぬよう音を立てずに家の外へ出る。まるでスパイか何かをしているかのような気分になったが、なんてことない、夜遊びまがいの秘め事にすぎない。


 ふーっと深く息を吐き後ろを振り返れば、家の壁にもたれかかりながら俺を見るアヴィーがいた。


「っ!」


 思わず声を上げそうになるが現在は深夜だ。変に叫んで町人を起こしては余計な騒ぎになりかねない。


 くせっけのある短めの髪をふわりと揺らし、暗闇の中俺に近づくアヴィー。しかも現在夏場に近いというのに、何故か春先に来ていた薄手のジャケットを羽織っている。


「お待ちしていましたジークさん。それでは共に、教会へと行きましょうか」


 どうやら玄関から少し離れたところに、車も用意していたらしい。助手席に俺を乗せたアヴィーは教会に向けて車を走らせる。エンジン音やタイヤ音が静かなこの車は、さながら夜を駆ける狩人であろうか。


 町を抜け、教会までの道のりを半ば過ぎた頃合いで、アヴィーは車のヘッドライトを消し車の速度をとても遅いものに変えた。そして付近にあった雑木林に車を隠し入れ、徒歩で教会へと向かう。


 暗い夜の道。島全体が眠りについているかのように感じる中、やっと教会の付近にやってきた俺たち。だが、此処から先は完全に彼らの支配圏であろうし、隠れるような場所もそうないため相手に見つかり捕まる可能性が格段に上がりそうな気がする。


 近隣に並ぶ墓地の十字がやけに生々しく、非現実的なことは百も承知ではあるが、ゾンビ映画のようにそこから眠っている遺体たちが起きてきやしないかと少々不安になる。


「教会、か……」


 ミステリー小説などではよく教会の地下で魔術的組織が暗躍していた。などという物語が存在していたりするわけだが、その幻想がもしかしたらこの中で行われているのかもしれない。


 そうやってさまざまなことについて考え、意識をそむけていたのだが、やはり慣れない緊迫した雰囲気には逆らえないらしい。浅い呼吸を繰り返している自分がいた。ちなみに隣のアヴィーは平素と変わらぬ雰囲気である。すると不意に「がざり」と後方の茂みが揺れた。


「っ!」


 犯人が侵入者である俺たちを捕縛しに来たのか? と、思わず懐にあるナイフを指で確認してしまったが、その茂みから現れたのは黒い山羊だった。深夜だというのに、なぜこんな生き物が此処に居るのだろうか。はなはだ疑問に感じながら、この事象によって起きた激しい動悸を抑えるため深呼吸を繰り返す。


 一方アヴィーはそんな黒山羊の首を掴み、その耳に何事かを囁いていた。俺でさえアヴィーに耳元で囁かれたことなどないのに、家畜ごときがその吐息を耳に浴びられるなど、あってはならないことではないだろうか。彼女の囁きに何が秘められていたのかは知らないが、行き先を決めたらしい黒山羊は駆け出し、闇の中へと消えてゆく。


「アヴィー、あの黒山羊はいったい何なんだ?」


「アレはある人を探し続けている山羊ですよ。彼の邪魔になるようなことさえしなければただの山羊ですから、お気になさらず」


 山羊は山羊であるはずなのに、人を探し続ける山羊とはこれいかに。しかも邪魔になることさえしなければただの山羊ということは、邪魔になるようなことをしてしまったら山羊は山羊ではない別の物になるとでも言うのだろうか。


 言葉にすべきか逡巡したものの、結局何も言わぬまま俺とアヴィーは教会の扉の前まで無事たどり着く。


「……ジークさん。貴方は此処で待っていてください」


 本当を言うのであれば、佐多也左遷氏の居る病院にでもいてほしかったのですけれど。そう続けたアヴィーだが、俺は「お前だけに行かせるわけにはいかない」とその言葉を拒否した。


 アヴィーがどれだけ相手の手の内を知り、そう言ったのかは知らないが、俺にとって唯一心を許せる人物をそうやすやすと危険のある場所に単身で生かせるつもりはないし、これでも一応俺は男なのだ。いくら少年のように見えるアヴィーでも、俺の年齢からしてみれば小娘であることには変わりない。正直盾としての役割も十分に果たせるかどうか怪しいところだが、無いよりはマシだろう。


「……ボクの傍から離れず、ボクの指示には必ず従うと約束してくれるのであれば」


「約束する。だから俺も連れていけ」


 俺の心を知っているからこそ、やむをえず提案された約束に即答すれば、アヴィーは「ならば」と俺の目を見据えた。


「何も恐れず、貴方はボクを信じていてください」


 そして、彼女は両腕を広げる。


「さあ、共に暴食の頂きへ参りましょう。ジークフリート・クーベルタン様」


 ばさりと音を立ててアヴィーの来ていた薄手のジャケットを脱ぎ去れば、彼女の色は緑へと変わる。否、正確にいうなれば常盤色だろうか。


 口元まで覆う大きな襟に、白い袖。胸元にはアスコットタイのような白のスカーフに、丸みのあるマカライトグリーンの宝石。そして皮肉だろうか。首元から股まで一直線にひかれた装飾は胸の平坦さを際立たせていた。


 下半身にズボンはなく、太腿まである眺めの白いブーツを履いている。後姿こそ燕尾服らしく見えるが、正面から見ればかなり装飾がある軍服に見えなくはないだろう。暗闇の中でもその彩りを失っていないその衣服。何故彼女は今、こんな衣装じみたものを着ているのだろうか。


「アヴィーその服は?」


「これはボクの正装です」


 感情の籠っていないアヴィーの声。そしてとくに逡巡をするでもなく、彼女は目の前にあった教会の重い扉を引く。


 外の風が中へと入り込み彼女の胸元のスカーフと長い前髪が揺れ、その隙間から服と似たデザインの眼帯が垣間見えた。燕尾服のような眺めの裾がひらりひらりと揺れる度、とほんのわずかしか見えない彼女の太腿がいやに視界に入る。が、そんなものに気を取られていたのはほんの一瞬だった。


 なにしろ、教会の中から大きな男が二人飛び出、その勢いのままアヴィーを下敷きにし、弾けるように体液をまき散らしたのだから。


 一瞬何が起きたのか理解できなかった俺は、声を失う。


 俺の認識が間違っていなければ、教会の中から大男が二人出てきたはずだ。そしてアヴィーはその二人の下敷きになった。だが現状を見る限りその場に人の姿はなく、小山のような肉と、撒き散らかされた肉片。そして「バキリ」という脆弱な音があるだけ。しかし匂いだけはすさまじく、むせかえるような生々しさを持った鉄の香りが鼻腔を執拗に突いた。


 嗚呼、アヴィーは一体どうなってしまったのだ。悠々としていた彼女が、こんな強襲にいともたやすくやられるはずはないと信じてはいるが、どうにも恐ろしくなった俺は「あ、アヴィー?」と声を漏らす。すると肉の小山からアヴィーが姿を現し、こちらを向いた。


「はい。何ですか、ジークさん」


 口調、表情、はいつもと大差ないアヴィー。けれど彼女の襟や口元にはまるで血抜きのされていない生肉を食べていたかのような、液体がべったりと付いている。


 いくら悪魔を彩られているからと言って、まさか彼女が人間を食べるだなんてことするはずがない。きっと口元を切ったとか、返り血を口元に浴びてしまったとか、そういうことに違いない。そうだ、俺は彼女を信じているだけで良いのだ。疑うことなどしてはいけないのだ。


 それらを踏まえて「っ、大丈夫なのか」と声をかけた俺だったのだが、その拝領は無残にも塵と還った。何故ならアヴィーが男の腕らしき肉を無造作に手折り、口元へ運び、食いちぎり、咀嚼し、嚥下するという一連の行為を俺の目の前で行ったからだ。


「待て、アヴィー。お前何を喰っている……!」


「肉です。エネルギー補給のためにはどうしても必要不可欠ですから。どうせ此処に居る時点で居なくなっても困る人間ではないようですし。嗚呼、ジークさんも一本食してみますか?」


 肉の裂く音、引きちぎる音が鳴り、ポイと投げられたのはたっぷりとした剛毛と筋肉を蓄えたヒトの足。しかも胴体と話されながらも、わずかに痙攣しているその指先は、さながら『とれたて新鮮』という表示が似合いそうだ。


「貴方はそれでも齧りながらボクの悪徳を傍観しているのが一番安全です、よっ!」


 教会の中から弾丸のごとく飛び出してきた複数の小さな影を、自身の腕ですべて打ち落とし、脚を覆う白いブーツの底で踏み潰すアヴィー。羨ましくも彼女の足で踏み潰されたそれは、「ひぐぅ」と声を漏らしたあと骨格をゆがめ、穴という穴から体液を漏らした。


「子供は乳臭いから苦手なんですけどねぇ。まあ、コレが乳飲み子であるかと言えば否なんですけれど!」


 明らかに気の荒いアヴィー。何時もより饒舌かつ、下劣ささえ感じられるような発言をした後、彼女は足蹴にしていた赤子らしきモノを無造作に掴み、あろうことか口の中へと放り込む。そして幾度か咀嚼し、嚥下した。その一連の動作はもはや見られたものではなく、俺は「やめてくれ!」とアヴィーに静止の声を向ける。


「いいえ。脆弱な貴方にボクの悪徳を止められやしませんよ、ジークさん。むしろ貴方はボクを雇った責任として、ボクの行いをその目に焼き付けるべきなのです。これがボクがボクを彩るためのボクの在り方なのですから。それにこれは貴方が思うような赤子ではありませんしね」


 彼女の一振りによって撃ち落され、潰された小さな影を幾つか拾い見せつけられたその顔は、気味が悪くなるほど同じ顔をしていた。


 例え赤子か幼児であろうと多少なりの造形の差はあるはずなのにもかかわらず、それらすべての顔はそっくりそのままだ。しかもその顔こそヒトに似てはいたが、顔から下の身体はヒトの形をしていなかった。まるで、ヒト型に似せようとして失敗した、ナニカだ。


「なんだ、これは」


 複製された人間? 違うか、ヒトの肌をかぶせられた人形とも取れるような得体の知れないソレ。


「さぁて。何なんでしょうね。ただ美味くもなければ不味くもない、下品な味をしたヒトの模造品ということはボクの鍛え抜かれた味覚が保証します」


 気分が高揚しているのか、普通のアヴィーなら決してすることのないだろう。ぺろりと艶やかな舌先を俺に見せた彼女は、まるで笑うかのようにして片の目を細めた。


「下品な味とは、聊か失礼ではありませんか? お嬢さん」


 そんな声と共にコツン、コツンと足音を立てながら教会の中から現れたのは、女性受けのよい顔を携えたダニエル神父だった。以前見た時と変わらぬ美貌を携える彼の足元には、アヴィーが下品な味をしたヒトの模造品だと揶揄した小さな影が踏み潰されている。


「もし、貴女が本物を所望するならば差し上げますよ?」


 ダニエル神父がにっこりと天使的な笑みを浮かべた直後、彼の背後の闇からフードを被った人間らしき者が数人現れた。おぼつかない足取りで歩き、俺たちの姿をぎらついた眼で捉えるや否や狂喜じみた声を上げ思いもよらぬ速さで走り向かってくる。


 ぎぃぎぃと人間らしからぬ奇声と、血走った眼と、獣のような彼らの動きに俺は恐れのあまりその場に尻をつけ、尻ごみすることしかできない。一方、アヴィーは臆することはなくただ悠然と「手加減しなければなりませんかねぇ」と言い放つ。


 衣服の下に隠していたのだろう。ステーキなどを切るときに使用するテーブルナイフを取り出した彼女は自らの体制をぐっと低くし、迫りくる彼らの踝や膝を重点的に狙い切り裂いてゆく。


 狂気じみた人間を狩るアヴィーの姿は、まるで地を滑る優美な獣。しなやかな肢体が闇の中を優雅に舞い、彼らの体液を撒き散らしてゆく。そして彼女の刃に裂かれたものは次々に地に伏し、身悶えながらやはり「ぎぃぎぃ」と人らしからぬ嗚咽を漏らした。




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